『ライオンのいただきます』は、フジテレビ系列局ほかで放送されたトークショーを交えたバラエティ番組である。ライオンの一社提供。フジテレビ系列局では1984年10月1日から1989年9月29日まで、毎週月曜 - 金曜 13:00 - 13:30 (JST) に放送。元々この枠は『ライオン奥様劇場』→『ライオン午後のサスペンス』→『ライオン劇場』とライオン一社提供によるテレビドラマ(いわゆる“昼ドラ”)が放送されていたが、1964年10月以来20年間続いたドラマ枠からバラエティ番組に路線変更した。続編番組『ライオンのいただきますII』についても本項で述べる。番組は毎回、多彩な分野で活躍する「おばさま」たち(下記参照)をゲストに招き、「おばさま」が答えるお悩み相談(後述)や、視聴者のはがきを交えたトークなどを軸とした。本音をも辞さない「おばさま方」のトークと、まだ若手のイメージが残っていた小堺一機の司会者としての奮闘ぶりが見ものとなっていた。また「おばさま」として、数々の往年の女優たちや歌手たち(下記参照)の本格的バラエティ番組出演が話題になり、彼女たちは若者層にも知名度を広げていった。開始当初、ゲストとして登場する「おばさま方」は1回につき『オバサンA』『オバサンB』の原則2名だったが、番組の人気が高まるにつれ、1回につき3 - 4名程度になった。後に途中から、ゲスト紹介後に小堺から「今日のオバサン3人合わせて●●歳!」というように、毎回「おばさま方」の合計年齢を発表していた。初回のゲストは中山あい子と浦辺粂子。視聴者から寄せられたお悩みをドラマ仕立てで再現し、人生経験豊富なゲストの“おばさまのご意見”を伺うメインコーナー「いただきます劇場」には、ヒロシ & チーボー(=伊沢弘、重田千穂子)・松金よね子らが出演。このコーナーから「エロガッパ」と言う流行語も生まれた(重田の「うちの主人ときたら…エロガッパなんです!!」の台詞の後に、エロガッパに扮した伊沢が甲高い声で「エロエロエロエロエロエロエロッ!!」と言いながら登場するのがお決まりだった)。東京・新宿のスタジオアルタにおいて公開生放送を行っていた。前の時間帯(12:00 - 13:00)に放送していた『森田一義アワー 笑っていいとも!』の観客を入れたまま、同じスタジオを続けて利用した。金曜日には、『笑っていいとも!』の曜日レギュラーであり、小堺とも親交が深い明石家さんまが、『いいとも!』終了後の流れでほぼ毎週オープニングトークに出演し、小堺と漫才チックなトークを繰り広げた。これは最初からコーナーとして設定したわけではなく、番組初期に正に流れでさんまが本番組のオープニングに顔を出したのが、そのまま恒例化したものである。なお、当初は特に時間制限はなかったが、トークが白熱し過ぎて本編の開始が遅れたこともあったため、後に5分程度を目処とした時間制限が設けられた。これ以降は時間切れを知らせるチャイムが鳴ると、即座にさんまが退場するようになった。番組冒頭の曲は菊池ひみこ「Hollywood Illusion」が使用された。なお、同局系の『クイズ・ドレミファドン!』に小堺がゲスト出演した放送回で、この曲がイントロクイズで出題されたが、解答者が「いただきます」と答えて正解となった。開始当時、評論家から「タモリの後に華も何もない小堺が汗だけかいてて見てられない」と酷評されていた。小堺はプロデューサーからもプレッシャーを受けていたが、萩本欽一に言われた「お前にピンの仕事は来ない。お前1人で全部喋っちゃうから」という言葉を思い出し、3割喋って7割聞いていれば楽しい事に気付き、それを番組に取り入れたという。開始当時、フジテレビのディレクターだった佐藤義和が後年インタビューで語っていた中で、テレビ朝日を退社しフリーになったばかりの古館伊知郎に『いただきます』の司会を打診したものの、「平日帯の生放送、しかも『いいとも!』の後枠では怖い」と断られたという。1989年1月7日の昭和天皇崩御からしばらくの間はライオンがCMを一時期自粛したこともあり、番組CM前のアタック音も一時期、穏和なものに切り替えられていた。なお、多くの地域では当番組の裏に、日本テレビの『ごちそうさま』が放送されていた。1989年10月2日からは、一時廃止された会社キャッチフレーズが復活したことを機に番組タイトルが『ライオンのいただきますII』へと改題された。その後もしばらくは、主なゲストを「おばさま」から「おじさま」に変えた点以外は、従前のトーク番組のスタイルを踏襲していた。その後、1990年秋以降はクイズを中心とした番組へと変更し、12月28日放送分をもって終了。『ライオンのいただきます』時代を含めて6年3か月間の歴史に幕を閉じた。1991年からは、引き続き小堺が司会を務める『ライオンのごきげんよう』へリニューアルされた。この番組ではアルタからの生放送は廃止され、浜町スタジオを経てフジテレビ局内での公開収録に変更された。このリニューアルと同時に、創業100周年を迎えたライオンのロゴが、それまでのカタカナ表記からアルファベットの「LION」表記(CI)に一新された。その後『ごきげんよう』においても、2012年12月17日 - 21日には「スペシャルウィーク〜復活!いただきます・オバさん大集合〜」、2014年12月19日には「30周年記念 いただきます同窓会」として、当番組を踏まえた内容の企画が放送された。また、2014年10月 - 12月には「お昼の1時で30年!」と題した特別企画が行われ、2016年3月31日に終了した際は、当番組含めて通算31年6ヶ月を締めくくる内容で放送されるなど、当番組が『ごきげんよう』と一括りで扱われることもあった。他マスコットとして、スポンサーのライオンのキャラクターである「ライオンちゃん」が登場し、番組には欠かせない存在となっていた。オープニングの提供クレジットには一家で登場するアニメが使われていた。ただし当番組の放送開始から2週目までは、本来のデザインとはかけ離れた、茶色の着ぐるみで登場した。これは、本来の正式な着ぐるみが放送開始までに届かなかったため、当時のフジテレビの第1倉庫にあったものを流用したものである。正式な着ぐるみが登場したのは3週目以降のことであった。このことは後に、同局系の『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』(ライオンが番組提供した水曜夜9時枠・レギュラー番組時代)でもとりあげられ、開始当初の着ぐるみの映像も放送されたが、現在ではその着ぐるみが所在不明となっていることも発覚した。ライオンちゃんは、司会のアシスタントとして後番組の『ライオンのごきげんよう』と『ライオンのグータッチ』にも引き続き登場している。番組の前半に主に開催されていたコーナー。ドラマ再現後には、前期は悩みの内容に沿った敏いとうとハッピー&ブルーの「星降る街角」の替え歌、後期は大竹しのぶの「かまって音頭」(替え歌なし)を披露していた。視聴者から寄せられた変わった体質や癖(私は未だに鼻がかめない、トクホンを体に貼らないと眠れない、肛門にパックをするなど)を、おばさま方が異常だと思ったら「○」、異常ではないと思ったら「×」のボタンを押して判断する。フィンガー5の恋のダイヤル6700のジングルで始まる。タイトル通り夏休み限定の企画で、小学生が出演者と会話をする。出演すると、番組特製のテレホンカードがもらえた。テレカのデザインを視聴者に見せる時は拡大したパネルを使用するが、中山秀征が毎回の様に「随分と大きなテレホンカードですね!」とボケをかますので、小堺は特典を説明する際には「(何回も言う様ですが)この大きさではありません」と付け加えるのがお約束となっていた。まずは小堺がヒット曲のタイトルを少し変えた題を発表する。(例:「お久しぶりね」→お久しぶり毛、「恋人よ」→ロリコンよ)そして、その悩みの内容に沿った替え歌を、ABブラザーズがコスプレ付きの物真似で披露し、小堺が内容をおさらいした後に、おばさま方が回答する。毎週、オジサン2人とOL5人組があるテーマについて討論をする。(最近の若者は敬語の使い方を知らない、等)会場150人がスイッチを持っていて、最終的にOLの方が半数以上の支持を得たら勝ち抜けとなる。1週勝ち抜く毎にライオンちゃんのぬいぐるみが机の上に置かれる。3週連続勝ち抜けとなるとハワイ旅行がプレゼントされる。隣組のジングルで始まる。タイトル通り、視聴者からのチクリネタを紹介する。早押しでイントロの曲を当てる、又は中央のステージに乗り、歌い出しを1フレーズ歌う。お手つきは減点されないが、ハゲ頭のカツラ等の恥ずかしいグッズを着けなくてはならない、若しくは、饅頭を食べ、食べ終わるまで回答権が与えられない。他多数。尚、コーナーに採用された場合は、ライオン製品の詰め合わせが送られた。1990年、夏休み特別企画としてスタート。当初は番組前半の1コーナーだったが、好評につき秋からは30分に拡大され、年末の番組終了まで続けられた。オープニングの小堺一機の決めぜりふは「運と知力とパーソナル、お昼のひととき、頭の体操、クイズいただきます」であった。出題される問題は、一般視聴者およびゲストが作成した問題。採用者には2,500円が進呈された。クイズの種類は大きく分けて「一般問題」「なぞなぞ問題」「パーソナル問題」に分かれる。「パーソナル問題」とは“僕の星座は何座でしょう”などという出題者個人に関わる問題であり、多くの場合は2択または3択形式になっていた。3、8、13…問目は挑戦者がボールを引き、そのボールに書かれている人がクイズに解答する。ボールの種類は4種類(時に例外あり)あり、以下のような内容であった。賞金は下表のとおり。いつでもドロップアウトが可能であり、その場合はその時点での累計金額が進呈される。途中で不正解となった場合は賞金がすべて没収され、代わりに当時のライオン製品(「ヤシの実洗剤・ナテラ」または「Hiトップ」)が、正解数だけ進呈された。(1問目で不正解の場合は何も貰えないが、小堺の裁量で1つ貰える場合がたまにあった。)ただし、◎で獲得したボーナスは没収されない(10 - 14問正解していれば1万円+3万円=4万円を持ち帰り)。表は15問目までしか表示していないが、挑戦者が希望すればそれ以降の問題も挑戦できる。10問正解するとチャンピオンに認定され、番組セットの壁に額縁入りで顔写真が飾られた。チャンピオンの顔ぶれの中には、他のクイズ番組における常連出場者も含まれてはいたものの、通常は「なぞなぞ問題」「パーソナル問題」「ボール問題」がネックとなり、知力だけで勝ち進むことは難しかった。一般の挑戦者に至っては、ことさら勝ち進むことが困難であったため、節目の5問を正解したところで25,000円を手堅く持ち帰る、という挑戦者が非常に多かった。制限時間となると、ライオンちゃんがドラを鳴らして知らせる。伊東四朗等のお笑いタレントが出場している時は、鳴らした時にオーバーリアクションをするのがお決まりとなっていた。予選は5,6回行われ、日曜日に開催されていた。10名近くのスタッフがそれぞれ一人ずつ出題者となり、出場者に10問の問題を出題する。そこで合格または不合格が告げられ、番組本番に出場することになった者には、電話でその旨が伝えられていた。また番組本番でも、それぞれの出場者が何問目まで進むのか予測不可能だったため、毎回、ステージセット裏には10名近くの出場者がスタンバイしていた。11月に入ってから、このクイズのコーナーで出題された問題や予選への参加方法、予選用練習問題(10問で1セットが3つ)などが掲載された台本形式の問題集が、視聴者プレゼントとして50名に贈られた。系列は当放送終了時(1990年12月)のもの。
出典:wikipedia
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