コロッセオは、2000年6月28日から2001年3月まで日本テレビで放送された格闘技の深夜情報番組。全日本プロレスの選手集団移籍騒動を受けて『全日本プロレス中継』が2000年6月21日をもって打ち切られたことから、それに代わる格闘技番組として放送された。番組名の由来は、イタリアの旧跡コロッセオから。50以上のプロレス団体が設立。インディープロレスが新たな時代を築こうとしていた時代をうけ、スポーツニュースがあるなら、プロレスニュース、もしくは、プロレスワイドショーがあってもいいではないかと、企画されたのが、コロッセオ。プロレスというジャンルなら、メジャー、インディー、女子関係なく、その週に起きた試合、出来事を放送。1試合、1出来事1分間で紹介。当時では画期的な手法だったが、非常に見やすく評判を呼ぶ。試合は、日本テレビに取材拒否を通告した全日本プロレスと、テレビ朝日が地上波放映権を保有している新日本プロレス、フジテレビが地上波放映権を保有していた全日本女子プロレスを除くメジャー、インディー、女子各団体の試合が放送され、注目の試合の実況も放送された。これにより、インディー団体の観客数が2割から3割増加。埼玉プロレスに至っては10倍の観客動員を果たす。また、たっぷり、様々な団体の試合を見せるコーナーも作り、地上波で大日本プロレスの蛍光灯デスマッチが流れ、話題を呼ぶ。新団体(当時)プロレスリング・ノアの動きを逐次追い続け、同団体の選手に対するインタビューも放送した。第1回は、三沢光晴に直撃。全日本を離脱した真意に迫った。8月9日放送で旗揚げ戦の模様が放送され、以降も毎回ノアの最新試合がダイジェスト放送された。CSテレビ放送(スカパー!・CATVなど)の普及率が現在ほど高くない時期において、大日本プロレスや闘龍門、FMW、DDT、女子プロレスのGAEA JAPAN、果ては、屋台村プロレスから埼玉プロレスに至るまで、それまで脚光を浴びる機会の少なかった団体を地上波で紹介し、知名度を向上させた。特に冬木弘道は全日本プロレス離脱以来10年ぶりとなる日本テレビの取材を歓迎。MCの掛布雅之が休みの時、冬木自身が番組の司会も行った。2001年4月の『プロレスリング・ノア中継』発足・開始に伴い、3月をもって発展的に終了となった。
出典:wikipedia
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