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自衛隊

自衛隊(じえいたい)は、日本における防衛組織である。陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊からなり、自衛隊法第3条第1項により「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」ものとされ、人命救助などの災害派遣や国連PKOへの派遣などの国際平和協力活動を副次的任務とする。防衛省(旧防衛庁)の管轄下に置かれる。1954年(昭和29年)7月1日設立。英称 Japan Self-Defense Forces、略称 JSDF。日本国憲法の下、専守防衛に基づき、国防の基本方針および防衛計画の大綱の定めるところにより、他国からの直接および間接侵略に対して、国民の生命と財産を守ることを基本理念とする。内閣総理大臣が内閣を代表して最高指揮監督権を有し、防衛大臣が隊務を統括する。陸、海、空の三自衛隊を一体的に運用するための統括組織として統合幕僚監部が置かれ、防衛大臣は統合幕僚長を通じて、陸海空自衛隊に命令を発する。自衛隊法上の「自衛隊」とは、自衛隊員として含まれない「防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官、防衛大臣補佐官、防衛大臣政策参与、及び防衛大臣秘書官」なども含めた防衛省の「事務次官並びに防衛省の内部部局、防衛大学校、防衛医科大学校、防衛会議、統合幕僚監部、情報本部、防衛監察本部、地方防衛局、防衛装備庁、その他の機関並びに陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊を含むもの」(自衛隊法第2条第1項)とされ、これは「防衛省」とほぼ同一の組織に相当する。一般的には国の行政機関という面から見た場合は「防衛省」、部隊行動を行う実力組織としての面から見た場合は「自衛隊」として区別されて用いられることが多い。日本国憲法第9条は国際紛争を解決する手段としての「戦争の放棄」と「戦力不保持」、ならびに「交戦権の否認」を定めているが、政府見解によれば憲法は自衛権の放棄を定めたものではなく、その自衛権の裏付けとなる自衛のための必要最小限度の実力は憲法第9条第2項にいう「戦力」には該当しない。よって、日本を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然に認められており、これは交戦権の行使とは別の観念であるという立場に立っている。こういった憲法上の制約を課せられている自衛隊は、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものであるが、他方、自衛隊は国際法上は軍隊として取り扱われており、自衛官は軍隊の構成員に該当するものとされている。自衛隊の公式な英称は Japan Self-Defense Forces であるが、日本国外において陸海空の各自衛隊は日本の実質的な国軍として認知されており、陸上自衛隊は Japanese Army(日本陸軍の意)、海上自衛隊は Japanese Navy(日本海軍の意)、航空自衛隊は Japanese Air Force(日本空軍の意)に相当する語で表現されることがある。また、英語の Self Defense はいわゆる正当防衛の意味であり、軍事部隊にあてる用語として Self-Defense Forces の訳語が必ずしも適当とは言い難い。英語において各国の国防軍を表す場合は単に Defence Force と表現される。陸上自衛隊は1950年の朝鮮戦争勃発時、GHQの指令に基づくポツダム政令により警察予備隊が総理府の機関として組織されたのが始まりである。同時期、旧海軍の残存部隊は海上保安庁を経て海上警備隊となり、その後警備隊として再編。1952年8月1日にはその2つの機関を管理運営のための総理府外局として保安庁が設置された。同年10月15日、警察予備隊は保安隊に改組。そして1954年7月1日「自衛隊の任務、自衛隊の部隊の組織及び編成、自衛隊の行動及び権限、隊員の身分取扱等を定める」(自衛隊法第1条)自衛隊法(昭和29年6月9日法律第165号)が施行され、警備隊は海上自衛隊に、新たに領空警備を行う航空自衛隊も新設。陸海空の各自衛隊が成立した。また同日付で防衛庁設置法も施行されている。1954年に警察の補完組織だった保安隊、警備隊が、国防を任務とする自衛隊になった時、新任務にふさわしい宣誓が求められたが、全隊員の6%の約7300人が宣誓拒否して退官した。「大部分は陸上自衛隊の任期制隊員」(1954年8月9日参院内閣委、木村篤太郎防衛庁長官)また、各自衛隊統合運用のため統合幕僚会議も設置され統合幕僚会議議長がこれを統括したが、2006年にはより広範な権限を持つ統合幕僚監部に組織替えとなり統合幕僚長がこれを統括することとなった。冷戦期は専守防衛の枠内で日米安全保障条約に従って在日米軍の日本防衛機能を補完する役割を担った。ポスト冷戦期の1990年代からは国連平和維持活動などのため、海外派遣が行われている。自衛隊はシビリアン・コントロール(文民統制)の原則の下、文民で構成される内閣、立法府である国会の統制下に置かれている。内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊の最高指揮監督権を有し、防衛大臣が自衛隊の隊務を統括する。また、内閣には関係閣僚等で構成される国家安全保障会議が置かれ、防衛に関する重要事項を審議する。自衛隊の防衛出動や治安出動等にあたっては事前又は事後の国会承認を要し、また国会は自衛隊に係る定員、予算、組織などの重要事項の議決を通じて自衛隊を統制する。陸・海・空の各自衛隊はすべて防衛大臣の直轄部隊から構成され、各自衛隊の隊務に係る防衛大臣の幕僚機関として陸上幕僚監部、海上幕僚監部及び航空幕僚監部が置かれている。更に各自衛隊を統合運用するための幕僚機関として統合幕僚監部が置かれ、自衛官の最上位者である統合幕僚長がこれを統括する。防衛大臣は各幕僚長を通じて各自衛隊に命令を発するが、部隊の運用に関しては全て統合幕僚長を通じて行うものとされている。各幕僚長は「最高の専門的助言者」として防衛大臣を補佐し(自衛隊法第9条第2項)、部隊等に対する防衛大臣の命令を執行する。防衛事務次官は待遇等の面では統合幕僚長と同格であるが、「その省の長である大臣を助け、省務を整理し、各部局及び機関の事務を監督する」(国家行政組織法第18条2項)ものとされ、防衛省・自衛隊の機関全般にわたって監督権限を有する。その他、防衛省の所掌事務に関する基本的方針について審議する機関として、防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官、防衛大臣補佐官、防衛大臣政策参与、事務次官、防衛審議官、内局の官房長と各局長、統合・陸・海・空幕僚長、情報本部長、防衛装備庁長官で構成される防衛会議が設置されている。以前は文官(いわゆる「キャリア官僚」)の官房長と局長で構成された防衛参事官制度が存在し、防衛大臣が各幕僚長に行う指示等に関して官房長と局長が全般的に補佐するものと定められた旧防衛省設置法第12条が存在していたことから、制服組(自衛官)に対する背広組(文官)の優位(文官統制(文民統制ではない))が問題とされていた。しかし2009年に、防衛参事官制度が廃止されて制服組の各幕僚長と情報本部長も参画する防衛会議が新設され、2015年に防衛省設置法第12条が改正されて制服組の各幕僚長が背広組の官房長や局長と対等に防衛大臣を補佐することが定められたことから、文官統制の問題は解消されてきている。特別裁判所の設置が憲法で禁止されているため、軍法会議(軍事裁判所・軍事法廷)は置かれていない(従って、軍事刑務所の類は無く、被疑者は一般同様検察庁へ送致され、有罪確定の後除隊となる)。諸外国の憲兵に相当する部隊は陸・海・空の各自衛隊に警務隊として組織されている。高い練度と高度な装備を保有するが、総兵力は約24万人(うち女性1万2,300人)と対人口比で主要国中最低水準である。年間防衛予算も約4兆7千億円で絶対値的でこそ世界的に上位に位置するものの、対GDP比では1%を割って主要国中最低水準である。予算は陸海空で概ね4:3:3の比率であり、予算総額の約44%は人件費で、装備品の調達費は、比較的高額な水準となっている。戦力維持のために若年定年退職制度を導入しており、多くの自衛官の定年退職が53歳である。近年、国家財政の悪化と少子高齢化のために防衛予算と兵力は減少傾向にあったが、周辺国、特に中国の軍拡や尖閣諸島問題の影響で2013年度以降は対前年比で増加に転じた。また、自衛隊が保有する装備の維持・運用・管理などにおいて他の西側諸国と同じく日米安全保障条約による同盟国アメリカに強く依存している装備も多く、実戦におけるノウハウ習得や幹部自衛官教育、新型装備に関する技術講習などでもアメリカとの協力関係が重要視されている。また、憲法9条の解釈上、大規模な策源地(敵地)攻撃能力は不要なことから、敵の根拠地を攻撃する能力は少ない。情報戦や情報通信機器のインフラ整備、教育、補給といった後方支援に問題があると指摘されることがあり、防衛秘密の漏洩問題等が繰り返し報道されている。諸外国の陸軍にあたる組織であり、日本に対する海外勢力による上陸作戦を防止し、上陸された場合にはこれに対処することを主な任務とする。前身組織は保安隊(警察予備隊)。普通科いわゆる歩兵を基軸として、戦車、装甲車、榴弾砲、対戦車ロケット弾、対戦車ミサイル、地対空ミサイル、対艦ミサイル、ヘリコプターなどを保有する。英称 Japan Ground Self-Defense Force、略称 JGSDF。諸外国からは Japanese Army(日本陸軍の意)に相当する語で表現されることがある。陸上自衛隊の部隊は、方面隊、中央即応集団その他の防衛大臣直轄部隊から構成され、その所掌事務に係る幕僚機関として陸上幕僚監部が設置されている。定数は約15万2千(即応予備自衛官を除く)であり、三自衛隊の中で最大だが、振り分けられる予算は約1兆7千億円と、海、空自衛隊に大差は無い。小銃をはじめ、戦闘車輌や一部の航空機は国産品を装備しているが、輸入やライセンス生産による装備品もある。遠隔操縦観測システム(FFOS)のような無人航空機の運用能力も持つが、指揮通信能力、統合作戦能力は整備途上にある。専守防衛の観点から、各方面隊が担当地域の防衛を前提に活動している。また、島国という地理上、離島への武力侵攻に備えた特殊部隊も配備されている。諸外国の海軍に当たる組織であり、海洋国家である日本国の防衛力の中核を担っている。前身組織は警備隊(海上警備隊)。護衛艦、潜水艦、機雷戦艦艇、哨戒艦艇、輸送艦、対潜哨戒機、ヘリコプターなどを保有する。英称 Japan Maritime Self-Defense Force、略称 JMSDF。諸外国からは Japanese Navy(日本海軍の意)に相当する語で表現されることがある。海上からの侵略を阻止し、また艦船、航空機、潜水艦等の脅威を排除して、海上交通の安全を確保することを主な任務とする。年間を通じて、日本周辺海域の哨戒任務を行っており、国籍不明潜水艦や他国の艦艇、不審船、遭難信号などを探知した場合は、哨戒機をスクランブル発進させ、護衛艦が緊急出港し、対象目標を継続追尾する体制に移行する。また、弾道ミサイルの監視、迎撃任務も負っている。実質的には外洋海軍としての能力を有し、対潜水艦戦や対機雷戦では世界最高水準の能力を有する。海上自衛隊の部隊は、自衛艦隊、地方隊、教育航空集団、練習艦隊その他の防衛大臣直轄部隊から構成され、その所掌事務に係る幕僚機関として海上幕僚監部が設置されている。定数は約4万5千であり、予算は約1兆5百億円。艦艇、潜水艦、航空機、各陸上基地を運用する。日本が海洋国家であり、通商貿易国家であることから、シーレーンの安全確保を重視し、太平洋戦争(大東亜戦争)の戦訓から 対潜水艦戦能力と対機雷戦能力に重点を置いている。保有するイージス艦にはBMD能力が付与されており、ミサイル防衛の中核を担う。ひゅうが型護衛艦やおおすみ型輸送艦は離島防衛や大規模災害対処のシーベースとしても活動出来る。いずも型護衛艦一番艦いずもが2015年3月に就役し、海自保有艦艇としては歴代最大の護衛艦となった。諸外国の空軍に当たる組織である。平時においては日本周辺の空域を警戒監視し、領空内に不法に侵入しようとする航空機に対して、戦闘機をスクランブル発進させて、対領空侵犯措置をとる空の警察行動のほか、災害派遣、国際緊急援助隊業務等を行っている。また、有事においては、航空優勢の確保による防空、侵入してくる陸海戦力の航空阻止と近接航空支援を主な任務とする。陸上・海上両自衛隊と違い前身組織はない。英称 Japan Air Self-Defense Force、略称 JASDF。諸外国からは Japanese Air Force(日本空軍の意)に相当する語で表現されることがある。航空自衛隊の部隊は、航空総隊、航空支援集団、航空教育集団、航空開発実験集団その他の防衛大臣直轄部隊から構成され、その所掌事務に係る幕僚機関として航空幕僚監部が設置されている。定数は約4万7千人であり、予算は約1兆8百億円。アメリカ製の大型戦闘機F-15、同じくアメリカ製の多用途戦闘機F-16をベースとしたF-2戦闘機をはじめ、E-767早期警戒管制機や、KC-767J空中給油機、パトリオットミサイル、バッジシステム、JADGEの導入により、世界的にも高水準の防空能力を維持する。。高度な救助能力を持つ航空救難団は災害派遣でも活用されている。各自衛隊の「共同の部隊」として、サイバー防衛隊及び自衛隊情報保全隊、自衛隊指揮通信システム隊が設置されている。隊員は、陸・海・空の各自衛隊の混成であり、常設統合部隊として統合幕僚長の指揮下にある。その他、陸海空自衛隊共同の機関として自衛隊地方協力本部が、防衛大臣の直轄機関として情報本部などが設置されている。自衛隊法上、自衛隊は国の防衛を主たる任務とし、必要に応じ公共の秩序の維持にあたるものとされている。この主たる任務に該当する自衛隊の活動が「防衛出動」であり、公共の秩序維持に関する活動として「治安出動」「災害派遣」等が位置づけられている。その他、主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、別に法律で定める任務を実施するものとされており、具体的には周辺事態法やPKO協力法に基づく海外派遣がこれに該当する。自衛隊の防衛出動は自衛隊法第76条によって定められており、他国からの武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態、及び、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態に際して、内閣総理大臣が自衛隊の出動を命じるものである。出動にあたっては原則として事前の国会承認を要する。出動を命じられた部隊は、日本を防衛するため、必要な武力を行使することができる(自衛隊法第88条)。実際に武力の行使を行うか否かの判断は、自衛隊の最高指揮監督権を有する内閣総理大臣が行うものと解されている。これまでに防衛出動が命じられたことはない。自衛隊の災害派遣は自衛隊法第83条によって定められており、自然災害・人為的災害を問わず災害時に各都道府県知事などの要請によって防衛大臣又はその指定する者(方面総監、自衛艦隊司令官など)が部隊に出動を命令し、救援活動を行う。災害に際し、要請を待ついとまがない緊急事態と考えられる場合(震度5弱以上など)は要請を待たないで情報収集や救助のため部隊を派遣することができる。災害派遣には大規模災害派遣、原子力災害派遣が含まれる。災害派遣は地震、台風による大雨、三宅島や大島の火山噴火の際に実施されているほか、地下鉄サリン事件や日本航空123便墜落事故など消防のみでは対処が困難な事件・事故の際にも実施された。また、離島からの急患輸送や遭難者の捜索も災害派遣扱いとなる。上記と異なる類型の災害派遣として、「近傍災害派遣」がある。近傍災害派遣は自衛隊法第83条第3項に定められており、防衛省施設の近傍において火災その他の災害が発生した場合、部隊長が必要に応じて部隊の派遣を行うことができる。災害派遣の件数は毎年約800回前後で、平成16年度では急患輸送が年616回、次いで消火支援が102回(うち近傍災害派遣が92件)で、その他すべてをあわせ自衛隊全体で884回出動している。1995年の阪神・淡路大震災においてはのべ約225万人が派遣され、2011年の東日本大震災では、3月19日 から同年5月10日 まで、50日間連続して10万人/日を超える規模の派遣を行うなど、それぞれきわめて大規模な災害派遣が行われた。自衛隊の治安出動は自衛隊法第78条および第81条によって定められており、第78条では命令による治安維持を定めている。内乱や騒擾状態など何らかの理由により警察力のみでの治安維持が不可能となった場合に内閣総理大臣の命令により出動する。国会の承認は命令出動後20日以内に付議される。第81条では都道府県知事からの要請を受けた場合の治安維持を定めており、国会の承認は必要なく内閣総理大臣の命令によって出動を行う。基本的に治安維持活動の場合警察官職務執行法を準用する。この治安出動は、1960年代の安保闘争の際に発動が検討されたが、実際には出動しなかった。これまでに治安出動が命じられたことはない。国民保護法(平成16年制定)並びに自衛隊法の一部を改正する法律により、改正されたいわゆる改正自衛隊法第75条には、自衛隊の新たな行動類型として国民保護等派遣が加わることとなった。武力攻撃やテロなどが発生した際、都道府県知事の要請に基づき、防衛大臣の命で国民の保護のための措置をとることができるとされた。国民保護派遣ではなく、国民保護「等」派遣として規定されているのは、国民保護法が想定する事態として武力攻撃のみならず、テロに際しても武力攻撃事態に準じた措置がとれるように柔軟な表現を採ったため。この国民保護等派遣において自衛隊が果たす役割としては、武力攻撃事態等又は緊急対処事態において、避難住民の誘導、集合場所での人員整理、避難状況の把握などの他、避難住民への食料品及び飲料水の供給、物資の供給、医療活動、捜索及び救出などの活動が主に期待されている。その他にも、武力攻撃災害などへの対処、被災状況の把握や人命救助活動、消防及び水防活動、NBC汚染対処などが想定され、また、武力攻撃災害などの応急の復旧において危険な瓦礫の除去、施設などの応急復旧、汚染の除去なども想定されている。改正自衛隊法では、第75条において即応予備自衛官、予備自衛官の国民保護等派遣が可能となる。国民保護等派遣における自衛隊の権限は、警察官職務執行法の避難等の措置、犯罪の予防及び制止、立入、武器の使用の権限を行使する警察官相当の権限を行使できる他、市町村長などがその場にいない場合に限り、自衛官は退避の指示、応急公用負担、警戒区域の設定、住民などに対する協力要請などの権限を行使することができるとされている。なお、国民保護等派遣が命ぜられた場合のほか、防衛出動又は治安出動が命ぜられた場合、必要があれば自衛隊は国民の保護のための措置をとることができる。領空侵犯に関しては、自衛隊法第84条により防衛大臣は他国の航空機が国際法などに違反して日本の領空に侵入した場合、もしくは領空侵犯の畏れがある場合にこれを阻止する措置を行うことができる。領空侵犯に対する措置としては、領空侵犯機を日本の空港に着陸させるか、日本の領空から退去させるために必要な無線による警告、誘導、武器による警告などの措置をとることができる。スクランブルは冷戦期には最高で年1,000回近く行なわれていたが、冷戦後は比較的少なくなり、おおよそ年100回〜200回程度となっている。飛行機は高速で移動するので、単純に領空侵犯が行なわれた時点でスクランブル発進するのではなく、防空識別圏 (ADIZ:Air Defense Identification Zone) に入った時点で発進し、実際に領空侵犯が起きるのは年数回程度となる。2008年現在、領空侵犯機に対して警告射撃を行なったのは1987年に起きた沖縄本島上空におけるソ連機侵犯事案の1回のみである。スクランブルは、領空侵犯の恐れのある機に対する発進のほか、ハイジャックなど非常事態が起こった民間機の護衛、誘導などにも行われる。1980年代までは、専守防衛論議とのからみで、部隊の海外派遣は行われなかった。冷戦終結に伴う、国際政治環境の変化を受けて、湾岸戦争後の1991年のペルシャ湾への掃海艇派遣(自衛隊ペルシャ湾派遣)を皮切りに、それ以降PKO協力法に基づくカンボジアや東ティモールなどへのPKO業務、国際緊急援助隊業務を行っている。その他に、自衛隊はアメリカ同時多発テロ事件を受けテロ対策特別措置法によりインド洋周辺にて補給艦による他国の艦船への燃料や物資の補給や輸送機による物資の輸送を行なっている。インド洋に派遣する船舶は補給艦2隻および護衛艦3隻以内と定められている。また輸送機においては輸送を行う航空自衛隊の部隊の自衛官の数に相応する数量の拳銃等の所持が認められている。また、イラク戦争後のイラク復興援助のために、イラク復興支援特別措置法に基づき、陸上自衛隊や航空自衛隊の部隊によるイラク派遣を行っていた。2012年年度から東ティモールやカンボジアで、非伝統的安全保障分野における派遣を開始した。今後、東南アジアを中心に自衛官等を派遣する。自衛隊は、2010年(平成22年)の防衛計画の大綱で、海賊への対処や、地雷・不発弾処理、災害対応などの能力構築支援(キャパシティ・ビルディング)の推進を表明しており、インドネシア、ベトナム、モンゴルでも実施している。不発弾処理に関しては自衛隊法附則第4項に記載されているが、防衛大臣の命令で出動する旨のみが記載されているだけで、その他の細かい規定はない。出動回数は災害派遣より多く、2003年度までに113,703回出動し、計5,444tの不発弾を処理している。海上警備行動は自衛隊法第82条に定められており、海上における人命、財産、治安の維持のため特別の必要がある場合、防衛大臣が自衛隊に必要な行動をとるよう命じ、内閣総理大臣の承認を受ける。海上警備行動は1999年3月23日から24日にかけて不審船(北朝鮮の工作船)が日本の領海内に侵入した事件(能登半島沖不審船事件)の際初めて発動され、この命令に基づき威嚇として護衛艦が計25回の射撃、対潜哨戒機P-3Cが計12発の対潜爆弾投下を実施した。また2004年11月10日に沖縄県先島諸島周辺で中国海軍の潜水艦が潜航状態で領海侵犯した事件(漢級原子力潜水艦領海侵犯事件)の際にも発動され、哨戒機P-3C、対潜ヘリSH-60J、護衛艦「ゆうだち」「くらま」による追跡が行われた。1996年(平成8年)、国連海洋法条約の批准に際し、同年12月、自衛隊の部隊が同条約の定めるところにより、日本の領海及び内水で潜没航行する潜水艦に対して浮上・掲旗要求、退去要求を行うにあたり、あらかじめ閣議においてその基本方針と手順を決定しておき、個々の事案発生時に、改めて個別の閣議決定を経ることなく、内閣総理大臣の判断により、自衛隊の部隊が迅速に対処し得る旨の閣議決定(「我が国の領海及び内水で潜没航行する外国潜水艦への対処について」)がなされた。2004年11月10日早朝、国籍不明の潜水艦が先島群島周辺海域の日本の領海内を南から北方向へ向け潜没航行しているのを海自哨戒機(P-3C)が確認したことから、所要の措置を講ずるために、同日、上記閣議決定を踏まえ、1999年(平成11年)の能登半島沖不審船事案以来2度目となる海上警備行動が発令された。弾道ミサイル防衛(BMD)に関する行動類型としては、自衛隊法第82条の3に「弾道ミサイル等の破壊措置」が定められている。この条項は2003年に弾道ミサイル防衛システム導入が決定されたことを受け、2005年の法改正で整備された。弾道ミサイル等の落下により人命または財産に対して重大な被害が生じると認められる事態に対して適用される条項で、内閣総理大臣の承認を得て防衛大臣が部隊に必要な措置をとることを命ずる。内閣総理大臣の承認を受ける暇がない緊急の場合にはあらかじめ作成された緊急対処要領に従って部隊に出動を命ずる。同条による措置がとられた場合、内閣総理大臣はその結果を国会に報告する必要がある。各自衛隊は弾道ミサイル防衛に関する装備の整備を進めており、弾道ミサイルの探知手段としてイージス艦の改修と新型地上配備型レーダーの配備と既存レーダーの改修が行われる。また迎撃ミサイルとしてスタンダードミサイル SM-3とパトリオットミサイル PAC-3の配備を決定している。2009年3月27日、政府は安全保障会議を開き北朝鮮が「人工衛星」打ち上げ名目で発射した長距離弾道ミサイルが日本の領土・領海に落下する事態に備え、ミサイル防衛(MD)システムで迎撃する方針を決めた。これを受け、浜田靖一防衛相が自衛隊法82条2の第3項に基づき「破壊措置命令」を自衛隊に発令した。2泊3日程度の体験入隊(生活体験)が行われ、企業の研修などにも用いられており、各地方に設置された自衛隊地方協力本部に申し込むことになっている。周辺住民等を対象に施設見学会なども開催されている。2008年7月1日には渋谷駅東口の宮益坂に自衛官の活動内容の広報と若者の応募につなげることを目的としたオフィシャルスペース「自衛館」を開設した(運営は民間委託。2010年3月末に閉館)。立地に渋谷が選ばれた理由としては、10代後半から20代の若者が多く集まる地域であったことが挙げられる(開設予定地としては渋谷のほか原宿、秋葉原、新宿なども検討された)。他、陸上自衛隊広報センター、海上自衛隊佐世保史料館、海上自衛隊呉史料館、呉市海事歴史科学館、浜松広報館など、各地に広報用、観光用の施設を設けており、各自衛隊の装備品や、旧軍の兵器が展示され、また歴史や活動の広報が行われている。他、自衛隊地方協力本部や各基地、駐屯地などは、地方局のラジオなどでレギュラー番組を持っており、毎週、自衛隊の情報を発信している。これらの番組は自衛官が出演しており、好評を得て全国放送される番組もある。諸外国の軍隊の階級制度とほぼ同じ位置づけとなるが、憲法9条との兼ね合いから軍隊色を薄める目的で、旧日本軍のものから名称を変えている。統合幕僚会議議長については統合幕僚会議議長章を、他の三幕僚長は幕僚長章を左胸に着けるのみで、もともと3つ桜の最高階級である陸将・海将・空将は大将でも中将でもなく、旧日本軍では3つ星(桜)は「大将」であり、一方アメリカ軍などでは3つ星は「中将」であるという状況下で、曖昧な立場にあった。1959年に第3代航空幕僚長・源田実がF-X調査団として渡米した際、3つ星(桜)の源田は4つ星だが対等の米空軍参謀総長(大将)より格下の「中将」の待遇を受けたため抗議したが認めらず、現地で源田は星章を一つ増やして4つ星の階級章を付けた。この行動を規定違反として問題視する声が上がったが、帰国後自衛隊の服装規則そのものが改正され、1962年(昭和37年)8月17日発行の防衛庁訓令第51条「自衛官の階級章の略章に関する訓令」により陸上幕僚長・海上幕僚長・航空幕僚長及び、統合幕僚会議議長(現統合幕僚長)たる将は階級章が正式に桜花4つ、海上自衛隊の冬制服上衣の袖章では金太線1本(金中線4本分)に金中線3本となり、海外における大将相当の階級章を付けるように改正され、同時に幕僚長章は廃止された。陸上自衛隊においては1佐(一)職にある自衛官が乗車する車両には紅色や白色に赤枠を設けて他と区別した台座に帽章1個(星一つの車両標識)が掲げられ、将官に準じて扱われる例がある。1佐で着任した副師団長や将補職の部隊長、団から隊へ縮小改変予定の団長、副旅団長、師団幕僚長、その他1佐職(一)がこれに該当し、これらは諸外国軍の准将相当とされる。海上自衛隊には護衛隊群司令や航空群司令等、本来は将補の役職に就く1佐(一)を代将と位置づけ、司令部乗艦の自衛艦のメインマストに白地に赤色桜星1つの代将旗の掲揚や、使用公用車両を通常の陸運局ナンバーの黒塗り乗用車(通常1佐までは自衛隊ナンバーのライトバン)とし、車両標識も紺色プレートに銀色桜星1つを掲示する等、将補並の待遇をする。自衛隊内では代将が呼称として使われることは無いが、諸外国軍からは(代将)の呼称を受ける。指揮官旗は群司令・艦隊司令官等の将官の階級の桜星の数を配した物を掲揚する。自衛艦隊司令部には自衛艦隊司令官の海将と幕僚長の海将補の二人の将官がいるが、司令部のポールには桜星3つの海将旗のみが掲揚される。車両標識は指揮官職ではなくとも、将官はその階級の数の桜星を掲示する。将官の階級や標識、掲揚旗をその桜星の数で、将補をツースター、将をスリースター、陸海空幕長をフォースターと呼ぶ事があり、内閣総理大臣、防衛大臣の標識、掲揚旗はファイブスターとなる。内閣総理大臣旗、防衛大臣旗は地の色が異なる(自衛隊の旗参照)。陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊は、それぞれに独自の信条を掲げている。「陸自はおにぎりを食べ、海自はカレーを食べ、空自はハンバーガーを食べる」といった比喩や、以下のような言葉でその違いが表現されることもある。防衛省各自衛隊は、公式の行進曲、隊歌を制定している。またそれぞれの部隊が独自に部隊歌を作曲、制定(部隊制定)している場合もある。防衛大学校は、将来の陸海空幹部自衛官を養成する防衛省の機関の為、陸海空いずれもの行進曲を使用する場合もある。陸上自衛隊の前身に当たる、警察予備隊発足1周年記念観閲式(昭和26年8月10日)の為に、中央音楽隊初代隊長・須摩洋朔が作曲。中央観閲式(平成22年度)では、中央病院高等看護学院学生隊(男性隊員を含む)並びに陸海空女性自衛官部隊の観閲行進時に奏楽された。明治19年作曲の観兵式分列行進曲(陸軍省制定)を再制定したもの。観閲式において普通科(徒歩行進)部隊の観閲行進時に奏楽されるのが普通である。自衛隊観閲式(平成22年度)では、観閲部隊指揮官(並びに幕僚)、部隊用国旗(旗手、旗衛手)、防衛大学校学生隊、防衛医科大学校学生隊、高等工科学校生徒隊、普通科部隊、空挺部隊の観閲行進の時に奏楽された。曲名「扶桑歌」の扶桑とは日本の異称で、陸軍の観兵式(中分列式)のために作曲・制定された曲であることから「陸軍分列行進曲(分列行進曲)」や「分列式行進曲」などとも呼ばれる、(平成19年度自衛隊観閲式からは同曲を「陸軍~」の名称で紹介しているが、音楽隊では"行進曲「扶桑歌」"の譜が使われている。また、陸軍省とほぼ同時に同曲を制定した警察庁も「扶桑歌」の名称で現在まで使用している。「陸軍~」の名称は戦前には見られず、戦後いつ「陸軍~」の名称が使われ始めたか、またその根拠も不明)。明治30年作曲の海軍省制定行進曲を再制定したもの。観閲式において海上自衛隊部隊の行進時に奏楽される他、進水式などの儀式で奏楽される。課業行進曲や会報などに録音した物(主にCD収録音源)が使われることもある。航空自衛隊は発足より長らく米国の行進曲「ブラビューラ」を行進曲として使用してきたが、平成4年、航空自衛隊創設40周年の折に「空の精鋭」を作曲、公式行進曲として制定した。観閲式において航空自衛隊部隊の行進時に奏楽される。2002年に防衛大学校創立50周年記念行事の一環として防衛大学校同窓会より寄贈された。「防衛大学校への入校とともに、今まで生活とはおよそかけ離れた厳しい規律や訓練の中に身を置き、卒業時には帽章の鳩のごとくたくましく、力強く羽ばたいていく防大生の姿をイメージ」して作曲された。作曲者の神明は陸上自衛隊中央音楽隊勤務。課業行進曲としても使用されている。他国の軍隊との防衛交流を図り、防衛省高官の訪問、外国国防省高官の招待などを繰り返している。また、自衛官と外交官の身分を併有し、駐在武官に相当する防衛駐在官を関係の深い主要国に派遣している。海上自衛隊の初任幹部を乗せた練習艦隊の派遣もこれに貢献している。自衛隊は日米安全保障条約と同条約に基づいて駐留している在日アメリカ軍の存在を前提にして組織されている。自衛隊は現在のところ防衛に限った兵器しか導入していないため、敵国への戦略的な攻撃は米軍の協力を前提とする。1997年日米両政府により締結された「SACO合意」("Special Action Committee on Okinawa"、沖縄に関する特別行動委員会)により、日本の国防については日本が主に対処し、米軍は補助であるという原則が、文書の上で確認された。連携を保つための共同演習では、戦闘のほか「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」に基づく非戦闘員の救出・輸送訓練など、多様な形態の演習を定期的に実施している。在日米軍の全兵力は、約5万人である。日本とオーストラリアは、双方ともアメリカ合衆国と極めて緊密な軍事関係を構築しており、その関係から防衛首脳の会談も他国と比べて頻繁に行われている。自衛隊がイラクに派遣されたときには、サマーワでオーストラリア軍と共に復興活動に従事した。2003年9月、日本国防衛庁とオーストラリア国防省との間の防衛交流の発展に関する覚書に署名。2007年2月15日には、外務・防衛当局の審議官級協議が行われ、自衛隊とオーストラリア国防軍の共同演習などを今後行うという方針を確認した。2007年3月には、ジョン・ハワードオーストラリア首相が来日し、安倍晋三首相と「安全保障協力に関する日豪共同宣言(日豪安保共同宣言)」に署名、PKOの共同訓練、核・ミサイルなど大量破壊兵器遮断とテロ対策、国境を越えた犯罪予防協力など9項目での協力が成立した。両国の外交・防衛閣僚による定期協議(2プラス2)の実施も盛り込まれ、これにより日本にとってオーストラリアは米国に次いで2番目の安保分野の協力国となった。2008年12月、日本国防衛庁とオーストラリア国防省との間の防衛交流の発展に関する覚書を改定。2010年5月19日には、両国は「物品役務相互提供協定(ACSA)」に署名した。日本がACSAを結ぶのは、アメリカに続き2ヶ国目である。2012年2月11日~24日、航空自衛隊は、アメリカ空軍、オーストラリア空軍と初の3者共同訓練をアメリカ領アンダーセン空軍基地で実施した。規模は空自約330人、米空軍は約400人、豪州空軍は約300人である。2012年5月3日~18日に中央即応集団司令官の山本洋陸将を担任官にオーストラリアのパッカパンニャル諸職種訓練場で開かれる射撃競技会に中央即応集団の第1空挺団の隊員16人が参加する。結果は参加15カ国中、14位。1位のインドネシア軍とは倍近いスコアの差。最下位は東チモール軍。使用火器は89式5.56mm小銃、5.56mm機関銃MINIMI、9mm機関けん銃である。2011年にオブザーバー参加して事前に研修を行っている。2012年6月4日~5日に日豪共同訓練、6月6日~6月8日に日米豪共同訓練を実施する。九州南東方海域で海上自衛隊からは護衛艦・潜水艦1隻、航空機1機。アメリカ海軍は駆逐艦・潜水艦1隻、航空機1機、オーストラリア海軍は駆逐艦バララット、オーストラリア空軍の航空機1機が参加する予定。2012年5月、玄葉光一郎外相とオーストラリアのカー外相が外務省飯倉公館で会談、情報保護協定を締結した。2012年8月31日、南スーダンの国連平和維持活動に派遣している陸上自衛隊の現地支援調整所に日豪防衛協力の一環で、オーストラリア軍の要員2人を受け入れた。オーストラリア軍との情報共有を進め、現地支援調整所が担う国連やNGOとの連絡調整の効率化を図る。2015年7月、米豪合同軍事演習「タリスマン・セーバー」に自衛隊が初めて参加し、日米豪で上陸訓練を行った。2011年10月31日、一川保夫防衛相はフィリップ・ハモンド 英国防相と会談し、両国の防衛協力について新たな覚書(2004年1月に覚書に署名)の策定作業を開始することで合意した。F-35に敗れはしたが、イギリスは航空自衛隊の第4次F-X計画に、ユーロファイターを日本に積極的に売り込んできた。このF-Xでの積極的な売り込みの結果、日本とイギリスの間に国防関係の交流が発生した。2011年12月の武器輸出三原則緩和を受けて、2012年4月10日、野田佳彦首相はイギリスのデーヴィッド・キャメロン首相と首脳会談を行い、防衛装備品の共同開発・生産を早期に開始することで合意した。2013年3月、テロへの対処能力を向上させるため「化学防護服」を共同開発する方針で調整していることが判明している。2012年6月、日英防衛協力覚書を取り交わす。2012年7月7日、イギリスのフェアフォード基地で開催されるロイヤル・インターナショナル・エア・タトゥー(RIAT)に、初めて航空自衛隊のKC-767Jが参加した。2011年10月24日、ベトナムのフン・クアン・タイン国防相が来日し、防衛省で「日越防衛協力・交流に関する覚書」を交わし、海上安保における協力関係を確認した。防衛大学校ではベトナム軍少尉候補生の交換留学の受け入れを継続的に行っている。日本とフィリピンは、2006年6月に日比防衛首脳会談を行うなど、定期的に防衛首脳、次官級の交流を行なっている。2012年3月から4月にかけて行われるアメリカとフィリピンの合同演習に自衛隊が参加することが決定した。また、フィリピンの基地や訓練施設を、自衛隊が共同使用することも検討されている。2013年には、フィリピンを襲った台風ヨランダの甚大な被害を救援するため、フィリピン政府に要請に基づき、過去最大の1180人からなる海外派遣が行われた。2016年5月、日本から最大5機のTC-90をフィリピン海軍へ有償貸与する事が両国間で合意した。自衛隊装備の他国供与第一号となる。南シナ海での監視能力強化を図りたいフィリピンはP-3C対潜哨戒機を希望していたが、高度な運用能力を要するP-3Cに代わり、より扱い易いTC-90の移転が前年から検討されていた。専用の哨戒装備を持たないTC-90であっても、フィリピン海軍現有のBN-2に比べて大幅な能力向上が見込める。防衛省においては、人道支援・災害救援での能力向上を挙げているインド海軍艦艇の初訪日は1969年(昭和44年)。また、2007年(平成19年)4月16日には、日米印3ヶ国間訓練が初めて実施された。房総南方海域で行われ、海上自衛隊からは第1護衛隊群司令の指揮する護衛艦4隻、米海軍からは第5空母打撃群司令の指揮する駆逐艦2隻、インド海軍からは東部方面艦隊司令官であるR・K・ドワン海軍少将の指揮する駆逐艦「マイソール」とミサイルコルベット艦「クタール」、補給艦「ジョティ」が参加し、通信訓練、近接運動、戦術運動等が行われた。2006年3月、国連平和維持活動の国際連合兵力引き離し監視軍の派遣(自衛隊ゴラン高原派遣)で、ゴラン高原で同一宿営地に住居し、給食業務等を共同で行なっている。2008年10月には、両国首脳が日印安全保障協力共同宣言に署名し、日本にとって、インドはアメリカ、オーストラリアに次いで、安全保障分野で正式な協力関係を結んだ3番目の国となった。また、インドは国防の充実を図るため、これまで武器の輸出を事実上禁止してきた武器輸出三原則の緩和を睨み、防衛関連技術に関する協力強化を求める方針を示唆している。2012年には、海上自衛隊とインド海軍による2国間演習を実施することを決めた。中国への対抗を目的としている。日本とインドの交流は、2006年3月に森陸幕長がインドに訪問、2007年4月にシン陸軍参謀長、2009年8月にカプール陸軍参謀長が来日、2011年2月には火箱陸幕長がインドを訪問した。2011年8月にはインド陸軍の准将以下4人が富士総合火力演習を研修し、2012年1月には富士学校の陸自幹部がインドのトプチ火力演習を研修している。日本はインドに防衛駐在官を置き、インド防軍幕僚大学に留学生を送っているほか、インド陸軍も陸上自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程(CGS)多国間セミナーなどに参加している。また、ゴラン高原の国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)に派遣されている陸上自衛隊ゴラン高原輸送隊は、現地でインド陸軍とともに後方任務に当たっている。2013年には、インドに駐在官を陸海空の3人に強化する方針を決めた。3人体制は米中韓ロに続く5カ国目であり、近隣諸国や同盟国以外では初めてとなる。2010年(平成22年)5月には、外薗健一朗航空幕僚長がフランスを訪問し、同年9月にはピエール・フランソワ・フォリシェフランス海軍参謀長が来日するなど、日本とフランスは友好的な交流を続けている。2011年10月に、日仏情報保護協定を締結した。2012年2月22日には、ヴァンデミエールが佐世保港へ入港。2月27日、海上自衛隊およびアメリカ海軍と共同訓練をおこなった。また、武器輸出三原則緩和を受けて、武器や防衛装備品の共同開発・生産を進める方向で調整されている。2010年11月、政治、平和安保共同宣言を発表。フィンランドとの防衛交流は1959年に統合幕僚会議議長の林敬三陸将が同国を訪問して以来始まった。2012年6月、防衛交流・協力の意図表明文書に署名した。2009年12月、東南アジアで最初の防衛協力・交流の覚書を締結した国である。拡大ASEAN国防相会議で防衛医学分野の専門家会合の共催。2012年1月、日モンゴル防衛協力・交流の覚書を署名した。また、モンゴルが主催したPKO多国間訓練「カーン・クエスト」に自衛隊が参加している。2012年4月、日バーレーン防衛交流に関する覚書を署名した。2010年6月に日・NATO情報保護協定を締結している。自衛隊初の海外活動拠点がある。ジブチ国際空港の北側の土地約12ヘクタールを借り上げて、司令部庁舎・隊舎・P3C哨戒機の整備用格納庫・体育館などがある。日本政府は尖閣諸島は日本固有の領土であり、領有権問題は存在しないが、1971年に地下資源埋蔵の可能性が確認されて以降、中国は尖閣諸島の領有権を主張している。また、中国政府は日本が沖ノ鳥島に排他的経済水域を設定していることに異議を唱えている。吉林省と新疆ウイグル自治区通化にはミサイル基地が存在し、通常弾頭、核弾頭双方の中距離弾道ミサイル約25基の照準を日本の主要都市や在沖縄米軍基地へ向けている可能性が指摘されている ほか、日本領海内を潜水航行する原子力潜水艦を海上自衛隊が追跡した漢級原子力潜水艦領海侵犯事件の事例がある。近年では、アメリカ海軍の空母機動部隊の軍事プレゼンスを排除する目的で、対艦弾道ミサイルの能力向上と配備を推進している。中国人民解放軍の全兵力は約230万人である。2008年四川大地震では海上自衛隊の護衛艦が海南島に援助物資を緊急輸送した。2009年中国は各国艦艇を招き、国際観艦式を実施したが、日本国のみ招待しなかった。2010年4月に、東シナ海で中国海軍の軍事訓練を監視中の護衛艦あさゆきに中国海軍の哨戒ヘリが異常接近する威嚇行為事件が発生した。2013年1月、東シナ海で中国海軍フリゲートが護衛艦ゆうだちを射撃管制レーダーでロックオンする中国海軍レーダー照射事件が発生した。ロシアは日本と北方領土問題を有している。歴史的には日ソ中立条約の背信行為やシベリア抑留などが禍根となっている。不定期に電子戦機を日本領空付近まで進出させ、電子情報の収集を行なっており、この場合は、航空自衛隊によるスクランブルを受ける。また、情報収集艦を日本近海に配置して海上からも電子情報の収集および潜水艦を展開するための海洋観測をおこない、海上自衛隊による監視の対象となっている。ロシア軍の全兵力は約100万人である。1970年(昭和45年)陸上自衛隊第11戦車大隊は、占守島の戦いでソ連軍の侵攻を撃砕した日本陸軍の士魂精神を受け継ぎ「士魂戦車大隊」と命名された。1996年(平成8年)に海上自衛隊艦艇がウラジオストクを訪問して以来、毎年艦艇の相互訪問を行っている。1998年(平成10年)以降は捜索・救難共同訓練を行っている。日露海上事故防止協定も結んでいる。1999年(平成11年)に日露防衛交流に関する覚書を締結した。2002年(平成14年)10月には、海上自衛隊50周年を記念した国際観艦式に招待されソ連海軍時代を含めて初めてロシア海軍の潜水艦の日本寄港があった。2006年(平成18年)に日露防衛交流に関する覚書を改定した。2012年(平成24年)に日露防衛交流に関する覚書を改定した。安全保障分野で日露両政府の協力関係を拡大する。北朝鮮は韓国およびアメリカ合衆国(国連軍)と休戦中であり、準戦時状態を維持していることから、事実上の軍事同盟国である日本も敵視している。また、北朝鮮の工作員による日本人の拉致が行われている。また、北朝鮮は、国際的に非難を浴びた度重なる核実験の強行と、度重なる北朝鮮によるミサイル発射実験により、日本と高い軍事的緊張状態にある。日本は北朝鮮の船の入港禁止、および輸出入の全面禁止という経済制裁を実施しており、事実上、北朝鮮とは断交状態にある。防衛白書では北朝鮮による核兵器や、化学兵器、生物兵器などの保有を「重大な脅威」と公式表明し、自衛隊は北朝鮮の朝鮮人民軍を特に強く警戒している。北朝鮮軍の全兵力は約190万人である。2008年5月31日、北朝鮮軍部が「日本の反動勢力は、日本列島がわが革命的武装力の容赦ない打撃圏内にあるということをひとときも忘れてはならない」と警告し敵対姿勢を改めて鮮明にしている。日本国内には、北朝鮮のミサイル攻撃への抑止力となる先制攻撃能力と有事法整備を求める世論がある。2014年現在、北朝鮮軍は核弾頭の小型化に成功し、多数のノドンミサイルで日本を核攻撃できる能力を既に備えていることが米韓当局から確実視されており、更に日韓両国を黄海上から核攻撃できる潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の開発もかなり進展しているとされ、日朝の軍事関係は緊張が高まっている。日本と韓国とは竹島(韓国名:独島)の領有権問題を抱えている。中曽根内閣時代に日米韓関係の強化が図られ、合同訓練、武官の交換や学生の留学、艦艇の派遣や音楽隊の派遣・招致など防衛交流がある。韓国は地名や人物名を艦名にする慣習があるが、「独島」を強襲揚陸艦に付与し、伊藤博文を暗殺した安重根の名を潜水艦に付与しているほか、対馬を侵略した世宗大王、豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本武士団と対峙した李舜臣などの艦名を付与している。また、ロシア製戦車を正式採用するなど、アメリカに依存した安全保障体制からの脱却を目指している。韓国軍の全兵力は約65万人(陸軍主体)である。1994年(平成6年)年から海上自衛隊と韓国海軍との間で艦艇の相互訪問が開始された。1999年(平成11年)年には初の捜索・救難共同訓練を行った。2013年(平成25年)、日本政府及び自衛隊は国際連合、韓国軍からの要請により韓国軍南スーダンPKO部隊に弾薬1万発を供与。国交のない台湾(中華民国)とは、具体的な軍事的交流もない。台湾も尖閣諸島の領有を主張していて、日本との領有権に関する問題があり、民間船舶の他、行政院海岸巡防署の巡視船がしばしば領海侵犯を起こしている。台湾の航空機が、航空自衛隊によるスクランブルの対象になる事案は、ロシア、中国についで三番目に多い。2008年3月13日、防衛省の高見沢将林防衛政策局長は、「台湾有事は日本の問題」であり、周辺事態法の適用可能性もあると語り、自衛隊にとって台湾の政治事情は重要である認識を示した。また、アメリカの沖縄占領時にアメリカ空軍が設定していた防空識別圏を、日本はそのまま引き継いだため、西側2/3は台湾の防空識別圏として扱われるようになった。日本と台湾に重要な懸案が無かったため、このことは長年、重大な問題にはならなかったものの、与那国島の島民を含む沖縄県では、自分たちの空の一部を外国の軍が管理するという現状に不安を持っていた。台湾軍の全兵力は、約30万人である。2010年5月26日、防衛省は長年放置されていたこの問題を解消するため、防空識別圏の見直しを検討する方針を示し、台湾側にも通知した。台湾外交部は遺憾の意を表明し、認めないことを明言している。防衛省は2010年6月24日、防空識別圏見直しについての防衛省訓令を翌6月25日から実施することを発表した。自衛隊は他国に侵攻せず防衛に徹するという専守防衛を基本戦略として組織されているため、攻撃よりも防衛に特化した兵器を開発、調達している。過去にはアメリカの戦闘機を輸入、ライセンス生産する際に対地攻撃能力や空中給油装置を取り外す措置を行ったり、輸送機を開発する際、周辺国の脅威になるという点からあえて航続距離を短くした例もある。主力戦車など、兵器の能力は世界的にも一線級を維持しており、潜水艦技術では、通常動力型において世界最大級のそうりゅう型潜水艦を配備する。装備は基本的に日本製であるが、特殊部隊向けの装備、戦闘機などは欧米の製品を輸入している。日本に製造技術がない物の場合、既製品を輸入するよりもノックダウン生産やライセンス生産を選択し、保守や改良、後継品の国産化に役立つ工業技術の獲得、維持に努めている。以前は武器輸出三原則および政府統一見解による武器輸出規制のため、輸出や量産、他国との共同開発ができず、結果として単価が諸外国に比べて高額になった装備品もある。近年、防衛省や産業界、防衛政策に通じた政治家などは、米国との共同開発が必要なミサイル防衛等における当該原則緩和の必要性を踏まえ、武器輸出三原則の見直しを要望している。技術革新が進むにつれて、特に最新技術を盛り込んだ武器は高価になり、たとえアメリカ合衆国のような超大国ですら、もはや1国単独で軍需産業を維持、発展させることは困難な状況となっている。そのため、武器の開発や生産は国際共同が主流となりつつある。この流れに沿って、2014年4月1日、第2次安倍内閣は武器輸出三原則を改定して防衛装備移転三原則を新たに策定した。従来の武器の国産重視政策を転換し、武器の輸出制限を大幅に緩和するとともに、国際共同開発を積極的に推進することとなった。憲法解釈と専守防衛の理念、周辺情勢、金銭的負担などに関連して各種の弾道ミサイルや対地巡航ミサイル、航空母艦、戦略爆撃機などの開発や配備の是非については議論がある。核兵器に対しては“防御用の小型核兵器であれば憲法解釈上は装備可能であるが非核三原則にもとづき装備はしない”という政府見解が出されている。2014年7月15日の国会答弁で小野寺五典防衛相は「大陸間弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型航空母艦、の保有はいかなる場合も許されない」と発言。かつては空中給油機の配備も困難とされてきたが、飛行訓練の効率化や海外派遣時の航続距離延長のため、KC-767空中給油機が配備されている。従来は消極的であった自衛隊海外派遣も2009年現在では主要任務の一つになり、ソマリアやジブチなどアフリカ地域に部隊を展開するなど、自衛隊の活動の幅は広がっている。これに伴い、国内で開発する兵器も海外展開を視野に入れた性能が要求されるようになってきており、次世代輸送機C-2は、C-1やC-130を大きく超える巡航距離を目指して開発され、2016年6月に量産初号機が航空自衛隊に引き渡された。航空母艦については、対潜能力や輸送能力の向上を目的として、諸外国ではヘリ空母に相当するひゅうが型護衛艦が導入された。ひゅうが型よりさらに大型となる基準排水量19500トンのいずも型護衛艦が、2010年度予算で建造費1208億円により認められた。就役後は、陸上自衛隊のトラック約50台、人員約400人を輸送し、かつ他の艦艇への補給能力を持つことができる。平和主義を標榜する日本では、自衛隊の存在や運用に関して多くの議論がなされている。自衛隊に限らず、ほとんどの国の軍隊の基本は自国への侵攻を阻止できる能力を備えることである。日本へ侵攻するには艦船で海を越え上陸しなければならないため、自衛隊は対艦攻撃能力の向上を図っている。一方、巡航ミサイル等の長距離攻撃兵器を全く保有していないため、侵略軍の本土の補給拠点や出撃拠点を攻撃する能力は無い。また長距離攻撃兵器がないため、上陸部隊の後方の補給線を攻撃する能力は低く、航空機の航続距離の範囲内で攻撃する能力しかない(航空自衛隊への空中給油機導入後は航続距離の延長が可能となった)。離島における防衛態勢は不十分であり、対馬島民からは自衛隊の増強を要請されている。憲法9条に関する学説には、憲法9条第1項において全ての戦力が放棄されたとする立場(峻別不能説)、憲法9条第1項の規定では自衛戦争は放棄されていないが、第1項の趣旨を受けて憲法9条第2項に戦力の不保持と交戦権の否認が定められた結果として全ての戦争が放棄されたとする立場(遂行不能説)、「前項の目的」とは「国際紛争を解決する手段」としての戦争放棄を指すのであり自衛戦争及び自衛のための戦力は放棄されていないとする立場(限定放棄説) がある。政府見解は憲法制定時より憲法9条第1項では自衛戦争は放棄されていないが、第2項の戦力不保持と交戦権の否認の結果として全ての戦争が放棄されているとする遂行不能説に立ちつつ、冷戦構造の深まりの中でこのような枠組みを維持しながら、交戦権を伴う自衛戦争と自衛権の行使としての必要最小限度の自衛行動とは異なるものであり後者については憲法上許容されていると解釈するに至っている。ただ、自衛行動の範囲について、鈴木善幸内閣の政府答弁書は、集団的自衛権については国際法上これを有してはいるものの憲法上行使は許されないと解釈していた。これについて平成11年の参議院予算委員会において大森政輔内閣法制局長官(当時)は「個別的自衛権に基づく我が国を防衛するために必要最小限度の自衛行動というものは憲法が否定していないということを申し上げたのでございまして、いわゆる戦争の三分類による自衛戦争ができるんだということを申し上げたわけではないと。自衛戦争という場合には当然交戦権が伴うんでしょうけれども、先ほど我が国がなし得ると申し上げましたのは、自衛戦争という意味よりももう少し縮減された、あるいは次元の異なる個別的自衛権に基づく自衛行動というふうにお聞き取りいただきたいと思います」 と述べた。また、平成11年の参議院外交防衛委員会において秋山收内閣法制局第一部長(当時)は「自衛戦争の際の交戦権というのも、自衛戦争におけるこのような意味の交戦権というふうに考えています。このような交戦権は、憲法九条二項で認めないものと書かれているところでございます。一方、自衛行動と申しますのは、我が国が憲法九条のも

出典:wikipedia

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