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近鉄名古屋線

名古屋線(なごやせん)は、三重県松阪市の伊勢中川駅から愛知県名古屋市中村区の近鉄名古屋駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線である。名古屋と大阪・伊勢を結ぶ特急列車が多数設定されている。また、名古屋・桑名・四日市・鈴鹿・津など、沿線都市を中心とした地域輸送も担っている。なお、正式な起点は伊勢中川駅だが、列車運行上は近鉄名古屋駅から伊勢中川駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りである。2010年4月1日には、近鉄名古屋駅 - 伊勢中川駅間の全線で名古屋列車運行管理システム「KRONOS」(クロノス)が導入された。全線、名古屋統括部(旧名古屋営業局)の管轄である。名古屋線は伊勢平野の伊勢湾沿岸部に敷設され、比較的平坦な路線となっている。それでも、内陸部を走行する津新町駅 - 伊勢中川駅間では22.7‰ - 33.3‰の勾配区間が数か所存在している。桃園駅 - 伊勢中川駅間には最も急な33.5‰の勾配がある。名古屋線は路線距離の長い本線ながらも平野部であることから、トンネルがほとんど無いことも特徴である。例外として、近鉄名古屋駅 - 米野駅間に地下線トンネルが、霞ヶ浦駅 - 阿倉川駅間の旧羽津駅跡にある2箇所のコンクリートトンネルが存在するのみである。近鉄名古屋線は、複数会社が建設した路線をつなぎ合わせる形で成立した。桑名駅 - 江戸橋駅間は、伊勢鉄道(後の伊勢電気鉄道、伊勢電。現在の第三セクター鉄道の伊勢鉄道とは無関係)によって建設された。元々、同地域には国鉄関西本線と参宮線(現在紀勢本線の亀山駅 - 多気駅間を含む)が、明治期に私設鉄道の関西鉄道と参宮鉄道によってそれぞれ敷設されていたが、両線は大阪方面からの輸送を主眼に置いた線形となっており、愛知県や三重県北部から三重県中南部に向かうには、亀山駅でスイッチバックを必要とした。伊勢鉄道(初代)はそれを短絡する目的から設立され、三重県の二大都市である四日市と津を結ぶ路線を1915年 - 1924年に順次開業させた(桑名駅 - 江戸橋駅 - 津駅(部田駅)間。なお両都市間には戦後、同じ理由で国鉄→伊勢鉄道(2代目、前述)伊勢線が1973年に開業した)。軌間は国鉄との貨車直通を考慮し、1067mmの狭軌とした。また、軽便鉄道であり路線規格は低く、沿線諸集落を縫うために、曲線を多用した線形が採用された。この段階では一地方のローカル私鉄であったが、1926年に社名を伊勢電気鉄道に改め、同年中に直流電化を完成させた頃から、「東海の飛将軍」と呼ばれた有力実業家の熊沢一衛が社長に就任したこともあって拡大策をとるようになり、北は名古屋への進出、南は伊勢神宮がある宇治山田への進出を目論むようになった。当時、関西系の企業である大阪電気軌道(大軌、現在の近畿日本鉄道の直系母体)とその子会社の参宮急行電鉄(参急)が大阪から伊勢への進出を目論んでいた。伊勢電は北への路線は1929年に桑名駅までを開通させ、養老電気鉄道(現在の養老鉄道養老線)を買収した時点でそこから先の延伸を後回しとし、地元企業としての対抗心から参急が建設中の路線と並行する伊勢への路線を優先して建設した。参急線の全通5日後には部田駅 - 津新地駅 - 新松阪駅 - 大神宮前駅(豊受大神宮、外宮前)間の路線を全通させ、桑名駅 - 大神宮前駅間に新製車のモハニ231形を用いた急行電車を走らせた。なお、新規開業区間の多くが複線電化の高規格路線であったが、前述したように元々四日市駅 - 津駅間は低規格の路線であったため、四日市と津の両市内では市街地をクランク状に縫う形で線路を敷かざるを得ず、急カーブ区間が生じた。特に四日市駅のすぐ北は、三重鉄道や四日市鉄道から譲り受けた路盤を用いて線路を敷いたことから、半径100mで南方向から西方向へほぼ直角に曲がる通称「善光寺カーブ」ができ、後々までスピードアップや車両大型化の障害となった。江戸橋駅以南は、参宮急行電鉄(参急)が建設した。同社は現在の近鉄大阪線桜井駅以東と山田線を建設し、親会社である大阪電気軌道(大軌)の路線と接続して、大阪から片道2時間余りで行ける伊勢神宮への参拝ルートを作り上げていたが、それが実現する前に既に名古屋方面への進出を計画し、桑名までの免許を取得した。この免許収得に関しては、岩田橋駅 - 伊勢川口駅間で営業を行っていた軽便鉄道会社の中勢鉄道(1942年全廃)を傘下におき、同社の支線として中川 - 久居間の免許を申請し、その後免許を参急に譲渡させ、譲り受けた参急が区間延長申請するという方法がとられた。だが、国鉄の運営と私鉄の監督を当時行っていた鉄道省では、このまま行けば伊勢電線・国鉄線と合わせて三つ巴の競争になり、共倒れになることを危惧していた。そのため当初参急が申請した免許は名古屋までであったが、政策上桑名までとして交付された。参急は伊勢進出後しばらく世界恐慌の影響もあって赤字に苦しんでいた。とりあえず国鉄線や伊勢電線と連絡して、桑名・四日市から大阪方面へ向かう客を運ぶことで増収につなげようとした。1930年 - 1932年に免許線の工事を行い、そして中川駅から国鉄津駅までを津(支)線として開業させ、津駅から徒歩5分程度の伊勢電津駅(部田駅を改称したもので、参急買収後再び部田駅に戻る)との連絡も図られた。これにより津 - 伊勢間で参急と伊勢電の路線が競合することとなったが、まもなく伊勢電は伊勢進出に多額な資金を使ったことや、名古屋進出が達成できずに乗客が伸びなかったこと、熊沢が頭取を兼任していた融資元の四日市銀行(現在の三重銀行)が取付騒ぎにあって休業したため資金繰りが悪化したことなどから、経営に行き詰まり銀行管理会社になった。そのため参急が伊勢電を1936年に吸収合併し、旧伊勢電本線を参急名古屋伊勢本線とした。その上で、合併直前に両社の共同出資で設立されていた関西急行電鉄(関急電)によって、伊勢電・参急いずれにとっても悲願であった名古屋進出に取り掛かることとなった。この区間は、前述した関西急行電鉄(関急電)によって建設されることになった。同区間は、木曽三川と総称される揖斐川・長良川・木曽川を越える必要があり、その橋脚建設の資金が必要であった。伊勢電の計画では、並行する関西本線の橋脚が架け替えられたため、不要となる旧橋脚を購入して敷設することにしていた(詳しくは「関西急行電鉄」を参照)。関急電もさほど資金的な余裕がなかったため、伊勢電の計画をそのまま引き継いだ(なおこの橋脚に関しては、戦後新たに架け替えられている)。なお、建設は日中戦争さなかに行われたため、軍事上必要な鉄の調達は難航したという。また、名古屋のターミナル駅(関急名古屋駅→近鉄名古屋駅)は、伊勢電は方向転換不要なようにループ状にする計画であったが、関急電は一般的な3面3線の頭端式ホームにした。これによって、1938年6月26日に現在の名古屋線となる区間が完成した(それに先立つ6月20日に津線と伊勢線の接続を図るため津線の江戸橋 - 津間が延伸されている)。前述のような建設経緯から、名古屋駅 - 江戸橋駅間は狭軌(1067mm)、江戸橋駅 - 参急中川駅(現在の伊勢中川駅)間の津線は標準軌(1435mm)となり、名古屋 - 大阪間直通の利用客は参急中川駅でのスイッチバック(上本町駅 - 江戸橋駅間の直通列車は2往復のみで、多くの場合は乗り換え)と江戸橋駅での乗り換えを強いられた。そのため、名古屋延伸の半年後に江戸橋駅 - 参急中川駅間を狭軌化し、名阪間の移動に際しては参急中川(伊勢中川)駅での乗り換えとした。1940年に関急電は参急に合併され、関急名古屋駅(参急名古屋駅に改称) - 桑名駅間は名古屋伊勢本線に編入された。さらに1941年には参急と大軌が合併して、現在の近鉄の原型となる関西急行鉄道(関急)が発足、関急発足時の路線名整理により津線および名古屋伊勢本線参急名古屋駅(再度関急名古屋駅に改称) - 江戸橋駅間が名古屋線、江戸橋駅 - 大神宮駅前間が伊勢線になった。山田線と重複するため、1942年に伊勢線の新松阪駅 - 大神宮前駅間を廃止した後(残存区間である江戸橋駅 - 新松阪駅間も単線化し、資材は名古屋線単線区間の主に伊勢鉄道時代に敷設された区間の複線化などに充当)は、名古屋 - 伊勢間直通の利用客も伊勢中川駅で乗り換えが必要になった。伊勢中川駅での乗り換えは最短時間になるよう配慮され、時刻表でも名古屋駅時点で「大阪行」「宇治山田行」と案内された。悲願の名古屋線の標準軌への改軌は1960年春の実施に向けて1957年頃から準備工事が行われた。この一環として並行する国鉄関西本線の橋梁架け替えの際に不要となった橋脚を譲り受け、単線で輸送力増強の障害となっていた揖斐・長良川橋梁と木曽川橋梁についても、改軌に対応できる複線のトラス橋に架け替えることになった。後に名古屋線は1959年9月の伊勢湾台風によって特に愛知県内において線路水没・流失などの被害を受けたが、揖斐・長良川橋梁は台風襲来の7日前、木曽川橋梁については台風襲来の当日に完成したため、幸い深刻な被害はなかった。これを不幸中の幸いとして、当時社長の佐伯勇の判断で、台風による水害からの復旧を機に改軌工事を同年11月に前倒しして実施した。工事は名古屋線全線と神戸線を全体で9区画に分け、1日につき1区画ずつ(日によって2区画)昼間の6時間をバス代行し、千数百人に及ぶ作業員らによって午前からレールの移設を始め昼過ぎには完了、夕方には改軌の済んだ線路上で定期列車の運行が行われた。同年11月27日にはすべての区間での工事が完了し、その後線路の道床改良を経て、同年12月12日より名古屋駅 - 上本町駅間と名古屋駅 - 宇治山田駅間の直通運転が開始された。また、前述のような事情で随所に存在した急カーブも改軌に先駆ける形で複線化を兼ねた線形改良がなされ、多くが解消されている。なお、伊勢線は狭軌のまま水害から復旧したが、伊勢湾台風襲来から1年4か月後の1961年1月に全線廃止された。近鉄名古屋発は日中おおむね1時間あたり特急4本(0分:大阪難波行き甲特急、10分:賢島行き、30分:大阪難波行き乙特急、50分:鳥羽または宇治山田行き)、急行3本、準急2本、普通3本の運転。夕ラッシュ時の下りは特急は5本、急行・普通は各4本、準急は1 - 3本の運転である。朝の名古屋方面は各種別が増発され、特に急行は津新町・白子・近鉄四日市発なども加わる。定期列車の車両増結・切り離しは近鉄四日市駅・塩浜駅・伊勢中川駅で行われている。特急には停車駅の少ない甲特急と多い乙特急があり、名古屋線内では甲特急は津駅のみ、乙特急はそれに加えて桑名駅・近鉄四日市駅・白子駅・伊勢中川駅に停車する。2013年運行開始の観光特急「しまかぜ」は近鉄四日市駅のみ停車する。大阪難波方面と直通する特急は中川短絡線を経由するため全列車伊勢中川駅には停車しない。日中時間帯は大阪方面への甲特急・乙特急が1時間あたり各1本、伊勢志摩方面への乙特急が1時間あたり2本運転されている。18時台 - 21時台までのラッシュ時は大阪方面への甲特急・乙特急が1時間に1本ずつ運転、伊勢志摩方面への乙特急が1時間に3本(このうち1本は久居駅に停車)運転されている。名古屋線で終日運転されている。名古屋線の途中停車駅は、乙特急の基本停車駅に加えて近鉄蟹江駅、近鉄弥富駅、近鉄富田駅、塩浜駅、伊勢若松駅、江戸橋駅、津新町駅、久居駅に停車する。8時から17時台までは、近鉄名古屋駅 - 山田線松阪駅間で1時間あたり3本設定されており、このうち1本が山田線宇治山田駅もしくは鳥羽線五十鈴川駅に直通している。朝と夕方以降には、津新町駅や伊勢中川駅発着のほか、一部の列車が鳥羽線鳥羽駅発着で運転されている。朝は津新町・白子・近鉄四日市発の列車も設定され、平日朝7時台に近鉄四日市駅を発車する名古屋方面の急行は8本となっている。夕方(近鉄名古屋発平日17 - 20時台、土休日18時台)の下り列車は松阪方面行きで1時間に4本、夜間(近鉄名古屋駅発平日22 - 23時台、土休日21 - 23時台)の下り列車は、津新町・伊勢中川行き(最終は近鉄四日市行き)各1本が30分間隔で運転されている。2000年までは津新町駅折り返しの急行が日中に1時間あたり1本設定され、津新町駅 - 伊勢中川駅間は1時間あたり2本の運転であったが、2001年に伊勢中川駅折り返し、2012年に松阪駅折り返しに変更され、全区間1時間あたり3本運転となった。また、2003年までは日中にも鳥羽駅発着の列車が多数設定されていたが、2004年のダイヤ変更で鳥羽駅発着の大多数が宇治山田駅・五十鈴川駅折り返しに変更となり、それ以降、鳥羽駅発着は朝と夕方 - 夜間(鳥羽行のみ)に設定されるのみとなった。2014年9月21日のダイヤ変更で日中の宇治山田駅折り返しが一部を除き五十鈴川駅折り返しに変更となった。日中の近鉄名古屋駅 - 近鉄四日市駅間の列車は2012年3月20日のダイヤ変更で増発された(平日・休日ともに12本増、いずれも近鉄名古屋駅 - 富吉駅間の準急の一部を格上げ)もので、平日朝ラッシュ及び深夜以外で同区間のみの急行は初めての設定である。しかし、近鉄四日市駅発着列車については桑名駅以南での利用客数が芳しくなかったため2016年3月19日のダイヤ変更で近鉄四日市駅9時台発と近鉄名古屋駅15時台発の1往復を除いて全て準急に格下げされている。途中駅における他種別との連絡は夕ラッシュ時をのぞき近鉄蟹江駅・近鉄四日市駅・白子駅で普通に、朝 - 日中は近鉄四日市駅で準急に連絡する。夕ラッシュ時は近鉄蟹江駅で富吉駅発着の普通(一部列車のみ)、近鉄弥富駅で準急、近鉄四日市駅と白子駅で普通に連絡する。夜間の津新町行きの一部は江戸橋駅で伊勢中川行き普通に連絡する。なお、伊勢中川駅以南に直通する列車は伊勢中川駅で大阪線一般列車や賢島駅方面発着の普通および阪伊乙特急との連絡が考慮されており、朝の伊勢中川駅到着列車は到着後にそのまま大阪方面行き急行となる列車もある。特急列車の待避は主に塩浜駅・伊勢若松駅・江戸橋駅で行われており、ラッシュ時には桑名駅、近鉄四日市駅、白子駅で乙特急の待避と緩急接続を同時に行う列車もある。1997年から2002年までは、下り列車の近鉄名古屋発車時刻は乙特急(名阪・名伊)の直後であったので、基本的に名古屋線内で乙特急に追い越されることはなかったが、現在は後発の乙特急との時間差が縮まったことで、塩浜駅または伊勢若松駅での乙特急待避が必要となり、日中のダイヤで急行と乙特急は合わせて約10分間隔に均一化された反面、白子駅以南への到達時分は延びた。なお、前述の近鉄四日市駅発着列車は上り列車が名阪甲特急の通過直後に近鉄四日市駅を発車して近鉄蟹江駅で名伊乙特急を待避し、下り列車は近鉄名古屋駅を名阪乙特急の直後に発車して近鉄四日市駅まで先着していたが、2014年9月21日ダイヤ変更では下り列車が近鉄名古屋駅を名阪乙特急の直前に発車するダイヤとなったため、上下ともに近鉄蟹江駅で乙特急を待避する。待避時間をのぞけば近鉄名古屋駅 - 伊勢中川駅間の所要時間は1時間13 - 14分であり(特急を待避する列車の所要時間は1時間15 - 20分)、近鉄名古屋駅 - 伊勢中川駅間の最速所要時間は1時間12分(表定速度65km/h、2016年3月19日現在)である。編成は名古屋寄り2両+伊勢寄り4両の6両編成を基本とするが、平日の近鉄四日市駅7時23分発名古屋行きのみ3両+3両による6両編成があり、早朝と深夜の一部列車は4両固定編成で運転(最終の四日市行きのみトイレなしの2両+2両で運転)されている。ただし、日中の近鉄四日市駅発着列車は原則として3両編成で運転される。通常は名古屋線内での車両増解結は行われないが、平日の近鉄名古屋駅20時50分発伊勢中川行き及び五十鈴川21時23分発近鉄名古屋行きに限り塩浜駅で後部2両の切り離しが行われている。近鉄四日市駅発着列車は全列車トイレ無しであるが、白子駅以南発着列車では全列車にトイレが付いている。2016年3月19日現在、急行以下の列車で名古屋線と大阪線の間で直通運転を行うのは、早朝の大阪線名張発の近鉄名古屋行き急行1本に限られる。この列車は中川短絡線を経由せず、伊勢中川駅で方向転換(スイッチバック)して名古屋線へ直通運転し、大阪線内では新青山トンネルを通過するため、後述の大阪線所属編成が充当される。一方、名古屋線から大阪線への直通列車は特急をのぞき設定されていないが、早朝の近鉄名古屋発の伊勢中川行き急行2本は、伊勢中川駅から大阪線の急行として引き続き運転されている。これらの列車にも後述の大阪線所属車両が充当される。なお、近鉄名古屋駅 - 名張駅間の距離は120.6kmで、近鉄名古屋駅 - 鳥羽駅間の距離120.4kmより0.2kmだけ長く、ダイヤ上は近鉄名古屋駅発着の最長運転距離の急行である。2016年3月19日現在、鈴鹿線と直通する列車は、平日朝に近鉄四日市発平田町行きの急行が1本のみ運転されている。平田町発や土曜・休日は運転されていない。2012年3月18日までは土曜・休日も平田町行き・近鉄四日市行きが各1本運転されていたが、同年3月20日のダイヤ変更で廃止されている。1987年以前は平田町駅折り返し列車が終日設定されていた。編成両数は鈴鹿線のホーム有効長の関係から、3両編成で運転されている。1983年のダイヤ変更で設定された2代目の準急である。終日運転され、日中は近鉄名古屋駅 - 近鉄四日市駅間で1時間あたり2本、日中以外は近鉄名古屋駅 - 富吉駅・近鉄四日市駅間で運転される。近鉄名古屋駅 - 近鉄蟹江駅間はノンストップで、近鉄蟹江駅以南は各駅に停車する。愛知県内での短距離速達種別で、三重県内での普通列車の補完という位置付けになっている。なお、近鉄四日市駅に到着する列車の大半は、列車種別を「普通」に変更して白塚駅・津新町駅・伊勢中川駅(昼間は白塚駅か津新町駅)まで運転を継続する。日中の準急は始発駅を急行の続行で発車するため、終点まで後の急行より先着する。待避回数によって所要時間に差があるものの、近鉄名古屋駅 - 近鉄四日市駅間の標準所要時間は50分強。そのうち、急行との相互接続や通過待ちを行わない列車の最短所要時間は45分であり、同一区間を最短時分で運転する急行と比較しても10分弱の時間差しかない。途中駅での他種別との連絡については、ほぼ終日に渡って桑名駅と近鉄四日市駅で乙特急と、近鉄弥富駅(ラッシュ時のみ)・近鉄四日市駅で急行と、近鉄蟹江駅か富吉駅で普通と接続する。上りの一部は近鉄富田駅・桑名駅・近鉄蟹江駅で急行と接続する列車があり、特に朝ラッシュ時は桑名駅で乙特急や急行に接続する列車が大多数を占める。また、夜間の富吉駅発着の一部に近鉄蟹江駅または富吉駅で、四日市方面発着の普通列車に接続する列車が存在する。一方で列車待避については上記の接続駅以外に益生駅、川越富洲原駅、阿倉川駅でも行われ、ラッシュ時には近鉄八田駅で普通を追い抜く列車も存在する。2002年までは、終日、近鉄蟹江駅または富吉駅で普通と準急の、近鉄弥富駅で準急と急行の接続をとっていた。2002年ダイヤ変更で近鉄蟹江駅が急行停車駅に追加されたことにより、ラッシュ時のみ接続するようになった。名古屋市内の普通停車駅から四日市方面へは近鉄蟹江駅で急行に乗り換えられるようになり、日中において準急の必要性が減少したため、2002年ダイヤ変更から2012年ダイヤ変更までは日中の富吉駅 - 近鉄四日市駅間は準急が運転されていなかった。編成両数は基本的に2両・3両編成で、ラッシュ時は4両(2両+2両)か5両(2両+3両か3両+2両)編成で運転されるが、近鉄四日市駅で普通に種別変更する際に、後部編成を切り離す。富吉駅での増結や車両切り離しは設定されていない。富吉行きの一部の列車は富吉車庫への入出庫回送兼用で4両・5両の他に急行用編成を使用した6両で走るが、この場合は近鉄名古屋駅の3番線から発車する。各駅に停車する。近鉄名古屋駅 - 富吉駅・白塚駅・津新町駅・伊勢中川駅間の運転に加え、日中から夕方にかけて白塚駅 - 志摩線賢島駅間で運転する列車がある。この志摩線直通の列車はワンマン運転を行っている。日中は1時間あたり近鉄名古屋駅 - 伊勢中川駅間と白塚駅 - 賢島駅間の系統がそれぞれ1本、近鉄名古屋駅 - 富吉駅間の系統が2本、近鉄四日市駅 -白塚駅・津新町駅 (一部は伊勢中川駅) 間の系統が1本ずつ運転されており、近鉄名古屋駅 - 津新町駅間では1時間あたり3本運転される(ただし富吉駅 - 近鉄四日市駅間は各駅停車になる準急が毎時2本含まれる)。近鉄四日市駅・賢島駅双方からの白塚駅折り返し列車は白塚駅で、近鉄名古屋駅 - 伊勢中川駅間の列車は伊勢中川駅で賢島方面からの列車と相互接続するようになっている。ラッシュ時については全線通しで運転されるのは一部のみであり、近鉄名古屋駅 - 富吉駅間および近鉄四日市駅 - 白塚駅・津新町駅・伊勢中川駅間の区間運転が主である。後者はほとんどが近鉄四日市駅で準急に種別変更して近鉄名古屋駅まで運転されている。本数はごくわずかだが、近鉄名古屋駅 - 伊勢中川駅間を運行した列車が伊勢中川駅で山田線宇治山田行きに行先を変更して引き続き運行する列車もある。その他、早朝と夜間、ラッシュ時およびその前後の一部列車に、桑名駅・塩浜駅・白子駅を発着とする列車や、近鉄名古屋駅・富吉駅 - 近鉄四日市駅間を普通列車として運行する列車、編成送り込み・入庫回送兼用として近鉄名古屋駅・近鉄四日市駅 - 塩浜駅間および白塚駅 - 津新町駅の区間運転列車もある。他線区の普通と比較しても運転距離が長く、近鉄名古屋 - 伊勢中川間の列車で78.8km、白塚駅 - 志摩線賢島駅間の列車で83.1kmとなっており、2016年現在の近鉄の定期列車で運転される普通列車としては最長および2番目に長い運転距離となっている。近鉄名古屋駅 - 伊勢中川駅間の標準所要時間は2時間10分前後、待避の少ない早朝・夜間の列車の所要時間は2時間前後である。編成両数は通常2両または3両で、ワンマン列車は全列車2両編成で運転されるが、平日朝の山田線宇治山田7:01発白塚行きに限り後述の急行用車両を用いた4両編成で運転されている。急行・準急通過駅の多くはホームが最大3両または4両(近鉄名古屋駅、烏森駅、伏屋駅下りおよび白塚駅以南。近鉄八田駅は6両)までしか対応しておらず、近鉄の非ワンマン車にはドアカット機能がないため、臨時列車を除けばラッシュ時でも増結は行われない。名古屋線所属の2両編成ワンマン車両には、支線用ワンマン車両にはないドアカット機能があり、無人駅では1両目後乗り・前降りとして運転士が運賃精算を行う形となっており、白塚駅以南のワンマン列車はこのシステムを採用している。2012年3月20日のダイヤ変更より全線通しで運転される列車は従来よりさらに減少し、日中にも近鉄名古屋駅 - 富吉駅間の列車が毎時1本運転されるようになったが(代わりに日中の準急を近鉄四日市駅まで区間延長。近鉄四日市駅以南は津新町駅発着または伊勢中川駅発着の普通に種別・行先を変更して運転)、2016年3月19日のダイヤ変更で全線通し運転の列車が毎時1本設定されるようになり、志摩線直通列車は毎時1本に減らされた。1983年3月18日のダイヤ変更前まで設定されていた。名古屋線全線のほか、鳥羽線鳥羽駅または鈴鹿線平田町駅までの直通列車も運転されていた。1956年の近畿日本四日市駅移転直前の停車駅は近畿日本弥富駅・桑名駅・益生駅・富洲原駅・近畿日本富田駅・阿倉川駅・諏訪駅・四日市駅・塩浜駅・伊勢若松駅・白子駅・江戸橋駅・津駅・津新町駅・久居駅で、諏訪駅以南は急行と同じであった。その後、以下のように変遷した。この後、1983年の廃止まで近鉄蟹江駅 - 近鉄四日市駅間では佐古木駅・霞ヶ浦駅・川原町駅の3駅を通過した。1964年3月23日のダイヤ変更まで、現在の準急に近い列車として直行が運転されていた。近畿日本名古屋駅 - 伊勢中川駅(1959年の改軌後は宇治山田駅)間に運転され、停車駅は近畿日本蟹江駅と近畿日本弥富駅以南の各駅であった。近畿日本名古屋駅 - 近畿日本弥富駅間の各駅は同区間折り返しの普通列車が停車していた。大晦日から元日にかけての終夜運転は、近年は近鉄名古屋 - 伊勢方面間に特急・急行が30 - 60分間隔(一部時間帯をのぞく)で運転されるほか、名古屋線の全区間にわたって普通(一部準急)が30 - 60分間隔で運転される。なお、湯の山線・鈴鹿線では近年実施されておらず、列車の運転区間は時間帯によって一定していない。沿線の神社や仏閣への年越し参り向けの運行であるため、ビジネス向けである名阪特急は終夜運転を行わない。従って、名古屋 - 大阪方面間へは伊勢中川駅で乗り換えが必要である。また、特急は乙特急の基本停車駅のすべてに停車する(甲特急は桑名駅、近鉄四日市駅、白子駅、津駅、伊勢中川駅、久居駅には停車しない)。ただし阪伊特急や吉野特急のように通常ダイヤでは停車しない駅への特別停車は実施されない。名古屋線沿線でイベントや大学入学試験などが行われる際は、臨時列車の運転や、臨時停車が実施される。臨時急行の多くは定期急行同様に4両編成か6両編成で運転され、普通列車も一部区間では最大5両編成まで増結が行われる。このうち、桑名駅と津駅を終着とする臨時急行が運転される際は、「急行|桑名」および「急行|津」の方向幕表示が用意されていないため、簡易方向板を掲出して運転される。近鉄名古屋駅 - 川越富洲原駅間は東海地震に対する地震防災対策強化地域に関わっており、東海地震の警戒宣言が発令された場合、同区間では列車の運転が中止されることになっている。これに伴って、名古屋線では川越富洲原駅 - 伊勢中川駅間では特急列車の運転が取り止められ、一般列車でも本数の間引き・徐行運転の措置が行われることになっている。また、名阪甲特急の運転も取り止められるなど、大阪線などにも影響が広がることになる。配置検車区については、記載の無いものについては富吉検車区の配置である。4両編成は配置されているすべての編成がトイレ装備車を連結する。なお、日中や早朝・深夜の急行など一部列車と、名古屋線車両の車両数不足時には以下の大阪線所属の車両が使用されている。記載のないものについては、すべて高安検車区の配置である。標準軌線区の各線で運用されている。「大阪線」の項も参照。名古屋線の一般車両については、一部例外はあるものの編成両数と列車種別で車両運用が概ね区分されている。3両編成については準急・普通列車、2両編成については準急・普通列車の他に急行の増結車、4両編成については急行の運用が中心となっている。急行に関しては白子駅以南発着列車は原則トイレ付きのため5200系、5800系、2610系・2800系(2610系及び2800系はL/Cカー仕様のもの)といったクロスシート車が充当され、ロングシートの場合は1200系1211F・1212Fが充当されるが、早朝と夜間の3往復、日中の1往復半においては大阪線所属の1400系1407F・2610系ロングシート車・2800系2817Fで運転されている。準急・普通列車に関しては富吉駅発着の一部の準急を除いて共通化されているが、土曜・休日ダイヤの近鉄四日市駅7時44分発名古屋行き準急や前述の宇治山田発白塚行き普通は、急行の編成を単独で使う運用で、トイレ付きの4両編成が充当される。このほか、富吉駅発着準急の3往復は前述の大阪線急行の関連運用であるため、大阪線所属の2610系(うち1本は大阪線所属の2両編成を連結)が充当されている。また、3両編成車で支線用ワンマン対応車は名古屋線内では全列車が車掌乗務となる一方で、白塚駅以南のワンマン普通列車には対応改造を施した1201系・1240系・1259系・1440系・9000系(一部編成)に限定して使用される。車両運用の都合で大阪線の一部列車に名古屋線所属の車両が使用されており、4両編成においては5200系列を除いた前述の急行用4両編成が、増結用2両編成には1233系・1253系および1430系のワンマン非対応編成と、2800系2812F・2814Fに限定して使用されている。一方で名古屋線に入線する大阪線所属の車両は、4両編成についてはトイレを装備した片側4扉ロングシート車両の全車両が入線するが、5200系は独立した運用が組まれているため定期列車での入線は基本的にない。5800系や5820系については6両固定編成しかなく、特急列車以外は最大6両編成の運転である名古屋線では増結・解放が出来ず、大阪線において車両運用に混乱が生じた場合もしくは団体運用以外では原則入線しない。増結用2両編成としては、シリーズ21の9020系9051F以外のすべての大阪線所属車両が入線する。(運行系統上の下り方向に記述)廃止区間の駅は次節を参照。川原町駅 - 西町駅 - 諏訪駅 - 四日市駅 - 海山道駅2015年11月10日調査による主要駅の乗降客数は次の通り。全線でPiTaPaやICOCAのほか、TOICAやmanacaなどのICカードが全国相互利用サービスにより利用できる。スルッとKANSAIカードは利用できない。2007年4月1日のPiTaPa導入までの間に、近鉄名古屋駅 - 塩浜駅間の全駅と急行停車駅(伊勢若松駅除く)に自動改札機が設置された。また、近鉄線の大半でICOCA定期券の供用を開始することに伴い2014年末までに桃園駅を除く全ての駅に自動改札機が設置されたが、桃園駅のみは2015年1月現在も簡易改札機が設置されている。2009年3月20日に阪神なんば線が開通したことにより、近鉄名古屋駅から名古屋線・大阪線・難波線・阪神なんば線・本線・神戸高速線・山陽電気鉄道本線によって山陽姫路駅まで、また山陽電気鉄道本線から分岐して、網干線によって山陽網干駅までがそれぞれ結ばれた。ただし線路は結ばれたが、近鉄大阪・名古屋線方面から阪神線へ乗り入れるのは団体臨時列車のみで定期列車はない。その上、名古屋線(含む鈴鹿・湯の山・山田・鳥羽・志摩各線と大阪線大和朝倉駅以東)各駅から阪神・山陽電鉄線の乗車券は購入できず、車内での乗り越し精算もできない。利用には阪神・山陽電鉄線内の駅の精算機で大阪難波駅からの運賃を支払うことになる。1992年(平成4年)運輸政策審議会答申第12号によると、戸田駅で名古屋市営地下鉄の金山線との相互直通運転を検討するとしている。しかし、2015年現在に至るまで金山線自体に事業化の動きはない。

出典:wikipedia

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