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仙台駅

仙台駅(せんだいえき)は、宮城県仙台市青葉区中央一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・仙台市交通局(仙台市地下鉄)の駅である。仙台市地下鉄の駅番号は、南北線がN 10、東西線がT 07である。JR東日本の駅は、東口および一部ホームが宮城野区榴岡一丁目にまたがっている。また、仙台市地下鉄東西線の駅は青葉区中央三丁目となっている。東北地方最大の都市・仙台市の代表駅である。東北新幹線は当駅を通る全営業列車が停車する。仙台都市圏と首都圏との間の高速アクセス手段は、東北新幹線が大宮駅 - 上野駅間を延伸開業した1985年(昭和60年)に、航空路線の仙台空港 - 羽田空港便が廃止されてからは、新幹線が独占的に担っており、当駅の新幹線利用客は1日平均4万人以上となっている。在来線は後述するように、仙台周辺の宮城県内の各都市や仙台空港、山形市、福島市、一関市などとを結ぶJR各線が発着する。市内各所を結ぶ地下鉄も乗り入れ、東北地方最大のターミナル駅となっている。「ショッピング、食事、ホテル等の施設も充実し、文化の発信基地としての役割も担う駅」として、東北の駅百選に選定された。なお、1961年(昭和36年)に客貨分離されている。仙石線を除くJR在来線の軌道敷は、北は宮城野橋(X橋)付近から南は北目町ガード(六道の辻)付近まで及び、仙石線仙台駅は仙台トンネル内を仙台駅東口駅前広場の地下から宮城野通り西端地下まで及ぶ。地下鉄仙台駅は、南北線が愛宕上杉通り地下を北は中央通りから南は仙台駅西口バスプールまで(仙石線あおば通駅と青葉通り地下で直結)、東西線が南町通り地下を通っている。仙台駅周辺での鉄道施設等の鉛直方向の分布については仙台トンネル#仙台駅周辺を参照。新幹線は、線路名称上は東北新幹線のみであるが、新幹線ホームには同新幹線の列車のほか、盛岡駅から分岐するミニ新幹線である秋田新幹線直通列車(こまち号)や、北海道新幹線直通列車(はやぶさ号)も停車する。在来線には次の各線が乗り入れている。正式な線路名称上は以上の3路線であるが、東北本線を介して以下の路線も乗り入れている。江戸(東京) - 仙台の所要時間は、江戸時代には上りが約半月かかった(仙台藩の参勤交代では8-9日間)。1876年(明治9年)の奥羽巡幸において明治天皇が馬車で各地を回ると、1877年(明治10年)に仙台・国分町と岩沼とを結ぶ馬車会社が開業し、さらに馬車会社の万里軒が1881年(明治14年)に仙台 - 白石、1883年(明治16年)に仙台 - 福島の運行を開始した。このような都市間乗合馬車を乗り継くことで、東京 - 仙台の所要時間は3泊4日に短縮された。1887年(明治20年)12月15日、日本鉄道の駅として仙台駅が開業。このとき東京府・上野駅から宮城県・塩竈駅まで通じ、上野 - 仙台間の所要時間は12時間20分となった。すると鉄道と並行する都市間乗合馬車は急速に衰退して廃業し、仙台 - 塩竈間に並行していた馬車軌道の木道社(宮城木道)も廃業に追い込まれた。仙台駅周辺における当初の敷設計画では、多くの都市と同様に市街地端へ線路を設け(現在の宮城野貨物支線に近いルート)、当時の宮城郡苦竹村、現在の仙台貨物ターミナル駅付近に停車場を設けようとした。しかし、仙台城下町以来の街の衰退を恐れた地元商人がこれに反対し、費用負担を申し出て日本鉄道に変更を求めた。これが仙台区のほとんどの組(現在の町内会)を巻き込んだ運動になった。一方、士族を中心にした東京在住の仙台出身者は、都市の将来発展のためには原案が望ましいと論じていたが、最終的には当時の宮城県知事松平正直も変更を支持し、地元の費用負担なく東六番丁通りの現在位置に決定した。初代の駅舎は木造平屋建ての小さな建物で線路の西側に位置し、幅35m・奥行き8m・面積236m²であった。また、駅前広場には馬車を回すロータリーがあった。1894年(明治27年)、駅舎は改築され、木造ペンキ塗、中央部は2階建て両翼は平屋、面積8,407m²という、当時としては大きく立派なものとなった。この駅舎には増・改築が重ねられたが、1945年(昭和20年)の仙台空襲により焼失した。この間、1906年に日本鉄道は国有化され、国鉄東北本線となった。1925年に仙台地区では初の直流電化路線である宮城電気鉄道(後の仙石線)が西塩釜駅まで開業し、1929年には仙山東線(後の仙山線)が愛子駅まで敷かれた。所要時間は1926年に上野 - 仙台間が8時間弱となり、乗降客数は1928年に1日平均9,649人を数えた。この頃の仙台駅は東北地方で最多の旅客をさばいたが、貨物では青森駅・塩竈駅(旧駅)などに引き離され、6位に留まった。1909年(明治42年)の汽車貨物では、米529トン、雑穀160トン、麦粉328トン、食塩383トン、酒406トン、鮮魚458トン、鉄類369トン、陶磁器298トン、硝子器150トンなどを送り出した。1926年(大正15年)11月25日には仙台市電が仙台駅前駅 - 荒町日赤病院前駅において開業し、駅前広場に隣接する駅前通りに仙台駅前停留所が設けられた。宮城電気鉄道は、駅の東側から地下に入り国鉄線西端から西口広場地下にかけてプラットホームを設置しており、そこから階段を上がると西口に出られるようになっていた。西口には宮城電気鉄道の独自の駅舎が設けられていた。1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲で仙台市街は大きな被害を受けた。仙台駅も死者4人を出して破壊され、他の駅から資材を回すなどしてバラック建ての駅舎を急造した。終戦直後の仙台駅発着の車両は、石炭不足で削減されて超過密状態で、利用客の8割が食料買い出しに向かう人々であった。その一方で、進駐軍は車両やホームを専用で留め置いて効率的運用を妨げ、その将兵の中には駅員に横暴を働く者もあった。1948年(昭和23年)に新駅舎の建設が始まり、翌1949年(昭和24年)に竣工した。新たに駅前広場へのメインストリートとして青葉通りが敷かれ、1950年に駅前の舗装が完成したことで、駅および駅前広場の復興は一段落した。駅舎は木造モルタル2階建、面積2,023.9m²であった。この駅舎は仮駅舎の予定であったが、結局1972年(昭和47年)まで使用されることになった。1952年(昭和27年)6月1日には仙石線の地下ホームへの発着が廃止となり、工事のための運休を経て、9月26日から従来仙台東口仮乗降場として使用していた設備を仙石線仙台駅として運転するようになった。1951年(昭和26年)、東北子供博覧会開催時に、博覧会事務局は駅前広場の一部を11か月の期限付きで借りて建物を作った。しかし、博覧会終了後、河北新報社長菅野千代夫を社長とする河北実業株式会社が設立され、土地の賃借権を主張して返還を拒み、建物を店舗用に賃貸した。これが駅前ショウハウスである。地元有力紙の関連企業を相手にした明け渡し交渉は難航し、1972年までそのままとなった。復興計画の一環として、国鉄は1946年(昭和41年)、仙台駅前後の曲線区間を避け短絡する宮城野貨物線を敷き、そこに貨物駅を設置し、仙台駅を旅客専用にする計画を作成した。その後、貨物取り扱いの増加により12年後の1958年に工事が始まり、1961年に宮城野駅が開業した。これに伴い、仙台駅は貨物の取り扱いを廃止した。新幹線の登場まで、仙台駅に停車する急行・特急は少しずつ速くなっていった。上野駅-仙台駅間の所要時間でその一部を拾うと、戦時中の1945年(昭和20年)1月に急行202列車は8時間33分かかった、初の特別急行列車である特急はつかりは、1958年(昭和33年)の登場時に5時間25分で走った。1965年(昭和40年)には、東北本線の電化により常磐線を経由しない特急電車ひばりが現われ、4時間35分とした。東北新幹線開業に伴う駅舎新築のため、1972年に西口駅前広場に仮駅舎を設置、仮駅舎の後方の旧駅舎を取り壊し、新築駅舎は1977年に竣工、在来線のみの駅として部分供用を開始した。新幹線工事のために、1973年2月1日始発駅発の列車から、深夜に仙台駅を通過する旅客列車は宮城野貨物線へ迂回となり、1978年(昭和53年)10月2日から仙台駅経由に戻った。この間、長町駅に代わりに停車して長町 - 仙台間で代行バスの運転が行われ、また多客期や荷物列車については仙台駅経由が続けられていた。駅前ショウハウスの店子は仮駅舎設置時に強制執行で立ち退かされた。仙台市電は、1976年(昭和51年)4月1日に廃止となり、仙台駅前停留所も撤去された。新駅舎の全面供用は、およそ5年後の新幹線開業時である1982年となった。1990年代に入ると駅構内の東側の留置線が整理され、家電量販店やアミューズメント関連施設の用地となった。利用客は1986年、新幹線・在来線合わせ、1日平均17万5千人となった。新幹線停車駅は、仙台駅、宮城野駅、長町駅が浮上し、それぞれ「新幹線現仙台駅建設促進期成同盟会」、「新幹線東部地区設置期成同盟会」、「新仙台駅誘致仙南期成会」を結成して運動した。宮城野駅、長町駅は、ルート上に曲線区間が少なく減速を最小として通過できること、敷設距離短縮による工事費節減のメリットがあった。しかし、新幹線停車駅へ全列車停車すること、仙台市都心部へのアクセス利便性の確保から、新幹線停車駅は仙台駅に決定した。1987年(昭和62年)7月15日、愛宕上杉通り下に地下鉄南北線が開業。2000年(平成12年)3月11日には、仙台トンネル完成に伴い仙石線が地下ホームに移設された。2004年(平成16年)、仙台空港鉄道(仙台空港アクセス線)の開業に先んじ、ホームの改良工事を実施。1番線と2番線(当時)の間にあった中線を活用するため、2番線(当時)の北側部分(盛岡方面)を埋め、切欠きホームとした。中線に接するホームを新2番線とし、旧2番線を3番線に、以降在来線のホーム番号が1つずつ大きい数字に繰り下げられている。2007年(平成19年)3月18日、仙台空港鉄道が開業し、仙台駅への乗り入れを開始した。2008年(平成20年)に入ると、地下鉄東西線開業に向けた工事が本格化していった。2011年(平成23年)3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生。JRは、新幹線ホームの化粧天井が落下し、駅周囲の地上の歩道が一部電話ボックスが膝の高さまで沈下するほど波打ち、2階ペデストリアンデッキも一部変形するなど、広範囲に大きな被害を受け、営業休止を余儀なくされ、市地下鉄も設備点検のため運休となった。3月14日、地下鉄南北線が一部区間(台原 - 富沢)で運転再開したことにより、地下鉄仙台駅は営業再開。3月25日、S-PAL地下1階「エスパルキッチン」の一部店舗が先行して営業を再開。3月28日、仙石線が一部区間(あおば通 - 小鶴新田)で運転再開したことに伴い、利用を大幅に制限した上で駅施設の営業を再開した。続いて3月31日には東北本線下りの一部区間(仙台 - 岩切)、4月2日には東北本線上りの一部区間(名取 - 仙台)、4月4日には仙山線が一部区間(仙台 - 愛子)で運転を再開。東北新幹線についても運転再開の見通しが立ち、復旧が進んだ。4月7日、東北地方太平洋沖地震の余震により、JR仙台駅は案内板が崩落、スプリンクラーが誤作動によって浸水するなど再び被害を受けた。これにより、JR・仙台市地下鉄ともに運転を取りやめた。翌4月8日、地下鉄南北線が一部区間(台原 - 富沢)で運転再開。4月12日、東北本線上りの一部区間(郡山 - 仙台)と常磐線の一部区間(亘理 - 仙台)で運転再開により、再び営業を再開。4月14日に仙山線の一部区間(仙台 - 愛子)、4月15日に仙石線の一部区間(あおば通 - 小鶴新田)、4月21日に東北本線下り(仙台 - 一ノ関)が運転再開されたことにより、仙台駅を発着するJRの全在来線が運転を再開した。4月25日、震災以降初めて東北新幹線上り(東京 - 仙台)が運転を再開。4月29日には下り(仙台 - 一ノ関)が運転再開されたことにより、東北新幹線が全線復旧した。7月23日には仙台空港アクセス線が一部区間(仙台 - 美田園)で運転を再開したことで、仙台駅に乗り入れる全路線が復旧した。地下鉄仙台駅・南2出入口はEBeanSが一部解体工事を行っていたために5月26日から11月18日まで封鎖された。2009年夏、JR東日本は仙台市地下鉄東西線開業に呼応する形で東口一帯の所有地再開発に着手する構想を発表した。計画の変更等を経て2012年1月、再開発計画を正式発表。再開発予定地に含まれたZepp Sendai及びE-GATE(商業施設)は2012年に閉鎖、解体。2013年3月27日、再開発工事が着工した。これに合わせ、仙台市は西口・東口駅前広場の再整備を行い、バスターミナルの増設や移設・改編等に取り組む。仙台駅の東西をつなぐ自由通路の幅を6mから16mに拡幅した。通路は3階層分の吹き抜け構造で、2016年3月18日に完成した。自由通路拡幅の工費の3分の2は、仙台市が負担した。東西自由通路の両側、在来線ホームの上に2棟の商業施設を建設する。北棟は4階/地下1階建、南棟は6階/地下1階建で、自由通路を合わせた延べ床面積は約43,000m。自由通路と同様に、2016年3月18日完成。北棟2階部には新改札口(東口)、南棟上層階には約250台分の駐車場を新設。新商業施設はS-PALとの連動を視野にいれている 。ホテルは、E-GATE跡地に建設予定。14階/地下1階建、延べ床面積は約14,000m、客室は280室。ホテルメトロポリタン仙台の別館を想定しているが、コンベンション施設やウエディング施設を併設する本館とは異なり、宿泊特化型となる。宿泊料金は本館よりも高く設定される見込み。低層階は商業施設となり、北棟商業施設と一体となる。2014年春着工、2017年完成予定。オフィスは、Zepp Sendai跡地に建設予定。13階/地下1階建で、1階には多目的ホールを設置する。着工時期は未定。完成は2018年度以降となる見込み。新幹線連絡改札口の増設(東京方面側)及び移設(新青森方面側)、構内店舗・みどりの窓口の改修、ベビー休憩室の新設などが行われた。2014年4月には、駅舎天井の改修工事にも着手。仙台城の大広間をイメージした格子天井を茶色を基調とした色合いにし、東口再開発とのデザインに連続性を持たせる。また、「おみやげ処 せんだい」がリニューアルしたほか、「駅弁屋 祭」の出店、2015年12月4日には「ずんだ小径」がオープンするなど、駅構内店舗の改装・新規開店も行われた 。仙台市は、西口地下歩道・地下鉄入口(地下1階)と西口バスターミナル(地上階)、ペデストリアンデッキ(2階)、新幹線改札階(3階)とを結ぶエレベーターの新設工事を行う。駅舎は地上4階建/地下1階、南北方向に広がっている。駅西口に駅ビルが併設され、S-PAL仙台本館(地上6階/地下1階)・ホテルメトロポリタン仙台(地上21階/地下2階)が南側に、S-PAL II(地上2階部)が北側に位置する。また、東口再開発に合わせてS-PAL仙台東館(地上6階・一部4階/地下1階建、2016年3月18日開業)及び宿泊施設棟(地上14階/地下1階建、2017年開業予定)・オフィス棟(地上13階/地下1階建、2018年度以降開業予定)も建設される。コンコースは在来線が2階、新幹線が3階にある。在来線改札口は西口側に「在来線中央改札口」(中央口から改称)、S-PAL地下1階に「地下南口」、東口側・仙石線地下改札口に「JR仙石線仙台駅改札口」(仙台駅東口改札から改称)の3か所で、東口再開発に合わせて東口2階コンコースにも新設される。みどりの窓口は、3階中央みどりの窓口と3階新幹線乗換口(新幹線乗換口は在来線改札内のため、当日分のみ)の3か所で、JR仙石線仙台駅改札口(仙台駅東口改札)と地下南口改札にはない。中央口北側に「びゅうプラザ仙台」がある。かつては1階にJR北海道が運営する「JR北海道プラザ仙台支店」があり、みどりの窓口としても機能していたが、現在は閉店している。新幹線中央改札口に指定席券売機があるが、これはえきねっとで申し込みをした乗客の為の切符受け取り専用機となっている。なお、3F新幹線南口改札口にあった指定席券売機とえきねっと専用受取発券機は2015年12月6日から供用を開始した南口改札口と2F在来線コンコースとを接続する乗換通路の工事に伴い、みどりの窓口側に移設された。仙台市地下鉄への乗換は、地下南口から西口地下歩道を経由して地下鉄東改札へのルートが便利。仙台市地下鉄仙台駅とは地下自由通路・西口地下歩道で接続しているため、地下自由通路を利用すればあおば通駅からJR仙台駅(仙石線を含む)への徒歩連絡も可能であるが、連絡運輸は行っていない。駅舎の屋上は、ジェイアールバス東北が管理する24時間営業の「仙台駅屋上駐車場」(駐車可能台数333台。時間貸し・月極)となっており、愛宕上杉通りと柳町通との交差点から出入庫する。地上との高低差があるため、入庫用と出庫用の二重らせんの自走ループ線によるスロープ棟が併設されている。直営駅(駅長・助役配置)であり、管理駅としてあおば通駅を管理している。JRの特定都区市内制度における「仙台市内」の駅であり、運賃計算の中心駅となる。快速「リゾートみのり」は4番線から、快速「仙台シティラビット」は5・6番線から発車する。1・3番線を除き、どの番線からも3方向への発着が可能となっている。また4番線の青森方には30km/hの速度照査が設定されている。地上ホームの駅名標や番線標には路線名は入っているが、ラインカラーは仙台空港アクセス線の青と、仙石東北ラインの水色と緑の併記をのぞき、すべて緑に統一されており、常磐線と仙山線のラインカラーは反映されていない。地下ホーム(仙台トンネル内)は地下化された2000年より駅名標や番線標に路線名や方面表記、ラインカラーが表示されている。乗車位置案内は地平ホーム・地下ホーム共足元にペイントされている。JR仙台駅の西側に平行するように南北線仙台駅が建設され、JRあおば通駅の開業によって、現在では両駅の中間に存在する形となっている。また、仙台駅東西地下自由通路を介してJRあおば通駅及び仙台駅と直結する。さらに、さくら野百貨店仙台店(北5)・仙台Loft(中央1)・仙台TRビル(中央2)・S-PAL仙台店(東西地下自由通路)とは地下階で、EBeanS(南2)とは地上階でそれぞれ接続する。改札口は、北側、南側、西側、東側の地下1階部分にそれぞれ1ヶ所ずつ(「北改札」「南改札」「西改札」「東改札」)、南北線ホーム階北側・あおば通駅との「仙石線のりかえ改札口」の計5ヶ所ある。南北線と仙石線とを乗り換える場合はあおば通駅にある連絡改札を利用したほうが近い。なお、あおば通駅との乗換改札口はJR・地下鉄各社局の自動改札機がそれぞれ単独で向かい合わせに配置され、両社局の改札の間に各社局の自動券売機が設置されている。また、各社局ごとに自動精算機も設置されている。仙石線のあおば通駅延伸に開設されたこの改札口は、地上への出口がなく乗換専用改札口として運用していたが、2012年の駅改良工事で北改札口へ通じるエレベーターが設置され、改札外へ出ることが出来るようになった。南北線駅には、仙台駅~富沢駅間を管轄する地下鉄仙台管区駅が、東西線駅には、東西線の全区間を管轄する地下鉄東西線管区駅が併設されている(南北線の広瀬通駅以北は、勾当台公園駅に併設される、地下鉄勾当台管区駅が管轄)。愛宕上杉通り道路下に位置する。コンコースが地下1階、東西線のりかえ階が地下2階、ホームは地下3階(島式1面2線)となっている。2007年12月より、世界初の線路脇に設置された電子ペーパーによるデジタルサイネージとしてインターネットを活用した広告がホーム3ヶ所に設置されており、その後も改修工事を施した上で継続して稼動している。南町通り道路下、南北線の1層下に十字に交差する形で位置する。コンコースが地下1階、南北線のりかえ階が地下2階、ホームは地下4階(島式1面2線)となっている。
混雑対策のためホーム有効長が長めに作られており、東行・西行の電車はそれぞれの進行方向前よりに、約1両分ずれた位置に停車する。出入口は、北1 - 9、中央1・2、南1 - 6、西1、東1の全19ヶ所。北1出口北2出口北3出口北4出口北5出口北6出口中央1出口中央2出口南1出口南2出口南3出口南4出口南5出口南6出口西1出口(南町通口)東1出口(JR連絡口)仙台駅を東西に移動するため、またはJRと地下鉄の接続のための移動手段として、6つの自由通路が設置されている。北から順に記載する。名掛丁地下道とも呼ばれる、1935年に完成した仙台駅北西部と同駅北東部とを結ぶ地下通路。北部名掛丁自由通路の完成以前は、当地下通路が仙台駅北部の東西移動の役割を果たしていたが、うす暗く階段しか設置されていないことから、現在では北部名掛丁自由通路を補完する通路となっている。正式名称は、仙台駅北部名掛丁自由通路。AERと仙台マークワン付近の仙台駅北西部と同駅北東部を結ぶ、約90mの自由通路。駅西口に広がるペデストリアンデッキから直結し、東口北側の地上に至る。東側入口にはエレベーターが設置されている。名掛丁地下通路を補完する形で整備され、2008年8月10日に開通した。その他、自由通路内にS-PAL IIの北側出入り口が設けられている。正式名称は、仙台駅西口中央地下歩道。JR仙台駅・地下南口改札と地下鉄仙台駅とを結ぶ地下自由通路。S-PAL仙台店(仙臺みやげ館、エスパルレストラン街)、仙台Loft、地下鉄仙台駅定期券発売所に面している。地下鉄東1出口と接続しているほか、地上出口は中央1出口となっている。仙台駅東口から東七番丁通りを越えるためにつくられた地下歩道。ヨドバシ仙台第2ビルとも接続する。仙台駅は駅弁の種類が日本で最も多い駅である。仙台 - 首都圏・東北各都市間のビジネス客による需要や、東北新幹線車内の需要、観光客による需要が多いこと、仙台は山海の食材が豊富に揃う、といった点から駅弁の種類が増加していった。「伯養軒」と「こばやし」の2つの業者が1つの駅で競い合っていたことに加え、現在は先の2社の他に「日本レストランエンタプライズ」(NRE) が加わっている。「牛タン」弁当が売上一番であるが、他にも駅弁が数多く作られている。この他に、NREがJR東日本管内の有名駅弁を集めて販売している売店「駅弁屋 旨囲門」や「駅弁屋 祭」が中央改札外にあり、全国の主な駅弁も当駅で購入できる。駅弁以外にも、歩きながら食べられる安価なグルメとして「ずんだシェイク」が認知されている。中央通りの笹かまぼこ屋の「ひょうたん揚げ」、一番町のお茶屋の「抹茶ソフトクリーム」と並び、仙台の三大食べ歩きグルメとなっている。駅3階の新幹線中央改札口の脇に、「牛たん通り」「寿司通り」と称して、仙台牛タン焼きの店とすし屋が軒を連ねている。仙台駅周辺地区は、国土交通省の『都市景観100選』に選ばれている。西口と東口のペデストリアンデッキの階段、および、地下鉄の出入口付近にはロードヒーティングが設置されている。西口(中央口)側は、伊達政宗が仙台城下町を開府して以来の仙台の中心地である。メインストリートである青葉通りは、大手銀行や証券会社が連なり、金融街を形成している。1887年(明治20年)12月15日に東北本線の仙台駅開業の際、駅舎が現在の西口に設置されて成立した。西口にはその後、1925年(大正14年)6月5日に宮城電気鉄道・仙台駅(1952年移設)、1926年(大正15年)11月25日に仙台市電・仙台駅前駅(1976年廃止)、1987年(昭和62年)7月15日に仙台市地下鉄・仙台駅、2000年(平成12年)3月11日にJRあおば通駅が設置され、仙台の玄関口として機能している。2階コンコースと直結するペデストリアンデッキは、新幹線開業前の1977年12月に完成したもので、その面積・総延長距離は日本一である。ペデストリアンデッキは、アエル、さくら野百貨店、Loft、LABI、EBeanS、仙台パルコといった、駅前に立地する大型店をはじめとするビルの2階部に接続している。駅西口と中央改札口との間にある「ステンドグラス前」は、仙台市都心部の待ち合わせ場所として利用されている。以前はステンドグラス横に伊達政宗像(2代目)があり、「伊達前」と呼ばれていたが、2008年10月から12月の仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに向けた駅改修のため、同年3月1日をもって大崎市に譲渡され、同月16日より同市にある陸羽東線有備館駅に移設された。また同年2月1日より、4代目の駅舎に設置されていたものを復刻したアナログ式の大時計が2階中央改札口前のコンコース壁面に設置されている。「ステンドグラス前広場」は催事場として、各種の物販イベントやギャラリーなどに用いられる。また、ステージを設置して、無料のミニコンサートもしばしば開催される。定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台や仙台ゴスペル・フェスティバルでは、ペデストリアンデッキ上で演奏が行われる。仙台駅西口駅前広場には、北から「一般車降車場」(一般車用の降車ロータリー)およびそれに囲まれた仙台駅自家用車駐車場(平面駐車場。60台駐車可。最初の20分間は無料、以後200円/30分)、「ロータリー降車場」(タクシー、観光バス、一般車の降車)、「タクシープール」、「仙台駅西口バスプール」が並んでいる。2008年のデスティネーションキャンペーンに合わせ、一般車から降車する場合は、「一般車降車場」または「ロータリー降車場」を使用し、一般車に乗車する場合は、仙台駅自家用車駐車場を使用するよう変更された。西口北側は、繁華街である一番町に通じるショッピングストリート中央通りが東西に伸び、多くの買い物客で賑わう。西口南側の南町通りと柳町通りの間(EBeanSの裏)には「仙台朝市」があり、生鮮食料品を始めとする店舗が立ち並ぶ。東口側には、仙台城下町の開府前に仙台平野の中心地があったが、現在の町並みとの関連は薄い。1882年(明治15年)2月25日、県内初の軌道である宮城木道(木道社)が東六番丁13番地に東六番丁停車場を設置し貨物輸送を始めるが、1887年(明治20年)12月15日に東北本線の仙台駅が東六番丁に設置されて廃線となった。その後、1929年(昭和4年)6月1日に宮城電気鉄道・東七番丁駅が設置され、仙台東口駅、仙石線仙台駅と改称しながらも東口の動線を集めていた。1978年(昭和53年)3月18日に仙台駅構内に東西自由通路が開通して西口と繋がり、仙台駅東第一土地区画整理事業により宮城野通りが開通し、2000年(平成12年)3月11日に仙石線仙台駅が地下化され、オムニバスタウン事業により東口の整備が進むと、東口の動線は現在の宮城野通口に集まるようになった。このような変化により、中小規模の店舗が多かった東口周辺にヨドバシカメラ仙台店などの大型店が進出した。2003年に撤退した旧ラオックス跡にはBiVi仙台駅東口がオープンした。他方で駅前広場の再開発も進められ、2004年7月に東口ペデストリアンデッキが新たに供用を開始し、同時に高速バス乗り場も整備された。現在、JRバス東北・日本中央バス・宮城交通などが高速バス乗り場を使用している。仙石線地上線跡地一帯では仙台駅東第二土地区画整理事業が進められ、マンション開発を中心に高度利用が進む。さらに、地下鉄東西線開業に伴い宮城野通駅が新たに開業予定。JR東日本が東口再開発事業を進め、商業施設・ホテル・オフィスの4棟の駅ビル及び在来線改札口を新設。ヨドバシカメラも連鎖再開発事業を実施するなど、長らく「駅裏」と呼ばれてきた地区が変わりつつある。東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、楽天Koboスタジアム宮城への最寄り駅は仙石線の宮城野原駅であるが、仙台駅東口ペデストリアンデッキから球場正面入口までは宮城野通りを一直線に約1.6km、徒歩20分程で行くことができる。また試合開催時に限り、東口バスプール - 宮城球場間のシャトルバス(仙台市営バス・宮城交通の共同運行、運賃100円)が運行されるほか、JRバス東北の高速バスの一部が延長運転し宮城球場前まで乗り入れる。新幹線各列車と在来線特急列車は列車記事を参照。

出典:wikipedia

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