大阪国際女子マラソン(おおさかこくさいじょしマラソン、)は、新春の大阪・なにわ路を舞台に繰り広げる国際マラソンである。1982年から開催。ただし、第1回〜第3回は「大阪女子マラソン」の名称で実施され、「大阪国際女子マラソン」となったのは1985年の第4回大会からである。本項目では、同日に開催される「大阪ハーフマラソン(おおさかハーフマラソン)」についても記述する。開催日は第1回大会を除いて、第2回大会以降は1月の最終日曜日に設定されている。レースはヤンマースタジアム長居をスタートして、3つのクライマックスとも言われる中之島、御堂筋、大阪城を抜けて、長居スタジアムに戻る42.195kmで争われる。さいたま国際マラソン、名古屋ウィメンズマラソンとともに、夏季オリンピック、世界陸上競技選手権大会、アジア競技大会の代表選考を兼ねており、毎年激しいレースが繰り広げられている。なお、参加料は7,500円である。2011年大会からは20年ぶりにコースが変更された。これにより高低差が23mから9mと少なくなり、より高速なコース設定になった(コース図、GoogleMap)。4年振りにペースメーカー抜きでレースを開催。当初は野口みずきも出場を予定していたが、大会直前に右大腿部の疲労骨折が判明したため、3年連続で大会を欠場した。レースでは、この大会を最後に第一線から退くことを表明していた赤羽有紀子が、19km手前から37kmまでタチアナ・ガメラシュミルコと一進一退の先頭争いを展開。37km過ぎでガメラシュミルコに振り切られたものの、日本人トップの2位(当初・のち優勝に繰り上げ)で引退レースを締めくくった。また、仏教大学4年生の前田彩里が、一般参加選手でトップの3位に入賞。従来の日本学生記録を5分縮めるゴールタイムで、マラソンデビューを果たした。さらに、前田の母・淳子も、一般参加ながら2時間55分24秒という好タイムで完走。前田親子の合計タイムは5時間22分10秒で、ギネスブックに登録されている「親子による同一マラソンでの合計ゴールタイムの世界記録」(5時間30分21秒)を更新した。国内招待選手の1人として出場した2012年大会優勝者の重友梨佐は、序盤こそ先頭集団の中で快走していたが、15km過ぎから急激に失速。結局、自己ワースト記録の2時間58分45秒で63位に終わった。前年同様に野口みずきがエントリーするも、急性胃腸炎により2年連続の欠場に。本番でのペースメーカーは17分/5km前後で推移、それに付いた先頭集団は5人に絞られる。30km地点でペースメーカー離脱後は福士加代子の独走態勢となり、35kmではタチアナ・ガメラシュミルコに30秒差をつけたが、福士は徐々にペースダウンし40km地点では19秒差に。結果ガメラシュミルコの猛迫に逃げ切れず、ゴール迄残り1km過ぎで福士は逆転されてしまうが、日本人トップの2位(当初・のち優勝に繰り上げ)に入る。世界陸上モスクワ大会女子マラソンで即内定条件の、日本陸連の派遣設定記録の2時間23分59秒以内に届かずも、4月25日に福士は世界陸上で初の女子マラソン日本代表に選出された。当初は「アテネ五輪女子マラソン金メダリスト」野口みずきと「長距離トラックの女王」福士加代子との対決で注目されたが、本番4日前に野口が故障欠場すると大会事務局が発表した。レース当日は過去数年間で比較的天候が良好で、好記録が期待された。序盤から4人のペースメーカーの内3人もいなくなるほどのハイペースで進み、22km過ぎの折返し地点では重友梨佐と福士の一騎討ちとなった。しかし27km手前で福士が脱落し、重友の独走状態になる。結果重友が日本女子歴代9位の好タイムで優勝を果たし、ロンドン五輪代表最有力候補となり、3月12日の理事会で正式に五輪日本代表へ選出された。福士は4年前の大阪国際と同様に、再び後半で失速してしまい9位(当初・のち8位)に終わる。なお5位(当初・のち4位に繰り上げ)に入った嶋原清子は、この大阪国際を最後に第一線から引退となった。第30回大会記念として、コースの一部が新しく変更された(前述参照)。しかし前回第29回大会より低い気温と、冷たい強風が吹く悪条件となった。前年の同大会では途中棄権の赤羽有紀子が、終始先頭集団につく積極的な走りを見せる。34km付近から赤羽と伊藤舞とのマッチレースとなるが、残り3km辺りで赤羽がスパートして伊藤を引き離し、赤羽がマラソン初優勝を果たした。なお世界陸上大邱大会女子マラソン代表の内定条件である、2時間26分以内でのゴールは出来なかったが、同世界陸上女子マラソン代表は2011年4月21日に、優勝の赤羽と2位の伊藤が二人揃って選出された。降雨による低温が選手達を苦しめ、記録的には平凡な結果に終わった。途中まで先頭を引っ張った赤羽有紀子は、大会直前に足を痛めていたこともあり、25km地点を過ぎてペースダウン、結局39km付近で途中棄権となる。日本人1位は小﨑まりだったが、2010年11月の広州アジア競技大会代表は、駅伝シーズンと重なる事も有り辞退した。また小幡佳代子は、所属先の陸上部が廃部による引退レースとなったが、出走した全てのフルマラソンを完走という名誉で締め括った。2008年11月の東京国際女子マラソンで独走しながら30km過ぎに失速して4位に終わった渋井陽子が、2か月という短期間で強行出場。30km地点で自らロングスパートを仕掛け、その後も先頭を争っていた赤羽有紀子を31km過ぎで振り切って優勝、雪辱を果たした。渋井自身、マラソンでは2004年9月のベルリンマラソン以来4年4か月ぶり、大阪国際女子では8年ぶりの優勝を果たし、これにより世界陸上ベルリン大会の日本代表に内定した。また2位の赤羽も、世界陸上ベルリン大会の代表入りを果たしている。マラソン転向が注目された福士加代子が、自身の初マラソンとして出場。スタートの長居陸上競技場を飛び出してからは福士一人だけ抜け出て先頭に立ち、序盤から独走に。大会記録が期待される程のハイペースで突っ走ったが、30kmを過ぎて急激に失速し、レース終盤に入ると次々後続選手に抜かれていった。40km以降の福士はフラフラの状態で走り続けるも、ゴール直前で4度も転倒してしまう。その度に福士は立ち上がり何とかゴール地点には辿り着いたが、結局19位と惨敗に終わる。尚、優勝は35km手前で福士を捕らえて逆転したマーラ・ヤマウチ、2位に森本友が入った。日本陸連強化本部長の澤木啓祐は、他選手らが福士を警戒し過ぎてややスローペースな展開となった点を指摘、日本人トップの森本も優勝を逃した事で「北京五輪代表選出は厳しい」との見解を示した。その後3月9日の名古屋国際女子マラソンが事実上3枚目の五輪切符をかけたレースとなり、優勝した中村友梨香が北京五輪女子マラソンに代表選出され、森本は補欠に廻された。29km過ぎまで原裕美子と渋井陽子の二人が先頭を激しく争っていたが、その後原が渋井を突き放してからは独走して優勝。同一コースで行われる世界陸上大阪大会の、女子マラソン代表第1号に原が即内定となる。なお2位に入った小﨑まりも、原と同じく世界陸上大阪大会代表に選出された。3位の加納由理は、ゴールタイムでは選考基準をクリアし、前年11月の東京国際女子マラソン覇者・土佐礼子の優勝記録を上回ったが、惜しくも補欠に留まった。渋井は30km以降完全にスローダウンとなり、数人の選手にかわされて10位に終わった。第32回大会(2013年)から第34回大会(2015年)までは、タチアナ・ガメラ(ウクライナ、以下ガメラと表記)が、3大会続けてトップでゴール。第31回(2012年)では2位に入っていた。しかし、ガメラの生体パスポート検査で異常値を示したことをきっかけに、ガメラがドーピング防止規則違反を犯していたことが第34回大会後に判明。2015年11月24日には、ウクライナ陸上競技連盟が本人に対して、2019年9月までに開催される全ての大会への出場を停止する処分を科した。さらに、ガメラが2011年8月以降に出場した大会での記録を、すべて取り消すことを発表した。日本陸上競技連盟では、上記の期間にガメラが出場した国内大会の主催者に対して、記録取り消しなどの措置を講じることを2015年12月22日付で通達。当大会の事務局でも、同選手の競技成績を記録から削除した上で、同選手よりも下位で完走した選手の各順位を1つずつ繰り上げた。その結果、第32回で当初2位の福士加代子、第33回で当初2位の赤羽有紀子、第34回で当初2位のエレナ・プロコプツカを、優勝者として正式に認定した。優勝者の氏名・国名・所属は当時、は(当時の)大会記録、は優勝回数。テレビ中継は関西テレビをキーステーションとしてFNS系列28局で放映される。THE ALFEEが第6回大会(1987年)から、大会ごとに異なるイメージソングを提供している。先頭集団が大阪城公園に差し掛かったタイミングで、中継映像から一時的に音声・テロップを消すとともに、映像と重ねながらイメージソングを流すことが特徴。2014年までラジオ大阪(制作局、以下「OBC」と略記)が実況生中継を実施。OBC所属のアナウンサーがほぼ全員出演したほか、スポーツアナウンサーの中井雅之(同局出身のフリーアナウンサー)や深山計(ニッポン放送出身のフリーアナウンサー)が実況やインタビューを担当していた。通常は日曜日の10:00 - 16:30に関西ローカルで放送する競馬中継『OBCドラマティック競馬』については、当マラソンの中継をはさむ格好で、第1部(10:00 - 12:00)と第2部(15:00 - 16:30)に分割。マラソン中継の時間帯に実施されたレースの結果を、第2部でまとめて伝えていた。第1回大会から2009年大会までは、ニッポン放送でも同時ネット。当マラソンがオリンピックの女子マラソン日本代表予選を兼ねていた2008年大会では、東海ラジオや福井放送も同時ネットで放送した。しかし、ニッポン放送では、2009年から日曜午後枠のレギュラー番組の放送を優先。このため、2009年以降の大会では、OBCが関西ローカル向けに中継を実施した。2015年からは、『OBCドラマティック競馬』の通常編成に変更する一方で、大会の直前には従来どおり告知CMを放送している。大阪国際女子マラソンと同時開催されるハーフマラソン大会。2009年から、大阪国際女子マラソンとほぼ同一の主催・後援・協賛・協力で開催されている。男子選手も参加可能である。コースは、「スタート地点が、大阪城公園東側(玉造筋)」「天満橋交差点折り返し」「森ノ宮駅前交差点〜土佐堀通間は、大阪城公園外堀先回り」「長居公園内は、長居公園通側を通る」である以外は、大阪国際女子マラソンと同じである。優勝者の氏名・所属は当時、は(当時の)大会記録。2009年以降、JAAF登録の部(男子・女子)のみ掲載。
出典:wikipedia
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