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ピルグリム・ファーザーズ

ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)は、アメリカに渡ったイギリスのピューリタン(清教徒)たちである。「Pilgrims」は「巡礼始祖」の意味。16世紀、イギリスのエリザベス1世がイングランド国教会を確立したが、17世紀にかけて、教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになり、特に国教会からの分離を求めるグループは分離派と呼ばれ、弾圧を受けていた。この為、信仰の自由を求めた清教徒を含む102人がメイフラワー号に乗ってアメリカに渡った。メイフラワー号船上での「メイフラワー誓約(右図)」は社会契約説に基づくものとして知られる。1620年11月に北アメリカ大陸に到着したピルグリムファーザーズは、キリスト教徒にとって理想的な社会を建設することをめざした。彼らの上陸地は、1614年にジョン・スミスが発表した地図で「ニュー・プリマス」と名付けられた地域だった。入植当初の状況は厳しく、イギリスから持ってきた野菜や小麦は収穫にとぼしかったため、翌1621年の4月までに半数程が病死した。ピルグリムファーザーズが上陸した土地には先住民インディアンのワンパノアグ族が暮らしており、ピルグリムファーザーズに食糧や物資を援助した。ワンパノアグ族のスクアントはイギリスに連れられて行った経験があるため英語を知っており、ピルグリムファーザーズに狩猟やトウモロコシの栽培などを教えた。1621年には収穫があったため、ピルグリムファーザーズは収穫を感謝する祝いにワンパノアグ族を招待した。祝宴は3日間におよび、料理が不足すると、ワンパノアグの酋長マサソイトは部族から追加の食料を運ばせた。この祝宴が感謝祭のもとになったと言われている。ニュー・プリマスはやがて、発展するニューイングランドの最初の植民地となった。しかし間もなく、白人入植者たちは入植範囲を拡げ始め、インディアンとの間で土地と食料を巡って対立が発生し、戦闘が起きるようになった。ワンパノアグ族の酋長マサソイトは、平和と友好を保つためにピルグリムと条約を結ぶ。ピルグリムはまず1630年にマサチューセッツ族の領土に進入。ピルグリムの白人が持ち込んだ天然痘により、天然痘に対して免疫力があまりなかったマサチューセッツ族の大半は病死した。1636年には1人の白人がピクォート族に殺された事が切っ掛けでピクォート戦争が発生。ピルグリムは容疑者の引き渡しを要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、ピクォート族の村を襲い、大量虐殺を行った。さらに、平和の条約を結んでいたワンパノアグ族との関係も悪化していった。マソサイトの息子メタコメットは父マサソイトが結んだ条約を不平等条約であるとして異議申し立てをし、これを拒絶されたためワンパノアグ族は1675年にピルグリムのプリマス入植地を攻撃。こうして白人が「フィリップ王戦争」と呼ぶ土地紛争が勃発した。この戦争は周辺部族も巻き込み、1676年に終結するまで、ピルグリムとインディアンの両方共に多くの犠牲者を出した。

出典:wikipedia

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