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新潟県中越地震

新潟県中越地震(にいがたけんちゅうえつじしん)は、2004年(平成16年)10月23日17時56分に、新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、震源の深さ13kmの直下型の地震である。1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以来、観測史上2回目の最大震度7を観測した。新潟県北魚沼郡川口町(現長岡市)の直下を震源として発生した逆断層型の内陸地殻内地震で、震源直上の川口町では最大震度7を観測した。震度7を観測したのは、1995年の阪神・淡路大震災以来9年ぶり、観測史上2回目。なお、阪神・淡路大震災では気象庁などの調査によって震度が判定されたため、震度計で震度7が観測されたのは初めてである。また、M6を越える規模の大きな余震が複数回発生するなど、群発地震活動を呈して頻繁に起きたことも特徴のひとつである。気象庁はこの地震を平成16年(2004年)新潟県中越地震()と命名した。英語圏では Niigata Prefecture Chuetsu Earthquake などの表記が多く用いられた。また、一般的ではないものの、新潟県はこの地震による震災を新潟県中越大震災と命名し、この呼称を11月29日より使用している。この地域は、ユーラシアプレートと北米プレートが衝突する日本海東縁変動帯の陸域の新潟-神戸歪集中帯の中でも強い褶曲を受け複雑な応力場を生じている地域である。北北東-南南西方向の軸を持つ複背斜構造があり、震源域となった新潟堆積盆地の東縁(信濃川の東岸)の東山丘陵と魚沼丘陵は、中新世以降に堆積した5000m以上の堆積物が堆積している。地震発生直後の調査では地表地震断層が出現した小平尾断層と六日町盆地西縁断層の北部が活動したと考えられたが、その後の調査で前述断層帯が原因となった可能性を否定する結果が得られている。阪神・淡路大震災の様に明瞭な断層線が地表に出現しない事から、従来知られていた活断層(小平尾断層、六日町盆地西縁断層、信濃川低地西縁断層、信濃川低地東縁断層など)の活動ではなく、厚い堆積層下の未知の断層の活動による地震と考えられている。メカニズムとしては、北西 - 南東圧縮の逆断層型の地震である。本震及び余震の振動波形や余震分布の解析結果によると、本震を発生させた滑り面とは別に並行する別な滑り面と本震と直交する合わせて3つの滑り面が存在した。震度5弱以上の揺れを観測した地域は以下の通り。自治体名は地震発生当時のものを使用する。北は青森県の東津軽郡蟹田町(現在の外ヶ浜町)、西は兵庫県の神戸市灘区、南は和歌山県の那賀郡打田町・粉河町(どちらも現在の紀の川市)で震度1を観測するなど、東北地方から近畿地方にかけて震度1以上の揺れを観測し、北海道の函館市でもビルの高層階では揺れを感じた。加古川市では本震での震度は観測されなかったが、18時34分の余震では震度1の揺れが観測されている。また、防災科学技術研究所が運用している強震観測網によれば小千谷市で震度7相当(計測震度6.7)の揺れを観測した。本震の震源の深さが地下13kmで、余震も地下20km以下で発生し、大きな有感地震が続いた。新潟県内では、本震発生後2時間の間に3回の震度6(弱が1回、強が2回)、地震発生日に計164回の有感地震、翌24日も計110回の有感地震を観測、その後も余震が続き、10月31日までの間に計600回、11月30日までの間に計825回の有感地震を計測した。10月25日以降は、大学の共同研究チーム、気象庁、防災科学技術研究所などにより、臨時の地震計(149台)、GPS変位計(17台)、電磁気(9台)の観測機器が設置され余震活動を記録し地下構造の解析を行った。兵庫県南部地震をきっかけに整備された高感度地震観測網と臨時地震観測機器群の活躍により阪神・淡路大震災の際に記録した余震の2倍、三河地震に匹敵する回数の余震を観測している。震度6強の強い揺れを伴った地震が短時間に連続して発生しており、余震の規模と時空間分布からみると群発地震的な特徴を持っている。地震から7年以上経った2011年でも最大震度が2 - 3の余震が時折発生している。新潟地方気象台によると2006年(平成18年)5月2日に発生した小千谷市で最大震度2を観測した余震により震度1以上の余震は1,000回を超えた。気象庁の発表によると最大震度5弱以上の余震は12月28日までに18回起きている(下記の時刻は全て日本標準時)。防災科学技術研究所により整備・運用されている高感度地震観測網(Hi-net)のデータを利用した、地震動が伝播する様子を色の変化で表現した静止画と動画。揺れが広がっていった様子が解る。1983年から1986年および1994年から本震の直前まで震源域を中心に、地震の静穏化現象が生じていた。強い揺れに見舞われた小千谷市、十日町市、長岡市、見附市を中心に、全体で68名が死亡した。家屋の全半壊はおよそ1万7000棟に上ったものの建物火災の発生は9件に留まった。家屋密集度、人口密度が低い地域で発生した地震であったため、阪神・淡路大震災と比べれば被害ははるかに少なかった。一方で、山崩れや土砂崩れなどで鉄道・道路が約6000カ所で分断された。2004年(平成16年)は7月13日に新潟県地方で大規模な水害が起こり(平成16年7月新潟・福島豪雨)、また夏から秋にかけて台風が過去最多の10個上陸するという、例年にない多雨に見舞われた年であった。このため、元々地滑りの発生しやすい地形であったところに降雨によって地盤が緩みそれが地震が発生した際に多くの土砂崩れを引き起こしたものと思われる。山古志村芋川流域では842カ所で崩落が起き52カ所で河道閉塞を生じ一部では湛水による被害を生じた。地震発生当時、幸いにも水位が低かったために被害は発生しなかったが信濃川の堤防の一部にも亀裂が生じた。電気・ガス・水道・電話・携帯電話・インターネットなどのライフラインが破壊されたほか、新潟県への電話が集中したため、交換機が輻輳し、発信規制がかけられた。また、山間部へ続く通信ケーブルや、その迂回路も破壊され、外部からの情報にも孤立する自治体が出た。特に阪神・淡路大震災以降、災害に強いと思われてきた携帯電話については、震源地周辺では中継局の設備損壊や停電などがあり、中継局の機能維持のために非常用として蓄電されていた予備のバッテリーも、通話の集中によって1日余りで使い果たされてしまうなどしたために、中継局そのものの機能が停止し通話不能となるなど広範囲で使用不能となった。柏崎刈羽原子力発電所・福島第一・第二原子力発電所(東京電力)と女川原子力発電所(東北電力)を含めた発電所への被害はなかった。鉄道は上越新幹線で「とき325号」が脱線(上越新幹線脱線事故を参照)したほか、線路や橋脚が破壊され、それに加えてトンネルの路盤が盛り上がるなどの被害が発生した。国内の新幹線の営業運転中の脱線事故は開業以来初めて(詳細は鉄道事故の項を参照のこと)。また在来線も上越線・信越本線・飯山線・只見線・越後線も路盤の崩壊など甚大な被害を受けた。また27日午前に発生した余震の際には、JR長岡駅大手口の外壁が崩壊する可能性があるとして一時閉鎖された(その後安全が確認され、同日夕刻から営業を再開した)。影響は震源地周辺だけではなく、北陸新幹線や首都圏の私鉄や地下鉄も運転を見合わせたり、遅れが発生した。また、首都圏のJR各路線で使用する電力の半分は被災地周辺の水力発電所で賄われており、小千谷市や川西町にまたがるJR東日本保有の信濃川発電所(44万9,000キロワット)に大きな被害が発生したため、発電不能となった。このため他の発電所の発電量を増やしたり、東京電力から電気を購入するなどして対応で凌いだ(2006年3月14日に復旧工事が終了し、通常の発電出力に戻る)。道路は北陸自動車道や関越自動車道などの高速道路、国道17号や国道8号などの多くの一般国道、多くの県道や生活道路も亀裂や陥没、土砂崩れ・崖崩れによって寸断された。このため山間部の集落の一部は全ての通信・輸送手段を失って孤立。とりわけ古志郡山古志村(現長岡市山古志地区)は村域に通じる全ての道路が寸断されたため、ほぼ全村民が村内に取り残され、自衛隊のヘリコプターにより長岡市・小千谷市などへ避難させる作業が行われた。また山古志村や小千谷市では、数ヶ所で発生した土砂崩れによって河道閉塞が発生し、複数の集落で大規模な浸水の被害が出ており、下流域では土石流が発生する危険性があるため、ポンプによる排水や、河道付近の民家を撤去するなどの措置が取られた。主要地方道の小千谷川口大和線の木沢トンネルも損傷したが、崩落箇所を修復し復旧した。農業も被害を受けた。川口町や小千谷市では、地震の影響で水田が液状化したり、棚田が崩壊するなどの被害も見られた。これにより、翌年の米の収穫に大きく影響した。この地震では長周期地震動によるとみられる被害も発生した。震源から200kmも離れた東京では有感震度は3であったが、六本木にある森タワーのエレベーター6基が緊急停止、うち2基で乗客各1名が一時閉じこめられた。原因は地震動によるワイヤの共振と見られ、うち1基では8本あるワイヤの1本がエレベータ抗側壁の金具に接触し切れていた。地震発生後、下記のような二次的な被害が多数報告された。車の中で長期間寝泊りすることで、下記のような症状を起こし、今回の地震で52名が災害関連死と認定された。また風邪や肺炎が流行したほか、避難所生活、及びその後の仮設住宅における生活で仕事を失い、あるいは畑仕事などの作業ができなくなり、運動不足と孤立により高齢者の心身が急速に衰える廃用症候群が広がっている。11月以降、小千谷市など被災地では病死が例年の2倍程度になっており、震災の影響が指摘されている。また、新潟県は世界有数の豪雪地帯であるため、冬の積雪は毎年、多い場所で3mに達する。そもそも地震による屋根融雪設備の破損は多く、被災地一帯で人力での雪下ろしの必要性が高い状況にあった。2005年(平成17年)の1月下旬から2月上旬にかけて記録的な大雪(19年ぶりの豪雪)となり、場所によっては4mを越える積雪量となり、地震で傾いたり被害を受けた建物が積雪の重みで倒壊する例が出た。山古志村で6棟など最終的に77棟が雪の重みで倒壊し、うち長岡市など6棟で地震との因果関係が認められた。気候が温暖になるにつれ、融雪が始まった。特に2005年(平成17年)は地震により地盤が緩んだところに例年にない大雪が降ったため、雪崩による地震の二次災害が発生する例が出てきた。この新潟県中越地震で被災・避難した2頭の犬が、書籍が刊行されるなどして広く知られている。1頭は山古志村にいた「マリ」で、全村民が村外避難を余儀なくされたことで、マリをはじめとする犬などのペットは置き去りとなった。地震後4日目からは獣医師などがヘリで村に入り、犬や猫への給餌を開始した。マリは地震当日の朝に出産していた3匹の子犬を守りつつ16日後に救助された。しかし避難所にはペットは入れず、マリと子犬たちは一時飼い主と離れることとなった。マリの話は絵本で紹介され、2007年には『マリと子犬の物語』として映画化された。もう1頭は小国町にいた盲導犬の「クララ」で、視覚障害者の女性とともに避難所に入った。避難所での動物の受け入れについて定めたマニュアルはなかったが担当職員が許可し、避難所にいた住民も犬を受け入れた。クララは避難所に盲導犬が入った日本初の事例であり、2005年に出版された『震災にあった盲導犬クララ』で紹介された。新潟県中越地震で被災した犬は約2千頭、猫は約3千匹と推定されている。闘牛(牛の角突き)の盛んな山古志村には多数の牛がいたが、地震発生時に牛舎が倒壊して約半数が死んだ。生き残った牛も全村民の避難時に村に置き去りとなったが、間もなく住民が余震の続く中を村に戻り、山道を移動したりヘリコプターで空輸するなどして数日内に全頭を救出した。。山古志村では錦鯉も養殖されていたが、地震により棚池の底にひび割れができて水が失われたり、棚堤防が決壊して流失したり、土砂崩れに埋まったりするなどして約80%の錦鯉が死んだ。生産者らは生き残った錦鯉を救出し、ヘリコプターにて村外へ搬出した。都市ガスが供給停止となった長岡市内向けに、北陸ガスがカセットコンロ1台と専用ボンベ1本(ボンベの追加購入は自己負担)を貸し出していた。2004年(平成16年)12月27日に全在来線、12月28日から上越新幹線を含む全鉄道路線が運転再開。一般車両の通行止め状況:(国土交通省道路局提供)新潟市を中心に県内外各方面へ路線網を有する新潟県内の高速バスは、地震発生直後から10月26日にかけ、一部を除くほぼ全路線で運休した。また大積バスストップ、片貝バスストップ、越路バスストップは施設損壊により供用を休止した。その後の復旧により新潟県内線・県外線とも段階的に通常運行を再開し、損壊した前述の3箇所の高速バス停留所も復旧後に順次供用を再開した。この頃に紀宮清子内親王(現・黒田清子)と東京都職員との婚約内定発表が予定されていたが、被災者に配慮して発表を延期した。日本プロ野球では、地震発生当時は中日ドラゴンズと西武ライオンズの日本シリーズの真っ最中であったが、地震発生翌日の10月24日の第6戦では試合前の黙祷などは行われず、試合前にナゴヤドームのオーロラビジョンに日本野球機構(NPB)・中日ドラゴンズ・西武ライオンズ名義で「新潟県中越地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます」と掲示されたに留められた。また、日本シリーズ勝者の西武はビールかけを自粛せず予定通り実施した。なお、中日の選手会は24日、被災地に寄付金100万円を贈ると発表した。中日の井端弘和選手会長(当時)は「できる限りのことはしたかった。新潟にも中日ファンはいると思いますので、あとはいいゲームを見せたい」と話した。Jリーグは、10月30日に新潟スタジアム(ビッグスワン)で開催する予定だったアルビレックス新潟対柏レイソルの試合を余震活動への警戒と復旧作業との同時進行での混乱(スタジアムの駐車場を自衛隊が災害支援拠点として使用していたため)を考慮して延期、代替試合を11月10日に国立霞ヶ丘陸上競技場で開催した。また同じく新潟開催で予定されていた天皇杯4回戦湘南ベルマーレ戦を平塚競技場での開催に振り替えた。なお、同月20日のFC東京戦、28日のセレッソ大阪戦の第2ステージのホーム2試合は新潟スタジアムで開催された。また、Jサテライトリーグで10月31日に開催予定だったアルビレックス対大宮アルディージャ戦(新発田市五十公野公園陸上競技場)の開催中止と、Jユースカップの出場辞退を発表した。なおJユースカップについては、既に開催している試合の記録は有効とし、残り試合は0-3でアルビレックスの敗戦扱いとみなした。地震のシーンが多いテレビ番組は放送を中止または延期するなどした。たとえば、地震の2日後の10月25日に放送予定だった読売テレビ制作の『ブラック・ジャック』の第3話「Karte03: ひったくり犬」は本編に地震のシーンが多かったことから放送延期とされ、冒頭で事情を説明した上で『Karte00: オペの順番』の再放送を行った。なお、「ひったくり犬」は2006年に放送された。また、11月4日放送予定だったテレビ東京制作の『ポケットモンスター アドバンスジェネレーション』でも地震のシーンがあったことから、新潟県の一部でテレビ東京が視聴できる地域があることも配慮して翌週(11月11日)放送予定だった回を繰り上げて放送した。なお、現在でもこの話は放送されていない。(いわゆる欠番。また、ポケモン図鑑から封印されている。)応急対策に一定の目処がついた平成20年4月4日「新潟県中越大震災災害対策本部」は解散したその他、各国の民間による義援金が送られている。この他スパーク3人娘(園まり、中尾ミエ、伊東ゆかり)が自立支援目的で山古志村内の田畑に米を植え、その田畑で稲刈りした米を特別に販売し売上の一部を復興基金に充てるなどの援助もあった。2005年5月21日と22日の両日に亘り松戸競輪場で開催された、全日本プロ選手権自転車競技大会記念競輪のサブタイトルに『新潟県中越地震復興支援』がつけられ開催。復旧費用に充てるため新潟県中越大震災復興宝くじが発売された(2005年4月11日 - 4月26日)。地震発生後から、平原綾香のデビュー曲「Jupiter」が新潟県内のラジオ局でたびたびリクエストされた。被災地の復興を応援する歌となっていることを知った平原は、その後たびたび被災地を慰問に訪れた。こうした縁から、2007年公開の新潟県中越地震を題材とする映画『マリと子犬の物語』の主題歌の作詞と歌唱を平原が手がけることとなった。被災翌年の2005年(平成17年)以降の長岡まつり大花火大会で打ち上げられている復興祈願花火「フェニックス」では、「Jupiter」がBGMとして使われている。「Jupiter」は約6分の歌だが、「フェニックス」の打ち上げ時間に合わせて約3分程に短縮されている(地震から10年目の2014年はフルバージョンで演奏し打ち上げ時間が5分強となった)。2005年(平成17年)8月の花火大会には平原が来場し、この曲をライブで歌った。

出典:wikipedia

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