


イーカリオス()は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してイカリオスとも表記される。主に、の2人が知られている。以下に説明する。このイーカリオスは、アッティカの神話的人物である。ケクロプスの子パンディーオーンがアテーナイの王だったころの人で、ディオニューソスが初めてアッティカにやって来たときに歓迎したといわれる。エーリゴネーという娘がおり、またマイラという愛犬を飼っていた。アポロドーロスによると、イーカリオスに歓迎されたディオニューソスは返礼として、ブドウの苗木と、ブドウ酒の醸造法を授けたといわれる。そこでイーカリオスはブドウ酒を広めようと考え、羊飼いのところにやって来てブドウ酒をふるまった。ところが羊飼いたちはブドウ酒を水で割らずに飲んで、ひどく酔っ払い、毒を飲まされたと勘違いをしてイーカリオスを殺してしまった。エーリゴネーはマイラとともにイーカリオスを探し歩き、イーカリオスの墓を見つけたときに首をつって自殺した。ヒュギーヌスによると、イーカリオスとエーリゴネーの死に怒ったディオニューソスはアテーナイの女たちを狂気させた。アテーナイ人は神託によって2人の死が原因であることを知り、イーカリオスを殺した羊飼いたちを罰し、エーリゴネーの死を悼んで振り子人形の祭礼を定め、イーカリオスとエーリゴネーにブドウの初穂を供えた。また神々はイーカリオス、エーリゴネー、マイラを天に上げ、それぞれうしかい座、おとめ座、シリウスに変えた。このイーカリオスは、アイオロスの子のペリエーレースとペルセウスの娘ゴルゴポネーの子、あるいはキュノルテースの子ペリエーレースとゴルゴポネーの子で、アパレウス、レウキッポス、テュンダレオースと兄弟。あるいはキュノルテースの子ペリエーレースの子のオイバロスと水のニュムペーのバテイアの子で、テュンダレオース、ヒッポコオーンと兄弟。水のニュムペーのペリボイアとの間にトアース、ダマシッポス、イメウシモス、アレーテース、ペリレオースと、ペーネロペー、イプティーメーをもうけた。しかし一説にはイーカリオスの妻はリュガイオスの娘ポリュカステーといわれる。アポロドーロスによるとイーカリオスとテュンダレオースはヒッポコオーンとその子供たちによってラコーニアから追放され、アイトーリアのプレウローンの王テスティオスのところに亡命して、テスティオスの戦争を助け、ヘーラクレースがヒッポコオーンを滅ぼした後にラコーニアに帰還した。ストラボンによればテスティオスが戦っていたのはアケローオス河を挟んだ隣の地方アカルナーニアで、亡命したイーカリオスとテュンダレオースはテスティオスを助けて戦ったので、戦争に勝利した後にアカルナーニアに領地を得た。その後ヘーラクレースがヒッポコオーンを滅ぼしたときにテュンダレオースのみラコーニアに帰還し、イーカリオスはアカルナーニアに残ってリュガイオスの娘ポリュカステーと結婚したと述べている。しかしパウサニアスによれば、イーカリオスはヒッポコオーンの味方をしてテュンダレオースを追放したとされる。娘のペーネロペーはイタケー島の王オデュッセウスと結婚したが、これはテュンダレオースが娘のヘレネーに多くの求婚者が殺到して困っていたときに、オデュッセウスがペーネロペーとの結婚をイーカリオスに取りなしてくれるのと引き換えに、テュンダレオースが求婚者たちの中から誰をヘレネーの夫に選んでも怒らない妙案を授けたためであり、このためイーカリオスはテュンダレオースに頼まれて、ペーネロペーをオデュッセウスに与えたといわれる。イーカリオスは2人が結婚すると、オデュッセウスをラコーニアに住まわせようとしたが、オデュッセウスにその意思はなかったので、イーカリオスは2人がイタケー島に向かう馬車を追いかけて、ペーネロペーにラコーニアに残ってくれと懇願し続けた。オデュッセウスはたまりかねて、ペーネロペーにイタケー島に来るかラコーニアに残るかを自分で決めろと言うと、ペーネロペーは何も言わずに恥らって顔を隠したので、イーカリオスはペーネロペーの気持ちを悟って2人を送り出したという。一方、イプティーメーはペライの王エウメーロスの妻となったといわれている。その後、トロイア戦争が終結しても、10年間もオデュッセウスが帰国しなかったとき、ペーネロペーに新たな求婚者たちが現れたが、求婚者の1人エウリュマコスは他の求婚者よりも結納金を釣り上げ、またペーネロペーへの贈物も熱心であったため、イーカリオスはペーネロペーにエウリュマコスとの結婚を強く勧めたとホメーロスは語っている。
出典:wikipedia
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