九十九里鐵道株式会社(くじゅうくりてつどう)は、千葉県東金市を拠点とするバス事業者。1926年(大正15年)から1961年(昭和36年)までの間、千葉県東金市の東金駅から千葉県山武郡九十九里町の上総片貝駅までを結んでいた鉄道路線(1931年まで軌道)を有していた。鉄道路線は、同県の千葉市や山武郡成東町(現・山武市)への延長も計画されていたが実現はせず、1961年3月1日に廃止された。その後も社名に「鉄道」の名を残し、バス路線などでは片貝に“駅”が冠されるなど、鉄道の名残が見られる。現在では、同じ千葉県内の小湊鐵道と株を持ち合い、その保有比率から規模が大きく異なるものの、同社の名目的な親会社となっている。そのため、バスの塗装は、一部の車両を除き、小湊鐡道と同じである。東金と漁師町の片貝を結ぶ路線として1926年11月25日に開業。全線の運賃は30銭だった。当初は九十九里軌道を名乗り、法規上も軌道法の適用を受けた軌道だったが、1931年に地方鉄道法に適用法規を変更し、翌年社名も九十九里鐵道に改めた。列車はガソリンカーで運行されていた。このガソリンカーは運転席が進行方向側にしかない単端式と呼ばれるもので、東金駅と上総片貝駅にあった転車台に載せ方向転換する必要があった。なお、太平洋戦争後の1946年から1947年頃まで、燃料不足や溢れる買出し客を捌くため蒸気機関車も併用していた。栃尾鉄道のB形コッペル5号機(1920年製、7t、30PS、1400mmタイプ)を1946年(昭和21年)11月に購入。1947年(昭和22年)9月に日本硫黄沼尻鉄道(耶麻軌道)のB形コッペルB73(3号、1914年製、7t、30PS、1200mmタイプ)を購入し、1号と改称した。夏季には海水浴客で賑わったが、車社会が進む一方で資金不足から鉄道施設の近代化が図れず、1961年2月28日限りで廃止され、以後はバス専業になる。本鉄道は気動車の燃料を地元産の天然ガスに改造することによって太平洋戦争中のガソリン入手難時代を乗り切り、この時代も気動車による運行を継続することができた。本来はガソリンを燃料としていたが、沿線地域の片貝付近では地下から天然ガスが湧出しており、戦中戦後にかけてのガソリン不足の時代を天然ガス等で代用していた。しかし、天然ガスでは馬力が弱く、当時の記事に「途中で動かなくなり家族を迎えに行った」「通行人とぶつかると車両の方が倒れてしまう」などという記述が見られるほどだった。もちろん後者については誇張であるが、それを不満に思っているという雰囲気はなく、地元の人々に愛されていたことがうかがえる。1961年当時、鉄道と並行した道路(未舗装)に自社の定期バスも運行され、鉄道と交互運行だった。乗客が上総片貝駅に尋ねにいくと、鉄道が先かバスが先かを案内してくれた。列車の走行速度については、気動車が有蓋車1輛と客車2輛を牽引した状態で、時速30kmにも満たなかったという。上記の通り1961年2月28日限りで廃止されたが、さよなら運転等の行事やお名残乗車の乗客が詰めかけたわけでもなくその日の上りの最終列車に乗車した人はほんの数名だった。廃止時点のもの東金駅(とうがね) - 堀上駅(ほりあげ) - 家徳駅(かとく) - 荒生駅(あらおい) - 西駅(にし) - 学校前駅(がっこうまえ) - 上総片貝駅(かずさかたかい)※事業者名は営業当時のもの。廃止時点のものディーゼルエンジン搭載車は皆無で、ガソリンエンジン車のみで最後まで通された。また空気ブレーキ装備は行われず、牽引気動車の手動式ブレーキ・エンジンブレーキのみで減速・停止を行った。気動車改造車をのぞき、ほとんどが木造車であった。廃止直後にケハ107が沿線の片貝ときがね幼稚園に寄贈されたが、幼稚園移転の際に個人が引き取り、現在は千葉県内某所にて保管している。その他の車両は、京成電鉄が谷津遊園と船橋ヘルスセンターの間に遊覧鉄道を計画していたことから東金駅構内にて保管。しかし実現することなく1972年頃まで放置状態となり、荒廃が進んですべて処分された。東金駅周辺区画整理の際に土に埋められたという。◎は、地域間幹線系統として、国・千葉県・東金市の補助を受ける。千葉東金道路を経由する。山田インターみきの湯前 - 丘山台三丁目間は、平日下り方向の、夜間2便のみ停車。千葉東金道路を経由する。2013年3月31日限りで、共同運行していたちばフラワーバスが、同路線から撤退。翌4月1日にダイヤ改正を実施。同社の単独運行となる。京成千葉中央駅での降車扱いを廃止、また同路線の起・終点を、八坂台一・二丁目から東金駅西口に変更。同時に、一部便がレイクサイドヒル地区 東金駅西口経由 片貝駅始終着となった。サンピア前は平日のみ経由。サンピア前は平日のみ経由。滝台経由は、1往復のみの運転(なお八街駅方向便は、日・祝日運休)。東金駅 - 東金商業高校前 - 上布田間の区間便・1往復あり(日・祝日運休)。東金市役所単独補助路線。平日1往復のみ運転。2008年7月18日廃止市内循環線など一部を除き、車両のメーカーは日産ディーゼル工業(現・UDトラックス)製が多数を占め、以前は同社製車両でほぼ統一されていた。かつての小湊鐵道と同じく富士重工業製車体を架装した車両が多くなっている。富士重工業のバスボデー架装事業撤退後に導入された車両(貸切バスや急行バス用車両)では西日本車体工業製の車体を架装している。なお、路線車については1993年を最後に自社発注車の導入を中止し、その置き換えを目的に小湊鐵道から移籍した日産ディーゼル製車両も存在しており、現在では小湊鐵道からの移籍車が主力になっている。以前は自社発注車、小湊鐵道からの移籍車ともに全車がツーステップ車であったが、2016年に小湊鐵道から移籍した281号車(西日本車体工業製ボディーの日産ディーゼル・UA)が同社初のワンステップ車となっている。また、2011年になって小湊鐵道からいすゞ自動車製の高速路線車、三菱ふそう製の貸切車(いずれも車体は富士重工業製を架装)が移籍し、長きにわたった日産ディーゼル製車両での統一が崩れた。2013年には急行バス用としていすゞ・エルガを、2015年には貸切車として三菱ふそう・エアロエースをそれぞれ新車で導入した。なお、小湊鐵道の車両と異なり、同社の車両には社番がある。一般路線車については3桁の車番となっており、自社発注車は西暦年の下2桁+個別の番号1桁〈例:871(1987年導入)、911(1991年導入)など〉、小湊鉄道からの移籍車は移籍された年の和暦+個別の番号1桁〈例:211(平成21年=2009年移籍)、281(平成28年=2016年移籍)など〉で表されている。高速路線車や貸切車は現在は4桁の車番となっており、導入された年の和暦+個別の番号2桁〈例:1601(平成16年=2004年導入)、2501(平成25年=2013年導入)など〉で表されている。平成1桁の時代に導入された車両では、「301」など3桁の車番を持っていたものもあった。
出典:wikipedia
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