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F4F (航空機)

F4Fは、アメリカ合衆国のグラマン社が開発し、第二次世界大戦中に使用された艦上戦闘機である。愛称はワイルドキャット(Wildcat、山猫または野良猫の意。意地悪女という意味も持つ)。後に続く同社製戦闘機の俗称となる「猫一族」のはしりとなる。ゼネラルモーターズ社でも生産され、GM製の機体は「FM」と呼称される。生産機数自体はゼネラルモーターズ社製の方が多い。アメリカ海軍は1936年の新型艦上戦闘機の開発を、ブリュースター社、セバスキー社とともにグラマン社にも競争試作を指示した。本機の最初の設計案は複葉機(XF4F-1)であったが、それでは他の案に劣っていたため、単葉機(XF4F-2)として再設計され選定試験に応じた。結果採用されたのはブリュースターF2Aバッファローであり、本機は落選した。しかしアメリカ海軍は本機にも興味を持ち、開発を続行させた。最初のロットは1940年12月5日に部隊配備、「レンジャー」と「ワスプ」に配備されたほか、海兵隊にもまわされている。しかし、実際に飛ばしてみるといくつかの問題点が残っており、パイロットの死亡事故が発生した。1941年11月には欠陥箇所を改良、エンジンを1段過給器付のP&W製R-1830-90に換装した型がF4F-3Aとして採用された。生産機数は3A型の95機を含めて288機。なお数機が偵察機に改造され、F4F-3Pとなったほか、3A型を改造したF4F-3APも1機が製作されたとされる。F4F最初の型はF4F-3で、固定翼機として設計・生産されていたが、F4F-4から折り畳み翼を採用した。それまでの型は固定翼であったために空母上での取り扱いに難があった上、珊瑚海海戦の教訓から、空母に戦闘機の配備数を増やすという目標があったのだが、F4F-3では数を載せる上でも問題となっていた。しかし、それらの問題はこの型で解消された。なお、当初油圧による折り畳み機構を考えていたが、重量の問題で採用されず、手動式となっている。順次F4F-3Aと交代され、ミッドウェー海戦時にはほぼ完了、VMF-221のみが未だF4F-3型を使用していたが、1942年8月までにはF4F-4と交代している。ただし重量増加のため、甲板が狭く短い護衛空母には適さないとされ、FM-2型の開発につながった。また、このF4F-4は中高度向けの2段過給器付エンジンに換装し、1200hpの出力を得ているほか、機銃を2挺増やして12.7mm機銃6挺としている。ただし1挺あたりの弾数は450発から240発に低下、反動による機体の振動が増して、乗員からの評判は良くなかった。1941年12月31日、アメリカ海軍はF4F-7を初飛行させた。これは偵察機として武装、防弾キャノピー、座席背部装甲板を排除して徹底的な軽量化を実行し、それで浮いた重量を燃料の増加に当て(そのため総重量は戦闘機型よりも大きい)、航続距離3700マイル、最大滞空時間25時間という数値を目指したものである。偵察用カメラを搭載し、いざというときには燃料を投棄して身軽になることも可能であった。21機作られ、残りの発注は普通の戦闘機型として生産された。ガダルカナル方面で2機使用されたとも言われるが定かではない。1942年春、海軍からの指示でグラマン社はF6F量産に集中するため、F4FとTBFの生産中止を決定、生産ラインの切り替えが始められた。そしてゼネラルモータース社 (GM) が東海岸の5つの自動車工場を統合して作った、イースタン・エアクラフト(航空事業部)のに生産ラインが移された。GM で作られたワイルドキャットは型式名が「FM」となり、最初の量産型であるFM-1ははF4F-4をほぼコピーしたもので、細部を工場の事情に合わせ手直しした程度であった。本型は1942年4月18日に1800機が発注され、8月31日には量産初号機が初飛行した。そして翌年までに830機が生産された後、FM-2に切り替えられた。狭く小さい護衛空母の甲板上では、重量面でF4F-4は運用が難しかった。さらに後継機であるF6F、F4Uはより大重量(特にF4Uは艦上戦闘機としては当時もっとも重かった)で、アメリカ海軍は1942年、F4Fの軽量型を発注する。これに応えてグラマン社はXF4F-8を開発。これは軽い鍛造製シリンダーを持つ1段2速過給器付R-1820-56サイクロンエンジンを搭載し、出力が150hp増加したにもかかわらず、重量は102kg減少していた。これにより上昇力や運動性が向上したが、過給器が2段から1段に変更されたため中高度以上での性能は低下、低空支援戦闘機としての性格を強めている。また再び機銃が4挺に戻されている(弾数は1挺あたり280発に増加しているが、同じ4挺搭載のF4F-3型よりも少なく、重量は減少している)ほか、エンジンカウル、フラップなど、徹底した設計の見直しが図られている。試作型のXF4F-8型は1942年11月8日に初飛行、上記のとおりFM-2としてゼネラルモータースが生産し、主に護衛空母に搭載され、上陸作戦における低空支援任務や特攻機の迎撃に活躍した。本型では従来型にあった着艦時の癖がなくなり、狭い護衛空母への着艦が多い乗員には好評であった。この型はレイテ沖海戦にも参加したほか、その後の対日戦でも活躍、エースパイロット4人を輩出している。さらにこの軽量な機体は、低高度域ではF6F、F4U、P-47、さらには最優秀機の誉れも高いP-51に対しても大きく劣るものではないと評価された。GM の生産力が遺憾なく発揮された結果、生産数は4127機となり、F4Fシリーズの中では最も多い。F4Fはアメリカ海軍のみならず海外からも注目され、フランス海軍はF4F-3を81機発注した。しかし納品前にフランスはドイツに降伏したため、イギリスに供与され「マートレットMk.I」(Martlet:イワツバメの意)として使用された。艦載戦闘機事情が切迫していたイギリス海軍は、さらに「マートレットMk.II」として再発注した。マートレットMk.IIは、アメリカ海軍のものよりも若干手狭であるイギリス空母での運用を考慮して、アメリカ軍向けのF4F-4よりも早く主翼の折り畳み機構が要求されている。ただしエンジンの重量増に加え、機銃を2挺増設したため、自重が450kg増加している。イギリス海軍は折り畳み翼への変更ための納品遅延を了承、本格的に納品されたのは1941年半ばになってからであった。納品された機体は護衛空母「オーダシティ」に艦載され、船団護衛に活躍、Uボート撃沈やFw200撃墜などの戦果を残した。これにより、潜水艦に対する護衛空母の有効性が証明され、その後の大量配備につながった。また、空母「イラストリアス」にも搭載され、1942年5月に行われたアイアンクラッド作戦(マダガスカル占領作戦)に投入され、ヴィシー政権フランス軍と戦闘を行った。フランスとイギリス以外には、ギリシアからも30機の発注が1940年11月にあったが、こちらも輸送中の1941年4月にギリシアが降伏。機体は輸送の途上で英領ジブラルタルにあったため、マートレットMk.IIIとしてイギリスがそのまま運用した。この機体はF4F-3Aと同等である。また、イギリスは武器供与協定に基づき、GR-1820-G250A-3エンジンを装備したマートレットMk.IVを受け取っている。この型はアメリカでF4F-4Bという型式があるように、一応の別型である。ただしアメリカ軍は使用していない。さらに、イギリスはFM-1型312機を供与されており、これをマートレットMk.Vとして採用している。この型は、1944年1月にワイルドキャットMk.IVに名称変更、番号が変わっているため注意が必要である。このほか、イギリスはFM-2型を340機供与され、ワイルドキャットMk.VIとして採用した。太平洋戦争緒戦において、「エンタープライズ」などに配備されていたほか、同艦がウェーク島に輸送した12機のF4F(VMF-211)のうち、日本軍の攻撃から生き残った4機のF4F(一説には5機)が反撃を行い、駆逐艦「如月」を撃沈するなど、圧倒的な兵力で押し寄せた日本軍に対して奮戦した事例がある。「グラマン鉄工所(Grumman IronWork)」と呼ばれるほどの機体の頑強さからくる急降下性能や防弾性能など、太平洋戦争初期において、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦などに参加した。零戦最大の弱点は「高速飛行時の運動性の低下」及び「急降下性能の低さ」であったこれを見抜いたアメリカ軍は「三つのネバー(Never)」と呼ばれる以下の勧告を、零戦との空戦が予想される全てのパイロットに対して行った。一方、ドイツ空軍との戦いにおいても、北アフリカ戦線において、英軍の「マートレット」を含め活躍し、海上では護衛空母に搭載されて対潜哨戒に使われた。ドイツの戦闘機は概ね高翼面荷重の高速機であった為、対日戦の場合とは逆に、艦上機としての低翼面荷重を生かした格闘戦でこれに対抗した。また、零戦程ではないにしても、1941年時点の第一線級戦闘機の中では航続距離は長い部類であり、海上でも安定して戦えたことは、スピットファイア、Bf109と比べて大きな特長であった。

出典:wikipedia

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