コザ市(コザし)は、かつて沖縄県の沖縄本島中部にあった市である。日本で唯一の片仮名表記の市名だった。また、沖縄県内の市、沖縄本島中部では唯一海に面していない自治体だった。もともとは越來村(ごえくそん)という地名であったが、1945年4月、沖縄戦で上陸したアメリカ軍が、同村字嘉間良一帯に宣撫隊本部を、同村字胡屋に野戦病院・物資集積所等を建設、「キャンプ・コザ」と呼んだ。また同地に難民収容所が開設され、人口増加に伴い同年9月から一時的に胡差市(こざし)となる。コザという名は隣接する美里村の古謝(こじゃ)と、越來村の胡屋(ごや)が混同されたのではないかと言われている(占領時に英語表記つづりの誤読がそのまま採用されたとの説もある)。1946年4月に元の越來村に戻ったが、1956年6月13日にコザ村(コザそん)と改称、翌7月に市に昇格し、以後、沖縄本島中部の中心都市として発展。1974年4月1日に美里村と合併し沖縄市となり、コザ市は消滅した。市役所は字仲宗根に置かれ、合併後はそのまま沖縄市役所となり、のちの住居表示実施に伴う町名変更で仲宗根町となった。戦前の越來村は、畑の多い農村だった。その後、畑だったところに嘉手納基地などの米軍基地が次々と建設され大きく一変する。合併後、沖縄市となってから「コザ」の名が消え(字名や町名に「コザ」の文字は使われていない)、市役所だけでなく警察署・郵便局・裁判所支部などの公共機関や道路案内標識の表示が次々と「コザ」から「沖縄」と変更した(道路標識は最初「沖縄市」と表示したが、1980年代以降「沖縄」に変更した)。しかし、混乱を防ぐため現在でも県税事務所はコザの名称が使用されているほか、銀行や商店などの民間企業の支店などはコザの名称が使われており、学校名にも残っている。こうして市の中心部は今でも「コザ」の名称で親しまれており、その地へ行く場合「沖縄市へ行く」というよりも「コザへ行く」という人が多く、「沖縄市コザ」と使う人はまずいない。また「コザ」は「胡屋」あるいは「古謝」の転訛であると言われるが、交差点(十字路)は「胡屋十字路」と「コザ十字路」が別々に存在し、古謝という地名も健在である。合併後の沖縄市は、沖縄本島中部の中核都市と発展し人口が県都那覇市に次いで2番目に多く、1980年代半ばには10万人を突破した。また嘉手納基地や嘉手納弾薬庫など多くの米軍基地を抱え、現在でも市の北西部の多くが基地となっている。しかし、旧美里村を中心に返還されている旧米軍用地もあり、跡地に住宅が建てられ、市の人口も旧コザ市よりも旧美里村が上回るようになった。かつて市の中心部にあった裁判所や保健所も、旧美里村域へ移転した。最近では旧コザ市の商店街などは廃れている。コザ市(現在の沖縄市)主催で1956年に全島エイサーコンクール(現・沖縄全島エイサーまつり)を開催。2007年6月13日、「エイサーのまち」宣言をし、地域の活性化に取り組んでいる。大学高等学校中学校小学校道路路線バス
出典:wikipedia
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