威海市(いかいし)は、中華人民共和国山東省最東部に位置する地級市。かつては威海衛(いかいえい)といった。近代にはイギリスの租借地となった。山東半島の東部一帯を占め、北東南は黄海に面し、北方は遼東半島と相対し、東方は朝鮮半島に近い。北岸の市区部の湾内には劉公島が浮かぶ。山東半島最東端の成山角(岬)は古来から朝鮮半島との交通の要衝であった。唐代以来、登州東部の文登県、栄成県の領域であった。明代の1398年倭寇防衛のため、山東半島に成山衛、靖海衛とともに威海衛が設置されたのが始まりである。清末には李鴻章率いる北洋海軍基地となり、1890年劉公島に北洋水師学堂が設置された。日清戦争末期、丁汝昌率いる清国北洋艦隊は威海衛湾内に閉じこもったが、海陸から日本軍の攻撃(威海衛の戦い)を受けて壊滅した。下関条約締結後、日本が一時保障占領した。1898年にイギリスが清国から租借し、イギリス海軍の管轄下に置かれ「ポート・エドワード」と呼ばれた。1900年には行政長官署が設置されてイギリス植民地省の管轄下に入った。清朝最後の皇帝となった愛新覚羅溥儀の家庭教師をつとめたイギリスの中国学者であるレジナルド・ジョンストンが1926年から行政長官をつとめた。ワシントン会議でイギリスは威海衛の返還を声明していた。1927年、蒋介石によって建てられた南京国民政府が、翌年に北伐を完了させた後、1930年10月1日に返還式が行われた。日中戦争では再び日本軍が占領している。1945年に中華民国政府の下で威海衛市が成立し、中華人民共和国成立後の1950年、威海市(県級市)と改名、1987年現在の地級市に昇格した。中韓国交樹立(1992年)以前の1990年には大韓民国仁川直轄市との直通フェリー「金橋」号が就航し、韓国との関係を深めた。仁川港まで14時間の航海である。また、威海大水泊空港から韓国への航空便が運航されている。改革開放以来、外国投資を集め、中韓国交樹立後は韓国からの直接投資が集中した。このため2003年の輸出額は25.3億ドルに達し、外国からの投資額の50%以上を韓国資本が占める。在住韓国人も多い。威海港は青島に司令部を置く中国人民解放軍海軍・北海艦隊の重要な基地でもある。渤海湾南部で開発が進む海底油田地帯にも近い。東部の栄成市は中国最大の漁獲量を誇る。威海地級市は2市区と2県級市から成る。
出典:wikipedia
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