部長刑事(ぶちょうけいじ)は1958年9月6日から2002年3月30日にかけて大阪テレビ→朝日放送大阪テレビ(1959年3月7日以降)→朝日放送(1959年6月6日以降)で放送された関西ローカルの刑事ドラマシリーズ。タイトルの「部長刑事」とは階級が巡査部長の刑事警察官の俗称であり、警視庁及び道府県警察本部刑事部のトップである「刑事部長(階級は警視正、警視長、警視監のいずれか)」とは異なる。番組初代オープニングでショスタコーヴィチ作曲「交響曲第5番の第4楽章」の冒頭部分をBGMにして流れるナレーション「この番組は、一人の部長刑事を通じて、社会の治安維持のために黙々として働く、人間警察官の姿を描いたドラマである。」をコンセプトに、時代によって趣向を変えつつも、地元の大阪市内を舞台に、事件よりもむしろ人間に重点を置いて、警察官の日々の姿を描く事に、一貫してこだわり続けた。番組は一貫して毎週土曜日に放送(19:30 - 20:00。2001年度だけ18:30 - 19:00に移動。但し土曜日にプロ野球中継など当該時間帯を跨ぐ全国ネット特番がある場合、当日の時間枠が18:00 - 18:30に移動。のち、当日の移動枠が17時台に移る)。スポンサーは大阪ガスによる単独提供だった。放送開始当初はモノクロ放送で、1970年10月24日放送『親衛隊の女達』より、カラー放送に替わった。ドラマの製作に当たっては、一時期を除き、大阪府警察本部が「応援」という形で協力を行った。したがって、オープニングに登場するパトカーやヘリコプターは、撮影用の車両ではなく、大阪府警察所属の実車や実機である。最初のシリーズである「連続アクチュアルドラマ・部長刑事」は、関西を中心に活躍する俳優やタレントが出演、毎回原則として1話完結(作品によっては複数週をまたぐものもあった)で大阪の庶民的な観点から様々な事件の犯人などの人間模様を描き続けた。オープニングのタイトルバックには、かつて大阪府警察本部刑事部捜査第一課で「浪速のコロンボ」とまで呼ばれた名刑事、森川覚一郎(1975年3月定年退官)の眼光鋭い目と足が使われていた。なお森川は、本作初期の頃に演技指導も務めていた。放送開始当初から1965年頃までは生放送で制作されていた。当然やり直しはきかず、入念にリハーサルを行ったにも関わらず本番で台詞を忘れるタレントが続出した。特に初代部長刑事の中村栄二はよく台詞を飛ばし、タバコを吸ってごまかしていた。また、カメラに映らない椅子の後ろや柱に書き込んでおいた台詞(カンニングペーパー)をスタッフに消されて、当てにしていたタレントが台詞に詰まって慌てたり、死体役が瞬きするなど、本番中のハプニングは頻繁に発生していたようである。第324回『よごれた血』から、VTRによる収録に変わった。筒井康隆が脚本を書いた回が2回ある。これらの脚本はそれぞれ、放送後に『SFアドベンチャー』に掲載され、さらに筒井の戯曲集『筒井康隆劇場 ジーザス・クライスト・トリックスター』(1982年新潮社)、『筒井康隆劇場 スイート・ホームズ探偵』(1989年新潮社)に収録された。この他に、年1回シナリオコンクールが開催され、最優秀作品には賞金50万円と、ドラマ化の権利が与えられた。1984年以降は主役の部長刑事を二人に増やし、所属班も二つに分けて回毎にローテーションで出演させるという『特別機動捜査隊』で見せた手法が用いられた。こうした歴史のもと、番組は30年1600回以上という連続ドラマとしては前人未到の記録を打ち立てた。「大阪の庶民的な観点から、事件に関わる人々の人間模様を描く」という体裁は、平成に入った1990年4月から2001年3月まで続いた「新・部長刑事 アーバンポリス24」にも踏襲された。主人公となる部長刑事に篠田三郎、勝野洋、小野寺昭、京本政樹といった、全国メジャーの俳優を起用したのが、大きな特徴である。「アーバンポリス24」では、重厚な作風を重視していた事や、事件の複雑化で1話30分で事件が解決出来ない事から、1話2週完結のストーリーが多かった。そのため、前編の放送では「後編につづく」のテロップ表記をし、後編の放送で主役の刑事が前編でのあらすじをナレーションで紹介し、「前回のあらすじ」のテロップを表記した。また、当時忙しかった出演者とスタッフのスケジュール確保やマンネリ化防止も兼ねていた事も理由に含まれる。さらに、「特別編」としてシンガポール、香港での海外ロケも行った。また本シリーズでは、舞台を「大阪府警察本部特捜部(特別捜査課と表記される場合もあり)」という架空の部署とし、主人公の部長刑事は東京の警視庁から赴任した(もしくは人材交流によって派遣された)という設定となった。従って台詞については大阪弁にこだわる必要がなくなったが、その反面劇中では、部長刑事が標準語なのに対し彼を除いた登場人物全員(家族を含む)が皆大阪弁、といった状況も生まれた。この辺りの軌道修正がなされたのが、リニューアルとして出演者の総入れ替えを行った時である。「特捜部」の設定こそ変わらないが、従前の「戸上班」から「出海班」に舞台は変わり、主人公は大阪府警察の南警察署からの異動、ゆえに大阪弁を使うという設定になった。この時の主人公を演じた京本政樹は当地出身(大阪府高槻市)ではあったが、ドラマの中で大阪弁を使ったのは、この作品が初めてだったという。しかし、視聴率が10%前後と安定していたとはいえ、ゴールデンタイムには全国ネット番組を放送する関係上、編成上の苦労が絶えなかった(#部長刑事放送に伴う影響を参照)。また、朝日放送の在京キー局であるテレビ朝日から、番組打ち切りの要請もあったという。2001年4月から、時間帯を18:30からのスタートに変更し、内容も、これまでの庶民的な刑事ドラマから一新する。この時から「部長刑事シリーズ」という名称が公式に使われ始めた。【部長刑事】【新・部長刑事 アーバンポリス24】【部長刑事シリーズ・シンマイ。】【部長刑事シリーズ・警部補マリコ】(戸上班時代)(1997年)(2001年)放送開始から43年半に渡って放送したが、頑なに朝日放送の在京キー局とされるTBSやNETテレビ→テレビ朝日、TBS系時代の土曜19:30枠のスポンサーだったロート製薬からの枠移動または打ち切り要請を断るなどの制作手法を貫き通していた事や、全国ネット放送の受け入れ変更で影響が出たのは有名である。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。