和田 一浩(わだ かずひろ、1972年6月19日 - )は、元プロ野球選手。2010年最優秀選手。2005年首位打者。2010年クライマックスシリーズMVP。ベストナイン6回。日本シリーズ優秀選手賞2回。マネジメント契約先はスポーツビズ。愛称は同姓の演出家・和田勉にちなんだベンちゃん(ベン)、ビッグベンなど。ナゴヤドームの外野スタンドで掲げられている横断幕には「輝く男」という文字が入っていた。既婚で四児の父親でもある。岐阜県岐阜市出身。岐阜市立鷺山小学校3年次にスポーツ少年団に入り、岐阜市立青山中学校卒業を経て、県立岐阜商業高校では2年時に控え捕手として第61回選抜高等学校野球大会・第71回全国高等学校野球選手権大会に出場した。高校卒業後、東北福祉大学に進学し、仙台六大学野球連盟のリーグ戦では4年間で首位打者1回、ベストナイン2回を獲得する。4年時には主将を任され、春のリーグMVPに輝いた。大学卒業後は社会人野球の神戸製鋼に入社。社会人通算.429の打率を残し、強打の捕手として1996年のドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団。背番号は22に決まった。からは、野球解説者としてNHKと専属契約。日刊スポーツの野球評論家としても活動する。バットを上段に構えて上下に揺らし、極端なオープンスタンスから左足を高く上げ、全身を回転させるようにしてバットを背中の後ろまで一気に振り抜く、独特のフォームから弾き出す安定した打撃が特徴。いわゆる「掬い上げ打法」。中日移籍後から2010年までの通算の対右打率.315を残しており、左投手に対しても.310と左右を苦にしない上に目立った苦手コースもなく、独特の打撃フォームも手伝って右方向への打球が非常に良く伸びる。背筋の強さと右手の押し込みにより、ボールをかなり引きつけても詰まらずに強い打球を放つことができる。スイングの後は腰が落ちたような形になるので、ライト方向への長打を打ったのに三塁線へのファウルボールを打ったように見えることもあり、最後まで振り切るフォームであることとあまり足が速くない事から併殺打は多い。本人によるとこの打撃フォームは「テニスのフォアハンドを参考にしている」という。2011年には落合博満監督にアドバイスされ、二人三脚で腰への負担を考慮したスクエアスタンスへの変更にも取り組んだ。しかし、成績は大きく落ち込み、落合監督が退任した後、オープンスタンスに戻すことになった(完全に戻したわけではない)。強打者であるが、本人は「ホームランバッターではない」と語っている。本人曰く、「ホームランバッターは打ち損じがヒット。僕の場合はヒットの延長がホームラン」。2002年シーズンに和田を外野手に固定させた伊原は、捕手としての和田について後に「性格がよく、相手打者の裏をつくリードができなかった。それでは1シーズン通してでは問題がある」と語っている。左翼手として得点換算で高い数値を記録しており、3度のリーグ最多補殺を記録している。送球については谷繁元信によると「上品な球」を投げるという。「上品な球」を投げられる理由について和田は「肩が強くないので、スピンの効いた球を投げないと球が沈んでしまう」と説明している。
出典:wikipedia
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