湯村温泉(ゆむらおんせん)は、山梨県甲府市にある温泉。甲府駅の北西部に旅館、ホテルが混在する。各宿泊施設では宿泊者専用の湯巡手形を発行している。共同浴場が一軒存在する。温泉街の里山である湯村山には武田信虎の時代から使われた、湯村山城(湯ノ島山城)の跡があり遊歩道が整備されている。山頂には当時の烽火台(狼煙台)が再建されている。伝弘法大師開山の厄除け地蔵尊として知られる福田山塩澤寺、北山三十三観音巡りの一番札所である松元寺、湯の守り神を祭る湯谷神社、武田家縁の千塚八幡神社、芸妓稲荷、弘法水と弘法石芋伝説の残る龍元寺など多くの寺社がある。大同3年(808年)に弘法大師により発見されたという説と、鷲が傷を癒している所を当時湯村に住んでいた村人が発見したとする説がある。共同浴場に「鷲の湯」の名前が残る。『甲陽軍鑑』に拠れば、戦国時代の天文17年(1511年)に、武田晴信(信玄)は信濃小県郡の村上義清との上田原の戦い後に30日間湯治し、信玄の隠し湯で志磨の湯と呼ばれていたという。また、武田家の足軽大将で後代に武田二十四将の一人に数えられる多田三八郎による天狗退治の伝説があり「鬼の湯伝説」と呼ばれている。江戸時代には寛永20年(1643年)に都を追放され甲斐へ配流された後陽成天皇の第八皇子・良純入道親王が住んでいた。江戸後期には浮世絵師・葛飾北斎の団扇絵に『勝景奇覧 甲州湯村』がある。北斎は確実に甲斐を訪れている記録は見られないが、多くの甲斐の風景・名所・生業などを描いた作品が残されている。『勝景奇覧』は諸国の奇景を描いた団扇絵の連作で、天保年間に記された。現在八種が確認されているが、その中には同じく甲斐の富士川支流・身延川の漁の様子を記した『甲州身延川』がある。『勝景奇覧』には藍摺と多色摺のものがあるが、東京国立博物館所蔵『甲州湯村』は橙色の天ぼかし部分以外は藍摺。図像は湯小屋・休憩施設などが立ち並び、巡礼者や行商らが到着する様子が描かれている。北斎作品と甲斐国については葛飾北斎と甲斐国を参照。明治時代以降は、井伏鱒二、太宰治、松本清張、山口瞳(湯村温泉に定宿を持つ)、田山花袋、飯田蛇笏、竹中英太郎、中村宗久、赤池東山など多くの文人、俳人、画家、書家も逗留したり、居住していた。
出典:wikipedia
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