田中 一徳(たなか かずのり、1981年10月28日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(外野手)。PL学園高校2年時に出場したの第80回全国高等学校野球選手権大会準々決勝の横浜高校戦で松坂大輔から4安打を記録する。大会後に第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表に2年生では大島裕行と2人のみ選出された。。の第71回選抜高等学校野球大会では準決勝進出。。同年のドラフト会議で1位指名受け横浜ベイスターズに入団した。PL学園の同期に七野智秀、覚前昌也、田中雅彦がいる。1年目のから一軍出場を果たし、プロ初ヒットも記録している。また、フレッシュオールスターゲームにも出場した。に主にレフトや代走要員として一軍に定着、この年自己最多の112試合に出場。にそれまでの両打ちをやめ左打席に専念した。はチームが3年連続の最下位でチーム改革が進んだことや、野中信吾ら俊足のライバルの加入・台頭もあり、自身初のシーズン一軍出場なしに終わる。翌も一軍出場はなく9月に戦力外通告を受け退団。同年の12球団合同トライアウトに参加するが、獲得する球団はなくアメリカに渡る。この様子は2007年1月6日にTBSで放映されたドキュメンタリー番組『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』で特集された。2007年、アメリカ独立リーグのアトランティックリーグに加盟しているヨーク・レボリューションに入団。背番号は、日本時代と同じく9、守備位置は主にレフトでスタメン出場も多く、最終的に110試合に出場。成績は打率.251、打点31、盗塁18を記録した。2008年も同チームに在籍。しかし出場試合数は57試合と前年より半減。成績も打率.226、打点3、盗塁8と落としてしまった。同年11月に開催された12球団合同トライアウトに参加するが5打数でノーヒットに終わる。この時競輪選手のスカウト活動に訪れていた中野浩一には「ゴムまりのような肉体で競輪選手向きの体つき」として注目された。結局獲得する球団は現れなかったため現役引退を決意し、その旨をPL学園の先輩である桑田真澄に報告した。この様子はTBSの『NEWS23』で放映された。桑田からは「引退でもそれはマイナスということではないし、野球で学んだことを次のステップで生かしていけばいい」という言葉をかけられた。引退後は野球教室「MJ Athleteベースボールスクール」のヘッドコーチとして指導に当たり、2014年からは拓大紅陵高校のコーチを務めている。
出典:wikipedia
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