ゴールデンステート・ウォリアーズ(Golden State Warriors)は、カリフォルニア州オークランドに本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。ウェスタン・カンファレンス、パシフィック・ディビジョン所属。Golden Stateとはカリフォルニア州の愛称。ウォリアーズ(Warriors)の頭文字「W(ダブリュー)」から、チームの愛称として「W's」や「Dubs」(ダブス)が用いられることもある。warriorとは戦士を意味する。ウォリアーズの創設は1946年で、NBAの前身であるBAA発足時に参加したチームの一つとして始まった。当時はフィラデルフィアに本拠を置き、フィラデルフィア・ウォリアーズという名称だった。BAA初年度から現在まで残っているのは、ウォリアーズの他ボストン・セルティックスとニューヨーク・ニックスのみである。ジョー・ファルクスを擁したウォリアーズは、BAA最初のシーズンに優勝を果たした。ウォリアーズが次にリーグを制したのはおよそ10年後の1956年で、この時代のスター選手はポール・アリジンやニール・ジョンストンだった。チームは1959年にウィルト・チェンバレンを獲得。新人のシーズンからMVPを受賞したチェンバレンは今も破られない数多くのNBA記録を打ち立てるが、この時代の強豪ボストン・セルティックスに阻まれNBAファイナル進出は実現しなかった。チームが1962年にカリフォルニア州サンフランシスコに本拠地を移し、西地区所属のサンフランシスコ・ウォリアーズとなったのち1964年にはNBAファイナルに進出するが、ここでもセルティックスに優勝を譲った。3年後の1967年にウォリアーズは再びファイナルに進み、この頃にはリック・バリーやネイト・サーモンドがチームの中心だったが、移籍したウィルト・チェンバレンを擁するフィラデルフィア・セブンティシクサーズに敗退した。1972年にチームはサンフランシスコ湾の東岸オークランドに移転しゴールデンステート・ウォリアーズと改称した。 NBAのライバルリーグだったABAに移籍していたリック・バリーがこのシーズンからウォリアーズに戻り、1975年にチームはNBAファイナルに進出、苦戦しながらもワシントン・ブレッツを4勝0敗で下し、チーム史上3度目の優勝を果たした。以後のウォリアーズの成績は、リーグでは中堅ないし弱小のチームとして推移していった。1970年代末期から1980年代の期間は、ロバート・パリッシュやバーナード・キング、ワールド・B・フリーなど有名な選手を擁していたが、プレーオフに進出できないシーズンが続いた。ウォリアーズが脚光を浴びるのは、ドン・ネルソンが監督に就いた80年代末以降だった。得点力の高いクリス・マリン、ミッチ・リッチモンド、ティム・ハーダウェイは、3人の頭文字から人気ラッパーになぞらえて「ラン・TMC」と呼ばれ、ウォリアーズはリーグで最も点を取るチームになった。チーム成績が50勝以上のシーズンもあったがプレーオフでは勝ち切れず、ネルソンは1995年にチームを去った。その後のウォリアーズはさらに低迷を続けた。チームのエースだったラトレル・スプリーウェルがP・J・カーリシモ監督に首絞めを加えた悪名高い事件はこの時期に起き、1999年にスプリーウェルはジョン・スタークスらと交換でニューヨーク・ニックスに放出された。1998年のNBAドラフトでアントワン・ジェイミソン、2001年のNBAドラフトでジェイソン・リチャードソン、トロイ・マーフィー、ギルバート・アリーナスを獲得したが、アリーナスとチーム再建の柱として期待されたジェイミソンは2003年にダラス・マーベリックスに放出され、アリーナスはワシントン・ウィザーズに移籍した。2004年にマリンがウォリアーズの副社長に昇格し、トレードでバロン・デイビスなどのスター選手を獲得したものの、ドン・ネルソンがチームを離れた1995年以降はプレーオフに進出できないシーズンが続いていたが、ネルソンがHCに復帰した2007年に13シーズンぶりにプレーオフ進出を果たし、プレーオフ1回戦で、ダラス・マーベリックスを相手に7試合制導入後初めてとなる第8シードチームが第1シードチームに勝つ快挙を成し遂げた。低迷が続いたウォリアーズであったが、後にチームの中心となる選手達をドラフトすることとなる。同様にチームとフィットする選手をトレードやFAで獲得、チームの軸を再構築し始めた。2014-2015シーズン 40年ぶりの優勝開幕からステフィン・カリーとクレイ・トンプソンの "スプラッシュ・ブラザーズ" が好調を維持し、若手のハリソン・バーンズ、ドレイモンド・グリーンも、更なる成長を見せ、12月14日に行なわれた対ニューオーリンズ・ペリカンズ戦は、オーバータイムにもつれる接戦となったが、ウォリアーズが128-122で競り勝ち、球団新記録となる16連勝を達成した。 球団新の連勝記録に加え、ウォリアーズはアウェイゲームでも球団記録となる10連勝を記録した。しかし、続くアウェイでのメンフィス・グリズリーズ戦で敗れこれらの記録の更新はならなかったものの依然として好調を維持している。またスティーブ・カーヘッドコーチは、新人コーチながらNBAオールスターゲームのチームウェストのヘッドコーチを務めた。オールスター戦後も快進撃は止まらず、レギュラーシーズンではチーム史上最高の67勝を記録。プレーオフでも快進撃が止まることはなく、1975年以来40年振りのNBAファイナル進出を決めた。レブロン・ジェームス率いるクリーブランド・キャバリアーズとの対戦となったNBAファイナルは、一時1勝2敗と先勝を許したものの、第4戦からのアンドレ・イグダーラの先発起用が的中。更にシーズンは泣かず飛ばずだったデビッド・リーの奮闘で流れを取り戻し、その後3連勝で40年振りのチャンピオンに輝いた。2015-2016シーズン 偉業達成、無念の敗退前年度NBAチャンピオンで自信をつけたウォリアーズは翌シーズンも快進撃を展開し、記録づくめのシーズンとなった。シーズン当初はスティーブ・カーヘッドコーチが背中の手術の為に休養を余儀無くされるという不測の事態に遭遇したもののアシスタントコーチのルーク・ウォルトンが代理ヘッドコーチとしてチームをまとめ、開幕から連勝街道を突っ走った。結局12月12日のミルウォーキー・バックス戦を95-108で敗戦し、、開幕から連勝記録は24、前シーズンからの連勝記録も史上2位の記録である28で止まったもののリーグを席巻する快進撃を見せ、カーヘッドコーチも2016年1月22日のインディアナ・ペイサーズ戦からコーチ職に復帰した。カーが復帰するまでの率いてきたウォルトンの成績は39勝4敗という素晴らしいものだった。そしてオールスターが明けて後半戦に入り2月25日マイアミ・ヒート戦との接戦を制し、1995-1996シーズンのマイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペンを擁するシカゴ・ブルズを超える速さで50勝に到達。そして2月28日にはオクラホマシティ・サンダーとの試合を制しNBA史上最も早くプレーオフ出場を決めた。3月7日オーランド・マジック戦でホーム45連勝を達成しNBA記録を更新したが、4月1日のボストン・セルティック戦で今季ホーム初黒星を喫し昨季から続いていたホーム連勝は54連勝で止まった。4月8日のサンアントニオ・スパーズの勝利で、1995-96シーズンにシカゴ・ブルズが72勝10敗を記録したのに続くシーズン 70勝 に到達。更に3日後の同じくスパーズ戦でも勝利し、72勝 に到達。そしてシーズン最終戦となった13日のメンフィス・グリズリーズ戦で勝利し、前述のブルズの記録を更新するNBAシーズン新記録の 73勝 を達成した。レギュラーシーズンで連敗なし、同一対戦相手に2敗以上しなかったというのも史上初である。またチームとしての3ポイントシュートも記録更新となる1077本成功させている。ホーム成績は昨季と同じ39勝2敗で歴代3位タイとなった(歴代1位は同率で85-86シーズンのセルティックスと今季ウォリアーズと首位を争ったスパーズの40勝1敗)。プレーオフでは、ヒューストン・ロケッツ、ポートランド・トレイルブレイザーズをそれぞれ4勝1敗で退けるも、オクラホマシティ・サンダー戦ではプレーオフ初ホーム敗戦と敵地でシーズンを通して初の連敗を喫し、一時1勝3敗と王手をかけられた。しかしそこからステフィン・カリー、クレイ・トンプソンが奮起。絶体絶命の状態から3連勝で巻き返し、見事4勝3敗と逆転で2年連続のカンファレンス優勝を達成。過去プレーオフでシリーズ1勝3敗になったケースは232あり、その状況からシリーズを逆転した例は9チームのみであった(最終的にNBAファイナルを制覇した例はその内のさらに3チームのみ)。NBAファイナルでは2年連続でクリーブランド・キャバリアーズと対決することとなった。2連覇を狙ったNBAファイナル、4試合を終えて3勝1敗と王手をかけたウォリアーズだったが、第4試合の試合中のファウルが後日フレグラント1に格上げになったことでドレイモンド・グリーンがフレグラントファウルの累積により、第5試合目を出場停止処分となった。グリーンを欠くこととなった第5戦ではアンドリュー・ボーガットが膝を負傷し復帰まで6~8週間かかると診断されファイナル絶望、試合も敗れた。第6試合ホームのキャバリアーズは勢いをそのままに連勝し逆王手をかけて最終戦までもつれこむこととなる。第7試合4Q残り1分まで同点という接戦であったがカイリー・アービングの3ポイントシュートが決まり追い詰められた。その後点を取ることができず結果89-93で敗れ、レギュラーシーズン・ポストシーズン含め初の3連敗を喫したウォリアーズはファイナル敗退が決まり、レギュラーシーズン73勝という偉業を達成しながらも失意のままシーズンを終えた。2016-2017シーズン 王座奪還へ王座奪還を狙うウォリアーズは、昨季途中からウォリアーズへの移籍の噂があったケビン・デュラントと開幕前の7月4日に口頭合意、7日に2年5430万ドルで正式契約を交わした。彼を巡ってはオクラホマシティ・サンダー、ロサンゼルス・クリッパーズ、サンアントニオ・スパーズ、ボストン・セルティックス、マイアミ・ヒートとの激しい競合があった。デュラントの獲得に伴いサラリーキャップを超過してしまった為、ダラス・マーベリックスからマックス契約の提示を受けていた制限付きFAのハリソン・バーンズにはマッチ(同額提示して引き止め)せず、さらに出場時間の短さや膝の怪我が懸念されていたアンドリュー・ボーガットをトレードで同じくマーベリックスへ放出。更にフェスタス・エジーリ、レアンドロ・バルボサ、マリース・スペイツ、ブランドン・ラッシュらの再契約も見送った。その後ほぼ同時期にザザ・パチュリアを破格の1年290万ドル、自身初優勝を狙うベテランのデイビッド・ウェストも格安の1年ミニマム契約で獲得した。太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人1940年代 (プレーオフ進出:4回 ファイナル進出:2回 優勝:1回)1950年代 (プレーオフ進出:6回 ファイナル進出:1回 優勝:1回)1960年代 (プレーオフ進出:7回 ファイナル進出:2回)1970年代 (プレーオフ進出:6回 ファイナル進出:1回 優勝:1回)1980年代 (プレーオフ進出:2回)1990年代 (プレーオフ進出:3回)2000年代 (プレーオフ進出:1回)2010年代 (プレーオフ進出 : 4回 ファイナル進出:2回 優勝:1回)ゴールデンステート・ウォリアーズのチーム記録
出典:wikipedia
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