立山(たてやま)は日本の飛騨山脈(北アルプス)北部、立山連峰の主峰で、中部山岳国立公園を代表する山の一つである。雄山(おやま、標高3,003 m)、大汝山(おおなんじやま、標高3,015 m)、富士ノ折立(ふじのおりたて、標高2,999 m)の3つの峰の総称である。雄山のみを指して立山ということもあるが、厳密には立山連峰に立山と称する単独峰は存在しない。剱岳とならび、日本では数少ない、氷河の現存する山である。「立山」は単なる地理的な名称ではなく、室堂や地獄谷、弥陀ヶ原、立山カルデラという立山一体を含んだ地理的な広がりと、立山信仰や遥拝登山など精神的な広がりを含んだ複合的な意味を持っている。かつて山体は立山カルデラにあり、元の立山火山の山頂部は侵食で喪失している。弥陀ヶ原と五色ヶ原はこの火山の火砕流堆積物や溶岩の台地である。ミクリガ池、ミドリガ池は火口湖であり、現在の立山火山の主な火山活動は地獄谷周辺の火山性ガスの噴出と温泉噴出である。日本三名山、日本百名山、新日本百名山及び花の百名山に選定され、富山県のシンボルの一つとされている。雄山の山頂には、雄山神社本宮がある。峰本社神殿右端の前には、測量の基準である大きな黒御影石の標石(標高点3,003 m)があり、その約70 m南南西に一等三角点(標高2,991.59 m、点名は立山)の標石が設置されている立山について万葉集には「多知夜麻」と記された。日本の3,000 m超級の山の最北端の山で、富山県の最高峰であり、北陸4県および環日本海地域の最高峰でもある。飛騨山脈(北アルプス)の北部に位置し、その主稜線の三俣蓮華岳から分岐する西側の稜線上にある。東側の親不知まで延びる主稜線の後立山連峰と黒部川を挟んで対峙している。以下の主な源流の河川は富山湾へ流れる。冬季はシベリアから吹く寒風によって日本海で発生した水蒸気が運ばれ、立山の3,000 m級の山々にぶつかることで大量の降雪をもたらす。世界有数の豪雪地帯であり、最低気温が氷点下20℃以下になる。室堂周辺から上部は、森林限界のハイマツ帯で、多くのライチョウが生息している。花の百名山に選定されていて、室堂周辺などでは雪解けと共に多くの高山植物の開花が見られる。タテヤマリンドウ、タテヤマウツボグサ、タテヤマアザミ、タテヤマキンバイ、タテヤマオウギなどのタテヤマの名称が付く高山植物があるが、立山の固有種というわけではない。登山者や観光客の増加により室堂周辺は外来植物や病原菌の侵入など、生態系の破壊が危惧され、全国的にも早い段階でマイカー全面乗り入れ禁止(マイカー規制)や、草刈り十字軍などの民間ボランティアによる環境保護活動が行われるようになった。立山は古くから立山修験と呼ばれる山岳信仰の山として、日本三霊山の一つとされている。古代には立山権現として、平安時代からは地獄極楽のある山として阿弥陀信仰と結びついてきたという変遷が見られる。雄山神社の主神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、本地仏は阿弥陀如来で、不動明王を本地とする手力雄命(たぢからおのみこと)を副神とする神仏混淆がみられる。立山本峰の雄山に峰本社があり、山麓芦峅寺の中宮(祈願殿)、岩峅寺の麓大宮(前立社壇)とともに、三者一体の形を有する。峰本社を見上げる室堂平には参籠の場として建てられた室堂が復元されている。立山山麓には、芦峅寺(あしくらじ)、岩峅寺(いわくらじ)の二つの拠点寺院がある。大伴家持は「皇神(すめかみ)の頷(うしは)きいます 新川のその立山に〜」(国神の領有される新川のその立山に)と立山の霊性を詠んだ。立山は山頂付近に地獄(地獄は古い日本語で温泉の意味)がある山としても知られていた。1964年(昭和39年)6月20日に高原バス全線(美女平-室堂)が営業を開始すると、標高2,450 mの室堂までバスで行くことができ、立山登山も非常に手軽に行えるようになった。また黒部ダム完成後、1971年(昭和46年)6月1日に立山黒部アルペンルート開通以降、多くの観光客が訪れるようになった。平成に入り、県民の広報活動の成果で富山の食が注目され始め、食事と温泉宿泊を併せて立山観光を楽しむ人々が増加している。また、中国、台湾、韓国などのアジアからの観光客も増加している。立山アルペンルートが春に除雪され開通すると、室堂ターミナル付近の道路は両側が10-20 mの高さの雪の壁となり、「雪の大谷」と呼ばれている。ちょうど5月の連休と重なり特定の期間のみ、この雪の大谷の区間で車道片側が遊歩道として開放され、この景色を見るために多くの観光客が訪れる。室堂の北側には、みくりが池の湖畔を通り地獄谷へ向かう遊歩道がある。地獄谷の北西にはほとんど草木が生えることができないエンマ山と呼ばれる硫黄を含んだ丘がある。地獄谷では、噴煙、火山ガス及び温泉の源泉が出ていて、有毒ガスの濃度によって、遊歩道が通行禁止となる場合がある。この源泉が周辺の宿泊施設で、温泉施設に利用されている。立山と弥陀ヶ原周辺は、3,000 m級の山々とはいえ古くから多くの人の参拝が可能であった。それに対して、剱岳を初めとする山々は近代になってようやく登山の対象となった。近代登山参照。江戸時代から旧越中国の多くの村では、男子は15歳又は16歳になると成人儀礼として集団で立山(雄山)も登拝する風習があり、この立山詣りで一人前と認められた。明治以来、富山県内の小学校で、学校行事として立山登山が行われてきた。また、県教委主催で、県下から小学6年生を募集し「12歳立山夢登山」も行われた。しかし、2003年(平成15年)7月、小学生が転落し収容先の病院で死亡が確認される事故が起こって以後、学校からの登山の計画や届出での規則が強化された。黒部立山アルペンルートの交通機関を利用し、室堂を立山や剱岳などの登山口とする場合が多い。立山室堂山荘と一ノ越を経由して、雄山神社まで往復するルートが最もよく利用されている。冬期は交通機関が途絶えるため、一般の登山は困難となる。春に立山黒部アルペンルートが開通すると、室堂周辺などで春山スキーが行われている。室堂周辺や立山周辺の登山道上に、ホテルや山小屋などの多くの宿泊施設がある。大汝山及び雄山への最寄りの山小屋は一ノ越山荘である。他に、天狗平や阿弥ヶ原にも宿泊施設などがある。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。