目黒 考二(めぐろ こうじ、1946年10月9日 - )は、日本のエッセイスト・文芸評論家・編集者。東京都生まれ。2001年まで本の雑誌の発行人を務めていた。2001年より、同誌顧問だったが2011年に顧問からも退いた。2011年「椎名誠 旅する文学館」の初代名誉館長に。釜焚きの達人でもある。明治大学文学部卒業。著書を数多くものしており、初めはジャンルごとに異なるペンネームを使っていた。など。他に、榊吾郎、館六郎のペンネームを使用した。私小説の目黒考二とミステリー文学評論家の北上次郎、競馬評論家の藤代三郎が主に使われ、自分でも収拾がつかなくなったため他ペンネームはほぼ使われていない。のち群一郎の「群」は、群ようこの作家デビューに際して贈られた中学生までは野球少年で、本はほとんど読んだことがなかったが、高校入学後、読書に目覚め、SFを中心に大量の読書をするようになる。明治大学で映画研究会に入り、先輩の菊池仁と読書仲間となる。卒業後、就職した会社を「毎日、通勤していたら、本が読めなくなる」と3日で退社。大学の聴講生となる。1年後に菊池が勤める「ストアーズ社」に入社。やはりその会社に勤務していた椎名誠と知り合う。入社3日目にやはり「本が読めない」と退社しようとするが、椎名に引き止められ、半年間勤務する。その間に、「ストアーズ社」に始終出入りしていた沢野ひとしとも知り合う。その後、同様に8社に入社するが、やはり同様の理由ですべて3日目で退社。実話雑誌を刊行している出版社に入社し、この会社には、「本の雑誌」の刊行まで6年間つとめた。職場はかわっても椎名らとは付き合いが続き、目黒は読書をするだけでは飽き足らなくなり、自分が読んだ本の中で面白かった本を紹介する、個人ペーパーを毎月、椎名に渡し、それを椎名が読書仲間にコピーして回覧したところ、評判となる。その発展形として、椎名らと1976年、雑誌「本の雑誌」を創刊。従来の書評誌とは一線を画す、エンターテインメント中心の書評や、独自の企画で好評を呼ぶ。なお、1977年ごろ、「本の雑誌」の経費を稼ぐために、「エロ漫画の原作」のアルバイトを椎名と共同で行っていた。椎名がストーリーを考え、目黒が台本化する形式で、月4, 5本は書いていたという。「本の雑誌」は、名義としては目黒は「発行人」で、椎名誠が編集長であったが、のち椎名がメジャーな文化人となり多忙となったため、実質の編集長は目黒となる。目黒は独自の眼力で、様々な連載陣を発掘し(メジャー化する前の大塚英志に連載依頼したり、まだ無名に近かった坪内祐三に長文のインタビューをするなどしている)、また社員であった群ようこをデビューさせるなど、編集者としての力量も評価されている。目黒自身も、創刊当時から「本の雑誌」誌上に、連載書評を書き続けているが、当初、好きだったSFは、ニュー・ウェーブ以降の作品に興味がなくなり、冒険小説を主に書評するようになる。その書評は、日本における冒険小説の定着に大きな影響を与えた。近年は、中高年の男女を主人公とした「人生シミジミ系」小説を主に書評している。趣味は競馬であり、平日は本の雑誌社に泊まって読書及び執筆活動、週末は競馬場通いという生活を続けていた。1984年、日本冒険小説協会賞最優秀評論大賞受賞(『冒険小説の時代』)。1994年、日本推理作家協会賞評論その他の部門受賞(『冒険小説論 近代ヒーロー像100年の変遷』)。
出典:wikipedia
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