すわ 親治(すわ しんじ、1952年11月14日 - )は、鹿児島県鹿児島市吉野町出身のコメディアンでありザ・ドリフターズの元付き人・見習い・準メンバー、ザ・ニュースペーパーの元メンバーである。旧芸名はすわ しんじ。本名は諏訪園 親治(すわぞの ちかはる)で、本名名義で活動することもある。「ドリフ第六の男」とも言われる。鹿児島で生まれ育ち、中学および鹿児島実業高等学校時代はバンド活動を行っていた。当初はベンチャーズに傾倒する音楽少年であったが、『8時だョ!全員集合』を見るようになって、ドリフに憧れ、音楽の要素の入ったお笑いを目指す様になる。お笑い芸人を目指し1970年に上京する。当初は同郷のフランキー堺に弟子入りするつもりだったが、すれ違いが起こり弟子入りを果たせなかった。その後、ドリフの付き人募集を新聞広告で見つけ応募するも、最終面接で落ちる。それでもと懇願した所、加藤茶の運転手として採用される。1972年頃に付き人に昇格し、いかりや長介に弟子入りする。この頃、いかりやにより「すわしんじ」という芸名を与えられる。ギターの奏術に長けていたが、ドリフターズの音楽活動では加藤茶が前に出られるようにドラマーを担当することもあった。『全員集合』のコントでは、加藤に襲い掛かるブルース・リーのものまねで受けるなど、奇怪なキャラクターでの登場が目立った。その他、「鏡の写し像」、「幽霊」、「ハイトーンの馬のいななきにも似た笑い声」、『飛べ!孫悟空』の馬の役などチョイ役以上の活躍を見せる。いかりや長介にその芸風を高く評価され、当時の芸能雑誌にも「すわしんじ、いよいよドリフ正メンバー昇格か?」との予測記事が載せられることもよくあったが、結局、正式なメンバーになることなく1985年にドリフターズでの活動を終了する。ドリフ脱退後は、しばらく水道会社に勤めていた。そのサラリーマン時代に工事用の手押し車(ネコ車)ダンスのギャグを密かに開発し、芸能界に復帰した。復活後の芸名を「すわ親治」に変更する。コントグループ(正式には「劇団」)ザ・ニュースペーパーに参加。一時期はリーダー的存在でもあった。1988年『ファミっ子大集合』の司会でテレビに復帰した。その後、ザ・ニュースペーパーが話題となり『上岡龍太郎にはダマされないぞ』にレギュラー出演する。兄弟子である志村の誘いもあり『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『志村けんのだいじょうぶだぁ』にも準レギュラー出演し志村と絡んでいた。2001年、NHKの特別歌番組でドリフが全員集合した際、彼も楽曲「ゴー・ウエスト」のコーナーに馬役で出演した(本名の諏訪園親治名義での出演)。また、いかりや長介の葬儀の際もドリフの正メンバー4人と一緒に棺を担いだ。これらのことから、実質的にはドリフメンバーの一員としての扱いを受けていたといえる。近年は政治風刺ライブ&冗談音楽の「他言無用」、そのリニューアルである「はだかの王様」を松崎菊也、石倉直樹とともに年に4回程公演、沢田研二主演の音楽劇に出演するほか、「すわ親治ひとりコメディ」、「下町ライヴ」などを精力的に行っている。その動きや表情で見せるコントには、年季の入った昭和のコメディアンとして、まだまだ健在であることを示している。季刊『酒とつまみ』(酒とつまみ社発行)には「怪物コメディアンすわ親治の酒は体に悪いぞ〜」(2007年12月発行第10号で9回目)を連載している。2008年3月には自ら企画したCD『ヘバダバ/俺の翼』をリリースした。2013年2月から時代劇専門チャンネルでスタートした『料理昔ばなし 〜再現!江戸時代のレシピ〜』にレギュラー出演。毎回紹介される再現メニューで、その料理の腕前を披露している。ザ・ドリフターズとしての出演作品はザ・ドリフターズを参照。ザ・ニュースペーパーとしての出演作品はザ・ニュースペーパーを参照。
出典:wikipedia
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