京浜急行バス久里浜営業所(けいひんきゅうこうバスくりはまえいぎょうしょ)は、神奈川県横須賀市にある、京浜急行バスの営業所。京浜急行電鉄久里浜工場に隣接した場所に車庫を所有し、JR久里浜駅・京急久里浜駅・北久里浜駅・YRP野比駅を発着するバス路線を所管している。1944年(昭和19年)8月25日に開設。これは、浦賀駅付近にあった浦賀営業所が移転・改称したものである。浦賀 - 三崎間には大正時代から乗合自動車の運行が複数の事業者により行われていた。すなわち、この路線の経由地である久里浜にも早くから乗合自動車が走っていた。これらの路線を運行していたのが、三浦自動車および臨海自動車の前身である梁瀬自動車である。『全国乗合自動車総覧』には、三浦自動車は1921年(大正10年)6月20日、梁瀬自動車は1923年(大正12年)9月17日開業とある。さらに、横須賀市内で乗合バス事業の整備統合を進めていた横須賀自動車が、1927年(昭和2年)5月に横須賀駅 - 浦賀間の路線を上宮田まで延長し、久里浜を通るようになった。この路線は1932年(昭和7年)には更に三崎まで延長されている。また、横須賀自動車は浦賀町谷戸に浦賀出張所を設けていた。これとは別に、湘南電鉄が直営で浦賀駅 - 久里浜ペルリ記念碑前間の乗合自動車営業免許を得て、1931年(昭和6年)3月より自動車2輌を用いて運行を開始した。一方で、昭和に入ると京浜電鉄主導の下、事業者の買収など整理統合が行われ、三浦自動車と臨海自動車は湘南半島自動車へ、横須賀自動車は湘南電鉄へとそれぞれ整理統合された。浦賀 - 三崎線は湘南半島自動車の三崎営業所と湘南電鉄の浦賀営業所がそれぞれ運行した。1941年(昭和16年)頃の浦賀営業所の所管路線は、浦賀駅 - 鴨居線、浦賀駅 - 久里浜線、浦賀駅 - 三崎線の3路線であるが、このうち浦賀駅 - 三崎線の全線と浦賀駅 - 久里浜線の一部は運行を休止している。車輌数は15台であった。戦局の悪化に伴い物資・人員の不足を来たし路線の縮小が行われる中、1944年(昭和19年)8月25日、浦賀町大ヶ谷にあった浦賀営業所が内川新田八幡久里浜1544番地へと移転し、久里浜営業所と改称した。1948年(昭和23年)6月の京浜急行電鉄発足時の所管路線は、久里浜駅 - 三崎線、久里浜駅 - 上宮田線の2路線であった。同年8月18日には三浦営業所が新設され、久里浜営業所は衣笠・三崎両営業所と共に三浦営業所の支所となった。しかしこの体制は長くは続かず、1954年(昭和29年)3月12日には三浦営業所は廃止された。これにより、衣笠・三崎両支所は営業所に昇格したが、久里浜だけは三崎営業所久里浜支所と支所のままであった。再び営業所に昇格したのは1963年(昭和38年)のことである。この間、浦賀駅 - 鴨居線の運行が再開されたのをはじめ、浦賀 - 久里浜 - 三崎方面の路線の復旧が図られた。また、久里浜駅 - 久里浜海岸線、久里浜駅 - 衣笠駅線、久里浜駅 - 東電 - 野比海岸線など新たな路線も新設された。昭和40年頃になると住宅開発は横須賀市域各地で盛んに行われるようになり、久里浜営業所管内では、森崎団地、岩戸団地方面への路線が新設され、通勤通学輸送を担った。これにより、今まで久里浜駅付近を中心に東西南北(それぞれ久里浜港、衣笠、上宮田、浦賀方面)へ線状に広がっていた路線が、徐々に面的な広がりを持つようになった。また、1973年(昭和48年)12月28日には、手狭になった京浜久里浜駅前の営業所・車庫を池田町に新築移転した。昭和50年代には、通信研究所、新岩戸団地、久里浜工業団地、ハイランドなどへの路線が新設され、さらなる路線の充実が図られた。一方で運行の効率化を図るため、1989年(平成元年)10月16日より三浦海岸駅 - 剱崎線を三崎営業所へ、浦賀駅 - 観音崎線、浦賀駅 - かもめ団地線を堀内営業所へそれぞれ移管し、京急久里浜駅 - 三浦海岸駅線を廃止した。これにより、国道134号の野比 - 上宮田間を走るバスがなくなったが、新たに野比駅 - 岩戸町内会館 - 衣笠十字路線、野比駅 - 通信研究所 - 横須賀市民病院線の運行が開始された。1997年(平成9年)10月1日、横須賀市光の丘で開発が行われていた横須賀リサーチパーク (YRP) のうち一部施設がオープンしたことを受けて、最寄りのYRP野比駅から YRP までの路線が新設された。以降 YRP の開発が進むにつれて路線数や運行回数も増加し、また運行される車輌も大型のものが多く投入されるようになった。ICカードPASMOについては、2008年(平成20年)12月1日に導入した。久里浜営業所管内の運賃は、対キロ運賃制であるが、次の区間では、ワンコイン運賃のサービスを実施している。ただし、現金での支払いに限る。京急久里浜線北久里浜駅とYRP野比駅を結ぶ路線で、岩戸団地への輸送を担う生活路線である。また、折返し便として衣笠十字路へも足を伸ばす。前者は岩戸団地を経由する便(北久16・久16)としない便(北久13・久13)とがあるほか、岩戸団地を循環して再び北久里浜駅へと戻ってくる大矢部・新岩戸団地循環(北久14・北久15・久14・久15)もある。一部便は出入庫の為JR久里浜駅まで足を伸ばすが、基本は北久里浜駅発着である。路線は当初岩戸までの運行であった。これは岩戸から先の道路が未舗装で状況が悪かったためで、特に焼木坂付近は雨が降ると人でも歩くのが困難だったようである。神奈川県道27号横須賀葉山線の整備が進むにつれ、粟田、野比と路線は次第に延長された。一方、北久里浜駅付近は当初風早・森崎1経由で運行されていた。しかしこの区間には横須賀線の踏切があり、ラッシュ時は道路混雑が激しく定時運行が困難であった。そのため、森崎大橋開通後は同区間を踏切のない森崎大橋経由に変更した。森崎線は、北久里浜駅から森崎団地を経由して衣笠十字路まで達する路線である。朝夕は、途中の北久里浜駅方面からの森崎リアンシティ(旧:市立高校)止りもある。市立高校が移転してしまったため学生の利用が減ってしまったものの、京急線への足として機能している。一部便はJR久里浜駅まで行くが、本数は多くない。浦賀線は京急本線浦賀駅と京急久里浜駅を結ぶ路線であり、一部便はJR久里浜駅に乗り入れる。浦賀 - 三崎間で乗合馬車の運行が開始されたのは1915年(大正4年)以前である。大正末期までに、三浦自動車・梁瀬自動車によって同区間にバスの運行が開始された。この頃より、多くの路線バス事業者が乱立し、横須賀駅 - 浦賀 - 三崎間など、浦賀 - 久里浜 - 上宮田方面に多くの路線が開設された。一方これとは別に、湘南電鉄自動車部(京浜急行電鉄の前身)が浦賀駅 - 久里浜海岸ペルリ記念碑前間の運行を1931年(昭和6年)に開始している。その後、湘南電鉄は横須賀自動車・湘南半島自動車を合併したため、先述の路線群も継承された。戦中・戦後の休止を経て、1948年(昭和23年)の久里浜駅 - 浦賀駅間の運行が再開されて以来、再び路線を南に延ばして三崎方面まで直通させた。しかし京急久里浜線が延長されると利用者は減少し、1989年(平成元年)に久里浜駅 - 三浦海岸駅間を廃止、同時に久里浜営業所が担当していた三浦海岸駅 - 剱崎線を三崎営業所へ移管させた。また浦賀線の間合いで運行された鴨居地区の観音崎線・かもめ団地線も平成元年に堀内営業所(現在は湘南京急バスに管理委託)に移管された。京急久里浜駅から海側へ向かっていく路線群をまとめて市内線と呼び、これらの路線は組運用となっている。久3系統は、古くは横須賀駅からの直通便があったが、現在は京急久里浜駅発着になっている。久4系統は、後述するYRP方面の路線の出入庫路線でもある。久7系統は終点の久里浜港で東京湾フェリーに接続するため、観光シーズンになると直通の臨時便が運行される。北久里浜駅から久里浜工業団地を経由して京急久里浜駅へと至る路線である。YRP野比駅から通信研究所を経由して横須賀市立市民病院に至る路線である。野比地区から市民病院への通院利用者が多い。市民病院線開設時、武1武山 - 通信研究所間の(一日2本朝、夕)ローカル運行もあったが、1992年に廃止された。なお、武山での折り返しは、現在エイビイ武山店の所に折り返し場があった。京急が開発した横須賀リサーチパーク (YRP) への足を確保すべく開設された路線である。平日朝夕のラッシュ時には数分間隔で運行されている。一部路線においては横須賀市などが実証実験を行った非接触ICカード(PASMO等他の交通系カードと互換性はない)である まちづくり総合カードにあらかじめ一定金額をチャージしておき、バスに乗車できる「YRP-ITパスポートサービス」が提供され、専用のカードリーダーが車両に装着されていたが、2006年2月にサービス終了し、2006年8月をもってチャージ額の払い戻しを終了している。衣笠線はJR久里浜駅から国道134号、神奈川県道27号横須賀葉山線を走り、JR衣笠駅に至る路線で、全線JR横須賀線と並行していた。京浜急行バスの中では長尺車が多い営業所のひとつであり、特にYRP路線開設時に尺の長い車が多数投入・転属されている。かつては日野車が継続的に投入されてきたが、最近京浜急行バスグループはいすゞ大型短尺車ことL尺をメインに投入しており、久里浜営業所にもL尺(新型エルガはN尺)の車両が継続して投入されている。長尺車として4枚折戸を備える日野・ブルーリボンシティワンステップ車が存在し、三菱ふそう・エアロスター(ワンステップまたはノンステップ車)も羽田京急バス東京営業所や大森営業所からの転属で配置されていたが、いずれも除籍されている。2011年からは日野・ブルーリボンシティハイブリッド車も投入されるようになった。大半がワンステップ車で、横須賀市の助成によるノンステップ車が20台以上存在する。一般車はブルーリボンシティハイブリッドを除きいすゞ・エルガで統一されており、ボディは2004年度の車がいすゞバス製造、それ以外はすべてジェイ・バス製である。久里浜営業所の一般路線車は独自仕様として、一部の車両を除き車体側面の裾部に白色の反射テープを装備している。これは久里浜から転出した車両もそのままで、大森などに所属する車両で反射テープを持つ車両は、久里浜からの転属車であることがわかる。貸切車は元東洋観光の三菱ふそう・エアロバスが1台配置されている。
出典:wikipedia
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