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小池一夫

小池 一夫(こいけ かずお、本名及び僧号:俵谷 星舟(たわらや せいしゅう)、旧名:譲(たわらや ゆずる)、作詞家としての別名:東 文彦(あずま ふみひこ)、1936年5月8日 - )は、日本の漫画原作者、小説家、脚本家、作詞家、作家。秋田県大仙市出身。男性、身長183cm、血液型はB型。1976年までは「小池一雄」。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授(学科長)、神奈川工科大学情報学部情報メディア学科教授を歴任し、現在は大阪エンタテインメントデザイン専門学校で教鞭をとっている。出版社の小池書院編集長。中央大学法学部卒。別筆名に小池一雄、緒塚敬吾、イゴル・キニスキー等がある。漫画原作作品に『子連れ狼』(画:小島剛夕)、『御用牙』(画:神田たけ志)、『高校生無頼控』(画:芳谷圭児)、『修羅雪姫』(画:上村一夫)、『クライング フリーマン』(画:池上遼一)、『オークション・ハウス』(画:叶精作)、小説に『乾いて候』、『夢源氏剣祭文』がある。初期の『ゴルゴ13』(さいとう・たかを)にも関わっている。「漫画はキャラ起てが大事だ」が信条。インパクトのあるキャラクターを動かし、世界的な謀略劇の中を鍛え上げた肉体を駆使して駆け抜けるというハッタリの効いた壮大な筋が身上。「キャラクター原論」の提唱者である。1936年、秋田県大曲町(現大仙市)に生まれる。幼少期より周囲の子供より一回り大柄で、ガキ大将だった。少年期は近所の物持ちの家に入りびたり、倉の中にあった立川文庫などの講談本や少年向けの小説などを読み、それを学校で同級生に語って聞かせる。1955年秋田県立秋田高等学校、1959年中央大学法学部卒。中学校から大学まで剣道部に在籍する。大学時代は『桃太郎侍』で知られる時代小説家山手樹一郎に師事し、小説家を目指すが断念。その後弁護士を目指すが、司法試験に三度失敗。雀荘の店員・経営または雀ゴロ、農林省、外国航路の船員、ゴルフ場勤務等の職業を経験。1968年春、たまたま目にした『少年マガジン』に、さいとうプロダクションが原作者募集をしているのを見て、「枯れ葉の紳士録」という原稿を書き、応募。締切りを大幅に過ぎていたにも拘らず、採用される。以後、さいとうプロに所属し、『無用之介』『ゴルゴ13』などの原作に携わった後、1970年に独立、7月に『ノスパイプ作戦』(ヤングコミック)で原作者デビュー(ただし原稿依頼は『白地に黒く死の丸染めて』の方が先行しており、一時期はこれがデビュー作とされていた)。1972年には、叶精作、神江里見、小山ゆう、やまさき拓味、伊賀和洋、神田たけ志らとともにスタジオ・シップ(現・小池書院)を起こし、所属メンバーのほかにも多くの実力派漫画家を作画に迎え、多数の漫画作品を発表する。遅咲きデビューからわずか数年で劇画界に一勢力を築く形となった。1970年代は、『子連れ狼』、『御用牙』、『修羅雪姫』、『忘八武士道』など、セックスとバイオレンスに満ちたアナーキーな時代劇作品を多数発表。仕事も多忙を極め1970年代前半には、月に15本程度連載を抱えていた。また、その多くが映画化またはドラマ化され、1970年代の映画界に大きな影響を与えた。クエンティン・タランティーノ、ジョン・ウーなど、日本国外にも多くのファンを生んだ。なお、一部の映像化作品では、小池自身が脚本を担当している。漫画原作者としては先輩の梶原一騎も小池の活躍に脅威を覚え、セックスとバイオレンスを主題とした作品を書くようになった。『子連れ狼』は1987年と、最も早い時期にアメリカで出版され、成功を収めた数少ない日本漫画の一つであり、今日の日本漫画ブームの草分けとなった。アメリカン・コミックの巨匠であるフランク・ミラーは『子連れ狼』の大ファンであり、ダークホース社から出版された『子連れ狼』アメリカ版の表紙絵を描いている。小池劇画はアメリカン・コミックスにまで影響を与えたといえ、2001年のアイズナー賞受賞以降の、アメリカでの多くの受賞はそのことを裏付けている。興行収入が1億ドルを超える大ヒットを記録した2002年のハリウッド映画『ロード・トゥ・パーディション』は、『子連れ狼』をモチーフにしている。1980年代以降は、時代の変化もあり、刺激を弱めて、週刊少年サンデーでキャリア唯一の少年誌ラブコメ『ラブZ』(1982年)を発表するなど、娯楽性を主にした作品に作風を切り替えた。1984年には、雑誌『週刊サンケイ』に初の小説「乾いて候」を連載開始し、小説家としてもデビュー。後進の育成にも力を入れており、1977年に「小池一夫劇画村塾」を開設。出身者に高橋留美子、原哲夫、板垣恵介、山口貴由、山本貴嗣、堀井雄二、さくまあきら、西村しのぶ、山本直樹らがいる。2000年に大阪芸術大学芸術学部映像学科の教授に招聘され、『小池一夫のキャラクター原論』を上梓。2001年、同大学にて漫画家養成を目的とした「小池一夫ゼミ」第一期をスタート。以後、主な小池ゼミ出身者としては椎橋寛、森橋ビンゴ、田雑芳一、宮本和也、険持ちよ、矢寺圭太らがいる。2002年、同学部文芸学科長。2005年、同大学に新設されたキャラクター造形学科の学科長に就任。2003年、プロ養成漫画塾「小池一夫塾」を新宿にある映像テクノアカデミア内に開講(現在は終了)。また『子連れ狼』の続編、『新・子連れ狼』を連載開始している。2006年、劇画村塾を再開(東京第9期、大阪第1期)。2007年、同塾、東京第10期、大阪第2期をスタート。同年9月、劇画村塾を株式会社化するも、2009年に同社と訣別。2005年、生まれ故郷である秋田県大仙市に百歳寓という別荘を設けている。現在は売りに出されている。。2011年、4月に独自の講座「キャラクターマンWEB講座」を開講し、同年11月創作ブランド「小池工房」を設立。小泉政権時代より政府の「知的財産戦略本部」に参加し、「知的財産」に関する講演も多い。日本文藝家協会・日本シナリオ作家協会・日本映像学会・日本アカデミー賞協会の会員。星野仙一新仙組総長、阪神タイガース金本知憲後援会会長。ゴルフ場勤務の経験があり、ゴルフへの造詣も深い。「至美(しび)ゴルフ」は、TBSテレビ「小池一夫の至美ゴルフ」・サンテレビ「週刊至美ゴルフ」・広島テレビ「小池一夫のシビ・ゴルフ広島奮戦記」として、テレビ化(TBSとサンテレビはほぼ同時期に放送)されている。なお、同名番組だが、内容はそれぞれ全く異なり、また、ゴルフに関する情報をまとめたもので、原作となった劇画とは大きく異なる。また、1987年にはゴルフ雑誌『アルバトロス・ビュー』を創刊する。かつて雀荘勤務経験や雀ゴロ経験もあるため、麻雀は強く、阿佐田哲也とも何度も対戦している。居合道にも精進して、自分が写真モデルを務めた教習本を出版したこともある。また、茶道の入門書も監修している。小池によれば、スタジオシップに参画した叶精作、神江里見、小山ゆう、神田たけ志、伊賀和洋らは、小池がさいとうプロから引き抜いたのではなく、小池によれば、彼らの方から小池についてきたとのことである。当時、さいとうは激怒したが、後に漫画家ゴルフコンペに共に参加する。『赤い鳩』では日猶同祖論を展開した。日本語の「辱める」とヘブライ語の「ハズカシューム」は同義語だそうである。塾や大学の講義でもこの話題に脱線すると、なかなか本題に戻らない。『赤い鳩』の連載時、いくつかの宗教団体や右翼などから「嘘を書くな」と小学館編集部に抗議が殺到した。右翼から「ピストル撃ちますよ」という内容の脅迫電話が編集部にあり、連載を中止した。長嶋茂雄と非常に仲が良く、大阪芸術大学に招き、講演を依頼し、劇画村塾の会社組織化パーティでも祝いに駆けつけている。他にも星野仙一や田村正和、孫正義などの人脈がある。1990年代に水声社から刊行された『マンガ地獄変』シリーズ(1970年代のアナーキーな漫画を再評価するムック)が、第4巻で小池を取り上げる予定だったが、原稿は集まっていたにも拘らず、担当編集者がビバ彦として知られる「モー娘オタク」になり、「モー娘ファン活動」に多忙となったため、同書は刊行されなかった。『マンガ地獄変』シリーズに執筆していた漫画評論家の大西祥平が、映画雑誌『映画秘宝』において、2004年から2011年にかけて、小池へのインタビューも含めた小池漫画論「小池一夫伝説」を連載し、2011年11月に洋泉社から単行本化されている。

出典:wikipedia

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