康定市(こうていし)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州東部に位置する県級市。ダルツェンド、ダルツェムド、タルツェムド、タルツェド(dar-rtse-mdo,Darzêdo, 打箭爐)あるいはダルド(dar mdo)とも呼ばれる。康定とは「康(カム)の地を平定する」という意味。爐城鎮(ダルツェンド)は市の政治・経済・文化の中心だが、カンゼ自治州全体の政治・軍事・文化・交通・通信などの中枢でもある。康定情歌という民謡でも知られる。成都から康定(ダルツェンド)まで車で7時間程度。318国道が通る。2008年には長さ4000mの滑走路のあるダルツェムド空港が開港した。標高は4,280mと開港当時は世界で二番目の高所にある空港だった。成都から康定(ダルツェンド)まで飛行機で約1時間。冬期以外、毎日運行している。歴史上,ダルツェンドは漢族とチベット族の間の貿易や物資集散の中心で、内地からチベットへ向かう際の門戸でもあった。四川とチベットの間では、茶と馬の相互取引(「茶馬古道」、「川蔵茶馬互市」)が盛んだったがその中心でもあった。元代には世襲の諸侯が土官に任ぜられ長河西千戸、長河西招討司が設置された。明の永楽五年(1407年)には「長河西魚通寧遠宣慰」が設けられ、同じく世襲の職となった。民末期の崇禎十二年(1639年)にはグーシ・ハーン(固始汗)がこの地方を征服したが、土司の統治範囲に営官が設置され、土司を通じた間接統治と営官を通じた統治の二重体制になった。清の康熙五年(1666年)、改めて土司が認められた。雍正八年(1730年)にはダルツェンドに打箭爐庁が置かれた。光緒三十年(1904年)に打箭爐庁は康定府に昇格し、この際に「康定」の名が使われ始めた。中華民国の成立後、廃府為県が行われ、康定府は康定県になった。1939年にチベット東南部カム地方を統治する西康省が成立すると、ダルツェンドに省政府が置かれたが、西康省政府は従来この地を統治してきた諸侯らの反発を受けた。2015年3月16日、中華人民共和国国務院は康定県を廃止し、県級市である康定市を設置した。ダルツェンドはチベット族、漢族、羌族、回族、イ族など多数の民族が雑居する。この地のチベット族は、チベット語のカム方言とアムド方言、および羌語系のムニャ語(木雅語)と貴瓊語を話す。市庁は炉城鎮にある。
出典:wikipedia
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