港北区(こうほくく)は、横浜市を構成する18行政区のうちの一つである。東急東横線の沿線を中心に住宅・商業地が発達している。横浜線、横浜市営地下鉄沿線は緑を残しつつもニュータウンや大規模なマンションなどが立ち並び、今なお開発が進んでいる。特に東海道新幹線の新横浜駅周辺は新横浜として発展しており、2008年3月26日に19階建ての駅ビルであるキュービックプラザ新横浜が開業した。同年3月15日に、すべてののぞみ号、ひかり号が同駅に停車するようになった。小机町には2002年6月のFIFAワールドカップの決勝の舞台となった横浜国際総合競技場(日産スタジアム)があることでも知られる。港北区は横浜市北東部に位置し、横浜市政が指定する都心(ツインコア)の一つである新横浜都心の内、神奈川区にある羽沢地区を除くすべての地区が港北区にあり、それらの各周辺地区は、現在活発に再開発が行われている人口・世帯数はともに横浜市のみならず、日本の政令指定都市の行政区の中で最大である。東急東横線沿線を中心とする東部には、低層の一戸建て住宅中心の閑静な住宅地が、横浜市営地下鉄沿線を中心とする西部にはマンション中心の新興住宅地が広がっている。その一方で広い区内には随所に豊かな自然も残っていることから、市内でも人気の高い地域である。1939年(昭和14年)4月に都筑郡下の各町村が横浜市に合併した際、神奈川区から分区する形で成立した。都筑郡下の各町村は都筑郡一体での行政区成立を望んだが、地理的条件などを勘案し、神奈川区の旧大綱村(白幡除く)・日吉村・城郷村(小机・鳥山・岸根のみ)・旭村師岡の地域に、旧都岡村・二俣川村を除く都筑郡の各町村をもって一行政区とされた。成立当時の名前の候補として、菊名区が挙げられたが、横浜港の北にあるということで港北区に決定した。誕生当時は、現在の港北区・緑区・都筑区・青葉区に保土ケ谷区の上菅田町・新井町をあわせた区域だったが、1969年に緑区(現在の緑区・青葉区及び都筑区の一部)を分区し、上菅田町・新井町は保土ケ谷区に編入された。さらに1994年11月に行政区再編成により、区の北西部地域が都筑区に分区編入されて、現在の港北区に至る。日吉地区は平成以前市外局番「045」の横浜電話に含まれず、旧日吉村域が中原郵便局管内であった名残から市外局番「044」の準市外電話扱いとされ、電話番号は「044-6X-XXXX」と9桁であった。他の市内と異なり市内へ掛ける際も「045」をダイヤルしなければならなかった(なお、同一市外局番だった川崎市へも「044」が必要だった)。1990年10月1日に横浜MAに編入され、電話番号は「045-56X-XXXX」へ変更された。港北区内では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。港北区選出の市議会議員は7名、県議会議員は4名、国会の衆議院は神奈川7区に属する。かつては旧松下通信工業も本社を構えていたが、松下グループの事業再編により、同社の法人格を継承しているパナソニック モバイルコミュニケーションズは都筑区に本社を移し、旧本社はパナソニック コミュニケーションズ(現パナソニック システムネットワークス)の事業所となった。もともとは鉄道沿線の駅前を中心に商店街などが連ねていたが、最近大規模開発が行われている新横浜駅周辺が商業の中心地になりつつあり、港北ニュータウンの発展も含めて企業の進出も多い。現在でも田園風景が多く残っており、市内でも農業が盛んな区の一である。古くは鶴見川を中心に稲作や果樹(モモ・ビワ・イチゴ)など東京などに向けた近郊農業が盛んに行われていた。現在は新羽・大熊農業専用地区などを中心にホウレンソウ、小松菜など軟弱野菜の生産が行われている。戦前、全国的に有名だった綱島の桃「日月桃」があった。区内には都市銀行として、みずほ銀行、三菱東京UFJ銀行、三井住友銀行、りそな銀行があり、地方銀行では、横浜銀行(横浜市の指定金融機関である関係で区役所に出張所がある)スルガ銀行、阿波銀行、信用金庫は、横浜信用金庫、芝信用金庫、川崎信用金庫、城南信用金庫、さわやか信用金庫がある。信用組合はない。このほか、農協、労働金庫がある。集配局として、港北郵便局と綱島郵便局がある。郵便番号は港北管轄が222,綱島管轄が223である。このほか無集配局が25局ある。公立 : 港北区は旧横浜東部学区に属する。私立公立私立区内には新幹線以外は3社局が運行している。直接都心に出られる東急の利用率が高い。鉄道が通っていない北西部はバスの利用率が高い。主なターミナルは日吉駅、綱島駅、新横浜駅。なお、2009年11月30日の運行を最後に羽田空港〜日吉駅間の運行を終了した。
出典:wikipedia
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