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隠岐国

隠岐国(おきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。平城宮(平城京)木簡には「隠伎国」と表記されている。隠岐諸島(おきしょとう)は、日本海にある島根県所属の島々である。島根半島から北東へ約65km、日本海にある隠岐諸島は大小180余りの島々から成り立つ群島型離島。西ノ島、中ノ島、知夫里島と島後(どうご)の4島に人が住み、島後に対して前3島を島前(どうぜん)と呼ぶ。7世紀に設置された。『和名類聚抄』によれば、国府は周吉郡にあった。現在の隠岐郡隠岐の島町で稲益・横田(おおた)、甲ノ原遺跡、原田地区と推定されるが、遺構は発見されていない。延喜式内社総社・一宮以下『大日本国一宮記』では由良比女神社を一宮とするが、実態から言って水若酢神社が一宮であったとされる。二宮以下はなし。隠岐は配流地であり、後鳥羽上皇や後醍醐天皇などが流された。元弘2年(1332年)に後醍醐天皇は隠岐へ流罪となる。隠岐での後醍醐天皇の行在所と伝えられる土地は二箇所あり、島根県西ノ島町の天皇山には天皇の行在所と伝えられる黒木御所址や黒木神社、寵姫の阿野廉子の三位局屋敷跡や監視を行っていた見付島などの史跡が存在し、古文書も保管されている。一方国分寺の存在した隠岐の島町にも行在所があったと伝えられている。尼子氏は隠岐の守護代から守護となり隠岐を支配したが、尼子氏の滅亡とともに隠岐国は毛利氏一門の吉川元春の支配となった。隠岐は松江藩(堀尾家、京極家)の分国となったが、寛永15年(1638年)以降は天領となった。

出典:wikipedia

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