那智駅(なちえき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜ノ宮にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)の駅である。かつては那智観光の玄関口であったが、現在その機能は紀伊勝浦駅に集約されているため、特急はすべて通過するが、1984年2月までは寝台特急「紀伊」・特急「南紀」(一部)が停車していた。また、近年でもまれに特急「くろしお」号が臨時停車することがある。相対式ホーム2面2線を有する行違い可能な地上駅。1番のりば側に駅舎があり、ホーム間は地下道で結ばれている。駅の裏手、2番のりばのすぐ裏側は那智丹敷浦(那智海水浴場、別名「ブルービーチ那智」)であり、ホームからも砂浜を眺めることができる。1936年(昭和11年)12月竣功の駅舎は熊野那智大社を模し、社殿風のデザインとなっている。駅舎そのものは無人駅であるためがらんどうであるが、1998年(平成10年)8月、この駅舎に那智勝浦町営の那智駅交流センターが増築された。那智駅交流センターは2階建てで、1階にはくつろぎ広場という、マッサージチェアや飲み物等の自動販売機の設置された休憩室および、地元の農産物を直売する産品販売所や特産品を取り扱う特産品売場などが、2階には町営温泉「丹敷の湯」(入浴料は大人600円、子供300円)がある。前述した通り無人駅。駅舎内部に簡易な自動券売機が一台設置されており、近距離乗車券の購入が可能であったが、老朽化のため、2013年12月10日をもって撤去された。新宮駅が管理を行う。上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。なお、駅前には「山口熊野頌徳碑」が建立されている。山口熊野(やまぐちゆや、1864年 - 1950年)は和歌山県議会議員を経て1898年(明治31年)に衆議院議員に当選、国会で紀勢本線の建設の提案を行い、1920年(大正9年)紀勢西線建設の決定にまでこぎつけた紀勢本線開通の功労者である。この碑はそれを記念するものであって、題字を世耕弘一が、碑文を郷土史家の田原慶吉が、書を古谷丈夫がそれぞれ担当し、1940年(昭和15年)8月6日に建立された。那智観光の拠点で、熊野那智大社や那智滝、那智山方面への道が駅前から那智川沿いに延びている。また、夏は駅裏手の丹敷浦への海水浴客でにぎわう。1日の平均乗車人員は以下の通りである。
出典:wikipedia
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