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ニホンオオカミ

ニホンオオカミ(日本狼、学名"Canis lupus hodophilax")は、日本の本州、四国、九州に生息していたオオカミの1亜種。あるいはCanis属のhodophilax種。1905年(明治38年)1月23日に、奈良県吉野郡小川村鷲家口(現:東吉野村鷲家口)で捕獲された若いオス(後に標本となり現存する)が確実な最後の生息情報、とされる。なお、1月23日はアメリカ人の動物採集家マルコム・プレイフェア・アンダーソン(1879-1919)と同行していた金井清および猟師の石黒平次郎が、地元の日本人猟師2名からオオカミの死体を8円50銭で購入した日付であり、標本作製の際に金井が、厳冬のさなかに「腹は稍青みをおびて腐敗しかけている所からみて数日前に捕れたものらしい」ことに気がついているので、正確な捕獲日は1月23日よりも数日前である。剥製の作製は宿泊していた芳月楼(現在の皆花楼)の近くでおこなった。2003年に「1910年(明治43年)8月に福井城址にあった農業試験場(松平試農場。松平康荘参照)にて撲殺されたイヌ科動物がニホンオオカミであった」との論文が発表された。だが、この福井の個体は標本が現存していない(福井空襲により焼失。写真のみ現存。)ため、最後の例と認定するには学術的には不確実である。2012年4月に、1910年に群馬県高崎市でオオカミ狩猟の可能性のある雑誌記事(1910年3月20日発行狩猟雑誌『猟友』)が発見された。環境省のレッドリストでは、「過去50年間生存の確認がなされない場合、その種は絶滅した」とされるため、ニホンオオカミは絶滅種となっている。脊椎動物亜門哺乳類綱ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ属に属する。絶滅種。体長95 - 114センチメートル、尾長約30センチメートル、肩高約55センチメートル、体重推定15キログラムが定説となっている(剥製より)。他の地域のオオカミよりも小さく中型日本犬ほどだが、中型日本犬より脚は長く脚力も強かったと言われている。尾は背側に湾曲し、先が丸まっている。吻は短く、日本犬のような段はない。耳が短いのも特徴の一つ。周囲の環境に溶け込みやすいよう、夏と冬で毛色が変化した。ニホンオオカミは、同じく絶滅種である北海道に生育していたエゾオオカミとは、別亜種であるとして区別される。エゾオオカミは大陸のハイイロオオカミの別亜種とされているが、ニホンオオカミをハイイロオオカミの亜種とするか別種にするかは意見が分かれており、別亜種説が多数派であるものの定説にはなっていない。ニホンオオカミが大陸のハイイロオオカミと分岐したのは日本列島が大陸と別れた約17万年前とされているが、一般に種が分岐するには数百万年という期間を要し、また生態学的、地理的特徴においても種として分岐するほどの差異が見られないことから、同種の別亜種であるとする説。ニホンオオカミを記載したテミンクによると、ニホンオオカミはハイイロオオカミと別種であるという見解である。また、ニホンオオカミの頭骨を研究していた今泉吉典も頭骨に6ヵ所の相違点があり、独立種と分類すべきとしている。このように大陸産のハイイロオオカミの亜種ではなく、"Canis hodophilax" として独立種であるとすることもある。岐阜大学教授の石黒直隆によりニホンオオカミの骨からDNAが取りだされて調査された結果、大陸のオオカミとも犬とも遺伝的に異なる系統であること、本州、四国、九州の各地域で捕獲されたサンプル間の遺伝的差異は小さく、遺伝的に均一性の高い集団であることが確かめられ、この論文は、2009年度の日本動物学会誌11月号に発表された。石黒教授は朝日新聞のインタビューに、「ニホンオオカミは限られた遺伝子集団であり、日本列島で孤立化した種」、「ニホンオオカミの起源となったオオカミもすでに絶滅しているのかもしれないが、探し出したい」旨のコメントを残している。同論文中に示された遺伝子系統樹ではニホンオオカミ集団は単系統のクラスターを形成しているが、系統樹全体で見ればイヌ("Canis lupus familiaris")を含むハイイロオオカミ("Canis lupus")の種内に包摂されているため、大陸のハイイロオオカミ系統とは亜種レベルの差異であることが示唆されており、遺伝系統の考察においても慎重ながらニホンオオカミは大陸のオオカミの一系統に由来すると推測されている。その後石黒は2012年の日本獣医師会雑誌 第65巻第3号に掲載された論文の中で、「ニホンオオカミもユーラシア大陸由来のタイリクオオカミから派生した地方集団と考えて、島に閉じ込められて体型が小型化した島嶼化集団と推測するとわかりやすい」、「今後、朝鮮半島や台湾などユーラシア大陸の島嶼部で、ニホンオオカミと同じ系統を示すタイリクオオカミの依存種〔ママ〕がいないか調査してみたいものである」と述べており、2009年時点よりも明確に別亜種説を採っている。「ニホンオオカミ」という呼び名は、明治になって現れたものである。日本では古来から、ヤマイヌ(豺、山犬)、オオカミ(狼)と呼ばれるイヌ科の野生動物がいるとされていて、説話や絵画などに登場している。これらは、同じものとされることもあったが、江戸時代ごろから、別であると明記された文献も現れた。ヤマイヌは小さくオオカミは大きい、オオカミは信仰の対象となったがヤマイヌはならなかった、などの違いがあった。このことについては、下記の通りいくつかの説がある。シーボルトはオオカミとヤマイヌの両方を飼育していた。現在は、ヤマイヌとオオカミは同種とする説が有力である。なお、中国での漢字本来の意味では、豺はドール(アカオオカミ)、狼はタイリクオオカミで、混同されることはなかった。現代では、「ヤマイヌ」は次の意味で使われることもある。昭和の動物学者平岩米吉は、ニホンオオカミ絶滅前は、ニホンオオカミと山にいる野犬を混同して両方「山犬」と呼んでいただろう、とし、黄褐色の毛を持ち、常に尾を垂れているものがニホンオオカミであるが、両方とも人を噛むという点でどちらも人々から恐れられていただろう、と述べている。生態は絶滅前の正確な資料がなく、ほとんど分かっていない。薄明薄暮性で、北海道に生息していたエゾオオカミと違って大規模な群れを作らず、2、3-10頭程度の群れで行動した。主にニホンジカを獲物としていたが、人里に出現し飼い犬や馬を襲うこともあった(特に馬の生産が盛んであった盛岡では被害が多かった)。遠吠えをする習性があり、近距離でなら障子などが震えるほどの声だったといわれる。山峰に広がるススキの原などにある岩穴を巣とし、そこで3頭ほどの子を産んだ。自らのテリトリーに入った人間の後ろを監視する様に付いて来る習性があったとされる。また hodophilax (道を守る者)という亜種名の元となった。一説にはヤマイヌの他にオオカメ(オオカミの訛り)と呼ばれる痩身で長毛のタイプもいたようである。シーボルトは両方飼育していたが、オオカメとヤマイヌの頭骨はほぼ同様であり、テミンクはオオカメはヤマイヌと家犬の雑種と判断した。オオカメが亜種であった可能性も否定出来ないが今となっては不明である。『和漢三才図会』には、「狼、人の屍を見れば、必ずその上を跳び越し、これに尿して、後にこれを食う」と記述されている。日本列島では縄文時代早期から家畜としてのイヌが存在し、縄文犬と呼ばれている。縄文犬は縄文早期には体高45センチメートル程度、縄文後期・晩期には体高40センチメートルで、猟犬として用いられていた。弥生時代には大陸から縄文犬と形質の異なる弥生犬が導入されるが、縄文犬・弥生犬ともに東アジア地域でオオカミから家畜化されたイヌであると考えられており、日本列島内においてニホンオオカミが家畜化された可能性は形態学的・遺伝学的にも否定されている。なお、縄文時代にはニホンオオカミの遺体を加工した装身具が存在し、千葉県の庚塚遺跡からは縄文前期の上顎犬歯製の牙製垂飾が出土している。日本の狼に関する記録を集成した平岩米吉の著作によると、狼が山間のみならず家屋にも侵入して人を襲った記録が頻々と現れる。また北越地方の生活史を記した北越雪譜や、富山・飛騨地方の古文書にも狼害について具体的な記述が現れている。奥多摩の武蔵御嶽神社や秩父の三峯神社を中心とする中部・関東山間部など日本では魔除けや憑き物落とし、獣害除けなどの霊験をもつ狼信仰が存在する。各地の神社に祭られている犬神や大口の真神(おおくちのまかみ、または、おおぐちのまがみ)についてもニホンオオカミであるとされる。これは、山間部を中心とする農村では日常的な獣害が存在し、食害を引き起こす野生動物を食べるオオカミが神聖視されたことに由来する。『遠野物語』の記述には、「字山口・字本宿では、山峰様を祀り、終わると衣川へ送って行かなければならず、これを怠って送り届けなかった家は、馬が一夜の内にことごとく狼に食い殺されることがあった」と伝えられており、神に使わされて祟る役割が見られる。ニホンオオカミ絶滅の原因については確定していないが、おおむね狂犬病やジステンパー(明治後には西洋犬の導入に伴い流行)など家畜伝染病と人為的な駆除、開発による餌資源の減少や生息地の分断などの要因が複合したものであると考えられている。江戸時代の1732年(享保17年)ごろにはニホンオオカミの間で狂犬病が流行しており、オオカミによる襲撃の増加が駆除に拍車をかけていたと考えられている。また、日本では山間部を中心に狼信仰が存在し、魔除けや憑き物落としの加持祈祷にオオカミ頭骨などの遺骸が用いられている。江戸後期から明治初期には狼信仰が流行した時期にあたり、狼遺骸の需要も捕殺に拍車をかけた要因のひとつであると考えられている。なお、1892年の6月まで上野動物園でニホンオオカミを飼育していたという記録があるが写真は残されていない。当時は、その後10年ほどで絶滅するとは考えられていなかった。紀伊半島山間部では、1970年代に捕獲された動物がニホンオオカミではないかと騒動になった事例が複数ある(ただし、それらはタヌキの幼獣や野犬、キツネを誤認したものであった)。また、秩父山系でも、1996年にニホンオオカミに酷似した動物が撮影されたことがあり、ニホンオオカミ生存の噂は絶えない。また、九州中部の山地でも2000年に秩父と同様の事例があり(詳しくは四国犬を参照のこと)、生存しているのではないかという話もある。ニホンオオカミが絶滅したことにより、天敵がいなくなったイノシシ・ニホンジカ・ニホンザルなどの野生動物が大繁殖することとなり、人間の生存域にまで進出し、農作物に留まらず森林や生態系にまで大きな被害を与えるようになった。アメリカでは絶滅したオオカミを復活させたことにより、崩れた生態系を修復した実例があり、それと同様にシベリアオオカミを日本に再導入し対応するという計画が立案されたこともあった。しかしながら、ニホンオオカミよりも大型で体力の強いシベリアオオカミが野生化することの弊害が指摘されて中止になった経緯がある。現在も、祖先がニホンオオカミと同じという説がある中国の大興安嶺のオオカミを日本に連れてきて森林地帯に放すという計画を主張する人々がいる。また、近年では、クローン技術によりニホンオオカミを復元しようという話も持ち上がっている。ニホンオオカミは明治の早期に絶滅したため、頭骨、毛皮は数体存在し剥製は世界に4体しかない。うち国内は3体、オランダに1体が確認されている。

出典:wikipedia

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