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四庫全書

『四庫全書』(しこぜんしょ、、、満州語: 、転写:Duin namun i yooni bithe)は、中国・清朝の乾隆帝の勅命により編纂された、中国最大の漢籍叢書である。全般著書は経・史・子・集4部に 44類、3503種、36000冊、230万ページ、10億字になっている(部数・巻数の数え方には数種あり)。実際に編纂に参加して正式に名前が登録された文人学者だけで400人を超える。印刷物ではなく、すべて手書きであり、筆写人員は 4000人余りである。全体の構成が隋以来の四部分類(経・史・子・集)によって分類整理されているため、四庫全書という。四部の書の表紙は、緑色(経部)・赤色(史部)・青色(子部)・灰色(集部)に色分けされた。広範な資料を網羅しており、資料の保存に多大な貢献をした反面、清朝の国家統治にとって障害となるような書物は、禁書扱いされ、収録されなかった図書は3,000点にのぼるという。また、たとえ収録されていても、内容を改竄したり削除したりしている例が見られるため、扱いには注意が必要である。また、四庫全書の編纂後により優れたテキストが発見されたり校勘された書籍もあり、そういう場合は改竄がなくても四庫全書本以外を使うのが望ましい。本書の解題目録として、『四庫全書総目提要』200巻が作られた。中国国内の文献のみならず、日本・朝鮮・ベトナムの漢籍も収録されている。また、エウクレイデス『幾何原本』やサバティーノ・デ・ウルシスの著作のような西洋人の作も含まれている。日本のものとしては山井崑崙による『七経孟子攷文』があげられる。この書は、足利学校所蔵の古典籍をひろく引用し、綿密な考証を施したものである。1741年(乾隆6年)、集書の詔勅が発せられる。1772年(乾隆37年)1月4日、類書の校勘の為に全文を収集する目的で各地方官に命じた。1773年(乾隆37年)2月28日、朱筠の上奏で蒐集書籍の解題を付し、完成後『四庫全書』と命名することが許可され、「四庫全書館」が設置され、編纂が開始された。1782年(乾隆47年)、全書は完成した。全書の正本7部、副本1部が浄書されて、正本は、文淵閣(北京・紫禁城)・文源閣(北京・円明園)・文津閣(熱河・避暑山荘)・文溯閣(瀋陽・盛京宮殿)・文匯閣(揚州・大観堂)・文宗閣(鎮江・金山寺)・文瀾閣(杭州・聖因寺行宮)に、それぞれ収められた。また副本は、翰林院に収蔵された。保管には専門の書庫を設置し、建物は寧波天一閣を模範として、書庫の前面に防火と消火用の池を開鑿し、後背に假山を作るよう設計された。現存しているのは文淵閣・文津閣・文溯閣の3種類(文瀾閣は一度失われた後に復旧)である。このうち文溯閣本は1966年に中ソ対立が実際の戦争になる可能性に備えて蘭州市に疎開した。1987年以降、遼寧省はたびたび文溯閣本を瀋陽市に返還するように要求しているが、甘粛省は拒否している。『四庫全書』は乾隆以前の書物しか収めておらず、また選に漏れた書物も多いため、19世紀末から続編作成の提案がなされたが、長い間実現しなかった。東方文化事業では『四庫全書』そのものではなく『四庫全書総目提要』の続編にあたる『続修四庫全書提要』の編纂を行い、32,961本もの提要が書かれたが、太平洋戦争の勃発によって事業は中断された。中華人民共和国で、1994年に『続修四庫全書』事業が開始され、2002年に上海古籍出版社から出版された。『続修四庫全書』は『四庫全書』の1.5倍にあたる全5,212種からなる。

出典:wikipedia

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