オスロ( 、旧称クリスチャニア、クリスティアーニアもしくは)は、ノルウェー王国の首都にして最大の都市である。王宮、行政、立法、司法などの機関が集まる。オスロ市はオスロ県と同じ範囲である。世界でも物価の高い都市のひとつであり、北欧有数の世界都市でもある。オスロ市の人口は568,809人(2008年7月) で、ノルウェーの人口の11.8%を占める。オスロ市の人口は現在も毎年約1万人ずつ増え続けており、この増加ペースはヨーロッパでもかなり速い。オスロ都市圏は郊外に拡大しつつあり、近隣のアーケシュフース県の都市(バールム、アスケー、ソルム、オッペゴールなど)とは市街地でつながっている。都市圏全体での人口は856,915人。オスロ都市圏はオスロフィヨルドを取り囲むように広がっている。オスロ都市圏の外側を含めた大オスロは6,920 kmに広がり、人口は112万人を超える。ノルウェーの人口の50%がオスロから120km圏内に住んでいる。オスロという地名の由来として、古ノルド語から来ている、オスロ中心部のビョルヴィカにつくられた最古の農場の名前であるなど、様々な説が存在する。中世には'Ásló'と綴られていたが、後に'Ósló'となった。初期のスペルの'ás'は、エーケベルグの尾根のふもとに町があることを示唆するという説や、同音異義語の「神」や「神格」に由来するものだという説もある。現在有力なオスロの意味は、「尾根の下の牧草地」もしくは「神の牧草地」であり、どちらも決定的ではない。1624年の大火では多くの市民や町が失われ、市の中心はアーケシュフース城の近くに移転された。デンマーク=ノルウェー王であったクリスチャン4世は、再建された都市を「クリスチャニア」(Christiania)と改名した。1878年からは「Kristiania」の綴りも使われた。公式の裁定がなされなかったため、統一されることはなかった。クリスチャニアは1924年の法改正で「オスロ」に改称されることが決定し、1925年1月1日から施行された。都市はかつてとても寒く、危険な都市であったために1870年代にビョルンスティエルネ・ビョルンソンによって「虎の都市」("Tigerstaden")と渾名された。この名前は数年後には公式に呼ばれるようになり、街の創立1000年記念事業ではシティホールのまわりには虎の彫刻が製作された。1890年代、街にホームレスや乞食("Beggar")があふれ出すと、「虎の都市」をもじって"Tiggerstaden"もしくは「乞食の都市」("Beggarstaden")と揶揄されるようになった。このころの街の様子はクヌート・ハムスンの『飢え』に描かれている。ノルウェーのサガによると、ハーラル3世によりオスロが設立されたのは1049年のことである。しかし近年の考古学調査によれば、キリスト教の葬式が1000年よりも前に行われていたことが分かった。このことから、2000年にはオスロ千年祭が行われた。当時のオスロの町はビョルヴィカの入り江の東にあるガムレビエン地区に建っていた。オスロが公式に首都となったのはホーコン5世の時代(1299年 - 1319年)である。彼は最初にオスロに常住した王でもあり、アーケシュフース城の建設を指揮した。後にノルウェーはデンマークから内政干渉を受けるようになり、同君連合において王宮はコペンハーゲンに置かれ、オスロは州都に降格、デンマーク本土に比べて都市の成長が停滞する。これはノルウェー全体に対しても同じことがいえる。オスロ大学が1811年まで建設されなかったことを見ても、それは明らかである。オスロは何度か大災害に見舞われている。1624年の大火は被害が大きかったが、クリスチャン4世による復興で、市街地はかつての場所から現在の場所に移転し、碁盤目状の街路が作られた。この際に街はクリスチャニア(Christiania)に改称され、文化と貿易の中心として発展を遂げた。1624年以降に構築された都市はその直角、直交する道路などからKvadraturenと呼ばれることがある。1814年にデンマークとの連合が解消され、スウェーデンとの同君連合下での自治を獲得すると、クリスチャニアは再び名実ともに首都となった。宮殿、議事堂、オスロ大学、国立劇場やオスロ証券取引所などの有名な建物はこの時代に建築された。この時代にオスロに在住していた文化人には、ヘンリック・イプセンやクヌート・ハムスンなどがいる。1850年にはベルゲンを抜き、一番人口の多い都市に成長した。ノルウェーの完全独立後の1925年、オスロの名に復した。オスロフィヨルドの最北奥に位置し、南側で海と接する。その他三方は丘もしくは山で囲まれている。市域にはおよそ40もの島が存在する。市で一番大きな島はマルモヤ島(0.56 km)である。市域には343もの湖が存在し、一番大きな湖はマリダルズヴァンネ(3.91 km)で、オスロ市の重要な給水源ともなっている。たくさんの湖がある反面、市域には川が2本しか存在しない。アーケル川は東オスロと西オスロを分ける境界線である。アルナ川はオスロ市の郊外、工業地区を流れている。市内の最高地点はキルケベルゲット(教会の山)で、629m。近隣諸国の首都と比べるといささか人口が少ないように思えるが、これは市内の3分の2が自然保護区に指定されているためである。市の周辺はたくさんの自然や公園で囲まれていて、市街に近い地域でもしばしば野生のヘラジカに遭遇する。オスロは亜寒帯に位置し、大陸性混合樹林気候に分類される(ケッペンの気候区分ではDfbに分類される)。高緯度にあるため、日照時間は夏の18時間から冬の6時間まで、変化の幅が広い。また、北極圏に近いにもかかわらず、メキシコ湾流が南から温かい海水を運んでくるため気候は比較的温暖である。オスロの夏は比較的涼しく、最暖月でも平均最高気温は72 (22℃)、平均最低気温は54 (12℃)程である。しかし熱波が押し寄せることもあり、77 (25℃)を超えることもしばしばある。これまででオスロで記録された最高気温は1901年7月21日の95 (35℃)。オスロフィヨルドが海を取り囲むような形になっているため、海水温は長期間高温を保つことが出来る。2008年夏には、水温が75 (24℃)を記録している。春と秋は概して肌寒い。冬は寒く、降雪もある。気温は19 ‐ 30 (−7℃ ‐ −1℃)くらいで推移する。これまでの最低気温は1871年2月に記録された−18 (−27.9℃)。近年は平年値よりも高温になる傾向がある。年間降水量は763mmで、一年間を通してまんべんなく雨が降る。11月から3月の間にかけては雪が降る。毎年、冬には海が一部氷結する。オスロはヨーロッパの海事知識の中心地であり、造船会社、船主または代理人、ブローカーなどおよそ980社、8500人が海事セクターに関わっている。船級サービスの大手であるデット・ノルスケ・ベリタスはオスロに本拠地を置く。オスロ港はノルウェーで最多の旅客数・貨物量を扱う。毎年6000隻近い船がオスロ港に入港し、600万トンの貨物と500万人もの乗客がこの港を利用する。ノルウェー最大の株式市場である、オスロ証券取引所が立地する。2003年のオスロ市内の域内総生産は約2680億ノルウェー・クローネ(約339億ユーロ)であり、国内総生産の約17%を占めた。1995年には約1659億ノルウェー・クローネ(約210億ユーロ)であった。オスロ首都圏でGDPの25%を生み出し、税収に寄与してきた。それと比較して、ガスや石油などの天然資源産業からの税収は全体の16%であった。この地域はヨーロッパで1人あたりGDPが一番高い(49,465ユーロ)地域でもある。もしノルウェーがEU加盟国であれば、小ロンドン、ブリュッセル首都圏、ルクセンブルクに次ぎ4番目に高い数値である。オスロは世界でも生活費が高い都市のひとつにあげられる。2008年のMercerの調査では10位、2006年のEIUによる調査では1位にランクされた。これはEIUの調査では住宅費などのいくつかの要素が除外されていることが要因としてあげられる。オスロはノルウェーで最も住宅価格が高い地域ではあるが、モスクワや他の物価の高い都市にランキングされた都市に比べると、価格はずっと低い。しかし、物価やサービス価はかなり高く、2006年8月に出されたスイスのUBS銀行による調査 では、オスロとロンドンは最も物価の高い都市となっている。また、給料の額はチューリッヒ、コペンハーゲンと並んで最も高い。オスロ市内には50を超える高等教育機関が存在する。オスロは下記の都市や地域と姉妹都市関係になっている。
出典:wikipedia
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