『枕草子』(まくらのそうし)とは、平安時代中期に中宮定子に仕えた女房清少納言により執筆されたと伝わる随筆。ただし本来は、助詞の「の」を入れずに「まくらそうし」と呼ばれたという。「枕草紙」、「枕冊子」、「枕双紙」とも表記され、鎌倉時代に書写されたと見られる現存最古の写本前田本を収めた蒔絵の箱には、「清少納言枕草子」とある。古くは『清少納言記』、『清少納言抄』などとも称した。「虫は」「木の花は」「すさまじきもの」「うつくしきもの」に代表される「ものづくし」の「類聚章段」をはじめ、日常生活や四季の自然を観察した「随想章段」、作者が出仕した中宮定子周辺の宮廷社会を振り返った「回想章段」(日記章段)など多彩な文章から成る。このような三種の分類は、池田亀鑑によって提唱された(『全講枕草子』解説、1957年)。もっとも、分類の仕方が曖昧な章段もある(例えば第一段「春は曙」は、通説では随想章段に入るが異論あり)。平仮名を中心とした和文で綴られ、総じて軽妙な筆致の短編が多いが、中関白家の没落と清少納言の仕えた中宮定子の身にふりかかった不幸を反映して、時にかすかな感傷が交じった心情の吐露もある。作者の洗練されたセンスと、事物への鋭い観察眼が融合して、『源氏物語』の心情的な「もののあはれ」に対し、知性的な「をかし」の美世界を現出させた。ただし後述するように『枕草子』の内容は伝本によってかなりの相違があり、現在ではそれら伝本はおおよそ雑纂形態(三巻本・能因本)と類纂形態(堺本・前田本)の二つの系統に分けられている。雑纂形態の本は上で述べた三種をばらばらに並べているが、類纂形態の本はそれらを区別整理して編集したものであり、この編集は作者の清少納言よりのちの人物の手によってなされたという。総じて簡潔な文で書かれ、一段の長さも短く、現代日本人にとっても読みやすい内容である。「枕草子」という書名全体についていえば、この作品がこの書名で呼ばれるようになった当時において「枕草子」は一般名詞であった。『枕草子』の執筆動機等については巻末の跋文によって推量するほかなく、それによれば執筆の動機および命名の由来は、内大臣伊周が妹中宮定子と一条天皇に当時まだ高価だった料紙を献上した時、「帝の方は『史記』を書写されたが、こちらは何を書こうか」という定子の下問を受けた清少納言が、「枕にこそは侍らめ」(三巻本系による、なお能因本欠本は「枕にこそはし侍らめ」、能因本完本は「これ給いて枕にし侍らばや」、堺本と前田本には該当記事なし)と即答したので、「ではおまえに与えよう」とそのまま紙を下賜された…と記されている。「枕草子」の名もそこから来るというのが通説であるが、では肝心の枕とは何を意味するのかについては、古来より研究者の間で論争が続き、いまだに解決を見ない。田中重太郎は日本古典全書『枕冊子』の解説で、枕の意味について8種類の説を紹介したが、そのうちの代表的な説を以下に述べる。ほかにも漢詩文に出典を求めた池田亀鑑や、「言の葉の枕」を書く草子であるとした折口信夫など、他にも異説が多い。また、『栄花物語』に美しいかさね色を形容するのに普通名詞としての「枕草子」が用いられたことも指摘されている(石田穣二、角川文庫『枕草子』解説)。近年(2014年)歴史学の五味文彦は、当時、唐風・唐様に対し和風・和様のものが意識されて多くの作品が生まれていることから、これは「史記=しき」を「四季」と連想し、定子に対して清少納言が「四季を枕に書きましょうか」というつもりで答えたのであり、「唐の『史記』が書写されたことを踏まえ、その『しき』にあやかって四季を枕にした和の作品を書くことを宮に提案したもの」とする新説を唱えている。すなわち『枕草子』が「春はあけぼの」から始まるのは、まず最初の話題として春夏秋冬の四季を取り上げたということである。なお、萩谷朴は本文の解釈から、上記の定子より紙を賜ったという話は清少納言の作った虚構であるとしている。『源氏物語』に比肩する中古文学の双璧として、後世の連歌・俳諧・仮名草子に大きな影響を与えた。鴨長明の『方丈記』、吉田兼好の『徒然草』と並んで日本三大随筆と称される。初稿の成立については長徳2年(996年)の頃、左中将だった源経房が作者の家から持ち出して世上に広めたと跋文には記しているが、その後も絶えず加筆され、寛弘末年頃に執筆されたと見られる文もある。源氏物語の古註『紫明抄』に引かれる『枕草子』の本文には現存本にないものもあり、複雑な成立過程を思わせる。伝本間の相異はすこぶる大きく、例えば「三巻本と能因本とでは、作者を別人とするしかないほどの違いがある」(石田穣二『鑑賞日本古典文学8』「枕草子」総説)という。ほかには鎌倉時代後期成立の枕草子絵詞七段分が現存しており、白描の絵巻物で詞書の本文は三巻本系統の伝本を使用したと見られる。このうち能因本は江戸初期の古活字本に底本として利用されたことにより、『枕草子傍注』や『枕草子春曙抄』(北村季吟註)といった注釈書とセットになって近代まで『枕草子』の本文として主流を占めた。しかし池田亀鑑が「清少納言枕草子の異本に関する研究」と題する論文で流布本(能因本)に対する安貞二年奥書本(三巻本)の優位性を初めて唱え、昭和21年(1946年)には田中重太郎によって三巻本の第2類本が再評価された。それ以降もっぱら三巻本に基づく本文が教科書にも採用され読まれており、現在能因本による本文の出版は三巻本とくらべてごく少数となっている。堺本、前田本についても同様である。ただしこれは『枕草子』に限らず、古い時代に成立した仮名の文学作品のほとんどについて言えることであるが、現在と違って本を作るのに人の手で書き写すしかなかった時代には、作者とされる人物の手を離れた作品は書写を重ねるごとに誤写誤脱が加わり、また場合によっては意図的に表現や内容を書き替えるということが普通に行なわれていた。現在『枕草子』において善本とされる三巻本についても、作者とされる清少納言の原作から見れば幾度と無く書写を繰り返した結果成立したものであり、その間に相当な改変の手が加わっていると考えなければならない。これは三巻本よりも本文の上で劣るとされている能因本や堺本、前田本も同様であるが、要するにいずれの系統の伝本であっても、書写の過程で本文に少なからぬ改変が加えられており、三巻本においてもそれは例外ではないということである。したがって『枕草子』の本文を研究・解釈するにあたっては三巻本の本文のみを鵜呑みにせず、必要に応じて能因本ほかの系統の本文を参照すべきであるといえよう。底本について注記の無いものは、三巻本の本文による。枕草子を平易に理解する入門編としては現代語訳された小説、漫画等がある。ピーター・グリーナウェイ監督による1996年公開の映画『ピーター・グリーナウェイの枕草子』("The Pillow Book")は、「現代の清少納言(清原諾子)」の話を標榜している。とはいえ、ストーリーはエロチックであり、ヒロインに日本人でなく香港の女優を起用し、舞台の場景は物語の中では「京都」としながら、実際には香港で撮影されている。
出典:wikipedia
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