八日市線(ようかいちせん)は、滋賀県東近江市の八日市駅と滋賀県近江八幡市の近江八幡駅までを結ぶ近江鉄道の鉄道路線である。近江盆地の2つの都市間を結ぶ近江鉄道の主力路線となっている。2013年3月16日から「万葉あかね線」(ラインカラー:)の愛称が付けられている。1930年から1948年までは、新八日市から陸軍飛行場のあった御園駅までの路線がのびていた。同区間は、新八日市駅 - 八日市中野駅間で近江鉄道本線を築堤により越えていた。ワンマン運転を行っている。八日市駅 - 近江八幡駅間折り返し運転のほか、本線の米原駅方面、土休日には加えて貴生川駅方面へ直通する列車もある。1998年3月30日に八日市駅 - 近江八幡駅間ノンストップの快速が新設された。2013年3月16日のダイヤ改正で一旦廃止されたが、2016年3月26日改正で平日の上り(八日市行き)1本のみ復活した。蒲生郡の主要都市である八幡町と神崎郡の八日市町を結ぶべく1911年(明治44年)5月に川端浅吉ほか7名により湖南鉄道が出願されたが、既に八日市に路線を開通させていた近江鉄道も対抗上湖南鉄道と同ルートの路線を出願してきた。鉄道院は近江鉄道の出願を却下して先願の湖南鉄道に対し免許状を下付した。免許を得た湖南鉄道は軌間762mmで路線を建設しようとしたが、国鉄や近江鉄道との連絡輸送の必要から軌間1067mmに変更したため、建設資金が当初よりも増大し資金不足に陥った。その後、地元五個荘出身の藤井善助を社長に迎え出資を受け、1913年になり新八幡駅(現在の近江八幡駅) - 八日市口駅(現在の新八日市駅)間を開業させることができた。その後、滋賀に進出しつつあった京阪資本に対抗するため、1927年に大津電車軌道と太湖汽船が合併して発足した琵琶湖鉄道汽船に湖南鉄道も合併する。しかし、1929年に琵琶湖鉄道汽船が京阪電気鉄道に合併された際、京阪は離れ小島の旧・湖南鉄道には興味を示さなかった。こうして旧・湖南鉄道線は藤井の設立した八日市鉄道に譲渡され、やがて戦時企業統合政策により1944年に近江鉄道に合併された。駅名は廃止時点のもの。新八日市駅 - 八日市中野駅 - 川合寺駅 - 御園駅
出典:wikipedia
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