ここでは田舎(いなか、フランス語 campagne カンパーニュ、)または鄙(ひな)や郷(ごう、さと)と呼ばれるものについて解説する。対義語は、都市、都会、都(みやこ)など。「田舎」や「村」は自然な日本語であるのに対し、「村落」のほうは、やや作為的な用語で、学術用語などとして用いられる。「田舎」「鄙」「郷」とは、都会から離れた土地を意味する、人口や住宅がまばらで辺鄙な地域を指す概念・用語である。もう少し具体的に言うと、農村・漁村・山村・離島などとなる。また、「田舎」は故郷を指す場合もある。「田舎」という概念は、都市というものが出来てはじめて(対比的に)登場した。ヨーロッパ(なかでもフランスなどでは)、夏季の長期休暇(バカンス)で、都市住民は田舎で暮らすということが定着している。日本の場合は、飛鳥時代から奈良時代にかけて、藤原京や平城京などの大規模な都市が初めて建設されたが、貴族層を中心として、これらの都市の住民の中に都市住民としてのアイデンティティが形成され、その裏返しとして、都市以外の地域や住民に対する優越意識(都市部を優先する意識)が生まれたことが、『万葉集』などから読みとれる。これにより、都市以外の地域を別世界、すなわち「田舎」と捉える概念が発生したと考えられている。『日本国語大辞典』によると、中古は平安京の外側すべてが「田舎」とされていた、という。鎌倉時代の文書には「叡山、園城、高野、京中、田舎」(『鎌倉遺文』12620号)と見え、「重要な地域」以外はすべて「田舎」と称されていたことがわかる。また、同時期の他文書によれば、京郊外や鎌倉、在地の荘園も田舎と認識されていた。17世紀初頭に成立した『日葡辞書』は五畿内以外を一般に田舎と呼ぶとしている。田舎の概念は、その後も京都や江戸その他の都市住民に受け継がれていった。日本語の「田舎」の語源について言うと、もともとは「田舎(でんしゃ)」という表現があり、文字が示す通り「田」(農地)の「舎」(建物)、即ち農耕を営む為の建物や農家を意味する語であった。日本書紀や万葉集に「田舎」の語が現れており、大半が本来の意味で使われている。『鄙』という字は訓読みでは「ひな」と読み、「鄙びた地域」「鄙にはまれな」というように用いられている。又、『鄙』という字は「蔑む」という意味で用いられる例が多い(例:鄙夷、鄙棄、鄙視、可鄙)為に、『鄙』を嫌い、『郷』を用いる場合もある。一般に、都会ではない場所、人口や住宅の少ない地域が田舎とされている。とはいえ、「田舎(地方)」と「都会(都市)」に二分するとしても、はっきりとそのような境界線があるわけではなく、線引きのしかたは様々ありえて曖昧である。「田舎」「都会」の地域範囲を規定する、法的・客観的な基準(定義)は成立しがたい。中には自分が慣れ親しんだ環境が基準だと勘違いして、きわめて主観的な線引きをしようとする人もいるが、それがきわめて不適切な場合もある。例えば日本の場合、県庁所在地は一般に、人口も多く都市になっているので、各県の県民から見れば立派な都市・都会とみなされるわけであるが、東京23区や政令指定都市といった都市の中でも突出した大都市圏の住民の主観では「田舎」と思われていることがある。「県庁所在地」および「それに準じる規模の市」や、「政令指定都市・県庁所在地の中心部から近接し、交通が容易な町・村」は、都市・都会から離れてはいないので(首都などの住民の主観はともかくとして)田舎というわけではない。田舎での暮らし・生活を、「田舎暮らし」という。ここでは都市部との比較で記述する。明治維新に伴い、京都から東京に首都機能が遷されると、第二次世界大戦までの時代には、主に行政・経済面で東京一極集中が進んだ。特に高度経済成長期以降は、経済面で東京・太平洋ベルトおよび各県庁所在地への激しい集中が進み、特に経済・産業・娯楽面における分野で、東京および太平洋ベルトの大都市と地方との間に大きな格差を招いた。1980年代頃より、都市から田舎へ回帰するUターン現象が提唱されてはいたが、その動きはごく一部にとどまっており、全体として田舎から都市への人口流出は止まらず、田舎の衰退が危惧されている。しかし、1980年代後半頃から、価値観の多様化が急速に進展し、それまで否定的な面ばかりが強調されていた田舎を見直す風潮が現れた。それが具現化したのは、1990年代後半頃から顕著となったグリーンツーリズムの動きである。これは、田舎の生活を「一時的に体験」する旅行を指しており、都会に流れた人口を、「移住」という形ではなく、観光という形で一時的に田舎へ呼び返そうという試みである。このような交流によって、変化に乏しく閉鎖的な田舎へ刺激を与えようという意図も含まれている。都市住民においても、多忙な都市生活から抜け出して、田舎を指向する傾向が強まってきており、十分に需要が存在している。ヨーロッパでは、都市住民が夏季に長期休暇(バカンス)を取得し、田舎で暮らすという生活様式が定着している。日本のグリーン・ツーリズムは、こうしたヨーロッパの生活様式を導入しようという動きである。しかし、今や田舎の魅力の大きな部分を占めるとされる伝統的なライフスタイルの多くが失われており、現在の田舎はすっかり車社会となっており、自家用車がほぼ1人1台となっている。消費活動においても大都市郊外とあまり変わるところはなく、大型店に自家用車で乗りつけ、そのまま自家用車に積んで持ち帰るといったライフスタイルが一般的である。また、都市部で生活している人々が、自分の出身地とは別の田舎に移り暮らそうという動きも一部で見られ、これを「Iターン現象」と呼ぶ。例えば、定年退職者で定年後に田舎を永住地とするよう本格的に農業を営みつつ暮らす人や、30~50代のうちに田舎で林業の仕事を始めつつ暮らす人、漁師の仕事を始める人、農業を始める人などがいる。最近では、人口減に悩む地方自治体が、全国のIターン希望者を視野に入れつつ、都市部での生活では受けられない様々な好条件(新築で現代的な鉄筋コンクリートの町営住宅などの格安提供や数年間の無料提供、医療の無料化、学校・教育費などの無料化、子育て支援費など)を高付加価値として提示しつつ、そのような生活を希望する人を募集することが行われるようになっている。NHKなどの番組で、そうした企画に応募したことで、都会で暮らしていた時よりもかなりクオリティ・オブ・ライフが向上した家族などが紹介されている。都市部より賃金が安いのは否めないが、その分住宅費は都会より大幅に安く、他の諸出費も減ることにより、可処分所得は(相対的に)さほど減らないことや、都会のストレスから解放されること、田舎の仕事は概して都心での仕事に比べて時間の流れがゆったりしていて、いろいろな意味で精神的なストレスが少ないことなどが指摘されている。子供を産み子育てをするライフステージの家族などに特に好評な募集もいくつも存在している。人間は一般に住み慣れた環境を離れることには不安を感じるが、こうした企画に参加した人々で、事前に不安を感じていたほどは実際には支障はなく幸せな新生活を見出した人々が多い。ただし医療面では、何らかの持病をかかえる人などでは都会に比べると病院の数が限られることや専門特化した病院に通いづらいことに不安や不都合を感じる人もいる。また一般に、新たな仕事を始めることはそれなりの挑戦であり、それなりの壁にぶつかる人もいる(例えば、農業を始めた人などでは自然や天候を相手にした仕事の難しさに初めて気づかされる人もいる)。あるいは田舎特有の保守的な雰囲気(田舎ならではの人間関係や慣習、プライバシーの干渉など)に馴染めない人も一部おり、再度都会に戻る例もある。ただし、Iターン家族向けの企画で、それに参加した複数の家族が同一の集合住宅(町営アパートなど)で暮らせるようになっている場合などは、同じ境遇の人どうしが近所に暮らしており、互いに分かり合え相談相手がおり、Iターン先輩から後輩へノウハウの伝授もなされて、すんなりと適応し、快適に暮らしている例は多い。また、医療面でも相当の予算を組み環境を整え、優秀な医師などを積極的に呼び寄せ、改善に成功している地方自治体もある。ドラマや映画といった「実写」のメディアでは田舎が舞台の作品は多数制作されていたが、近年では漫画・アニメなどで実在の田舎(またはモデルの地域)を舞台として描かれる作品も増えつつあり、作品の舞台が巡礼や地域おこしの対象として注目されることもある。
出典:wikipedia
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