神戸本線(こうべほんせん)は、大阪府大阪市北区の梅田駅から兵庫県神戸市中央区の神戸三宮駅までを結ぶ阪急電鉄の鉄道路線。神戸本線自体を指して、またはその支線を含めて通称神戸線と呼ばれる。阪神間を高速で走行することを前提に建設されたため、ほぼ直線的に大阪・神戸間を結んでいる。最初期の計画では伊丹付近の開発を名目に敷設免許を申請したことから、現行よりも北よりの伊丹駅・門戸厄神駅付近を通るルートとなっていた。その後、阪神間の短絡を目的に現在のルートに変更されたため、伊丹線を建設することとなった。また、阪神間の住宅地を並行する阪神本線、JR神戸線(東海道本線)よりも山手を通っている。直線区間が多く、また大都市圏内の私鉄路線としては駅間距離が比較的長いため、普通列車も含めて十三駅 - 神戸三宮駅間では100km/h前後の速度(最高速度は115km/h)で運転される。ただし、御影駅の大阪方にはS字に迂回するカーブが存在するため、この区間では最高速度が90km/hに制限される。この区間では長らく65km/hに制限され減速を強いられてきたが、線形改良(緩和曲線延長・ロングレール化・カント修正)により1993年7月に70km/hに、2006年10月に90km/hに向上した。梅田駅 - 西宮北口駅間は大阪平野を走りほぼ平坦であるが、西宮北口駅 - 神戸三宮駅間、特に夙川駅 - 春日野道駅間は山沿いのルートで六甲山地の麓を走るため、16.7‰ - 30.3‰の勾配が断続的に存在する。神崎川駅西側の神崎川橋梁には防潮扉が設置されており、台風接近による高潮や、地震後の津波等への対策として閉鎖されることがある。この場合、梅田駅 - 園田駅間は運休(このうち梅田駅 - 十三駅間は神戸本線のみ運休)となるが、過去には十三駅 - 神崎川駅間で上り線のみを利用して折り返し運転されたことや、園田駅に用意されている折り返し線を利用して園田駅 - 三宮駅間の普通列車のみで折り返し運転をしていたこともある。梅田駅 - 西宮北口駅間の代替路線としては、宝塚本線(梅田駅 - 宝塚駅)・今津(北)線(宝塚駅 - 西宮北口駅)を経由するよう案内されたことがある。阪急電鉄は神戸高速鉄道東西線神戸三宮駅 - 新開地駅間の第二種鉄道事業者であり、自社線扱いの「神戸高速線」として神戸三宮駅から新開地駅まで直通運転をしている。平日は9時 - 22時ごろ、土曜・休日は7時 - 19時ごろまで特急と普通がそれぞれ10分間隔(土曜・休日の19時以降も同様に12分間隔)で運転される基本ダイヤとなっている。平日の夕ラッシュ時間帯にはそれに加えて神戸三宮方面行きのみ通勤急行が運転されるほか、平日、土曜・休日ともに22時以降は特急に代わり快速急行が運転される。平日の朝ラッシュ時間帯は15分サイクルとなっており特急、普通のほかに通勤特急と通勤急行、準急(今津線宝塚駅から直通、梅田方面のみ)、急行(神戸方面のみ)も運転される。土曜は休日ダイヤが適用されている。以前は、月曜から土曜までが平日ダイヤ、日曜・祝日が休日ダイヤで運転されていたが、関西では京阪電鉄に次いで1992年12月に宝塚線、1993年2月に京都線で土曜ダイヤを導入しており、これに続く形で神戸線も1993年7月に土曜ダイヤを導入した。ちなみに当時、相互直通運転を行っていた山陽電鉄と神戸高速鉄道東西線・山陽電鉄本線に乗り入れていた阪神電鉄も同日から土曜ダイヤを導入している。のちにこの土曜ダイヤは、休日ダイヤを基本に、輸送力の不足する朝のみ西宮北口発梅田行きの普通を増発するパターンとなり、2006年10月28日のダイヤ改正以降は完全に廃止されて土曜・休日ダイヤに一本化された。乗務員は西宮北口駅で交替することがあり、交替した運転士が西宮北口駅発車時、警笛吹鳴を行うことがある。日中の運転本数は次の通りである。以下に各種別の詳細を示す。現行の停車駅は「駅一覧」を参照。神戸本線の代表的種別で、深夜を除きほぼ終日運転される。基本的には梅田駅 - 新開地駅の運転だが、早朝に西宮北口発新開地行きがあるほか朝夕には梅田駅 - 神戸高速線高速神戸駅間の運転もある。また、平日朝ラッシュ時は上りのみ運転される(下りは通勤特急が運転)。このうち3本は10両編成で運転されるが、神戸三宮駅で2両増結作業を行う関係で通勤特急のように女性専用車両は設定されない。2016年3月19日のダイヤ改正以前は平日朝の下り列車も設定されており、10両編成での運転(神戸三宮駅で後ろ2両を切り離し)も存在した。1930年の運転開始以来、戦時中と阪神・淡路大震災直後を除き、ほぼ一貫して設定されている。停車駅は1930年の運転開始当初は西宮北口駅のみで、1937年に十三駅を追加して以降、永らく十三駅と西宮北口駅のみであった。阪神・淡路大震災後の1995年6月12日のダイヤ改正で岡本駅に、2006年10月28日のダイヤ改正で夙川駅に、それぞれ新たに停車するようになった。2000年から沿線の王子動物園でジャイアントパンダが公開されており、行楽シーズンには最寄り駅である王子公園駅に臨時停車することもあったが、現在では行われていない。昼間時は十三駅 - 西宮北口駅間の115km/h運転のため7000系以降のワンハンドル車に運用が限定され、この115km/h運転を行う特急をA特急と呼ぶ(代走で5000系が運用されることもある)。2006年10月28日のダイヤ改正以降、梅田駅 - 神戸三宮駅間は下りで最速27分00秒(表定速度:71.7km/h、平均速度:77.5km/h)で走行している(上りは最速27分10秒)。また、線形が良く通過駅が多い十三駅 - 西宮北口駅間では、上りが最速8分30秒(平均速度:93.2km/h)で走行しており、並行して走行するJR西日本の新快速に匹敵する高速運転を実施している(下りは最速8分40秒)。平日日中と土休日終日は高速神戸駅で阪神本線の普通電車(高速神戸駅折り返し)との接続が考慮されている。また、梅田駅 - 宝塚駅間は宝塚本線の急行に乗車するよりも、実際には特急で西宮北口駅まで行き、今津(北)線に乗り換えたほうが宝塚駅へ先着することも少なくない。ただし同区間を今津(北)線経由で乗車するよう奨励(促進)する案内活動は、実際には行われていない。特急の停車駅に、伊丹線との接続駅である塚口駅を加えた種別。1995年6月12日のダイヤ改正で運転を開始、2006年10月28日のダイヤ改正で夙川駅が停車駅に追加された。平日朝ラッシュ時にのみ運転され、この時間帯の下り優等列車は全てこの種別で運転される。2016年3月19日のダイヤ改正以降は基本的には梅田 - 神戸三宮・高速神戸・新開地間で運転されるが、上り・下りとも西宮車庫からの出庫のため、一部西宮北口駅発の列車がある。神戸三宮駅発着の列車と、その送り込みのための西宮北口駅発の列車の一部は10両編成で運転され、神戸三宮寄りに女性専用車両を連結する。この10両編成の充当車両は8両編成の7000系7000F・7002F・7004F・7009F・7012F・7021F・7022F・7027Fと2両編成の7000系7005F・7030F・7036F・7037F、6000系6016Fに限定されている。また、この改正で梅田発の下り列車が全て通勤特急に統一され、神戸三宮止まりの列車が増加した。同改正以前はほとんどが新開地駅・高速神戸駅発着で、上下線ともに10両編成での運転があり、その場合は上りでは神戸三宮駅で2両増結を、下りでは西宮北口駅で解放を行っていた。停車駅は梅田駅から岡本駅までは快速急行と、岡本駅から新開地間は特急と同じで、特急との違いは塚口駅に停車するだけ、快速急行との違いは六甲駅を通過するだけである。1998年から2001年には深夜時間帯にも運転されていた。深夜の速達型優等列車としての役割があり、早朝に新開地発梅田行きが1本運転されるほかは基本的に22時以降の運転となる。1987年12月のダイヤ改正で運転を開始。2006年10月28日ダイヤ改正で、通勤特急の夙川駅停車により通勤特急との停車駅の違いが六甲駅に停車するだけの違いになった。基本的には梅田駅 - 新開地駅の運転だが、高速神戸発梅田行きが1本設定されているほか、深夜時間帯には新開地発西宮北口行きが、また平日のみ神戸三宮発西宮北口行きも設定されている(深夜の西宮北口行きは回送列車を営業列車化したもので、このうち新開地発は同時間帯の特急からの格下げによるものである)。伊丹線との接続駅である塚口駅および西宮北口駅 - 神戸三宮駅間の各駅への速達列車として、土曜・休日の早朝上りと平日・土曜・休日深夜の下りのみ運転される。上りは早朝の神戸三宮発梅田行き1本のみだが、下りは深夜に梅田発神戸三宮行き(土曜・休日のみ1本が梅田発新開地行き)が運転される。2016年3月19日のダイヤ改正以前は平日の早朝に神戸三宮発梅田行きが1本、平日朝ラッシュ時に梅田発西宮北口行きが数本(最後の1本は神戸三宮行き)運転されていた。特急と並び、戦前から存在する種別であり、長年停車駅が変わっていない。以前は高速神戸駅発着(平日は阪神・淡路大震災前まで朝ラッシュ時、休日は1998年2月ダイヤ改正まで深夜に1本)の列車も存在していた。阪神・淡路大震災前は、平日朝夕の混雑時間帯と深夜、休日の午前・午後・深夜に運転されていた。休日午前と午後の急行は梅田駅 - 西宮北口駅間の運転で、阪神競馬場で競馬が開催される日には梅田駅 - 仁川駅間の臨時急行となり、西宮北口駅発着の急行は運休となっていた。1995年6月のダイヤ改正から2001年3月のダイヤ改正までは、主に平日夕方以降の運転に縮小されたが、現在その時間帯は通勤急行になっている。武庫之荘駅での乗降客の増加に起因する梅田駅 - 園田駅間の混雑率を緩和することを目的に設定された列車。1995年6月のダイヤ改正で運転を開始。当初は平日朝の上り急行を置き換える形で、三宮発梅田行きのみの設定であったが、2001年3月のダイヤ改正では平日夕方の下りにも、急行を置き換える形で運転されるようになった。2016年3月19日のダイヤ改正(運行開始は2016年3月22日から)からは、朝ラッシュ時の神戸三宮発の列車を新開地・高速神戸発に延長し、神戸三宮駅で通勤特急に連絡する運行形態に変更される。急行と同じく塚口駅 - 神戸三宮駅間の各駅への速達列車として、平日ラッシュ時中心に運転される。なお朝方は新開地・高速神戸発梅田行のみ、夕方・夜間は梅田発神戸三宮行のみの運転となる(折り返し上りの場合は普通で運転される)。2007年10月26日までは、このうち神戸三宮駅7時台発の2本について座席収納装置のある8200系が座席収納の状態で増結車両に充当されていた(10両編成運行は2016年3月18日限りで廃止)。また夕方・夜間の列車は必ず西宮北口駅で特急の待避を行う。平日朝ラッシュ時に今津線からの直通列車として、8両編成で宝塚発梅田行きのみ運転される。今津線内では門戸厄神駅までの各駅と、神戸線の塚口駅、十三駅に停車する。1957年10月に運転を開始。梅田駅到着後は1本目は回送、2本目は回送→普通、3本目以降は通勤特急として折り返す。なお、西宮北口駅構内では神戸本線への連絡線を通過するが配線の関係上、運転停車(約1分)するものの旅客扱いは行わない。また、通勤急行が停車する武庫之荘駅には停車しないことから、神戸本線を走行する通勤急行よりも準急の方が実質格上という珍しい停車駅設定となっている(ただし路線図などでは準急が格下として扱われている)。これは、この種別が今津線直通のものしか存在しておらず、あくまで後述の「臨時急行」に対する「準急」であり、神戸本線の「(通勤)急行」に対する「準急」ではないからであると考えられる。かつては仁川発梅田行きも1本あったが、これは後に宝塚発に変更されている。1995年6月12日より2001年3月のダイヤ改正までは、平日夕方に3本の梅田発宝塚行きがあったが、この列車は今津線内の宝塚方面行きホーム有効長の関係上、6両編成で運転されていた(「阪急今津線」も参照)。各駅に停車する種別で、終日運転される。運転系統は主に昼間時を中心に梅田駅 - 神戸三宮駅間で運転され、昼間時は上下列車とも西宮北口駅で必ず特急との待避・接続を行うが、西宮北口駅出発後は梅田駅・神戸三宮駅まで先着するダイヤとなっている。なお平日ラッシュ時は園田駅・六甲駅で特急を待避する列車がある。阪神大震災前の日中は、平日・土曜日のみ特急が梅田駅 - 神戸三宮駅間を最速26分で運転していたため原則六甲駅で待避を行っており、また日曜・祝日では六甲駅での待避をしない(そのため後続の特急は徐行運転を強いられた)代わりに臨時列車の運転も考慮して西宮北口駅での長時間停車と園田駅での待避を行っていた。 なお高速神戸駅・新開地駅へは原則として早朝・平日朝ラッシュ時・深夜のみ乗り入れる。2016年3月ダイヤ改正までは平日夕方に運行本数調整のため西宮北口発高速神戸行が3本運転されていた。このほか、平日朝に1本のみ武庫之荘発梅田行がある。2006年10月28日のダイヤ改正以降、平日昼上りにおける梅田駅 - 神戸三宮駅間は最速43分00秒(表定速度:45.1km/h、平均速度:58.1km/h)で走行している。休日早朝の下り上りにおいては、西宮北口駅での優等列車の待避が無いため、梅田駅 - 神戸三宮駅間は最速38分40秒(表定速度:50.1km/h、平均速度:58.7km/h)で走行している。また、線形が良く駅間距離が比較的長い十三駅 - 西宮北口駅間では、平日昼上りで最速13分30秒(表定速度:58.7km/h、平均速度:66.9km/h)、休日早朝の下り上りで最速13分20秒(表定速度:59.4km/h、平均速度:67.9km/h)で走行しており、普通列車としてかなりの高速運転を実施している。平日夕ラッシュ時には下り列車がすべて西宮北口行きになる。理由は通勤急行が西宮北口駅 - 神戸三宮駅間の各駅に停車することでカバーしているからである。また朝・深夜にも梅田駅 - 西宮北口駅で運転されている。その他にも朝、夜を中心に梅田駅 - 高速神戸駅・新開地駅が、朝には西宮北口発神戸三宮・高速神戸・新開地行きの運転が、朝ラッシュ時、深夜には新開地・高速神戸・神戸三宮発西宮北口行きの運転が設定されている。元は2008年秋より運転を開始した、春・秋行楽期限定の嵐山駅直通の臨時列車。嵐山線各駅のホーム有効長の関係で6両編成であり、7000系のうち特定の編成が充当される。2009年秋までは臨時という種別で運転し、直通運転に充当した編成には専用のサボや、ドア側面にはその旨を表示するステッカーが用意された。2010年春の行楽期より、新たに直通特急という種別が与えられ、直通運転に充当される編成には専用の「直通特急」の種別幕が追加された。運転日は、春・秋の行楽期の特定の土曜・日曜・祝日(運転日は公式ウェブサイトなどで随時発表される)で、高速神戸駅と今津線経由の宝塚駅発着がそれぞれ1日1往復運転される。この列車は十三駅でスイッチバックして京都本線に直通するため、梅田駅には乗り入れない。神戸本線内の停車駅は、高速神戸発着が快速急行と同一、宝塚発着が準急と同一。高速神戸発は六甲駅で特急を待避する(高速神戸行きは途中で待避することなく、高速神戸駅まで先着するが、代わりに後続の列車が数分程度時刻を変更する)。毎年、神戸ルミナリエ開催期間中の土曜・日曜の4日間は、夜間に神戸三宮発梅田行きの臨時特急が増発される。停車駅は特急と同一。また、みなとこうべ海上花火大会開催日も同様に、神戸三宮発(一部は高速神戸発)梅田行き臨時特急が増発される。臨時特急が運転される際には、その直前に出発する普通列車が六甲駅で待避するため時刻が若干変更される。過去には、山陽電鉄須磨浦公園駅までの乗り入れが廃止された直後の1998年7月19日・20日・25日・26日と8月1日・2日・8日・9日(いずれも土曜・日曜・祝日)の計8日間、須磨海水浴場等への利便を図るため、梅田発須磨浦公園行き臨時特急「ドルフィン号」が運転されたことがあり、7000系6両編成が使用された。停車駅は十三・西宮北口・岡本・三宮(当時)・花隈・高速神戸・新開地・山陽須磨で、新開地駅と山陽須磨駅の間はノンストップであった。ただ、この臨時特急の運転は1998年の僅か1年のみで終わっており、以降阪急車が新開地以遠に乗り入れることはなくなった。このほか、阪急ブレーブスの本拠地であった西宮球場でプロ野球公式戦が開催された際には、梅田駅 - 西宮北口駅間で臨時特急が運転されることがあった。また、1981年に神戸沖で開催された神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア '81)の期間中には、休日を中心に梅田駅 - 三宮(当時)駅間の臨時特急が運転されることがあった。上記の臨時特急と同じく、神戸ルミナリエ開催期間中の土曜・日曜の4日間とみなとこうべ海上花火大会開催日の深夜に、神戸三宮発梅田行きの臨時快速急行が増発される。かつて、1990年頃から阪神・淡路大震災発生前まで、春・秋の行楽期の土曜・日曜・祝日に限り、午前中と夕方に梅田駅 - 三宮(当時)駅間に臨時快速急行が運転されていたことがある(通称「大運転」)。これ以外にも、かつて土曜日昼間時間帯が下校する高校生らで混雑していたことがあったため、1993年7月のダイヤ改正で土曜日の12時台(下校時間帯)に梅田 - 三宮(当時)間の臨時快速急行が設定された(夏休みなどの休校期間中は一部区間のみ回送列車として運転)。この土曜日昼間の臨時快速急行は震災を機に運休となり、1995年6月のダイヤ改正で正式に廃止された。阪神競馬場での競馬開催日夕方には、今津線仁川発梅田行の臨時急行が運転される(仁川発15時30分ごろ - 17時00分で最短10分間隔)。途中の停車駅は塚口駅・十三駅のみであり、西宮北口駅は配線の都合上運転停車はするが、客扱いはせず通過としている(「阪急今津線」の記事も参照)。後述の通り2006年までは梅田発仁川行きも運転されていた。仁川発梅田行きは、本来のダイヤでは西宮北口始発である定期列車の急行の一部を運休させて、そのダイヤを使って仁川発の臨時急行として振り替えていた時期があった(西宮北口駅の時刻表や1993年7月発行の阪急電鉄時刻表にも明記されていた)。言い換えれば、西宮北口駅では運休扱いだが、塚口駅以東では運転されているという現象が生じていたことがあった。梅田発仁川行きは、1980年代まで午前中に20分程度の間隔で運転されてきたが、1993年のダイヤ改正で廃止された。以降は桜花賞・宝塚記念などの阪神競馬場でのGI開催日の朝に限り3本のみ(梅田発8時37分・8時57分・9時17分)の運転となっていたが、利用客減少などの理由により、2006年10月28日のダイヤ改正で運行中止された。このほか、昭和50年代までは、週末の夕方に三宮(当時)または六甲発梅田行きの臨時急行が運転されていたことがあったが、これらは前面に掲げられる列車種別板には「臨急」の2文字しか書かれず、行き先などがまったく入っていなかった。なお、「準急」が運転を開始した時は「臨時急行」と称され、列車表示板も2文字のみで「臨急」となっていたが、前記「臨急」と停車駅が異なり、混乱を避けるためにのちに改称された。表示幕には『臨時』(赤色枠に白文字)の種別も用意されているが、普通列車は臨時であっても定期列車と同じ『普通』と表示されている(駅ホームの発車案内板も同じ)。平日ながら、休日ダイヤで運転する8月中旬のお盆期間と年末の平日朝に限り、混雑緩和のため西宮北口発梅田行き普通が臨時で増発される。また、なにわ淀川花火大会開催当日夜間にも、梅田発西宮北口行き普通が増発される。神戸本線の車両は原則として8両編成で運転される。ただし、朝ラッシュ時には2両を増結し、10両で運転する列車が数本(うち2本は増結を含む10両のまま固定)ある。また京都本線との直通特急は6両で運転される。運行される車両は以下のとおり。箕面有馬電気軌道が阪神急行電鉄と社名を改め、1920年に十三駅 - 神戸(のちの上筒井駅、現在の神戸市中央区坂口通2丁目に位置した)間を開業させたのが始まり。ルートに関しては、沿線開発を考慮して人家のほとんど無かった山手沿いを直線で突き抜けるように敷設することにした。前述の通り、当初の予定では現行線より北側、後に建設された山陽新幹線に近い伊丹・門戸厄神東光寺を経由するルートでの敷設が検討されていたが、灘循環電気軌道の買収を機にルートの短絡を追求し、尼崎市内において現行よりもやや南よりのルートを計画したものの、阪神間の短絡を図りつつ伊丹への交通の便も確保するようにした結果、伊丹線を建設するとともに、結局は塚口駅・西宮北口駅を経由する現行ルートを採用した。その結果、当初予定よりも高速運転が可能になった。また、神戸本線は先行して開業していた宝塚本線と同じく軌道法準拠で敷設されたものの、高規格であることから同法本来の制限速度であった時速25マイル(約40km)よりも高い、時速35マイル(約56km)での運行が認可された。後には、さらに110km/hまで軌道法準拠でスピードアップを行っている。さらに駅間距離も先行して開業していた阪神本線より長く取られ、特に神崎川駅 - 西宮北口駅間に至っては、開業時は途中駅が塚口駅1つのみとされており、その駅間平均距離は5.75kmにも達していた(後の昭和期における住宅開発で、園田駅と武庫之荘駅が追加開業した)。なお建設時は第一次世界大戦勃発のため、鉄鋼などの資材価格が高騰しており、船成金と呼ばれていた岸本汽船・松岡汽船に資金援助を求めたほか、神崎川駅 - 西宮北口駅間では鉄の使用を節約すべく、日本初のコンクリート製電柱を採用した。当初、梅田駅 - 十三駅間では併用軌道の宝塚本線に乗り入れていたが、後に同区間が高架・専用軌道化された際に宝塚本線と分離された(なお地上の旧線は北野線として、1949年まで存続する)。1936年には高架線で三宮駅(開設当時は神戸駅を名乗った。以下、三宮駅とあるのは現在の神戸三宮駅)への乗り入れを果たす。神戸への高架線での乗り入れに関しては、三宮駅へは地下線で乗り入れるよう阪急に要望していた神戸市と対立したため工事が遅れ、上筒井駅が16年間暫定ターミナルとなっていた(「阪神急行電鉄#三宮高架乗り入れ騒動」の項目も参照のこと)。大阪 - 神戸間には、開業時既に国鉄東海道本線(省線)と阪神電気鉄道本線が開通しており、特に後者は高頻度運転を行うことによって東海道本線から多くの乗客を移行させることに成功していたため、並行する阪急の新線建設には反発し、いろいろと横槍を入れた。それは後々まで尾を引き、例えば西宮神社で祭事がある際に阪急では西宮戎駅という臨時駅を設置して乗客に対処したが、当時阪神地域の電力事業も行っていた阪神電鉄では乗客をとられるのが面白くないのか、その臨時駅から神社までの街灯をすべて消してしまうといった、まるで子供の喧嘩のようなことも行ったという。阪急も仕返しとして、阪神傘下の摂津電気自動車による香枦園駅(現在の香櫨園駅) - 苦楽園間無軌道電車(トロリーバス)敷設計画を牽制する形で、甲陽線の建設を行ったりしている(その他の抗争についてはこちらも参照)。さらに阪神では、第二阪神線という対抗路線の建設まで目論んだ。時代が変わり、戦後昭和40年代になると、神戸高速鉄道に両者の電車が直通するようになり、さらに国鉄分割民営化で誕生した西日本旅客鉄道(JR西日本)が「アーバンネットワーク」と銘打って東海道本線(JR神戸線)の阪神間輸送に力を入れるようになると、両者とも乗客数が減少する事態になって競い合うどころではなくなってきた。1995年の阪神・淡路大震災で各社とも大きな被害を受けると、いち早く復旧したJRへの乗客流出傾向が鮮明になり、定期券の利用に関して、梅田駅 - 三宮駅間を含む磁気式の通勤定期券を利用している場合に限り、阪急・阪神双方の梅田駅・三宮駅で、また三宮駅 - 高速神戸駅間を含む通勤定期券を利用している場合は阪急・阪神双方の三宮駅から高速神戸駅までの神戸高速線内各駅(花隈駅・西元町駅・元町駅)で、それぞれ乗降ができる制度が1996年10月から実施されるなど、協調する面も見られるようになり、村上ファンドによる阪神株の買い集めを経て、遂には両者の経営統合による「阪急阪神ホールディングス」および「阪急阪神東宝グループ」の誕生に至った(阪急・阪神経営統合を参照)。開業時、「綺麗で早うて、ガラアキ、眺めの素敵によい涼しい電車」をキャッチコピーとして大阪梅田駅 - 神戸上筒井駅間を50分(開業から5日間は60分)で結び、国鉄の大阪駅 - 三ノ宮駅間51分、阪神の同60分に対して優位に立った(対する阪神のキャッチコピーは「またずにのれる阪神電車」で、その通り電車の頻発運行で対抗した)。西宮以西の三線が近接する区間では、阪急がもっとも高台を走っていることから戦前には大阪湾なども眺められ、まさに「眺めの素敵によい」路線であった。阪急の総帥小林一三は、開業まもない時期の神戸本線の電車に試乗して「眼下に阪神を見下ろして高速で走るのは実に爽快であった」とも述べていたという。1936年10月29日には大阪湾の神戸沖で観艦式(天皇が、隊列して航行する各艦艇を海上で閲兵する行事)が行われ、大日本帝国海軍の有する戦艦、巡洋艦、航空母艦が集まった。阪急では前述した展望の良さを生かし、軍艦を見ようと詰め掛けた乗客を捌くべく、宝塚本線の車両や若手社員を動員して終夜運転なども行い、輸送に努めた。しかし、変電所の容量不足で電車が動かなくなるトラブルも起こったという。沿線が過疎であったことから乗客数は多くなく、必然的に沿線開発と、阪神間直通客の確保に力を入れざるを得なくなった。沿線開発の方では宝塚本線開業時同様、住宅開発が積極的に進められた。この頃になると、阪急のみならず芦屋六麓荘、関西土地などといった民間宅地開発業者も開発に参入するようになり、結果として伊丹・西宮七園・夙川・六麓荘町・御影など良好な住宅地が沿線に形成され、のちにこれらの新興住宅地は、高級住宅街となった。これらの開発はそれ独自の文化も生み出し、後に阪神間モダニズムと呼ばれるようになる。他方、電車の速達化が積極的に推し進められるようになる。もともと阪神本線と比較して駅数が少なく、各駅停車でも前述したような速達運転が行われていた神戸本線であるが、1922年5月には集電装置を他の私鉄に先駆けてポールからパンタグラフに交換し、同年12月には梅田駅 - 上筒井駅間の所要時間を40分に短縮した。1926年には前述したように梅田駅 - 十三駅間の線路別複々線・専用軌道化が完成して35分とし、そして1930年4月1日には強力な200馬力級電動機を搭載する900形を使用して途中西宮北口のみ停車する特急を新設し、30分にまで短縮する。速度向上はその後も続き、1932年10月には28分、1934年7月には25分とした。1936年4月には三宮までの乗り入れを達成するが、距離が若干伸びたにもかかわらず、より高出力な電動機を搭載する920形の投入が行われ、西宮北口駅のみ停車による25分運転を維持した。この特急運転は、太平洋戦争の戦況が悪化した1944年まで続けられた。1934年からは、鉄道省が運営する東海道本線でも電化の完成によって急行電車(急電)の運転が開始されており、大阪駅 - 三ノ宮駅間を途中無停車により24分で結んでいた。阪急の三宮乗り入れとスピードアップは、これへの対抗の意味も含んでいたといわれている。また線形が悪くスピードアップがしにくい阪神では、元町までの地下線による延伸を1936年に行っており、高頻度運転により「大阪・神戸の中央へまたずにのれる」というアピールを行っている。阪急では特急の運転に伴い、梅田駅正面に「神戸ユキ急行電車のりば」・「神戸行特急廿五分」と掲げてアピールした。ちなみに、この大阪梅田 - 神戸三宮間25分運転での表定速度は、高速運転を行ったことで知られる新京阪鉄道(後、京阪電気鉄道新京阪線→阪急電鉄京都本線)のP-6形による「超特急」の表定速度(京阪京都 - 天神橋間34分30秒運転で、73.7km/h)よりも高い78.0km/hで、戦前の記録では阪和電気鉄道の「超特急」が記録した81.6km/hについで日本第2位を誇った。これは現在もなお、阪急の特急の最速である。また開業時から1942年まで、梅田駅 - 十三駅間を移動する乗客は宝塚本線の電車を利用するように定められ、神戸本線の電車には乗車できなかった。これは郊外路線の宝塚本線と、都市間路線の神戸本線を完全に分ける施策によるといわれているが、宝塚本線のラッシュ時には大混雑する列車の横を、さほど乗客が乗っていない神戸本線の電車が追い抜いていくこともあったとされ、乗客からの評判は悪かったとされる。三宮駅乗り入れ後、西灘駅(現在の王子公園駅) - 上筒井駅間の旧線に関しては、支線の上筒井線として1940年まで90形単行による折り返し運行が行われた。終戦後の1949年、神戸本線での特急運転が再開された。このとき十三駅を停車駅に加えた。梅田駅 - 三宮駅間での特急所要時間は1949年の運転開始当初30分で、その後はおおむね28分で推移した。1993年の改正ダイヤで、平日のみ停車駅を維持したまま25分台(正確には梅田駅 - 三宮駅間25分50秒の運転であるが、時刻表は1分未満の端数を切り捨てるために、25分の表記がなされた)での運転を復活させ、1995年1月17日の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)前日の1995年1月16日まで続けられた(とはいえこの頃には、山陽新幹線はおろか、JR在来線の新快速が大阪駅 - 三ノ宮駅間21分運転を実施していた)。震災により神戸本線も西宮北口駅 - 夙川駅間の高架橋、それに神戸阪急ビルが破壊されるなど甚大な被害を受け、暫定運行を強いられた。そんな中、同じように被災していた阪神間鉄道で、JR神戸線が4月に先行して全線開業を果たした。これにより、JRを利用するようになった乗客がそのまま戻ってこなくなるという事態も招き、阪急と阪神にとって経営上の打撃となった。全線復旧した1995年6月以後は、すべての特急がJR摂津本山駅に近接する岡本駅へ停車するようになった。これは競合による同駅の乗客減少を食い止めるという目的のみならず、それ以前は平日日中の普通が六甲駅で特急の通過待ちを行っていた関係で普通の所要時間が延びており、神戸市内から御影駅 - 夙川駅間の各駅へ向かう乗客などには不評であったため、日中に関しそれを解消する目的があった。同時に、通勤時間帯の需要に応じた列車種別を新たに設けている。また2006年10月には経営統合を行った阪神とともに、5か月後の2007年3月に開設されるJRのさくら夙川駅へ対応するためダイヤ改正が行われ、阪急神戸本線では特急が夙川駅に停車し、同駅における甲陽線との接続改善を実施した。併せて線形・自動列車停止装置 (ATS) が改良されたこと、並びに昼間時の特急の神崎川駅 - 西宮北口駅間の最高速度を115km/hへ引き上げたことにより、特急は停車駅を一駅増やしたにも関わらず、梅田駅 - 三宮駅間の所要時間が10秒 - 60秒短縮、普通も同区間で30秒 - 80秒短縮された。現在の神戸本線特急の梅田駅 - 神戸三宮駅間所要時間は、最速で上り下り共に27分(上り27分10秒、下り27分00秒)となっており、戦後の最速である1993年改正ダイヤに比べて約1分延びている。1949年12月3日、神戸駅(現在の神戸三宮駅) - 京阪神京都駅(現在の大宮駅)間に直通特急の運転が開始された。当時の京都本線は1500V電化、神戸本線は600V電化と電圧が異なっていたことから、800系2編成を複電圧車に改造し、直通列車に充当することとした。直通特急の停車駅は西宮北口・十三・高槻市・西院で、梅田駅には入線せず十三駅構内の折り返し線を用いて直通を行う形態をとっていた。しかし通し利用の乗客数は少なく、1951年10月8日に京神間直通特急の運転は廃止された。2008年になって前記の嵐山駅への直通特急が運転され始め、臨時列車ながら事実上復活した。1968年の神戸高速鉄道東西線開業後は、阪急の列車は山陽電気鉄道の須磨浦公園駅まで、山陽の列車は六甲駅まで、相互直通運転を行っていたが、1998年2月に山陽姫路駅 - (阪神)梅田駅間で直通特急の運転を開始したのに合わせて、阪急の山陽電鉄への乗り入れが中止された。この直通運転に見られる、他社線乗り入れによって自社の輸送力に制約が発生する問題は、阪神なんば線直通運転開始後の近鉄奈良線に対しても指摘されている。2004年10月の近畿地方交通審議会答申第8号で、「既存施設の改良に関し検討すべき主な事業」のうち、「乗り継ぎ利便性の向上に資する事業」として、三宮駅付近で神戸市営地下鉄西神・山手線との相互直通運転が盛り込まれた。春日野道駅以西を地下化して直通するというもので、実現した場合は、現在の神戸三宮駅や神戸高速鉄道との相互直通運転は廃止となる可能性もある。もっとも、2004年時点では神戸市側が難色を示しているという報道もあり、その後進展していなかった。2013年12月になって、神戸市長の久元喜造が阪急神戸線と神戸市営地下鉄西神・山手線の直通運転案の検討に入る考えを示したことが報じられている。また、近畿地方交通審議会答申第8号では、阪急・大阪市の提案により、大阪市営地下鉄四つ橋線・西梅田駅 - 北梅田駅(仮称) - 十三駅間2.9kmの延伸が「中長期的に望まれる鉄道ネットワークを構成する新たな路線」として盛り込まれ、2004年8月には「2015年頃を目途に、四つ橋線を十三駅まで延伸し、阪急神戸本線との相互直通運転を行う」との報道もなされた。ただし、答申自体は阪急との乗り入れに触れられておらず、現実には集電方式の違いや、西梅田駅とほぼ同深度にある阪神本線のトンネルが延伸の支障になるなどの問題があったことから、報道内容や実現性などが疑問視されていた。これに関連して、2006年12月に四つ橋線の十三駅までの延伸構想に関する報道がなされており、また阪急新大阪連絡線の整備構想もあわせて報道されたことから、阪急神戸本線と四つ橋線の相互乗り入れに関する内容は収束の傾向にある。なお、この答申第8号では、京都本線と神戸本線の相互直通運転が「既存施設の改良に関し検討すべき主な事業」として挙げられている。神戸本線では最も駅間距離の長い、西宮北口駅 - 武庫之荘駅間の武庫川橋梁上に、新駅を設置する構想がある。阪神・淡路大震災後、老朽化に伴う武庫川橋梁架け替え工事を行った際、旧鉄橋の両側にコンクリート橋を架橋することによって上下線間に島式ホームが設置できる程度のスペースが確保されたため、ここへ新駅を設置しようという動きが、特に西宮市側の住民により熱心に展開されている。新駅設置に向けて、2000年には「阪急武庫川駅誘致推進協議会」が結成され、1万人を超える署名を添えた陳情が西宮市議会で採択されたほか、山田知西宮市長(当時)が意欲を見せ(2008年12月10日の市議会本会議で発言)、阪急電鉄角和夫社長も前向きな意向を示すなど、具体的に動きを見せた時期もあったが、市長交代などもありその後は暫く動きが途絶えた。ただ、2012年になり西宮市が新駅設置のための調査費を計上したことで、新駅設置へ向けて再び動きを見せるようになってきている。駅名は廃止時のもの。2015年の平日のみの乗降客数は次の通り。
出典:wikipedia
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