益山市(イクサンし)は大韓民国全羅北道の市。旧名は裡里(イリ)市。全羅北道西北部に位置し、北は錦江を隔てて忠清南道論山市、扶餘郡、西は全羅北道群山市、南は同金堤市、東は完州郡と接する。百済の金馬渚の地。市街地には所力只、北部には甘勿阿、礪山地区は只良肖・閼也山が置かれていた。三国統一後、新羅は高句麗王族・安勝を報徳国王に封じてここに住まわせた。景徳王は金馬・沃野・咸悦・礪良・野山として編成した。高麗時代は野山を朗山に改名し、14世紀には金馬郡を中心に益州が設置され、咸悦を龍安に改名した。李氏朝鮮時代は1400年に礪山県、1413年に益山郡と安悦県が設置されたが、安悦県はすぐに咸悦・龍安に戻した。植民地時代の1931年、郡の中心である益山面(村)が益山邑(町)に昇格、さらに裡里邑と改称された。1947年裡里府に昇格し、1949年裡里市と改称した。1977年11月11日、裡里駅爆発事故が起こり、死者59人、負傷者1,343人、被災1,982世帯という大惨事となった。1995年益山郡と合併して益山市が新設されている。2004年に北朝鮮で発生した龍川駅列車爆発事故では市民的な救援運動が起こった。益山駅は、全羅線が東に、湖南線が西に分岐する交通の要所であり、KTXを含めたすべての旅客列車が停車する。KTXでソウル特別市の龍山駅まで最速1時間4分、西大田駅まで約57分、光州松汀駅まで最速27分、全州駅まで約16分、麗水エキスポ駅まで約1時間34分。長項線で天安駅へ約2時間20分。高速道路国道バス7世紀百済の武汪が建立したとされる弥勒寺石塔(国宝)が残り、寺跡に彌勒寺址博物館も整備されている。さらに熊本県の江田船山古墳との関連性が指摘される副葬品を出土した5世紀の笠店里古墳や1906年建立の華山天主教会、益山宝石博物館などもある。
出典:wikipedia
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