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三位一体

三位一体(さんみいったい、, , , , )とは、キリスト教において「父」と「子(キリスト)」と「聖霊(聖神)」が「一体(唯一の神)」であるとする教え。正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・プロテスタントといった大半の教派が、この教えを共有している。上述の諸教会において、三位一体は、「三神」(三つの神々)ではない。また「父と子と聖霊は、神の三つの様式でしかない」「神が三役をしている」といった考え(様態論)も否定される。正教会(日本ハリストス正教会)では「至聖三者(しせいさんしゃ)」と訳される(但し「三位一体」の表記も用いられないわけではない)。聖公会(日本聖公会)等では聖堂名・学園名など主に固有名詞の一部として、「聖三一」の語も使われる。この語は、キリスト教神学を離れて、三者が心を合わせることや、3つのものを一つに併せることを指して用いられる場合もある。「三位一体」は、正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・プロテスタントにおいてはキリスト教における中心的な教えの1つであり、正統教義のひとつであるとされる。なお、東方諸教会(非カルケドン派)も三位一体論においては他派と異なるところはないとされる。東方諸教会が他派と異なるのはキリスト論(合性論)においてである。他方、上記諸教派に比較すれば少数であるが、ユニテリアンなど三位一体を認めない派もある。三位一体論が難解であることはキリスト教会においても前提となっている。正教会においては、「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること」とし、三位一体についても「理解する」対象ではなく「信じる」対象としての神秘であると強調される。カトリック教会においても、神は自身が三位一体である事を啓示・暗示してきたが、神自身が三位一体であることは理性のみでは知り得ないだけでなく、神の御子の受肉と聖霊の派遣以前には、イスラエルの民の信仰でも知り得なかった神秘であるとされる。三位一体論をめぐり整理された定式において、神は、一つの実体(本質、本體、, )と、「父なる神」・「ロゴス」() である子なる神(イエス・キリスト)・および「聖霊(聖神)」の三つの位格(, )において、永遠に存在すると言い表されている。箇条書きにすればとなる。第1ニカイア公会議(第一全地公会、325年)の頃から第1コンスタンティノポリス公会議(第二全地公会、381年)の頃にかけて、こうした三位一体論の定式が(論争はこの二つの公会議が終わった後もなお続いていたが)整理されていった。西方教会(カトリック教会、聖公会、プロテスタント)の優勢な地域において中世から現代まで各種紋章に使われる「三位一体の盾」と呼ばれる図式がある。現代でも聖公会のトリニダード・トバゴ教区やチャンネル諸島ジャージーのトリニティ行政区の紋章などに使われている。正教会でも現代では三位一体の説明に使われないわけではないが、用例は稀である。この図式には諸画像からも分かる通り、「父なる神」()、「子なる神」()、「聖霊なる神」()の配置場所や、その繋ぎ方等において、様々なバリエーションがあるが、共通する内容を箇条書きすると以下のようになる。これらの図には、中心に配置されている「神」()を含め4つの要素で図が構成されているが、上述の定式(一本質、三位格)にも示されている通り、「四つの神」「四神論」等を示すものではない。「(いわゆる正統派における)三位一体論ではないもの」を説明する、いわば消去法のような形で、(いわゆる正統派における)三位一体論に接近する手法がある。正教会においては「三位一体そのものを説明するよりも、三位一体でないもの(異端の教え)を説明し、それを否定する方がより正確」とされる。「『子』と聖霊は被造物である」とする考えは、いわゆる正統派から否定される。アリウス派は「子」も神的であるとは言おうとしていたが、その神性は神の養子とされたことによるものであり、「子」は被造物であるとした。この主張は第1ニカイア公会議(第一全地公会、325年)、および第1コンスタンティノポリス公会議(第二全地公会、381年)で否定された。三位一体を否定するほどに神の唯一性を主張するモナルキア主義()も、いわゆる正統派から否定される。モナルキア主義は大きく二つに分けられる。「イエスも事実、神であり、聖霊も事実、神である」と主張する一方で、「『父』、『子』、『聖霊』とは、時代によって神が自分を表す様式(mode)を変えていったもの」「一人三役のようなもの」と主張する考えは、様態論的モナルキア主義()と呼ばれ、いわゆる正統派から否定される。サベリウス主義が代表的事例として挙げられるが、史料の不足・欠如により、サベリウス(2世紀~3世紀)本人が何を教えたのかを厳密に知る事は不可能である。「父だけが神であり、イエスに宿ったのは神の『力』(デュナミス、)に過ぎない」とする考えは、力動的モナルキア主義()と呼ばれ、いわゆる正統派から否定される。父なる神・子なる神・聖霊は、三つの神ではないとされ、三位格は三神ではないとされる(なお、こうした「異端」が歴史上まとまった形で出現したことはないともされるが、幾つかの事例につき「三重の神性」への傾斜として批判的に指摘されることはある)。祈祷においては、正教会の奉神礼で「父と子と聖神(せいしん)の名に依る(よる)」、カトリック教会の典礼・祈祷、聖公会および一部プロテスタントの祈りにおいて「父と子と聖霊の御名において」と唱えられることに反映されている(、)。祈祷の例。正教会では、アンドレイ・ルブリョフが描いたものが代表的な、アブラハムを訪ねる三人の天使(『創世記』)に拠る『至聖三者』の聖像が、唯一正当な至聖三者の図像表現として公認される。これは西方にも伝わり、聖像を用いる教派で使われている。西方ではルブリョフとともに「老人の姿の父、キリスト、鳩または火の姿で表される聖霊」の図像も広く用いられている。代表的な作例にマザッチオの『聖三位一体』がある。これは十字架上のキリストとともに父および鳩の形をした聖霊を描いたものである。このほかに、正教会でも近代に西方から入った「老人の姿の父、全能者ハリストス(キリスト)、鳩または火の形をした聖霊」という図像もある。これは公認されていないが、ロシアを中心に伝播している。それより古く西方から入った「老人の姿の父、幼子キリスト、鳩または火の形をした聖霊」の図像は、1667年のモスクワ教会会議により、「見えざる父を描くことはできない。父を顕わす事が出来るのはキリストだけである」との理由にもとづき禁止された。西方教会においては、16世紀から19世紀にかけて、三位一体論は不合理であるとしたり、信仰者の生活への実際的意味が見出せないとしたりする批判が多くなされた。しかし近年では、共同体における生き方のパラダイムとして捉えたり、単純な非三位一体的唯一神論よりも権威主義に通じにくい神の唯一性の再定義を求めるものとして捉えるといったかたちで、三位一体論に対する関心の復興がみられる。以下は、固有名詞・キャッチフレーズに用いられた例。

出典:wikipedia

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