An-124 ルスラーン(ウクライナ語:アーン・ストー・ドヴァーッツャチ・チョトィールィ・ルスラーン;ロシア語:アーン・ストー・ドヴァーッツァチ・チトゥィーリェ・ルスラーン)は、ソ連のアントノフ設計局(ОКБ имени О.К.Антонова 現在はウクライナのO・K・アントーノウ記念航空科学技術複合体(ANTK アントーノウ)が開発した量産された機体としては世界最大の輸送機である。ウクライナやロシアでは前述したルスラーンの愛称で親しまれている一方、北大西洋条約機構(NATO)がつけたNATOコードネームはコンドル()であった。また、An-124をベースに開発された輸送機としてAn-225 ムリーヤがある。ソ連は、高バイパス比大出力ターボファンエンジンの開発が西側より遅れていた。1970年代後半にエンジンの開発が成功したことにより、アメリカのC-5 ギャラクシー級を目指した大型輸送機の開発が行われるようになった。An-124は、An-22の後継機として開発され、前任機より大きな輸送力とより優れた飛行性能を持っていた。設計作業は1971年に開始され、製造施設の建設は1973年に始まった。最初の機体は1979年に製造が開始され、1982年に初飛行した。西側へは1985年のパリ航空ショーで披露され、1986年にはアエロフロート航空などへの納入が開始された。1992年にはロシア連邦航空委員会がAn-124-100に民間形式証明を付与した。生産はソ連崩壊によって一時的に中断されたが、その後も低い生産率で2004年まで生産が続けられ、56機が生産された。2000年以降、ウクライナのキエフにあるアヴィアーント・キエフ国立航空機工場(現 アントノフシリアル製造工場)とアヴィアスタル-SPでは既存のAn-124-100をAn-124-100Mに近代化改修する作業が行われている。この型では西側製の新型電子機器を搭載し、搭乗員を航法士と通信士を省いた4名に削減した。他にもいくつか改修型が計画されており、その中にはエンジンを西側製のゼネラル・エレクトリック CF6に変更したAn-124-130というモデルも存在する。生産は2004年で終了したが、ロシアは国内のアヴィアスタル-SPでの生産再開を画策し、2008年にウクライナとの間で第3四半期にAn-124-100の生産を再開することで合意した。2009年に否定されたものの、2009年後半にメドヴェージェフ大統領により、An-124-300の生産再開が命ぜられた。しかし、これは2013年1月18日に撤回された。しかし、これも撤回され同年8月に合意に達したと報道が行われた。しかし、これはウクライナ危機によって再び頓挫した。An-124は、実用輸送機としては世界最大であり、その最大ペイロードは120トンにもおよびC-5Aよりも25%大きい。機体は、トリム抵抗を減少させるために静的安定性への余裕を低く設計された。軽量化のため機体の表面積の1,500mには複合材が多用され、2,000kgの軽量化を達成している。冗長性確保のためすべてのシステムは、四重化されている。主翼は高い空力効率と航続距離を得るために、比較的厚い12%の翼厚を持つ後退超臨界翼となっている。配置は軍用輸送機では一般的な高翼配置であるが、軍用ジェット輸送機としては珍しく水平尾翼はT字ではなく通常配置である。エンジンは、イーウチェンコ設計局によって開発されたD-18Tターボファンで主翼下に4基搭載している。操縦装置は油圧バックアップを備えたフライ・バイ・ワイヤ方式で、コックピットには6名の搭乗員(操縦士2名、航空機関士2名、航法士1名、通信士1名)が座り、その後部にある上部デッキには88人分の座席を取り付けられる。胴体の前後にカーゴドアを備えた貨物室には、重量物を扱うために3,000kg容量の2連ウインチと10,000kg容量の可動式クレーン2基を備える。貨物室の大きさは約36×6.4×4.4メートル(118×21×14フィート)で、C-5の貨物室36.91×5.79×4.09メートル(121.1×19.0×13.4フィート)より20%大きい。貨物室内は与圧されているが、空挺部隊を運ぶことをあまり考慮していないため限定的なものである(24.6 kPa, 3.57 psi)。着陸装置は高い強度を持ち、前線の不整地での着陸が可能。主脚は、貨物積み下ろし時に機首上げ/下げ姿勢が取れるように脚柱を縮めることができる。現在では、旅客機ベースの輸送機では対応できない超大型貨物の運搬機としても活用されており、ソ連崩壊後は西側でもその大搭載量を利用したビジネスが活発である。超大型輸送機はあまり種類がないことから、一時は西側の航空会社でもイギリスのヘヴィーリフト航空などが運航していた時期があった。日本では、1999年に広島電鉄5000形電車(グリーンムーバー)の輸送や、2003年に自衛隊イラク派遣の物資輸送を請け負ったほか、2011年には福島第一原子力発電所事故における注水活動に使う70m級コンクリートポンプ車(約60トン)のドイツからの輸送などの実績がある。また、不整地での優れた離着陸能力を生かし南極などへ物資を運ぶ際にも使用されている。その他、パキスタンへの国際緊急援助活動で、陸上自衛隊のCH-47を運搬するなど、災害救助のためのヘリ輸送においても、その輸送能力が活用されている。2014年末頃からはB787増産に伴い、製造拠点のある愛知県と米国・シアトル間での貨物需要増大にボーイング社の自社製貨物機B747 LCFの輸送力が追い付かなくなった事もあり、ヴォルガ・ドニエプル航空の保有するAn-124が国際チャーター貨物便として中部国際空港へ頻繁に飛来しており、同空港では毎日のように飛来するようになっている。アメリカでは、NASAがロケットや人工衛星、国際宇宙ステーションのコンポーネント輸送に利用する他、アメリカ軍も物資輸送のためにチャーターすることがあり、日本国内の在日米軍基地への飛来も時折り観察されている。ロシア空軍は、2010年に保有する22機をオーバーホール後An-124-100M-150にアップグレードすることを決定しРогозин пообещал модернизировать «Русланы»、2014年12月2日までに6機のアップグレードを完了している。ロシアでは2014年-2016年にかけて更に5機のアップグレードを実施。2016年には1機、2017年には2機をアップグレードする予定である。アップグレードはウクライナではなくウリヤノフスクにあるアヴィアスタル-SPによって行われている。同社はアヴィアーントとともにAn-124を生産した企業の一つで、ロシア国内におけるメンテナンスを行っている。しかし、An-124はウクライナ危機によって製造元のアントノフのサポートを得られなくなっており、安全性に影を落としている。そのため、ロシアでは後継機として2016年からペイロード80トン級の超大型輸送機「Il-106 エルマーク」の開発を開始する予定で、2024年の量産開始を見込んでいる。2015年11月27日には搭載するD-18Tが設計・生産ともにウクライナ(設計はイーウチェンコ、製造はモトール・シーチ)でありロシア国内での運用に難があるため、2019年までにエンジンを国産のNK-23Dで代替することが発表された。愛称の「ルスラーン」は、アレクサンドル・プーシキンの書いた詩『ルスラーンとリュドミーラ』()や、それをもとにウクライナと関係の深いミハイル・グリンカが作曲をした同名の歌劇の主人公の名前が愛称の由来であるとも言われるらしいが、これらの作品の元になった昔話の主人公である騎士の名に由来を求める方が普通である。キエフ大公国時代を舞台とするこの説話では、悪魔にさらわれた大公の娘リュドミーラを助け出し、騎士ルスラーンは姫との結婚を勝ち取る。なお、「ルスラーン」はウクライナ人やロシア人などの一般的な男性の名前で、トルコ語系の名前と言われており、ロシア語風に直すと「レフ」(リェーフ)となる。現代でも多く見られる名前であり「獅子」を意味する。一方、「リュドミーラ」(ウクライナ語では「リュドムィーラ」)は女性の名前で、スラヴ系の名前であり、「人々に愛される」などを意味する。こちらも、現代も多く見られる名前である。事故により4機がこれまでに失われており、運用中の機体は52機である。26機を運用中である。2013年の段階で合計26機が民間用として運用されている。
出典:wikipedia
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