セガサターン(SEGA SATURN)とは、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)から発売された家庭用ゲーム機である。一般にはサターンもしくはSSの略称で呼ばれる。発売時の日本での価格は44,800円。前機種であるメガドライブが旧機種のセガ・マークIIIソフト互換のために同時発色数などが制限され、同様に周辺機器のメガCDも互換性維持のために色数増強が見送られたことから、前機種までの上位互換路線を廃止し、構成を一新して開発された。セガサターンの名称は、セガの第六番目のコンシューマゲーム機ということから太陽系第六惑星である土星から付けられており、ほぼ同時期に発売されたPlayStationや後発のニンテンドウ64など、当時の「次世代ゲーム機」と呼ばれた機種と共に一時代を築いた。また本体開発に関わった日本ビクター(後のJVCケンウッド)と日立製作所からもそれぞれ互換機が発売された。2D描画機能は当時のアーケードゲームや競合機と比較しても高水準であり、そのため、変形スプライトによる3D描画も出来る。3D表示はCPUによる演算と変形スプライトに頼っているため、3D全体の表現能力では専用ハードウェアを搭載する競合機に比べ劣っている。かつて世界展開したセガ歴代コンソール(セガ・マークIII、メガドライブ、ゲームギア、セガサターン、ドリームキャスト)の中で唯一、1,000万台を下回るなど、全世界累計で最も売れなかったハードであるが、長年の競合相手だった任天堂の同世代機ニンテンドウ64に限れば日本国内の販売台数で上回っており、日本市場ではセガとして最も売れたハードでもある。中でも代表的なゲームタイトル『バーチャファイター2』は日本国内ではセガ初のミリオンセラーを記録した。その多彩な機能を支えるべく、多くのLSIに分散された構成となっている。初代機(HST-3200)相当に実装されているLSIはおおよそ以下の通り。他の本体形番ではLSIが異なる。メインCPU(Central Processing Unit)に日立製作所(後のルネサス エレクトロニクス)の32ビットマイコン、SH-2を2基搭載している。SH-2は1992年に登場した制御用マイコンSH-1の後継で、セガサターンの仕様に合わせていくつかの機能強化が行われている。SH-2は制御用マイコンであり、16ビット命令語長を基本とするなど小メモリ構成のシステムに向いた特長を持っている。概してこの当時のゲーム機器は限定された環境であり、セガサターンはメインメモリは2Mバイト、キャッシュも4kバイトと小容量だった。開発当初は1CPUのアーキテクチャとして開発が進められたが、他社競合機であったソニーのPlayStationがより高い演算性能を持つことが判明、演算能力の大幅な向上を迫られることとなった。当時残された開発期間の短さなどにより、2基のCPUを搭載する方向へとそのアーキテクチャを変更した。さらにSCU(System Control Unit)内蔵のDMACやDSPとの連携も行っている。またサブCPUとして、サウンド処理にMC68EC000、CD-ROMドライブの制御にSH-1が搭載されており、各種の処理を並列化する非常に贅沢なアーキテクチャを持つ。VDP(Video Display Processor)はCPUなどがVDPにデータや命令を送ることで画像の描画や表示を行うデバイスで、セガサターンを特徴付ける描画の多彩さを担っている。セガサターンでは2基のVDPを搭載し、変形スプライト機能(VDP1)と、BG(バックグラウンド画面)機能(VDP2)に処理を分散している。セガサターンのアーキテクチャにおいて特筆すべき点のひとつとして、同時代の家庭用ゲーム機としては豪華なメモリシステムがある。メインメモリに2Mバイト、ビデオメモリに1.5Mバイト、サウンド、CD-ROMバッファメモリにそれぞれ0.5Mバイトの計4.5Mバイトもの容量を搭載し、なおかつそれぞれの機能ブロックがサブシステムとして独立しているため、各システムが並列的にアクセスすることができた。特に、プログラムとデータの大部分を格納するメインメモリのうち前半の1Mバイト、およびビデオメモリの全てに高速なSDRAMを用いており、ボトルネックを引き起こしにくい構造としている。メインメモリの後半1Mバイトは通常のDRAMだが、後述するスロットによってROMまたはRAMを拡張することができ、競合機と比較すると潤沢かつ強力なメモリ環境を実現していた。またCD-ROMサブシステムのバッファメモリによりCD-ROMメディアのアクセス時間が軽減され、特に格闘ゲーム等の頻繁にローディングを要するゲームなどに活用されるなど、競合機でも発売されたゲームソフトと比較するとロード時間が他機種版よりも短い場合が多い。ソフト媒体として、倍速のCD-ROMドライブを内蔵した。セガサターン用のCD-ROMは外周に海賊版対策のため「サターンリング」と呼ばれる特殊なデータ領域を持っており、そのため通常のCD-ROMと比べると容量は少ない。時計機能と本体に保存されたセーブデータは本体に取り付けられたボタン電池によって保たれる。このため、本体にデータを残し続けるためには定期的に電池を交換する必要がある。交換には背面にある蓋を外し、中の設置位置にある電池の切れたものを新品のものと交換するだけでよい。本体のメモリ容量は少なく、電池が切れるとデータもすべて失われるため効率が非常に悪い。そのため、ゲームデータの保存にはパワーメモリーの使用が強く推奨される。また、本体にのみデータが保存されるソフトについては、ゲームを遊び終わった後に本体のオープンボタンを押してメインメニューを開き、そこからデータ管理画面に移動し、本体メモリからパワーメモリーにデータを移し、再開するときは逆順に行うことで続きからプレイできる。本体上部に、カートリッジを差し込むためのスロットが存在する。当初はゲームのデータセーブエリアを増やすフラッシュメモリカートリッジ「パワーメモリー」のために使われるのが一般的だったが、データの読み込み時間を軽減するためにCD-ROMとロムカートリッジとを併用する「ツインアドバンスドROMシステム」構想が発表され、『ザ・キング・オブ・ファイターズ95』と『ウルトラマン 光の巨人伝説』の2本に採用された。また、特定のゲーム専用のROMではなく、汎用的に扱えるようにサターンのRAMを拡張することで同様の効果を得られる「拡張RAMカートリッジ」が発表され、メタルスラッグ等のアクションやCPS-2システムのカプコンの格闘ゲーム等が競合機を上回るアニメーションクオリティで移植されたほか、後にRAM容量を増やした「拡張RAMカートリッジ 4MB」も発売され、「X-MEN VS. STREET FIGHTER」や「マーヴル・スーパーヒーローズ VS. ストリートファイター」などに使われた。またこのスロットは、それ以前のゲーム機と同様にロムカセットでソフトを供給することも考慮されており、バス信号のほとんどが出ていたため、メガドライブに接続して性能を向上させる周辺機器メガCDやスーパー32XのようなCPUアクセラレータ、グラフィック機能の拡張なども仕様上は可能だったが、実現には至らなかった。他にカートリッジスロットに周辺機器を接続するものとしてはセガサターンモデムなどがある。なお、このスロットは従来のROMカートリッジスロットを採用していたゲーム機と比較するとピンの幅が狭く、端子の接触面積が少ないことから接触不良を起こし易いため、拡張RAMカートリッジが必要なソフトをプレイする際などパワーメモリーの抜き差しを繰り返すうちに、パワーメモリー内のセーブデータが全て消去されてしまう可能性があるので、取り扱いには注意が必要である。CPUなどを始めとした部品点数の多さや複数社からの半導体の採用による複雑なハード構成であったことに加え、外注による生産であったことは、後々の再集積化やチップシュリンクによるコストダウンを困難にする原因となった。末期には2基のCPUやVDPをワンチップ化するなどの方策が取られたが、競合機ほどには製造原価を引き下げることが出来なかった。また、デュアルCPUをはじめ、並列処理を行う周辺プロセッサ等の多さなどにより、上位互換機や完全なゲームエミュレータの開発には要求性能が著しく高く、同時代の競合他機種と比較するとその実装は困難と言われている。そのためか、後継機のドリームキャストはセガサターンとの互換性を持たない新規アーキテクチャとなっている。3Dに特化した競合機のPlayStationやニンテンドウ64と違って、旧来のゲーム機を正統進化させたオーソドックスなBG画面とスプライト/ポリゴン機能の両面を活かせるアーキテクチャであり、その性能は既存の2D対戦格闘ゲームやシューティングゲーム等にも適していたこともあって業務用ゲームから数多くのタイトルが移植されたが、同時代の他機種に移植された同名タイトルと比べても出来が良いと評価されている作品も多かった。また、同時期に稼働したセガサターン互換のST-V基板からの移植や、ST-Vとサターンでほぼ同時発売されたソフトもあった。また、セガは当時アーケードの3Dヒット作を多数持っていたため(アーケードゲーム事業は2015年4月にセガ・インタラクティブが承継)、『デイトナUSA』『バーチャコップ』『バーチャファイター2』『ファイティングバイパーズ』『セガラリーチャンピオンシップ』『電脳戦機バーチャロン』など、MODEL2基板タイトルを中心に移植された。メーカー希望小売価格は44,800円(HST-0001・本体はHST-3200)で販売開始。正式な価格は49,800円で「新発売から6ヶ月限定の5,000円引き」としていたが、「半年後に値上げする」ことに意義は無いと判断され、49,800円に戻すことは見送られた。市場での実売価格はさらに5,000程度値引きされ、定価販売しか見られなかった競合機プレイステーションの価格(39,800円)とほぼ同一となった。その後小型パッケージのHST-0004に切り替わり少しずつ値下がりをしていったが、95年6月、100万台キャンペーンBOXとしてバーチャファイターREMIXが同梱されたモデル(専用パッケージHST-0005に加え0001や0004にステッカー貼り付けたタイプもあり)を34,800円で発売、バーチャファイターの定価は8,800円であったことからかなりのお買い得モデルとなった。翌7月から通常版(HST-0004)の販売が再開され、ソフト無しで定価34,800円となったものの、11月より年末年始商戦に向けて2か月限定の5,000円キャッシュバックを実施、店舗での値引きも含めると24,800円程度で購入できるようになった(キャンペーンBOXの在庫分にも同様にキャッシュバックが適用された)。1996年1月にキャッシュバックが終了したが、同年3月、プレイステーションに先んじて値下げを断行、デザイン変更のモデルチェンジを行い20,000円(HST-0014・本体はHST-3220)となった。ビクターから販売のVサターンはオープン価格であり、販売店によってはセガサターンと若干の価格差がつけられていたが、ほぼ同一価格であった。モデルチェンジはセガより遅れて96年6月から新型となった。日立から販売のHIサターンは当初64,800円という定価が付けられていたが、実売価格は50,000円を少し超える程度であり、主に家電販売店により販売されていたことから店舗により価格差が見られた。サターン開発企画当時はまだMODEL1基板の『バーチャレーシング』が投入された頃で、本格的な3DCGゲームへの移行を実現可能にしたMODEL2基板は存在せず、リサーチ結果でも全てのゲームが3Dになる可能性はせいぜい20から30%という予測だったため、従来型の2Dゲームを開発する際には「メガドライブより桁違いに性能の良いシステム」という側面を伸ばしつつ、MODEL1基板のポリゴンカウントと同程度の相対性能にテクスチャ機能を持たせるなど、2Dと3Dの両機能を重んじた性能だったが、発売後の市場では競合機を中心に3Dを基調とした作品が溢れていった。日本市場においてサターンは発売日に20万台、発売1か月で50万台、6か月でプレイステーションよりも先に100万台セールスを達成するなど、セガの歴代コンソールとしては最も好調な売り上げを記録。ソフトも『バーチャファイター2』の130万本をはじめ『バーチャファイター』『デイトナUSA』『ファイターズメガミックス』『セガラリーチャンピオンシップ』『サクラ大戦2』『スーパーロボット大戦F 完結編』といった50万本を超えるヒット作を排出した。しかしPlayStation陣営が、当時ドラゴンクエストシリーズのエニックスと双璧を成していた、ファイナルファンタジーシリーズを擁するスクウェアのPlayStationの参入と、当時最新作であった『ファイナルファンタジーVII』の開発がスタートしたことを1996年1月に発表。発売の前年から大量のTVCMや広告を投入するといった入念な販売戦略が功を奏したこともあり優位に立たれ、またライバル機の低価格攻勢に対しても十分な対策と成果を上げられないまま、1998年の夏季商戦以降はソフトのリリース数も減少してしまい、それに応じてサターン市場も縮小していった。また、元々セガの歴代家庭用コンソールは海外市場への依存度が非常に高いが、中でもかつてセガが強さを発揮していた北米市場においては、次世代機の発売ではなくこれまで好調だったジェネシス(北米版メガドライブ)市場を保持する判断を下したセガ・オブ・アメリカが主導で開発したスーパー32Xの投入や、発売から僅か半年で販売方針を転換して急遽サターンを発売することになった経緯があり、そのため、主に北米市場で絶大な人気を誇っている「ソニックシリーズ」作品がスーパー32Xで発売され、サターンへの投入が遅れるといったソフトウェア戦略が北米ユーザーの混乱を招き、うまく世代を移行させられなかった(スーパー32Xの項目も参照)。さらに、CPUなどを始めとした部品点数の多さや複数社からの多数の半導体を採用した関係による複雑なハード構成であったことに加え、外注による生産であったため、大幅なコストダウンが効かず、ソニーが仕掛ける価格競争に対抗して値下げを続けた結果、多額の赤字を計上することとなり、セガは体力を消耗させていった。これに伴い、後期型では内部的なコストダウンが逐次行われたが、その影響で一部のソフトとの互換性が失われた。さらに末期には2基のCPUやVDPをワンチップ化するなどの方策が取られたが、競合機ほどには製造原価を引き下げることが出来なかった。また、ライバル機よりも優秀であることを誇る2Dゲーム向けの表示機能や、特に実写取り込みに有利な、動画の圧縮効率を重視したCinepak規格の採用はサターンにとって大きなアドバンテージを秘めていたが、PlayStationではデータ容量が大きくコマ数が粗いものの当時の動画規格よりも減色が少ないJPEG画像を連続して表示させるアニメーション方式を採用したため静止画そのものはCinepakよりも良好で、更にライバル機が得意とする3Dゲーム向けの表示機能という「相手の土俵」に踏み込んでしまったため、性能を活用したソフトに恵まれず売り上げが伸び悩んだ。こうして、新たな市場の形成を迫られたセガはサターンの拡販を打ち切り、低コストかつ競合機より強力な後継機「ドリームキャスト」の投入を決断。ドリームキャストが新聞広告で1998年5月22日に発表されてからはサターン市場は多大な影響を受け、1998年6月以降はソフトの出荷本数も大幅に減少したこともあり、1998年には215タイトルがサターンでリリースされたものの、1999年には17本と激減。翌2000年に本体の生産やソフトの供給が終了した。セガは日本国内において、任天堂寄りの玩具問屋団体「初心会」を経由して自社の家庭用ゲーム機とゲームソフトを販売しなければならないことに不満を持っていた。そこでセガは、セガサターンの発売に先立つ1994年9月、セガサターンのハードとソフトを専門に扱う卸売子会社「セガユナイテッド」を設立した。この会社は一次問屋の役割を持つとともに大手ゲーム販売専門店との直接取引を行うもので、いくつかの二次問屋からも出資が行われた。さらにセガはハピネットやムーミンといった非初心会系の玩具問屋を流通システムに取り込むとともに、日立メディアフォースとの提携により家電の販売ルートを、東芝EMIとの提携によりレコードの販売ルートを活用した。これによりセガは日本国内でセガサターンを取り扱う小売店の数を急拡大させた。しかし親会社のソニー・ミュージックエンタテインメントのCD-ROM生産設備を使用できたソニー・コンピュータエンタテインメントと異なりセガはCD-ROMの生産設備を所有しなかったため、CD-ROMの特性を生かした柔軟な生産調整を行うことはできず、見込み生産による投機的ソフト流通という点で任天堂と同じ問題を抱えたままであった。1997年にセガはセガユナイテッドとムーミンを合併させ、「セガ・ミューズ」へと再編した。セガ・ミューズはソニー・コンピュータエンタテインメントの流通システムを模倣し小売店への直販化・直送化を推し進め、リピート発注にかかる期間の短縮を図るとともに、サターンを取り扱う小売店の絞込みを行った。その一方で、プラットフォームホルダーによるゲームソフト流通のコントロールを嫌った有力ソフトメーカー各社は、コナミが1996年4月からプレイステーション用ソフトにおいて自主流通を開始したのを皮切りに、セガ(の卸売子会社)を介さず量販店・大手小売チェーン店に直接ソフトを卸売販売する自主流通を日本国内で開始した。セガサターン用ゲームソフトのジャケットには、以下4種類のうちいずれかのアイコンが記載されており、これによってレイティングを示していた。以下、規制の厳しい順に列挙する。セガサターンの初期段階では、一部のジャンルのソフトに残虐な暴力や性描写などを理由に18禁(通称:X指定)などの年齢制限(CEROのZ区分ないしD区分に相当)を設けて販売を許可していた。消費者の一部には後々性表現を前提としたアダルトゲーム(エロゲー)の移植を期待するユーザもいたが、ポケモンショック(光過敏性癲癇)問題などを発端にゲーム業界全体がPTAや消費者団体等から批判を浴びた煽りを受け、1996年頃から「X指定」に区分されるゲームの発売が認められなくなった。それ以降、暴力・性表現を抑える形で「年齢制限(推奨年齢18才以上)」に限って発売が認められるようになった。広告展開の面においては、「コーンヘッド」と呼ばれる頭部の大きい土星人や、「セガール」、「アンソニー」の二匹のチンパンジーによる比較広告などで評判を集めた。また、白サターン登場以降は仮面ライダーで有名な藤岡弘、を起用し、さまざまな若者や子供に技をかけ、「セガサターン、白!」と叫ぶものや、スケートリンクを裸足で走ったり、瓦を頭で割るといった強烈なインパクトのCMを流した。その後、ゲーム化もされ、せがた三四郎シリーズを展開する。これらはゲームファン層以外にも話題になった。メインCPUに32ビットプロセッサSH-2を2基搭載していたことから、セガは「64ビット級」と呼称して宣伝した。開発メーカー向けで市販はされていない。通常のサターン相当の機能に加えてCD-R上のプログラムの実行やバグのチェックができる。初期の開発キットの価格はプレイステーションよりも高価かつ開発が難しく、安価で開発が容易な開発キットとライブラリの登場が1995年から1996年頃と遅れたために、中小サードパーティがプレイステーションに流れたことが、プレイステーションに次世代機戦争で敗北する遠因の一つとなった。1997年にアイ・オー・データ機器より、セガサターン用コントローラをPC用のゲームパッドとして使える拡張ボード「IF-SEGAシリーズ」が発売された。2004年6月24日に発売された『ぷよぷよフィーバー』Mac OS X版の同梱用コントローラとして、セガ・ロジスティクスサービスより、セガサターンの純正コントロールパッドと同デザインのゲームパッドがUSB1.1接続仕様で復刻。翌月よりMacintoshとWindows用として単品発売されている。2005年3月24日にPS2用も発売された。一時期、電気用品安全法(PSE法)の規制対象品となっており、2006年4月以降もハードオフなどの中古店ではPSEマークを付けられ販売されていたが、法律改正により2007年12月以降は規制対象ではなくなっている。2007年9月28日佐倉事業所CSサービスセンター到着受付分を以て、セガによる本体有償修理が終了した。本体と周辺機器情報参考文献
出典:wikipedia
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