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Wink

Wink(ウィンク)は、1980年代後半から1990年代中期にかけて活躍した、日本の女性アイドル・ポップス・ユニット。鈴木早智子と相田翔子の二人組。1996年3月末を以って活動停止。二人はともにワニブックス社の雑誌『Up to Boy』が1987年に開催したミスコンテストの入賞者(早智子が上半期グランプリ、翔子は下半期グランプリ)。1988年にWinkを結成し、同年4月「Sugar Baby Love」でCDデビューを果たした。ユニット名は当初、事務所側が「キラキラ輝く」を意味するTwinkle(トゥインクル)を提案したが、発音しにくいということで、トゥインクル→ウインクル→ウィンクとなった。1989年、フジテレビ系ドラマ「追いかけたいの!」(1988年10月クール放送)の主題歌に使われた「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」が大ブレイク、同曲で第22回全日本有線放送大賞グランプリ(上期)を受賞。同年「淋しい熱帯魚」で第22回全日本有線放送大賞グランプリ(年間)、第31回日本レコード大賞を受賞し、同曲で第40回NHK紅白歌合戦への出場を果たした。1992年になると、早智子、翔子が別々にCDをリリースしたり、ドラマに出演したりと、ソロ活動が目立つようになってくる。1996年3月末をもって7年11か月に及んだ活動を停止。現在はタレントおよび女優としてそれぞれ活動している。Winkは解散したのではなく、あくまでも「活動停止中」であると翔子がテレビ番組等のメディアで何度か言明しているが、本格的な活動再開の動きは2016年現在見られず、事実上の解散状態となっている。活動停止後としては、これまでに何度かテレビの年末特別番組等で「一夜限りの」といった主旨で2人揃って歌を披露している。以下はその実例。但し、WINK MEMORIES 1988-1996のジャケットの最後のページには、"・・・end" と記述されている(ピリオドは打たれていない)。その他、早智子、および翔子がそれぞれ単独でWink時代の楽曲を番組・ライブイベント等で歌うこともある。従来の女性アイドル歌手とは趣の異なる控えめなキャラクターで無表情に歌い、オルゴール人形のような衣裳と五十嵐薫子(現・香瑠鼓)による振り付け(「ロボットダンス」と評されることもある)で「純真な少女の持つ不可侵的な色気」といったイメージを醸し出した。後年、二人は「無表情だったのは(事務所の)戦略だったのかと今でも聞かれるがそういうわけではない」「自分たちは振り付けを覚えるのが精一杯で笑顔まで気が回らなかった。事務所の社長にはもっと笑うよう言われていた」という趣旨の回想をしているが、結果としては「無表情に歌い踊るマリオネット」という特異なスター・イメージで一世を風靡した。「Sexy Music」以降、活動の中期には「純真な少女」というイメージから「はかなげな大人の女性」というイメージへ変化していき、楽曲も「摩天楼ミュージアム」や「リアルな夢の条件」ではロック調・ダンスチューンを多用した激しいもの、衣装も露出度が高くなりセクシー路線へのアピールが見られるようになる。活動の後期以降に入るとナチュラル感および基本に忠実なアコースティック・フォークサウンドを大切にした楽曲(例・「いつまでも好きでいたくて」)や衣装もあまり着飾らないアイドル的なキャラクターを極力抑えたシンプルな普段着感覚のもの(例・「トゥインクル トゥインクル」)へと変わっていく。この頃になるとデビュー時よりも笑顔を多く見せるようになる。Winkのトータル・ディレクションを手がけたのはTCR横浜銀蝿RSや山瀬まみも手がけた元ジャックスの水橋春夫である。特に活動の初期には洋楽のカヴァー曲が多かったが、中期以降、日本人作家によるオリジナル曲が多くなった。Winkが活動期間中に発表した約180曲のうち、全体の60%以上がオリジナル曲である(内訳はカヴァーは約60曲、オリジナル曲が約100曲、リミックス等が約20曲)。 また、中期以降は、早智子・翔子ともに自作曲を発表するようにもなった。

出典:wikipedia

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