サメ(鮫)は、軟骨魚綱板鰓亜綱に属する魚類のうち、鰓裂が体の側面に開くものの総称。鰓裂が下面に開くエイとは区別される。2016年3月末時点で世界中に9目34科105属509種が存在し、日本近海には9目32科64属130種が認められている。世界中の海洋に広く分布し、一部の種は汽水域、淡水域にも進出する。また、深海性のサメも知られている。体の大きさは種によって異なり、最大のジンベエザメ(体長およそ14m)から最小のツラナガコビトザメ(体長22cm)までさまざまであるが、平均的には1 - 3mのものが多い。サメを意味する言葉として、他にワニ(鰐)やフカ(鱶)が使われることもある。詳細は、下記#神話におけるサメ参照。サメは獰猛で危険な生物というイメージが定着しているが、人に危害を加えるおそれのある種は20 - 30程度とされ、サメ類全体の1割ほどである。中でもホホジロザメやイタチザメなどに代表されるような鋭い歯と力強いあごを持つ種は特に危険で、沖合で船が沈没することによって襲われるケースもある。まれに海水浴場など人のいる沿岸域に危険なサメが現れると、安全のため遊泳禁止区域が設けられたり、サメよけネットが張られるなどの対策が講じられる。一部のサメは絶滅の危機に瀕しているが、鯨に比べ保護はあまり進んでいない。詳細は本記事の#保護の項目を参照。サメの起源は約4億年前の古生代デヴォン紀に遡る。最初のサメは浅い海で進化したといわれている。サメは淡水との親和性が高く、今も淡水湖などでとれることがある。古生代後期の石炭紀になると、さまざまなグループが現れた。古生代に現れたサメの多くは、石炭紀からペルム紀にかけて絶滅し、現代のサメの原型は中生代に現れたといわれる。サメは出現したときにはすでに現在とほぼ同じような姿をしており、以来あまり大きく変化しておらず、生きた化石と呼ばれることもあるが否定説もある。エイ類は、ジュラ紀にサメの一部から派生し進化したと考えられている。そのため、カスザメのようにエイ類とほとんど区別がつかないような種も存在する。現代型のサメの多くは白亜紀に原型ができ上がり、新生代に現代型のサメが世界中の海に放散して種類を増やし、特にメジロザメ類が繁栄したと考えられている。サメは多様な環境に適応したために、その生態は非常に多岐にわたる。サメ類の性質については軟骨魚類の項目も参照のこと。尚、同様に数億年間そのままの形態でいる生き物にゴキブリやワニがいる。従来の定説では、魚類はもともと軟骨であり、それが硬骨に進化していき、サメやエイなどの軟骨魚は進化しないまま現在に至るとされる。しかし、顎を持つ生き物全ての祖先に当たる生き物は、硬骨に近い骨を持っており、サメやエイは深海での捕食に特化するために、定説とは逆に硬骨から軟骨に進化したとする学説もある。その説を補強する化石なども発見されている。「サメ」の語源は諸説あるが、その体のわりに目が小さいことから、小さい目→小目→サメとされる説がよく知られている。また、同様の理由で、狭い目(狭い眼)→狭目(狭眼)→サメという説もある。体の形は種によって異なる。外洋に生息し回遊を行う種ではマグロ類のような流線型、海底に生息する種では細長い形や上下に平べったい形など、さまざまである。背鰭、胸鰭、腹鰭、臀鰭、尾鰭を備える。背鰭はカグラザメ目を除き、2基。尾鰭は通常、上の方(上葉)が下の方(下葉)よりも長い異尾である。これにより後方ではなくやや斜め下に水を押し出すことになる。これはサメは浮き袋がないため肝油を考慮しても水より密度が高く、高度を保つには常に下方向に力を発生させる必要があるためである。この重心後方の尾鰭による直接下方推力と、重心前方の胸鰭による揚力により姿勢を保つ。そのため鳥同様一定速度以下になると胸鰭での揚力が不足し沈む。泳ぎ続けないと溺れるといっても鰓への酸素供給のみを主因とするマグロなどとは若干異なる。上葉には切れ込みが見られる。外洋性のホオジロザメやアオザメなどは三日月型をしている。サメ類の鰭はマダイなど一般の魚のように膜状ではなく、皮膚で覆われて厚みがある。サメ類の中には呼吸のため一定速度の水流を要求するものと、静止状態でも呼吸可能なものがいる。つまり、静止した場合沈むのは共通だが、失速して沈んでしまうが命に別条はないものと、呼吸困難に陥って死んでしまうものの両方が存在する。また、鰭が硬骨魚類ほど自在には動かないため能動的にブレーキをかける能力がない。このためサメは止まれないという場合、こちらを意図して言われる場合があるため注意が必要である。体表は歯と相同の鱗(楯鱗、皮歯ともいう)で覆われる。サメの体は、頭から尾に向けてなでると滑らかだが、逆に尾から頭に向けてなでるとザラザラしている。これが俗にいう鮫肌である。泳ぐときにできる水流の乱れを少なくし、層流を保つことで水の抵抗を減らすことに役立っていると考えられる。頭の先端は尖り、口は通常その後方下側に開く。口には鋭い歯が並んでいるものが多い。サメの歯は何列にも並び、いま使われている歯列のすぐ後ろには新しい歯列が用意されている。獲物を襲うなどして歯が1本でも欠けると、新しい歯列が古い歯列を押し出して、歯列ごと新しいものと交換される。歯列は何回でも生え変わり、1尾のサメが生涯に使う歯の数は最大で数千にのぼると考えられている。縞模様を嫌う。サメにはロレンチーニ器官と呼ばれる感覚器官が存在する。これは微弱な電流を感知する電気受容感覚(Electroreception)の一種であり、これによりサメは100万分の1ボルトという極わずかな電位差を感知することができる。サメは、この感覚器官により、光の届かない深海や、海底の泥に隠れている獲物も正確に発見し、捉えることができる。この電流感知の能力を逆に利用して、サメの嫌がる種類の電流を周囲に流し、サメを追い払う製品が発売されている。体内受精を行い、雄の腹鰭には交尾器(クラスパー)を備える。魚類の中では珍しく、オスとメスが互いの生殖器を合わせる形の交尾をする。「鮫」漢字の由来については諸説あるが、その一つに交尾をする際、身体をくねらせて泳ぐからというものがある。卵生のほか、胎生の種類が存在する。狭義には、哺乳類のように胎盤を形成する型のものを指すが、魚類では子宮の中で卵を孵化させる、いわゆる卵胎生も胎生に含める。卵生の種ではパッケージされた卵を産む種が多い。一部のサメでは子宮内で孵化した仔魚が、後から産まれてくる卵や他の仔魚を食べて育つ。これは共食いと呼ばれる行動の一種で、肉食性のサメに見られる。また、子宮内で孵化した仔魚が母体からの分泌物を吸収して育つサメもおり、子宮内で胎盤様の器官を形成して母体から養分などの供給を受けて育つ(へその緒を持つ)。単為生殖する個体がまれにおり、2007年にシュモクザメが、2008年にカマストガリザメが、それぞれ1尾ずつ単為生殖で妊娠・出産していることが遺伝子解析によって確認された。ただし、カマストガリザメの方は妊娠中に死亡した。肉食性のものが多いがプランクトン食性のもの(ウバザメなど)もいる。特に、大型の種は、プランクトン食性の傾向が強い。肉食性の種は魚介類を中心に、海産哺乳類、海産爬虫類、海鳥などを獲物とする。大きな獲物を狙うものでは、人間がアザラシなどの獲物と間違えられることがあり、人食い鮫と恐れられる。サメから見てダイバーが騒々しい存在に映ることが多い一方で、サーファーは下から見るとアザラシと酷似しており襲われる危険性が高いとされている。海底に生息し貝などを狙う種はおとなしく、人が攻撃を受けることはほとんどない。魚類の中でも最大級の部類に入るジンベエザメやウバザメは歯が小さく、口を開けながら泳ぎ、海水と共に飲み込んだプランクトンをえらで濾過して食べる。このような摂食行動はマンタ(オニイトマキエイ)などにも見られる。現生のサメ類は9目に分類され、上位分類として2上目を設ける。Nelson (2006) の分類によれば、現生サメ類は全てサメ亜区 Selachii の中に含まれる。板鰓亜綱における、化石種も含めた分類の全体的な概観を以下に示す。以下、現生サメ類9目の構成を示す。サメ亜区は単系統群であり、次のような系統樹が得られている。サメは食材としても用いられ、身肉はすりつぶして蒲鉾やはんぺんなどの魚肉練り製品に加工されることが多い。サメの肉は低カロリー、低脂質、高タンパク質、骨はすべて軟骨質であるため子どもから老人までに適した食材であり、これまで食用の習慣のなかった地域でも見直される動きもある。サメは体液の浸透圧調節に尿素を用いており、その身体組織には尿素が蓄積されている。そのため、鮮度が落ちるとアンモニアを生じてしまい、一般の魚のような料理には向かない。ただし、アンモニアがあるために腐敗が遅く、冷蔵技術が進む前の山間部では海の幸として珍重されていた場合もある。幼魚は蓄積された尿素の量が少ないため意外と美味である。古代の日本では記紀の因幡の白ウサギや出雲国風土記の安来郷の条にある説話における記述から、サメ(当時はワニと呼んでいた)の獰猛性について深い知識がうかがわれ、そういった背景のもと三河国から平城京へサメを送った木簡が出土しており、愛知県知多郡南知多町の北地古墳群や篠島の貝塚などから勇敢にもサメ漁に用いられたと考えられる釣り針やサメの歯などが出土している。『ものと人間の文化史35 鮫』(矢野憲一著、法政大学出版局発行)によれば『延喜式』にサメを食材とした記述があり、斎宮寮に鮫の楚割 (さめのすわやり、干物と考えられている)が支給された記録があるという。この鮫の楚割が伊勢神宮の神饌として供えられる干鮫であり、後述する三重県のサメのタレと同じものという話があるが、市販されるサメのタレの大部分は20世紀に改良された加工法で作られているのでまったく同じものではない。『ものと人間の文化史35 鮫』によれば、伊勢土産としてのサメのタレは、1773年(安永2年)の『宮川夜話草』に記され、サメを神饌とする神社は伊勢神宮のほかに千葉県香取市の香取神宮や愛知県津島市の津島神社があるという。近年の日本では、マグロなどの延縄漁の外道として水揚げされるサメを有効に利用するため、後述する中華料理のフカヒレに加工し、国内消費のほかに主に中国に輸出することが多くなった。中国の経済発展に伴い出荷量が増え、これに合わせフカヒレの材料となるサメの水揚げが増えたため、近海物の減少など資源の枯渇が懸念されている。詳細は本記事の#保護の項目を参照。なお、アメリカのFDAは、有機水銀が蓄積されている可能性が高いとして、2003年に妊婦や授乳中の女性および子どもはサメを摂取しないよう勧告を行っている。広島県三次市などの備北地域(山間部)では昔から腐りにくい海の魚としてサメを用いた(ワニ料理)が好まれている(ただし「ワニ料理」には幼魚も成魚も関係なく、根強い人気がある)。この地方では刺身で食べるのが主流であったが、最近では、わにバーガーやワニ丼といったサメを使った商品も販売されるようになってきている。この外にも、日本各地では、古くから天日干しなどで保存食としサメが用いられているが、現在では漁獲技術が向上しており、鮮度が良いまま市場に出回ったり、漁獲後急速冷凍され市場に出回る。三重県の伊勢市と鳥羽市沿岸部全域ではサメのタレ(「さめんたれ」とも)と呼ぶサメの干物を食べる風習がある。鳥羽市では主にハモやタイの延縄漁の外道として水揚されたサメから生産され消費もされるが、伊勢市では消費のみで、サメの水揚量が多い勝浦漁港などの和歌山県や気仙沼漁港のある宮城県で水揚あるいは加工された干物が流通している。三重県以外の生産地ではサメのタレと呼ばず、さめしお・さめみりんなどと呼ぶことが多い。原料が外道であることもあり、加工するサメの種類は特に問わず、ホシザメ、シュモクザメ、トラザメ、ネコザメなどさまざまである。サメのタレは塩味のものと、大正時代に考案されたというみりん味の2つに大別される。いずれも基本的に短冊状にサメの身を薄く切り出す。小魚と違い、魚の形をとどめない。直火で軽くこげる程度にあぶって食べることが多いが、ほかにもさまざまな利用法がある。伊勢神宮の神饌を下げたあとに食べた(直会参照)ことによりサメの干物を食べる風習が残ったとする説があるが、この説では神宮神職と縁のない庶民や、鳥羽市全域に残ったことを説明できない。サメのタレ以外では、鳥羽市では鮮度の高いサメを3枚におろし刺身で食べるが、タイに似た味がするという。志摩市志摩町ではサメをなますにして食べるさめなます(「さめのなます」とも)という郷土料理があるが、ネコザメに限るという。栃木県ではサメはモロと呼ばれ煮つけやフライなどにして食べられる。県内では非常にポピュラーな食材だがモロがサメだということを知らない県民も多い。モロの多くは宮城県気仙沼漁港で水揚げされたネズミザメで、尾びれと背びれは高級食材のフカヒレ、頭は健康食品のコラーゲンやコンドロイチンになる一方、魚肉は関東地方などに出荷される。サメは死後、時間が経つと臭いがきつくなり、漁師町では敬遠されているが、内陸県の栃木では昔から重宝されてきた。九州や愛媛、または山陰地方や大阪の泉州地方の一部、和歌山県ではぶつ切りまたは切り身にしたサメを湯引いて酢味噌などにつけて食べるところもある。主にアンモニア臭の少ないシロザメやネコザメを用い、漁獲量の多い地方(下関など)のスーパーマーケットなどで手ごろな価格で求めることが出来る。長崎県では「ノーソ」、山陰では「ワニ」などの俗称を用いることが多い。湯引きにするとサメのアンモニア臭が緩和され、白く淡白な肉になる。中華料理におけるフカヒレ(鱶鰭)は鱶(サメ)のヒレを乾燥させたものである。フカヒレの総称を中国では魚翅(ユイツー)とも呼ぶ。その種類は大きく以下の2つに分けられる。コラーゲンが豊富で美容に良いと女性に人気である一方、水銀やその他の重金属が含まれていることがあり、特に妊婦への危険性があることはあまり知られていない。サメは食物連鎖のトップにいるため、小魚を大量に食べ重金属の蓄積量が多い。また、特にフカヒレは前処理として乾燥させるため、重量あたりの水銀濃度が高くなってしまうためである。特に、メチル水銀により汚染されたフカヒレを食べ続けることにより水俣病などの発症の可能性があり、実際に報告例もあるが、この危険性は感受性の高い胎児に対しては特に高くなる。一方で、一般成人に対しては危険性は比較的低い。水銀による汚染レベルにもよるが、ただちに症状として現ることは少なく、さまざまな精密な検査ではじめて検出されるものである。2003年に九十万トンに達したのちは減少している。日本国内で水揚げされるサメ類のうち、約9割は気仙沼漁港が占める。2014年の上場水揚量八戸市には「鮫」という名称の地区や鮫駅がある。サメのヒレはフカヒレとして多くのアジア諸国で珍重されており、また前述のようなサメ製品もあり、その需要が世界中で高まるにつれて、サメ絶滅の危機はしだいに深刻化している。サメは海洋生態系の頂点に位置するので元来数が少ないうえ、成長が遅く、子どもを少ししか生まないため繁殖率が低いことも要因である。しかし、サメの保護は進んでおらず、減少の一途をたどっている。1997年以降、19種のサメ(ホホジロザメ、ジンベエザメ、カリビアン・リーフ・シャーク(Carcharhinus perezi、メジロザメ科)、ウバザメ、シロワニ、ビッグアイ・サンドタイガー(Odontaspis noronhai、シロワニの仲間)、バケアオザメ、ドタブカ、ナガハナメジロザメ、ハビレ、ガラパゴスザメ、クロヘリメジロザメ、ハチワレ、カグラザメ、ビッグアイ・シックスジル(Hexanchus nakamurai、カグラザメの仲間)、エビスザメ、カリビアン・シャープノーズ(Rhizoprionodon porosus、ヒラガシラの仲間、メジロザメ科)、スモールテール(Carcharhinus porosus、メジロザメ科)、アトランティック・エンジェル・シャーク(Squatina dumeril、カスザメの仲間))をアメリカに水揚げすることが全面的に禁止される。この魚は、現代ではサメと呼ばれることが一般的だが、鰐(ワニ)や、鱶(フカ)という呼称も古くから使われており、日本の古典では『古事記』や『風土記』にも「ワニ」として登場する。現在でも、出雲弁ではサメのことをワニと言う。また、フカという呼称は鱶鰭(フカヒレ)などの言葉に今も残っている。『古事記』では、大国主の因幡の白兎の伝説に登場する。また、のちに山幸彦こと火遠理命が娶った海神の娘、豊玉毘売(トヨタマビメ)も、出産の際に八尋和邇(ヤヒロワニ)の姿と化していた。このほか、志摩市磯部町には、鮫は『龍宮の使い』であり、川を遡り、7尾の鮫が伊雑宮に参拝するという伝承がある。また、『出雲国風土記』の安来郷のくだりには、語臣猪麻呂(かたりのおみゐまろ)の娘が岬に遊んでいた折、和爾(ワニ)が現れて食い殺されたという記事がある。そのことを知った父猪麻呂は激しく嘆き悲しんでいたが、ある日、思い立って矢や鋒を鋭く研ぎ澄まして天神地祇に祈ったところ、百余尾の和爾が一尾の和爾を囲み猪麻呂のところに連れてきた。そこで猪麻呂はその真ん中にいる一尾の和爾めがけて鋒で刺し殺した。殺した和爾をさばくと、体内から娘のすねが出てきたので、仇討ちとしてその和爾を道端に串刺しにしてさらしたという。このように、日本神話においてサメは縁深い存在であった。実際に弥生時代の銅剣のうちにはサメの線刻画を持つものがあり、考古学的にもサメに関する信仰の存在が認められている。琉球の神話や伝承では、サメは海神の使いであるとされ、神聖な生き物とされていた。人間に襲いかかり食らうという獰猛なイメージよりも、溺れた人間を救ったり、神の意思に背き悪事を働いた者を食い殺すという伝承が多く、海の平穏を守る番人のようなイメージが大きい。病気の母親に滋養をつけさせるために、悪天候の中無理をして漁に出た親孝行な若者の舟が波に飲まれ沈没し溺れたときに、海神の使いである黄金色のサメが現れ、背鰭に若者を捕まらせて無事に村まで送り届けたという昔話も残っている。古生代デボン紀頃より化石が出るが、大部分は歯の化石である。骨格が軟骨性なので、全身の化石が出ることは極めてまれである。そのため、復元は想像に頼るところが大きい。カルカロドン・メガロドン(ムカシオオホオジロザメ)などの巨大な歯は天狗の爪と呼ばれる。
出典:wikipedia
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