淵上 白陽(ふちかみ はくよう、1889年(明治22年)11月14日 - 1960年(昭和35年)2月8日)は、写真家。一般に、日本の近代写真(新興写真)は淵上作品から始まる。熊本県生まれ。佐賀や長崎で写真を学ぶ。1922年には写真雑誌『白陽』創刊(1926年まで)し、「日本光画芸術協会」結成(1928年まで)。のち、山本牧彦の「日本光画協会」が継承した。1928年には渡満し、満鉄情報課嘱託となる。1933年には『満洲グラフ』創刊(1944年まで)。『満洲グラフ』については、その初期において、淵上が実質的な編集責任者であった。1932年には「満洲写真作家協会」結成、1937年には機関誌『光る丘』創刊(1939年まで)。1941年に離満。戦後も日本で活動を続けた。作風は、ピクトリアリスムを基調としながら、キュビスムや未来派の影響を受けた構成派の作品(1920年代半ば)、さらには、ストレートフォトグラフィ(特に、満洲にて)も残している。写真制作のみならず、むしろ、写真クラブの活動や雑誌の編集・発行に力を入れた。写真の普及に努めたその一生は、そのほとんどを写真に捧げたといってよい。
出典:wikipedia
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