ラム酒(ラムしゅ)またはラム(英語:、フランス語:、スペイン語:)とは、西インド諸島が原産地と考えられている、サトウキビの廃糖蜜または絞り汁を原料として作られる蒸留酒である。サトウキビに含まれるショ糖を酵母でアルコール発酵させてエタノールに変えた後、蒸留、熟成することで作られる。仔羊の肉()などとの誤解を生むことがないラム酒という言い方も日本で一般的であるが、本稿では以下ラムと表記する。アルコール発酵原料の点では、一般的なラム(インダストリアル・ラム)は砂糖を製造する際の副産物である廃糖蜜(モラセス)のみを使用する。廃糖蜜は日本、韓国の連続式蒸留焼酎にも使われるが、焼酎には米などのデンプンを原料とする麹も使われている。一部には廃糖蜜ではなく固形の黒糖を使用している場合もあるが、例外的である。蒸留後の熟成に関しては、ラムは基本的にオークの酒樽に入れて熟成されるが、焼酎はタンク熟成、甕熟成なども一般的で、必ずしも木樽を使わない。ラムはそのまま、あるいはカクテルベースとして飲用に用いられる以外に、ケーキ、タルトなど焼き菓子の風味づけにも多用され、レーズンをラムに漬け込んだラムレーズンの形で用いられることも多い。紅茶の香り付けに少量加えることもある。また、アンゴスチュラ・ビターズのように、ラムに他の成分を浸出させたリキュールの製造原料としても用いられる。ラムの原材料はサトウキビであるが、ラム発祥の地とされるカリブ海の島々にはサトウキビは自生していない。1492年、クリストファー・コロンブスによるヨーロッパ人のアメリカ海域への到着以降にヨーロッパ人がこの海域にサトウキビを持ち込んだところ、気候が合ったため、カリブ海の島々はサトウキビの一大生産地となった。ラムの発祥には以下のような説があり、定かとはなっていないがカリブ海のどこかの島が原産ではあるようだ(カリブ海の海賊たちの物語の中に登場する酒と言えばラムである)。いずれにせよ、遅くとも17世紀にはラムが存在していたものと考えられている。ラムの名前の由来についても発祥と同様にいくつかの説があり、そのいずれであるかは定かではない。その後、ジャマイカを中心に砂糖プランテーションが拡大するとともに、砂糖精製の副産物であるモラセス(廃糖蜜)から作られるラムの蒸留業も盛んになっていった。これには砂糖・銃・奴隷の三角貿易も強い影響を与えている。即ち、西インド諸島でモラセスを船に積み込みアメリカに運ぶ。アメリカでラムを製造し船でアフリカへ運ぶ。アフリカではラムが黒人の購入代金となり、黒人は奴隷として西インド諸島へ運ばれサトウキビ栽培の労働力となる。この循環は奴隷貿易が廃止される1808年まで続いた。1740年、イギリス海軍は海兵に士気を鼓舞したり、娯楽のためにラムを支給した。当時の軍艦の動力である蒸気機関のボイラー室のような火を扱う場所で働く者が、高い室温に負けないようにするためにラムを飲ませていたと言われる。この海兵へのラムの支給は1970年まで続いた。このことから、いくつかのエピソードや伝説(後述)も産まれ、ラムは航海や海の男のイメージを強くしていった。20世紀、第二次世界大戦までのアメリカではジンが人気であったが、大戦によってイギリスからジンを輸入することが困難になったことで、ラムが人気を呼ぶことになった。戦後もラムの需要は減ることがなく、カクテルのベース(基酒)としての役割が高まっていき、アメリカから世界へとラムの人気は広がっていった。1970年代にはウォッカと共に国際的な酒としての地位を固めていった。イギリスの『』紙によると、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの大ブームのおかげで、イギリスではラムが飛ぶように売れ、バーでもモヒート、ピニャ・コラーダ、マイタイ、キューバ・リブレといったラムベースのカクテルが好んで飲まれ、3作目となる『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』が公開された2007年のダーク・ラム消費量は前年比31%増という数字を叩き出し、イギリスのテスコではゴールデンラムの売上が前年比65%増になったという。ラムは日本の酒税法には名称の記載がないが、蒸留酒類の内、スピリッツに分類される(第3条)。イネ科のサトウキビを出発原料とする蒸留酒としては、他にブラジルのピンガ、日本の連続式蒸留焼酎(しょうちゅう甲類)や黒糖焼酎なども存在する。ラムには色による分類と、香りの強さによる分類と、原料別製法による分類が有る。いずれの方法においても、複数回の蒸留を行って、エタノールの濃度を、製造段階で一旦80%程度に濃縮することが多い。ただし最高でもエタノールは95%未満にまでしか濃縮しない。もしここで95%以上にまでエタノールを濃縮してしまうと、中性スピリッツになってしまう。蒸留による濃縮後、熟成させる前に加水することもある。熟成後は通常割り水され、だいたいアルコール度数が40%-50%くらいの酒になるように調整して出荷される。しかし、中にはアルコール度数75.5%で出荷されるものも存在する。なお、酒のエタノールの濃度を指して"151プルーフ"(=アルコール度数75.5%をUSプルーフで表したもの)という表記がなされることがあり、出荷時に151プルーフという意味で名称に「151」が付けられる製品もある。例えば、ロンリコ151、などがそれである。ブラジルのピンガはサトウキビの絞り汁をそのまま用いており、これは近年日本でも作られているアグリコール製法と共通する。また、酵母の性質の違いやオーク樽を使用しないことで風味が異なる。奄美黒糖焼酎はサトウキビの絞り汁を煮詰めて固形の黒砂糖にしてからさらに湯で溶かし、米麹を発酵させたもろみに加える。蒸留は一度限りのため、原酒のアルコール度数は40度強。なお、『酒税法』と関連の通達により、大島税務署が管轄する奄美群島でしか黒糖焼酎は作れず、他の地域で作るとスピリッツとして課税される。発酵させてできた醸造酒を蒸留し、エタノールの濃度を高めてから熟成させる工程は共通であるが、主に原料によってインダストリアル製法とアグリコール製法に分類される。インダストリアル製法は、サトウキビから砂糖を精製する際の副産物であるモラセス(廃糖蜜)を原料として作られるもの。この製法で作られたラムをインダストリアル・ラム(工業ラム)と呼ぶこともある。この製法で作られたラムが、全世界的にはラムの総生産量の約97%ないし約98%を占める。モラセスを貯蔵しておくことで、好きな時に醸造を開始することが可能なため、サトウキビの収穫時期に拠らず通年でラムの原料となる醸造酒の製造開始が可能であり、出来上がった醸造酒を次の蒸留工程へと送ることで、年中ラムを製造できる。また、モラセスを輸入してラムの原料となる醸造酒の製造をすることもできるため、サトウキビの生産地以外でも醸造工程からラムの製造ができる。インダストリアル製法の中には、例外的に固形の黒砂糖を水に溶解させて用いる例がある。アグリコール製法は、サトウキビの搾り汁から砂糖を精製せずに、搾り汁を直接、原料として醸造酒を作る点が異なっている。この製法で作られたラムをアグリコール・ラム(農業ラム)と呼ぶこともある。登場はインダストリアル製法より新しく、また全世界的にもラムの総生産量の約3%ほどしかない。また、サトウキビは刈り取った瞬間から加水分解やバクテリア発酵が始まるため、栽培地の近くでないとこの製法は行えず、収穫時期以外はラムの原料となる醸造酒の製造を開始できない。「ライト・ラム」と「ミディアム・ラム」と「ヘビー・ラム」では、風味と製法が異なる。ライト・ラムは、モラセスと水を混ぜ、純粋酵母発酵させて醸造酒を作り、連続式蒸留器で蒸留。蒸留後、内面を焦がしていないホワイトオーク樽やタンクで短期間熟成される。樽熟成のままだとゴールドラムに、熟成後に活性炭で濾過するとホワイト・ラムになる。弱い風味と味(比較的中性スピリッツに近いこと)が特徴である。このため、ラムの中では、このタイプのものがカクテルのベースとして多用される。スペインの統治下にあったキューバ、プエルトリコなどに多くみられる。ヘビー・ラムは、モラセスを自然発酵させ単式蒸留器で蒸留する。蒸留する前にバガス(サトウキビ搾汁後の残渣)や(前回蒸留したときの残液)を加えることもある。蒸留後、内面を焦がしたオーク樽(バーボン樽を用いることもある)で熟成させる。長期間(3年以上)熟成されるとダーク・ラムになる。エタノール以外の副生成分を多く含み、風味が強く、褐色をしているのが特徴。場合によっては濃い褐色の場合もある。なお、この分類をダーク・ラムと呼ぶこともある。琥珀色を出す為に着色料(カラメル)を添加して作られる製品もある。色が濃い方が質が良いと誤解されている地域もあるため、過度の着色をされる場合がある。イギリス連邦加盟国のジャマイカ、ガイアナ、トリニダード・トバゴなどに多くみられる。ミディアム・ラムは、ヘビー・ラムと同様にモラセスを自然発酵させ醸造酒を造る。バガスやダンダーを加えることもある。蒸留は連続式蒸留器を使う銘柄もあれば、単式蒸留器を使う銘柄もある。また、ヘビー・ラムとライト・ラムをそれぞれ製造し、ブレンドするといった製法もある。このように、その製法は様々である。ラムの風味と香りを持たせながら、ヘビー・ラムほど強い個性ではないのが特徴。ヘビー・ラムと同様に、カラメルなどを着色のために添加していることもある。フランス系植民地で発展し、フランスの海外県のマルティニーク島やグアドループ島などによくみられる。スパイスト・ラムは、主にインダストリアル・ラムにバニラなどの香辛料で香り付けを行ったもの。スパイスト・ラムは、一般的なラムと比較すると出荷時のアルコール度数が低い製品もあり、アルコール度数30°台の製品も存在する。なお、スパイスト・ラムはフレーバード・ラム(フレイバード・ラム、フレーバー・ラム)とも呼ばれる。なお、スパイス「ト」ラムであることに注意。また、他のタイプのラムにも何らかの香りを付けることもある。全てに当てはまるわけではないものの、植民地時代に確立した製法を受け継いでいるメーカーが多いため、旧宗主国本土で一般的であった蒸留酒(イギリスのスコッチ・ウイスキー、フランスのブランデーなど)と特徴も類似する傾向がある。一部のメーカーでは現在でも原酒を旧宗主国本土に運んで熟成させることも行われている。小笠原諸島では、開拓初期(1830年頃)の欧米系定住者が捕鯨船とラムの取引を行っていた。1876年に日本領土に確定してからは、亜熱帯の気候を生かし、サトウキビの栽培が行われた。このサトウキビを使った製糖業が盛んになり、製糖の過程で粗糖を取り出した際に生ずる副産物、つまりモラセス(廃糖蜜)を発酵させ、そうしてできた醸造酒を蒸留することで作った蒸留酒を、島民は「泡酒」や「蜜酒」などと呼び、飲むようになった。すなわち、インダストリアル・ラム(工業ラム)の製造が行われたのである。以後、太平洋戦争中に島民が強制的に本州などへ疎開させられるまで、永く愛飲されることになる。小笠原諸島は太平洋戦争中にアメリカに占領され、戦後もそのままアメリカが統治していたが、1968年に日本に返還された。返還後、疎開先から徐々に小笠原に戻ってきた旧島民にとって、疎開前に愛飲していた地酒のラムの味は忘れがたいものであったらしい。こうした独自の歴史背景から、日本に返還後、ラムの製造も行われるようになった。第二次世界大戦後のラム製造としては、徳之島にある高岡醸造が1979年から作っている、ルリカケスが国産ラムの第1号である。なお、徳之島を含む奄美群島では黒糖焼酎が作られており、戦後アメリカが占領支配していた時期(1953年の本土復帰ごろまで)には、黒糖だけで蒸留酒(黒糖酒)が作られた例もあるが、オーク樽による熟成が行われることはなかったため本格的なラムとはいえない。ラムと現在の奄美黒糖焼酎の違いは、ラムには使用されない米麹が、黒糖焼酎では日本の税法上の規定のために必ず使用される点と、黒糖焼酎はモラセスではなく、固形の黒砂糖を使用する点である。続くバブル期の空前の地ビールブームの中、村おこしの一環として小笠原ラム・リキュール株式会社が設立され、小笠原の地酒としてのラムが復活し、1992年に製品化された。21世紀に入ると製造者が多様化した。沖縄県の南大東島で生産を行っているグレイスラムは、元々酒造業とは無関係な沖縄電力のベンチャーという異色の存在である。同社の社内ベンチャーに応募した現社長・金城祐子の案が事業化され、2004年に設立。南大東村の協力を得て旧南大東空港のターミナル施設を工場として借り受けて生産を行っている。グレイスラムはサトウキビの栽培が盛んな南大東島の利点を活かし、基本的にサトウキビの産地でないと作れないアグリコール・ラム(農業ラム)の生産を行っている。2007年には、高知県の菊水酒造よりラムが発売された。同社は、1849年頃から栽培の歴史があり、1950年には日本一の生産量を誇った高知県のサトウキビ栽培を復活させるべく、黒潮町にて栽培、アグリコールラムの製造を行っている。同社のヨコスカ・ラムはサトウキビの北限とされる静岡県大須賀町(現・掛川市)で作られたサトウキビを原料に製造したアグリコール・ラム。イエ・ラム・サンタマリアは、沖縄県の伊江島で2011年7月から販売されているアグリコール・ラムである。滋賀県のナインリーヴズは2013年に開業した本州初のラムブランドで、黒糖を原料に用いている。世界的なラム品評会RHUM FEST PARISにて2014年度のイノベーション部門銀賞を日本のラムのブランドとしては初めて獲得した。2008年、ラム専門のバー(ラム・バー)のオーナーら5人が集まって日本ラム協会を設立した。日本におけるラムの認知、普及、定着を目標として活動を行っており、ラム・コンシェルジュの資格認定、教育、JAPAN RUM CONNECTIONなどのイベント開催を行っている。
出典:wikipedia
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