札沼線(さっしょうせん)は、北海道札幌市中央区の桑園駅から北海道樺戸郡新十津川町の新十津川駅までを結ぶ、北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道路線(地方交通線)である。「学園都市線」(がくえんとしせん)という愛称が付けられている。札沼線の名称は札幌駅と、かつて終点だった留萌本線石狩沼田駅から一文字ずつ取ったものであるが、1972年(昭和47年)6月19日に新十津川駅 - 石狩沼田駅間が廃止されたため実情に合わなくなっていたことに加え、沿線に北海道教育大学札幌校や北海道医療大学など学校が数多くあることから、1991年(平成3年)3月16日より学園都市線という愛称が付けられた。「札沼線」の表記は市販の時刻表などに併記される程度となり、駅や列車内の案内表示などで使われることはほぼなくなった。路線としての起点は桑園駅であるが、全列車が同駅から函館本線へ乗り入れ、1駅隣の札幌駅を運転系統上の起点・終点としている。札幌駅 - 桑園駅間には函館本線の複線に並行して、札沼線専用の単線が敷設されている。桑園駅 - 北海道医療大学駅間は札幌都市圏の通勤・通学路線として機能しており、JRの地方交通線では列車本数・利用者数とも比較的多く、IC乗車カード「Kitaca」の利用エリアともなっている。2012年(平成24年)6月1日にはこの区間が交流電化され、同年10月27日からは新十津川方面との直通列車が気動車で残る石狩当別駅 - 北海道医療大学駅間を除いて、すべて電車による運転となっている。一方で、非電化のまま残された北海道医療大学駅 - 新十津川駅間は、列車本数・利用者数とも少ない閑散区間であり、単行(1両編成)の気動車列車が走るローカル線となっている。1 km当たりの1日平均利用者数を示す輸送密度は2013年(平成25年)度時点で、札幌側の桑園駅 - 北海道医療大学駅間が17,023(人/キロ/日)に対し、末端区間の北海道医療大学駅 - 新十津川駅間は81(人/キロ/日)であり、これはJR北海道管内では最低である。全線が本社鉄道事業本部直轄となっている。日本国有鉄道(国鉄)時代の1972年(昭和47年)6月19日に廃止された新十津川駅 - 石狩沼田駅間は旭川鉄道管理局の管轄であった。区間ごとの輸送密度は以下の通り。2014年(平成26年)5月12日に廃止された江差線(木古内駅 - 江差駅間)の2012年(平成24年)度の輸送密度は50(人/キロ/日)だったが、廃止発表翌年度の2013年(平成25年)度の輸送密度は165(人/キロ/日)となり、2013年(平成25年)度には札沼線のこの区間がJR北海道でもっとも利用客が少ない区間となった。この数値は1995年(平成7年)9月4日に廃止された深名線の80(人/キロ/日)に匹敵する。区間ごとの収支(営業収益、営業費用、営業損益)と営業係数は以下の通り。いずれも管理費を含めた金額である。▲はマイナスを意味する。なお、桑園駅 - 北海道医療大学駅間は函館本線(小樽駅 - 札幌駅 - 岩見沢駅間)、室蘭本線(苫小牧駅 - 沼ノ端駅間)、千歳線(沼ノ端駅 - 白石駅間)を合わせたデータのみが公表されており、単独のデータは不明。桑園駅より北上し、函館本線にほぼ並行して石狩川右岸を通っている。八軒駅から新琴似駅の間までは高架複線区間で、2012年(平成24年)6月1日の電化前は、日本では数少ない非電化高架複線区間の一つだった。新川駅 - 新琴似駅間では札樽自動車道の高架橋のさらに上をまたぐ高々架となっている。高架区間終了後も区画整理・造成が盛んな札幌市北区の住宅街を通過した後、JR北海道では最長 (1,074 m) の石狩川橋梁で石狩川を渡り当別町へ入る。石狩川橋梁の旧橋は現路線より下流側にあった。2001年(平成13年)に上流側の現橋に架け替えられた。石狩当別駅までは札幌近郊の住宅地や農地などが続く。その先は国道275号と並行して走るが市街地は大幅に少なくなり、やや山地を抜ける。札比内駅から新十津川駅までは平坦な農地を進む。新十津川駅に向かって進行方向左側にピンネシリを含む山地がよく見える。2016年(平成28年)3月26日現在、全区間を通しで運転する列車は設定されていない。基本的に、運行系統は石狩当別駅で分離されているが、1駅隣の北海道医療大学駅まで交流電化されており、同駅までは札幌駅発着の列車も多数設定されている。かつては札幌発石狩月形行き・浦臼行きや新十津川発札幌行きの列車が運転されていたが、それぞれ2012年(平成24年)6月1日、同年10月27日のダイヤ改正をもって石狩当別駅で系統分割され、廃止された。路線としての起点である桑園駅を始発・終着とする列車はなく、すべて1駅隣の函館本線札幌駅まで乗り入れる。以前は札沼線列車と函館本線下り列車は線路を共用していたが、運行ダイヤ上の制約が大きかったため、1994年(平成6年)11月1日に札沼線系統専用の単線を増設した。これは、元々函館本線上下線の間にあった既存の札幌駅引き上げ線を延長する形で新たな函館本線下り線を敷設し、従前の下り線を札沼線用単線に転用したものである。桑園駅の函館本線下り2番線には札沼線用単線と函館本線下り線双方への出発信号機が設置されているため、設備上は札沼線用の単線を函館本線下り列車が走行することも可能である。2012年(平成24年)6月1日には桑園駅 - 北海道医療大学駅間が電化され、電車化による走行性能向上により、所要時間が最大で9分短縮された。同年10月27日には733系電車が追加増備されて所定の車両数が揃ったため、札幌駅 - 石狩当別駅間の全列車が電車化された。電化開業後は、6両編成で運行される列車が多くなった。石狩当別駅 - 北海道医療大学駅間には次節の石狩月形・浦臼・新十津川方面の列車が気動車で残っている。札幌駅からの列車は、あいの里公園駅・石狩当別駅・北海道医療大学駅で折り返す。かつては、あいの里教育大駅折り返しの列車が設定されていたが、2012年(平成24年)10月27日のダイヤ改正で廃止された。日中時間帯は札幌発基準で1時間あたり3本(20分間隔)が運転されている。この時間帯はあいの里公園駅折り返しが2本、石狩当別駅または北海道医療大学駅折り返しが1本設定されている。北海道医療大学駅折り返し列車は、学生の利用が多い平日朝下りと午後上りは本数が多くなる。札沼線内は全列車が普通列車(各駅停車)であり、快速列車などの速達列車は設定されていない。札幌駅を始発・終着とする普通列車・快速列車が少ない函館本線・千歳線とは異なり、札沼線はそのほとんどの列車が札幌駅始発・終着となっており、札幌駅を越える直通運転はごくわずかとなっている。2000年(平成12年)3月11日のダイヤ改正で、函館本線経由で江別駅まで乗り入れる列車が1日2往復新設されたが、後に1往復に減少し、2012年(平成24年)10月27日のダイヤ改正で廃止された。一方で、このダイヤ改正から千歳線との直通列車が設定され、石狩当別駅から新千歳空港駅まで直通する快速「エアポート」(札沼線内は各駅停車で全車自由席)が1日1往復と、千歳駅まで直通する列車が1日1本、苫小牧駅からあいの里公園駅までの直通列車も1日1本新設されたが、2016年(平成28年)3月26日のダイヤ改正で石狩当別駅から千歳駅までの直通列車と苫小牧駅からあいの里公園駅までの直通列車が廃止された。この区間では、北海道医療大学駅で折り返す札幌駅からの列車を除くすべての列車が気動車によるワンマン運転を行っている。2012年10月27日のダイヤ改正以降、石狩月形・浦臼・新十津川方面へ向かうすべての列車が石狩当別駅発着となり、札幌駅 - 石狩当別駅間とは完全に系統分離された。また、朝5時台の浦臼発石狩当別行き1本が6時台の石狩月形発に見直された。2016年(平成28年)3月26日時点では、1日あたり石狩当別駅 - 浦臼駅間が6往復と朝6時台・夜19時台・21時台に石狩当別駅 - 石狩月形駅間下り2本・上り1本が運行されており、3時間ほど列車のない時間帯がある。浦臼駅 - 新十津川駅間は1日1往復のみの運行になった。これにより、鶴沼駅 - 新十津川駅間において浦臼方面の日帰り往復が不可能になるため、地元住民の利用がほぼ皆無になることから、路線の存続が危ぶまれる状況にある。これは、旅客列車の本数としては1984年(昭和59年)に廃止された国鉄清水港線と同じ運行本数であり、国鉄民営化後ではJR旅客6社の中でも史上最少の運行本数になる。新十津川駅から函館本線・根室本線の滝川駅までの間は石狩川を挟んで約3kmしか離れておらず、北海道中央バスの路線バス(「北海道中央バス滝川営業所」も参照)などを利用することで連絡可能である。改正鉄道敷設法別表第136号に規定する「石狩國札幌カラ當(当)別ヲ經テ沼田ニ至ル鐵道」で、1931年(昭和6年)10月10日に北側の札沼北線(さっしょうほくせん)石狩沼田駅 - 中徳富駅(初代。現在の新十津川駅)間が開業したのを皮切りに1934年(昭和9年)10月10日に浦臼駅まで、南側は札沼南線(さっしょうなんせん)として1934年(昭和9年)11月20日に桑園駅 - 石狩当別駅間が開業した。1935年(昭和10年)10月3日に石狩当別駅 - 浦臼駅間の開業により全通し、札沼線と改称した。敷設に当たっては立憲政友会代議士東武(あずまたけし)が尽力した。太平洋戦争が激しくなると、不要不急線として、1943年(昭和18年)10月1日から1944年(昭和19年)7月21日にかけて石狩当別駅 - 石狩沼田駅間が休止され、道路に転用されていた。戦後は1946年(昭和21年)12月10日に石狩当別駅 - 浦臼駅間、1953年(昭和28年)11月3日に浦臼駅 - 雨竜駅間 (26.1km) が相次いで営業を再開し、1956年(昭和31年)11月16日までに全線での運行を再開したが、遅すぎた復活とモータリゼーションの萌芽もあって、営業成績は振るわなかった。1968年(昭和43年)には「赤字83線」に廃止すべき路線としてその名をあげられ、その取組みの中で最初の開業区間である新十津川駅 - 石狩沼田駅間が1972年(昭和47年)6月19日に廃止された。この時の廃止区間は34.9kmで、赤字83線における1路線の廃止距離としては最長である。廃止区間の線路跡は農場の整備等の区画整理によってほとんど痕跡をとどめておらず、わずかに一部の駅の周辺に面影をしのぶのみとなっている。部分廃止後残りの区間も利用は伸び悩み、当別町の東日本学園大学(現在の北海道医療大学)の学生需要によって支えられていた。だが、1980年代後半になると、札幌ニュータウン「あいの里」などの札幌市北部での住宅開発の進展を皮切りに、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に前後しての輸送強化がなされ、以来利用客数は飛躍的に伸びた。それと共に桑園駅 - あいの里公園駅(旧・釜谷臼駅)間を中心に、昭和60年代の国鉄末期から民営化直後にかけて新駅が多く設置された。1967年(昭和42年)始めの時点では4駅だった同区間の駅数は、1989年(昭和64・平成元年)までに6駅増えて10駅となり、駅間距離は東京の山手線の平均的な駅間距離に相当する1.3 - 2.2kmとなった。その後複線化が行われ、札幌口では更に高架化も行われた。この区間は列車本数が多く、編成も最大6両で都市鉄道として脱皮が図られている。2012年(平成24年)6月1日には桑園駅 ‐ 北海道医療大学駅間 (28.9km) が電化開業した。一方、新十津川側では列車の本数が依然として少ないままである。新十津川以北廃止当時は5往復あった新十津川発着の列車は、1986年(昭和61年)3月3日のダイヤ改正以後は3往復となっている。2016年(平成28年)3月26日のダイヤ改正では1日1往復となった。かつて、札沼線は全線が非電化で、全列車気動車による運転となっていた。しかし、路線の利用者が増加し、運用されている気動車は新系列のキハ201系を除く大半が非冷房車であり、老朽化も進行していたため、所要時分短縮や混雑緩和などの利便性向上を図ることが課題となっていた。そこで、JR北海道は2009年(平成21年)9月9日、桑園駅 - 北海道医療大学駅間 (28.9km) の電化工事に着手することを発表。同年12月10日に篠路駅(札幌市北区)で起工式が挙行された。以後、北海道高速鉄道開発を事業主体として工事が進められ、2012年(平成24年)3月に設備が完成した。車両投入の遅れのため、実際に電車が営業運転を始めたのは同年6月1日で、全列車の電車化は同年10月27日にずれ込んだ。電化開業後は、札幌駅 - 石狩当別駅間の所要時間が46分から39分へと最大7分短縮、3ドア車の投入によって朝ラッシュ時の混雑率が130%から104%へと緩和、そして従来63%にとどまっていた冷房化率が100%となることが見込まれている。2012年6月1日の第一次電化開業時は100本中69本が電車化され、気動車として残る31本中18本はキハ201系による運用となるため、冷房化率はこの時点で8割を越える。第二次電化開業となる同年10月27日には110本(改正時に100本から10本増発)すべての電車化が行われ、北海道医療大学以北の非電化区間で運用される気動車列車は札幌方面へ直通せず、すべて石狩当別駅での折り返し運用となる。桑園駅 - 石狩当別駅間は完全電車化後も非電化区間と苗穂運転所との間の回送列車のみ気動車が運転される。電化工事に伴い、車両は733系36両・735系6両の合計42両が投入されたが、これらは札沼線専用ではなく、函館本線・千歳線と共通で運用される。なお、第一次開業時には733系のうち18両と735系6両の合計24両が投入され、残りの733系18両は第二次開業時までに順次投入された。現在の高架区間は起点の桑園駅から新琴似駅 - 太平駅間となっているが、JR北海道は更なる事業として篠路駅周辺約1kmの高架化を決定している。篠路駅は2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて西口設置を含む再開発が行われるなど、以前より周辺整備の著しい地域である。厳密な高架化区間は定まっていないが、高架化に合わせて周辺の土地区画整理事業が行われることとなっており、横新道を始めとする踏切の除却や市道の拡幅も対象となっている。2018年度着工、2025年度供用開始のスケジュールを組んでいる。便宜上、桑園駅側の全列車が乗り入れる函館本線の札幌駅 - 桑園駅間も併せて記載する。廃止区間の駅を除く。新十津川駅 - 石狩沼田駅間は廃線後、国鉄バス石狩線に転換され、1987年(昭和62年)4月1日からJR北海道バス、2000年(平成12年)4月1日からジェイ・アール北海道バスに引き継がれた。当初は滝川駅 - 新十津川駅 - 碧水市街 - 石狩沼田駅間が運転されていたが、のちに新十津川駅への乗り入れは廃止された。2003年(平成15年)3月1日には、ジェイ・アール北海道バスの空知地区撤退に伴い、北海道中央バス滝川北竜線(滝川ターミナル - 碧水市街 - 沼田駅前間)に移管された。2008年(平成20年)4月1日には碧水市街 - 沼田駅前間が沼田町営バス北竜線に移管された。
出典:wikipedia
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