道志村(どうしむら)は、山梨県の南東に位置する村である。山梨県の村としては最東端に位置する。道志みち(国道413号線)沿いには大小様々な形態のキャンプ場が30以上存在しており、関東圏はもとより日本でも有数のキャンプ場密集地である。北東から西南に延びる山間に立地し、村の中央を道志川が北東に向けて流れる。道志川側沿いに国道413号が通っているが、北は道志山塊、南は丹沢山塊と1000mを超える山が連ねているため、上野原市、山北町とを直接結ぶ道路はない。村全体は木の葉の形をしており、葉脈部分が道志みちに当たる。古くから道志七里と呼ばれた山間抜け道沿いの集落であった。古代から近世までは甲斐国東部の都留郡に属し、江戸時代には道志村1村であるが32の小字が6組に編成され、組が事実上の村として組ごとの名主が存在していた。木材をはじめとする多くの林産物を生産し、津久井(神奈川県相模原市緑区)の荒川番所を経て移出されていた。1878年(明治11年)7月22日の郡区町村編制法の施行により都留郡が南北に分割され、村域は南都留郡に属する。1889年(明治22年)7月1日の町村制施行により近世以来の道志村が単独で自治体を形成し、現在に至る。近代には神奈川県小田原から木地職人が往来して木地細工を行い、村域の木工業は小田原との関わりが強い。1924年(大正13年)には道坂隧道が竣工し、1932年(昭和7年)には山伏隧道が開通する。1950年(昭和25年)には富士山麓鉄道のバス路線が開通する。2012年(平成24年)10月4日に 「日本で最も美しい村」連合への加盟が認定された。しかし、2015年1月に退会した。1897年(明治30年)に横浜市水道が道志川から水道原水の取水を始めた(取水地は相模原市緑区青山)。当時は「赤道を越えても腐らない水」といわれていた。その後の都市化に伴う森林破壊等により、各地で水源となる森林の保全が問題となるが、横浜市は1916年(大正5年)に山梨県より当村内の県有林約 2,800haを取得し水源涵養林の保全に着手、以降現在まで横浜市と道志村は協働して水源林を保全している。2003年(平成15年)6月12日、道志村村民 653名(全住民の3割超)の賛同をもって住民発議され、横浜市に合併を申し入れた。しかし、距離のある越境飛地となり、また村議会や山梨県などの賛同も得にくい状況であったため横浜市側から断ることとなった。2004年(平成16年)6月22日に「横浜市と道志村の友好・交流に関する協定書」および「横浜市民ふるさと村に関する覚書」を締結している。主な産業 - 農業・観光村内に鉄道路線は通っていない。最寄駅としては富士急行線富士山駅、谷村町駅、都留市駅。月夜野地区など村東部へは中央本線藤野駅(中央本線の駅としては村には一番近いが、村内から同駅への路線バスはない)、横浜線、相模線、京王相模原線橋本駅(月夜野バス停より津久井神奈交バスで三ヶ木(みかげ)行き乗車。終点で乗り継ぎ)。富士急山梨バス4つ目の期間限定運行の便を除き、各便とも平日のみ、1~3往復のみの運行(土休日運休、また休校日等運休があるため要事前確認)。このため、山梨県の自治体でありながら11月から4月までの間は休日に公共交通機関で山梨県側から道志村を訪れることはできない。津久井神奈交バス道志七里ふれあいバス(運行終了)高速道路など有料道路の最寄ICは、前述の二つの一般道を経由し、中央自動車道相模湖IC(村東部の最寄り)、中央自動車道富士吉田線都留IC、東富士五湖道路山中湖ICがある。道志村のNTT加入電話はほとんど道志局収容(市外局番 0554)であるが、当村東端の月夜野地区については道志局から遠く、隣接する相模原市緑区津久井町青根地区が近いため、津久井青根局収容(局番 042-7)になっている。このため、道志局ではサービス開始されていない高速インターネット接続サービスが月夜野地区でのみ利用可能な場合がある。また、月夜野地区は前述のように青根局収容のため、相模原市及び遠く東京都町田市まで市内通話扱いとなる。
出典:wikipedia
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