神秀(じんしゅう、606年(大業2年) - 706年(神龍2年))は、陳留尉氏県(開封市尉氏県)出身で俗姓は李。中国禅宗における六祖(北宗としては開祖)。彼の禅法は段階的に悟りを進める「漸悟」であり、弟弟子の六祖慧能の直下に悟りに至る「頓悟」思想と対極を為した。(この点を、『壇経』では、神秀の「身は是れ菩提樹、心は是れ明鏡台の如し、時時に勤めて払拭せよ、塵埃を惹かしむること勿れ」と、慧能の「菩提本樹に非ず、明鏡亦台に非ず、本来清浄(伝本では本来無一物)、何れの処にか塵埃を惹かん」の偈によって象徴している)当初は彼が六祖とされていたはずなのだが、後に六祖慧能の弟子で七祖を自称した荷澤神會の北宗批判により、それまでは区別のなかった東山法門派が神秀門下の「北宗」、慧能門下の「南宗」の二派に分かれるようになり、南宗開祖の慧能が神會の目論見通り、六祖となった。彼の後は弟子の普寂が嗣ぎ、日本にも奈良時代・平安初期に伝わり、日本天台宗の開祖最澄も師の国分寺行表から北宗禅の思想を受け継いでいる。
出典:wikipedia
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