LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

神戸電鉄粟生線

粟生線(あおせん)は、兵庫県神戸市北区の鈴蘭台駅から兵庫県小野市の粟生駅までを結ぶ神戸電鉄の鉄道路線である。鈴蘭台駅 - 木津駅間の急峻な50‰の勾配を越え、神戸市西区から三木市を中心に広がる住宅地と神戸市の中心部を結ぶ通勤・通学路線となっている。ほぼ全列車が有馬線と直通運転を行う。1時間あたりの運転本数は鈴蘭台駅 - 志染駅間が4本、志染駅 - 小野駅間が1 - 3本、小野駅 - 粟生駅間は1 - 2本である。志染駅 - 粟生駅間は昼間閑散時間帯が1時間に1本、朝夕ラッシュ時は最大4本運行されている。昼間時は急行と普通列車(新開地行きは準急)が交互に運転される。朝・夕には急行・準急のほか快速が運転される。全営業列車でワンマン運転を実施している。以前は終電が早かったが、2001年6月23日の改正で新開地発最終が23時台から0時台に繰下げられた。1936年12月28日に三木電気鉄道の手で鈴蘭台駅 - 広野ゴルフ場前駅間が開業した。当初から電気鉄道として建設されるも、電化工事の遅れから気動車(ガソリンカー)で営業を開始した。ガソリン動力併用認可は開業同日である。芸備鉄道(現在のJR芸備線)からガソリンカー2両を借り入れたが、急勾配での運行は不調が多かったらしく、無認可で借り入れた蒸気機関車に牽引されている写真も残っている。当時の地方鉄道補助法による補助金を受けるには、1936年のうちに開業しておかねばならなかったことが、未電化での無理な開業の理由である。翌1937年に電化が完成して電車の運転を開始し、1938年には三木福有橋駅(現在の三木駅)まで開通した。1947年には三木電気鉄道が有馬線・三田線を営業していた神戸有馬電気鉄道に合併して神有三木電気鉄道の路線となり、1949年には神戸電気鉄道と社名が改められた(1988年に現社名の神戸電鉄となる)。そして1951年に電鉄小野駅(現在の小野駅)まで、翌1952年に粟生駅までが開業して鈴蘭台駅 - 粟生駅間の全線が開通した。2001年6月23日までは、志染駅以北は地上設備の都合上入線できる最長の編成が3両編成までだったため、昼間時の運転系統は新開地駅 - 志染駅間と、志染駅 - 粟生駅間に分かれていた。そのため、志染駅では双方間の列車同士で乗客のみならず乗務員も乗り換えを余儀なくされていたり、双方間の列車がおおむね3分未満で折り返して発車していくという慌しい光景が日常的に見られた。ラッシュ時には新開地駅 - 粟生駅間を直通運転するが、志染駅で2両編成を増解結し、新開地駅 - 志染駅間を4両編成以上として輸送力を確保していた。また、昼間時の運転間隔は、1991年改正以前では西鈴蘭台駅までは15分間隔、それ以西は30分間隔が基本だったが、その後、三木駅までが15分間隔になり、さらに2003年には小野駅までが15分間隔に短縮され、利便性が向上した。2001年6月23日始発から、恵比須駅 - 粟生駅間の改良工事が完成し粟生駅まで4両編成が入れるようになり、全列車が新開地駅 - 粟生駅間を直通運転されるようになった。この頃のダイヤは、粟生・小野方面行きは急行・準急といった優等列車が主体で昼間時間帯は準急だけの運転であった。また、新開地行きは優等列車が朝夕中心に運転されていた。このため、それまで志染駅以北では見られなかった2000系の4両編成や、3000系・5000系が見られるようになった。以前の急行は栄駅・木幡駅の両駅を通過していたが、通勤利用の利便を図るため停車させ、従前の急行停車駅での列車を「快速」と称して運転していた時期もあった。2009年3月20日のダイヤ改正から、以前の急行停車駅に停車する列車を再び「快速」として運転することとなった。2005年3月26日のダイヤ改正から、昼間時の新開地発はすべて準急とし、粟生方面発は普通列車で運転しつつ鈴蘭台駅で三田方面からの準急と接続を取るダイヤとして所要時間を短縮した。この改正は後述の神姫バスに対抗するためのものであった。所要時間短縮に努めたものの、山岳路線であり速度が遅いこととほとんどの列車が鈴蘭台以西は各駅に停車すること(準急と普通の停車駅の差はわずか2駅であった)が原因で効果は薄かったため、2007年3月31日のダイヤ改正より昼間時の準急の運転を取りやめた。しかし2012年5月19日のダイヤ改正で昼間の新開地方面のみ準急が復活している。粟生線は1990年代初頭までは輸送人員が伸びていたため、神戸電鉄は増発や編成増強などでサービスアップに努め、単線区間の複線化も計画。既に複線化用地の取得や路盤の整備などの設備投資も行われていた。しかし1990年代後半から路線バスとの競合(後述)などが影響し、輸送人員は激減。複線化計画も停止された。他線区より勾配があることなどによりもともと運行コストがかかる路線であったこともあり、慢性的な赤字を抱えるようになった。2000年代に入るとついに路線の存続が困難な状態に陥った。その後も状況は悪化の一途を辿り、危機的な状況が続いている。各種企画乗車券の発売や沿線ハイキングの実施等による観光需要の開拓にも取り組んでいるが、沿線はもともと集客力のある観光スポットに乏しいため、長期的な需要の創出には至らず、神戸電鉄の経営努力のみで路線を維持することは極めて困難になっている。粟生線の年間輸送人員は1992年度の1420万人がピーク、その後は数年横ばい状態であったが、1996年度以降は輸送人員減に転じた。毎年1〜1.5%程度という通勤・通学に相当する年齢の沿線人口の減少などの影響を受け、2007年度にはピーク時の約半分の743万人に、2008年度には729万人にまで減少している。加えて、2009年度上半期(4月 - 9月)の輸送人員は対前年同期比4.5%(約17万人)マイナスとなっている。2009年3月、阪神なんば線開業にあわせたダイヤ改正を行い、乗り換え駅での他社線との接続を改善したが目立った効果はなく、また同年4月には幅広い観点から鉄道事業の経営改善と将来計画を検討する社内組織を新設したものの、抜本的な乗客減への対策は打ち出せなかった。1998年度の時点で既に年間6.8億円の赤字が出ており、2001年度からは毎年年間10億円以上の赤字を計上している状況である。特に2006年度と2007年度はともに過去最悪の年間12.7億円の赤字を計上しており、1998年度から2007年度の10年間だけでも約102億円もの累積赤字を抱えている。2008年度も、年間収入約21億円に対し支出は約34億円であり、12.7億円の赤字を計上している。加えて2004年度からは神戸電鉄が出した再生計画により国や兵庫県、神戸市・三木市・小野市から赤字補填のための補助金を受け、辛うじて路線を維持したが、当該計画による補助は2009年度で終了した。沿線では以前から神姫バスが競合路線である西脇急行線を開設していたが、1999年に経路変更が行われ、その後2001年に恵比須快速線を開設してからは、目に見えて多くの乗客を取られるようになっている。神姫バス(特に恵比須快速線)は、新開地駅での乗り換えがなく三ノ宮駅(三宮駅)に直通すること、三木市のニュータウンエリア内を通り抜けるため自宅そばにバス停があること、運賃が神鉄・神戸高速経由で三宮駅に出るより割安であること、高速道路を経由するため座席定員制で全員着席であること、などで特に志染 - 木幡間ではかなりの利用者が転移した。2001年の開設当初と比較して、2015年現在では平日朝の三宮行きは実質5分間隔となり、大幅に本数が増加している。また三木市のコミュニティバスであるみっきぃバスが緑が丘地区と三木地区を結んでおり、それも要因の一つと考えられる。さらに山陽自動車道の全通・整備により、神戸市以東や姫路市以西へは電車よりも早く行けるようになるなど、沿線地域内ではクルマ社会が定着して自動車での移動が主流になっていることや、また加古川線の粟生以北および北条鉄道北条線から神戸市内・大阪市内への移動は、西日本旅客鉄道(JR西日本)の新快速の充実や加古川線の電化もあって、加古川駅または谷川駅経由でJRを利用した方が却って早くなっていることも利用者減少の一因といえる。神鉄は2009年から粟生線の路線維持・利用促進・活性化のための広報活動を本格的に展開、パンフレットや自社ウェブサイトなどを通じて沿線住民に対し粟生線利用を呼びかけるようになった。また同年、兵庫県、神戸市・三木市・小野市との協議機関として粟生線活性化協議会を発足させた(委員は神戸電鉄と沿線三市。県は立会人)。その第1回会議が2009年12月11日に開かれ、その後も継続して開催されている。神鉄は協議会において「利用客を維持しサービス水準も守れるようにしたい」という考えを示しているものの、朝夕時間帯以外の減便や運賃値上げ等も検討せざるを得ないとの見通しにも言及。神戸電鉄全体の業績は伸びており、鉄道事業の営業成績も概ね良好に推移している中、粟生線の収支のみ悪化するという状態が続いているため、最悪の場合は路線を廃止することを視野に入れ、バス転換した際のコストのシミュレーションまで行っている。2010年、粟生線活性化協議会ではシンボルマークやキャラクターを募集するなど粟生線への関心を呼び起こす活動を展開。また現役時代に粟生線を利用していたであろう高齢者など交通弱者に粟生線の利用・回帰を促すため、2010年10月には粟生線活性化協議会の協力により70歳以上を対象にしたフリーパス「神鉄・高速シニアパス」の販売を開始した。そのような中、神鉄は粟生線の存廃について2011年度中に判断する方針を固めた。赤字額が10年連続で10億円を超える見込みとなった上、利用促進策への国の補助も2011年度で打ち切られることや、2009年度の経常赤字は12億7千万円であり、2010年度も赤字が10億円を超える見込みのため、結論を急ぐことになった。2011年6月、神鉄は沿線三市に対し粟生線の上下分離方式(公有民営方式)による存続案を示し、押部谷‐粟生間の18キロの鉄道用地と駅などの施設の買い取りを要請した。神鉄側が示した資産買い取り総額は計68億円、うち鉄道用地が約13億円、駅などの施設約55億円、また市別では三木市40億円、小野市26億円、神戸市2億円であり、買い取り後三市には神鉄に対し鉄道用地と駅などの施設の無償貸与することと、施設修繕費などの負担も求めるというものであった。ただ神鉄の提案通りに上下分離方式を導入したとしても、2012年度は約7億5千万円の赤字、2021年度には9億3千万円の赤字になるという試算も提示、粟生線が極めて逼迫した状況にあることが改めて明らかにされた。これに対し三市とも上下分離方式は受け入れ困難であると回答した。三市は、既に多年にわたり粟生線の赤字補填を行っており、乗客数や旅客運賃収入が低迷している以上更に赤字補填を継続することになる可能性が高く、それに加えて資産も買い取るとなると三市の財政負担が非常に大きくなることや、神鉄の試算に示された通り上下分離方式を導入したとしても抜本的な赤字体質からの脱却は実現しないことなどを指摘。仮に神鉄側が資産買い取り価格を下げたとしても受け入れられないとの意向を表明。沿線三市による支援策は行き詰まることになった。これを受けて2011年12月28日、神戸電鉄本社で神鉄と関係自治体による会合が行われ、兵庫県の主導で新たな支援の枠組みを協議し、2012年1月末までに存続の結論を出すことになった。2012年2月7日に井戸敏三兵庫県知事は定例の記者会見で、兵庫県・沿線三市が神鉄と協定を締結し、2012年度から5年間無利子で40億円を貸し付け、その間に神鉄にコスト削減などの経営努力も求めながら2016年度までに全線の黒字化を促すと発表、2012年度の廃止は免れることとなった。5年間のうち2012年度・2013年度・2014年度の3年間については旅客運輸収入の目標値を定め、中間の年である2014年度にその達成状況を検証した上で、2015年度・2016年度の目標値の設定や助成期間・方法等の再検討を行うことになった。パブリックコメントで提出された意見として、割引企画乗車券の発売や神姫バス程度まで運賃値下げを求める意見があり、2012年2月25日から平日昼間と土休日に使用可能な「粟生線〜三宮 平日昼間&土休日お得きっぷ」が発売された。一方で神姫バスも平日昼間と土休日に使用可能な、チャージ金額が1.3倍(プレミア+30%)となる徳用NicoPaを設定している。粟生線の大幅な赤字が伝えられるようになってからも沿線住民の反応は鈍い状態が続いていたが、廃止の可能性が言及されるに至った状況を受け、2012年4月、住民団体「粟生線の未来を考える市民の会」が結成され、沿線住民による支援運動が組織化された。同年5月19日、神戸電鉄は粟生線の一部区間の昼間時運行本数を大幅に減便するダイヤ改正を行った。平日・土休日とも日中毎時4本のうち、3本を志染発着(急行1、準急2)、志染-粟生間を毎時1本(急行)とした。急行通過駅(藍那・木津)のための普通などの増発は設定せず、急行通過駅も便数削減となった。さらに通勤時間帯も数本減便したほか、新開地発粟生行きの終電(普通)を30分、新開地発小野行きの終電(準急)を15分繰り上げた。神鉄は「路線そのものの維持・存続のための「収支改善計画」の一環」と説明した。2013年には粟生線活性化協議会において「地域公共交通総合連携計画」が策定され、兵庫県と沿線三市による粟生線活性化策の方針が示された。同年7月、同協議会にて公表された2012年度の輸送人員は667万人であった。利用促進活動開始以降輸送人員の減少幅は縮小し、2011年度の輸送人員は前年度より増加したものの、2012年度は一転して前年度比マイナス15万人の大幅減となり、2012年度の目標輸送人員730万人を大きく下回る結果となった。また運輸収入は18億7千万円に留まり、2012年の協定で定めた旅客運輸収入の目標値には届かず、前年度比4千万円の減収であった。一方2012年度の赤字額は9億7600万円となり、12年ぶりに10億円を切った。県と沿線三市による40億円の無利子貸し付け等の支援や昼間時減便などの経費削減効果により赤字額は前年度より2億2千万円改善した。2013年度も乗客減が続き、電気料金値上げや消費税増税対応の影響により赤字が増大するなど状況は2012年度より悪化した。2014年3月、三木市役所にて開催された粟生線活性化協議会の会合では、2013年度の粟生線の赤字が2月末の時点で再び10億円を超えており、年度末までに10億9700万円に達する見込みであることが明らかにされた。また輸送人員は2月末現在で年間662万人と想定され、目標の700万人を大きく下回り、旅客運輸収入も更に減少している状態であることが公表された。2012年度に始まった県と沿線三市による支援計画では、運輸収入の減少幅を毎年0.7%と想定しており、その数値を維持するためには年間700万人台の輸送人員が必要であるが、2012年度・2013年度と2年連続でこの数字に届かず、減少に歯止めがかからなかった。特に同協議会が2013年度に打ち出した通勤定期の補助制度については、利用目標300人に対しわずか35人の申し込みに留まるなどほとんど効果がなかった。このため神戸電鉄側は2013年に同協議会が策定したばかりの「地域公共交通総合連携計画」の再策定を求め、「鉄道を拠点とした公共交通体系の再構築を連携計画に明記する」「神戸市・三木市・小野市の都市計画で駅中心のまちづくりの推進を定める」など五つの見直しを提案した。神戸電鉄担当者は「自助努力だけでは存続は不可能。住民の協力と自治体のサポートが不可欠」と強調した。このような状況を受け、2014年6月28日に再びダイヤ改正を行った。平日朝6時台の上り急行2本を快速に、また朝夕の普通のうち新開地行き11本、粟生方面行き7本、計18本を準急に変更。土休日についても計13本を普通から準急に変更した。所要時間を短縮しラッシュ時の速達性の向上を図る一方、粟生線内の快速通過駅(栄・木幡)のための普通などの設定・増発はせず、減便となった。また志染駅 - 粟生駅間において平日・土休日ダイヤともさらに昼間・夜間の減便時間帯を拡大。昼間時間帯は9時台から30分間隔、10時台から14時台まで1時間間隔、夜間時間帯は21時台半ばから30分間隔の運行となり、粟生線全体の運行本数は削減された。普通から準急への変更に伴い停車本数の減る有馬線内の準急通過駅(丸山・鵯越)については普通の増発はしなかったものの、有馬線(および神戸高速線)・三田線・公園都市線についてはいずれも全体としては増便となった。神戸電鉄は「輸送実態に合わせた見直し」と説明している。2014年11月には高齢者向けフリーパス「神鉄・高速シニアパス」の販売を2015年3月をもって終了することを決めた。神戸電鉄によると、既存の高齢者の鉄道利用には一定の役割を果たしたものの、アンケート調査の結果バス・自動車利用者からの新規の利用は少なく、鉄道利用者を増やすことにはつながっていないことが明らかになったと説明。またパスは割安な価格設定のため回数券利用等を妨げ、かえって減収減益につながっている可能性があったという。「シニアパス」廃止を受け、神戸市は2015年度より社会実験として市内全域の70歳以上の市民を対象に、一定期間神戸電鉄全線が乗り放題となる割安の乗車券の販売を行い、利用促進の方策を探った。2012年度・2013年度の状況を踏まえ、2014年度には兵庫県・沿線三市と神鉄の協定に基づき、新たな数値目標の設定や助成期間・方法の見直しを行うことになった。沿線三市のうち小野市は、粟生線の利用状況が一向に改善しない現状を踏まえ、上下分離方式導入の検討についても前向きな姿勢を示すようになっていたが、2015年1月、蓬莱務・小野市長は「分社化や上下分離も含めて議論を進めるべきだ」と表明。「(活性化協議会の)利用促進策は大事なことだが、それだけでは経営の根幹は変わらない」「経営の責任は神戸電鉄にあり、透明化すべきだ。関係市も加わって経営戦略を考える会議が活性化協議会とは別に必要」「その会議で分社化や上下分離、運賃の値上げなどの議論を望む」「これまで自治体が経営に直接関与するのは避けてきたが、そうは言っていられない時期に来ている」等と路線の経営と存続について強い危機感を示した。活性化協議会は2014年度中も沿線飲食店と提携したスタンプラリーの開催や学生向けの粟生線活性化案コンテストなど、こまめな支援策を展開したものの、路線の収支は改善しなかった。神戸電鉄は同年3月30日の協議会の会合の最後に資料を配布し、「路線存続のためには上下分離方式導入が不可欠」と初めて協議会において公有民営方式移行に言及、兵庫県・沿線三市による2012年度からの支援が残り2年となったため、「遅くとも2015年度中に地域公共交通のあるべき姿を定める必要がある」と述べた。神戸電鉄側は上下分離方式によって存続となった他路線の具体例を説明するとともに、他路線の廃線事例も挙げるなど危機感をにじませた。沿線三市は賛否を保留したが、座長の正司健一・神戸大学副学長は「粟生線が機能しているうちに議論する必要がある」ともはや時間が無くなってきていることを指摘した。また同協議会に立会人としてオブザーバー参加していた兵庫県も2015年度より委員とし、神戸電鉄と沿線三市の話し合いに加わることになった。県はIC乗車券の記録情報を分析し、データを活用する考えを示した。神鉄側が上下分離方式導入をめぐり踏み込んだ姿勢を示したことに対し、沿線三市の足並みの乱れが表面化している。小野市は「議論が必要」との姿勢を示す一方で、三木市は上下分離方式については協議会発足当初より「受け入れられない」と拒否している。3月30日の協議会において配布された神鉄作成の資料に「路線存続のためには上下分離方式導入が不可欠」との神鉄側の提案が記載されていたことについて、協議会会長の北井信一郎・三木市副市長は「神鉄側が配布・説明した上下分離方式が記載された資料は、会長としての私が確認・承認したものではなく、また協議会開催前に配布しないよう神鉄側に指示したにも関わらず配布されたもの」「議事進行において会長の指示が守られない」と反発、「本来1期2年で交代するべき会長職を2期4年務めた」との理由から翌31日協議会会長と委員の職を突如辞任した。同年4月28日、三木市から市のまちづくり部長が代わりの委員に就任したものの、三木市側の強い姿勢に対し他の委員からは戸惑いや不安の声が上がり、協議会会長は空席となる異例の事態となった。同年7月13日、三木市まちづくり部長に代わり薮本吉秀・三木市長が委員となり、後任の会長に就任した。会長就任に際し薮本市長は上下分離には言及せず、新開地駅経由・粟生駅経由で他社線と相互乗り入れを行うことを提案、蓬莱・小野市長が示した「関係市も加わって経営戦略を考える会議が活性化協議会とは別に必要」との意見を受け、粟生線存続に向けて議論する沿線三市長らの新組織を早急に設置したいと述べた。更に2016年1月、薮本会長はこれまで神鉄と沿線自治体・住民の話し合いの場としての任意協議会であった粟生線活性化協議会をについて、2016年4月より「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」に基づく法定協議会に移行させ、粟生線の「地域公共交通総合連携計画」について、同法により国から特定事業の認定を受けることを目指す方針を提案。また粟生線存続に向けて議論する沿線三市長らの新組織については2月にも発足させる予定を示した。2015年度も粟生線の利用状況は全く改善せずに終わった。神鉄は2016年5月21日にダイヤ改正を行い、粟生線のみ更に減便した。平日早朝5時台の鈴蘭台駅 - 小野駅間の上下各1本を減らしたほか、粟生駅での列車発着時刻を見直し、小野駅 - 粟生駅間については粟生駅で加古川線・北条鉄道と接続していない列車の運行をすべて取りやめた。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。