LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

キンカン素人民謡名人戦

『キンカン素人民謡名人戦』(キンカンしろうとみんようめいじんせん)は、1961年2月14日から1993年5月29日までフジテレビで放送されていた歌謡番組である。金冠堂(キンカン本舗)の一社提供。本項では、後継番組の『キンカン民謡セレクション』(キンカンみんようセレクション)、『キンカン民謡ふるさとめぐり』(キンカンみんようふるさとめぐり)についても記す。出場者たちが民謡を披露していた視聴者参加型の歌合戦番組。番組開始のきっかけは、スポンサーを務めた金冠堂の創業者・山﨑栄二が民謡好きだったことによるもので、山﨑自身も収録スタジオの観客席の中央に必ず座っていた。当初は当時東京タワーにあったサテライトスタジオからの公開生放送だったが、より新宿区河田町にあったフジテレビ本社・放送センターからの録画放送(撮って出し)となった。東京タワー時代は白黒放送だったが、河田町に移ってからはカラー放送となった(そのため、当番組はフジテレビの自主制作番組の中では、最後にカラー化された番組となった)。また、半年に一度の「決勝大会」は日本青年館での公開録画であった。また、当初は火曜14:00枠で放送されていたが、後に土曜14:00枠での放送になり、さらに土曜午前枠(10:00 → 11:00 → 8:00)を転々とした。もともと平日14時は、東京タワー内のサテライトスタジオから放送する、クイズを中心にした日替わりバラエティ『タワーバラエティ』(1959年、フジテレビ開局と同時に開始)が放送されており、当番組もその中の一本だった。1969年4月より全番組を『勝抜きスピードクイズ』に統一して帯形式にする事になり、そのため当番組は土曜14時に移動した。なお『タワーバラエティ』は、1971年4月より『スーパーバラエティ』と改名しながらも継続したが、1972年3月に終了した。番組テーマ曲は、キンカンのCMソング「キンカンの唄」(歌:雪村いづみ・ダークダックス、作詞:藤浦洸、作曲:服部正)をアレンジしたもので、歌は入っていなかった。ただし三和完児司会時代は末期を除き、OPでは歌入りヴァージョンのものが流され、それに合わせて、出演者や審査員がお辞儀をする演出があった。1988年3月31日放送の特別番組『フジテレビ30年史』において、当時のフジテレビ最長放送期間番組としてこの番組が取り上げられた際に、このシーンが放送された。1989年4月、土曜朝10時台にワイドショー番組『THE WEEK』を開始することに伴い、放送時間が土曜11時台前半に移動。さらに1992年4月には『THE WEEK』が11時30分まで拡大することに伴い8時台前半に移動するものの、番組改編期でもない1993年5月に60人目の(番組が設定する)名人位が出たことを機に終了した。このタイトルでの放送期間は32年3か月に及んでおり、1996年に同じく長寿番組である『ミュージックフェア』が塗り替えるまではフジテレビでは最長記録だった。1993年6月5日からは『キンカン民謡セレクション』と題し、民謡歌手のライブに特化した内容へと移行したが、2年も持たずに終了。1994年10月7日からは金曜16:00枠での放送になり(一部の系列局では別の時間帯)、タイトルも『キンカン民謡ふるさとめぐり』に変更したものの、これに至っては1年で終了した。そしてこの『キンカン民謡ふるさとめぐり』の最終回をもって、金冠堂提供の民謡番組シリーズは34年7か月間の歴史に幕を下ろした。神奈川県横浜市にある放送ライブラリーには、第14回日本民間放送連盟賞視聴者参加番組部門優秀銅賞を受賞した1986年4月26日放送分の映像が保存されており、無料で視聴できる。毎週6人の挑戦者が民謡による自慢ののどを競い合い、審査員の合計得点(審査員は4名で、予選は持ち点各10点の計40点満点、準決勝は持ち点各15点の計60点満点。三和完児時代は歌い終えた後即座に発表するが、鈴木ヤスシ、江戸家小猫時代は番組最後に発表となる。なお、鈴木時代は一時的に観客も審査に加わっていた。)でその中から2名が勝ち抜けとなり月末に行われる準決勝(1名のみ勝ち抜け)を経て、半年に一度行われる決勝大会に出場し、頂点である「名人位」(グランドチャンピオン)を達成すると、天井から大量の紙吹雪が降り、賞状、ゴールデントロフィーが授与された。夏休みに行われる子供特集は、いわゆる即戦即決方式である。審査の集計中にゲストの民謡歌手が自身の歌を披露した。また、決勝大会の翌週にはゲスト大会も行われた。ゲストコーナーと審査発表の間に行われた、スタジオの一般観覧者によるのど自慢コーナー。太鼓が鳴ったら合格となり、本戦へ出場できる。鉦が鳴った場合は不合格。また鈴木が司会を担当していた当時、全員が不合格の時に合格のたすきを床に叩き付けていたことがあった。三和完児が司会を務めていた頃には、三和が早口で「肩こり・神経痛にキンカン、虫刺され・痒み止めにキンカンでお馴染みのキンカン本舗がお送りしましたキンカン素人民謡名人戦!では、また来週!ごきげんよう!」とコール→客席から拍手→客席の山﨑栄二(寅)社長に画面が切り替わり、社長のお辞儀→キンカンのCM→提供クレジット…という流れだった。三和が後述の理由で司会を降板してからも、エンディングの挨拶の後の観客拍手から提供クレジットまでの流れは変わらなかった。提供クレジットの表示中には、フジテレビのアナウンサーが「この番組は、ご家庭の常備薬キンカン、キンカン本舗の提供でお送りいたしました。キンカン素人民謡名人戦(決勝大会、ゲスト大会の際にはこれを付け加える)を終わります」と言っていた。※放送時間はすべて日本時間 (JST) で記す。筒井(当時)と西山はフジテレビアナウンサー。。その後は1976年4月から同年6月まで桂米丸、高崎一郎、鈴木ヤスシ、三代目江戸家猫八、多々良純、獅子てんや・瀬戸わんやなどが輪番で司会を務めていた。三和司会時代には小林節子(当時フジテレビアナウンサー)が、小猫司会時代にはゆずき香乃→江戸家まねき猫がアシスタントを務めていた。系列は番組放送当時のものではなく、各局が現在加盟している系列。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。