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阪堺電気軌道上町線

上町線(うえまちせん)は、大阪府大阪市阿倍野区の天王寺駅前停留場から同市住吉区の住吉停留場までを結ぶ阪堺電気軌道の路線である。2016年1月31日改正のダイヤでは、昼間時は天王寺駅前 - 阪堺線浜寺駅前間の系統と天王寺駅前 - 阪堺線我孫子道間の系統を交互にそれぞれ12分間隔で運転している(いずれも住吉から阪堺線に乗り入れ。天王寺駅前 - 住吉間では両系統あわせて6分間隔、住吉 - 我孫子道間では阪堺線恵美須町 - 我孫子道の系統と合わせて3分または6分間隔)。2014年3月1日のダイヤ改正までは天王寺駅前 - 住吉公園間の系統と、天王寺駅前 - 阪堺線浜寺駅前間の系統が交互にそれぞれ昼間は12分間隔(天王寺駅前 - 住吉間では両系統あわせて6分間隔)で運行されていた。天王寺駅前 - 住吉公園間の系統はこの改正で朝7・8時台のみの運転となり、2016年1月31日に廃止された。2009年7月4日のダイヤ改正までは、天王寺駅前 - 住吉公園間の系統と、天王寺駅前 - 阪堺線我孫子道間の系統が交互にそれぞれ昼間12分間隔(天王寺駅前 - 住吉間では両系統あわせて6分間隔)で運行されていた。また、過去には早朝に出庫と上町線への送り込みを兼ねて、我孫子道発住吉行きが運転されていたことがあった。上町線は馬車鉄道が始まりである。四天王寺と住吉大社への参詣客輸送を目的として、1900年に大阪馬車鉄道が天王寺(後の天王寺西門前) - 東天下茶屋間を開業させた。1902年までに東天下茶屋から下住吉まで延長した後、南海鉄道合併後の1910年には電化して電車の運転を開始した。大阪市では市営モンロー主義を打ち出し、市内中心部の交通は公営で行う方針をとっていたが、資金不足で着手できない大阪市電路線の建設資金を提供してもらうことで、市電への乗り入れを認めていた。これにより南海鉄道は大阪市と軌道共用契約を結び、1911年から大阪市電への直通運転を始めたが、翌年市電の運賃制度が変更され契約継続に困難が生じたため、直通運転は廃止されている。なお、大阪市は軌道共用契約を南海以外の私鉄とも結んでいたが、実施されたのは南海上町線だけである。1921年には天王寺西門前 - 天王寺駅前間が大阪市に譲渡され、大阪市電の路線網に組み込まれた。その後、近畿日本鉄道、南海電気鉄道を経て1980年に阪堺線とともに阪堺電気軌道として分離された。2016年1月31日に末端部分の住吉 - 住吉公園間が、当該区間の軌道・ポイントが老朽化しその改修に数億円を要するため、との理由で廃止された。戦後、高度成長期を迎え、モータリーゼーションの波が押し寄せ、交通渋滞が激しくなったあべの筋を走る南海電気鉄道上町線の併用軌道区間である天王寺駅前 - 松虫間を地下化する計画があった。このことは、南海電鉄の社内報『南海'72』にも将来計画として書かれているが、結局、実現には至っていない。また、1971年(昭和46年)12月8日の「都市交通審議会答申13号」において、当時、天王寺駅までの路線であった大阪市営地下鉄谷町線を人口増加が著しい平野方面への延伸が答申された際、当初、南海上町線の天王寺駅前 - 松虫間を廃止して、この区間を地下鉄に置き換え、地下鉄谷町線を天王寺から播磨町まであべの筋(大阪府道30号大阪和泉泉南線)を南下させ、播磨町から南港通(大阪府道5号大阪港八尾線)を東へ進み、平野方面へ延伸する路線が提示されたが、帝塚山・北畠といった沿線住民から南海上町線の天王寺駅前 - 松虫間を廃止することに反対の声が上がったため、この計画は白紙撤回となり、当時、南海平野線の飛田 - 西平野間と並行する形で阪神高速道路公団が計画していた松原線の建設計画と一体化させる形で、天王寺から阿倍野まで「あべの筋」を南下して、阿倍野から阪神高速松原線の地下を通る現在の路線に変更された。なお、現在、阪堺電気軌道となった上町線を走るモ601形(旧モ121形の車体更新車)、モ701形(新造車)車両は、地下線走行も可能な構造になっているといわれているほか、南海電気鉄道の軌道部門が分社化され、阪堺電気軌道が発足する以前から空き地状態となっている松虫停留場の北西にある空き地は、上町線の地下化の際、地下に移る松虫停留場の入口を建設するために確保されている用地ともいわれている。また、天王寺駅前の地下通路は地下線化の先行工事として造られた。廃止・譲渡区間の停留場は#廃止・譲渡区間を参照。事業者名は廃止時点のもの。

出典:wikipedia

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