ピザ()は、小麦粉、水、塩、イースト、砂糖、少量のオリーブ油をこねた後に発酵させて作った生地を丸く薄くのばし、その上に具を乗せ、オーブンや専用の竃などで焼いた食品である。ピッツァとも言う。小サイズのものは、区別してピッツェッタ()と呼ばれることもある。イタリアで生まれ、世界的に広く食べられている料理である。また、ピザの発祥がリトアニアという説もある。日本で初めて紹介されたピザはなかなか一般的ではなかったが、1980年代後半より始まったバブル景気の最中(さなか)に起きたイタリア料理ブームに伴い、次第にイタリア風のものも広く知られるようになっていった。日本を含む先進各国では、家庭向けの冷凍食品からレストランや専門店などの飲食店で提供されたり、あるいは電話などで注文する宅配サービスでも購入することができるため、一般になじみのある料理である。数多くのレシピが存在し、地域にある産品を取り込んだご当地グルメ的変化を見せるものも存在する。料理として提供される場合には、好みによって様々な食材が選択可能であることにもちなみ、広い層に人気のある料理である。ピザの定義や語源は曖昧であるが、イタリアにはフォカッチャがあり丸パンに具材を乗せるところから、ピザの原型とされている。フォカッチャが作られる前にも、エジプトには円盤状のパンに具材を乗せて焼いた物が現ピザの調理法と酷似していることから、原型はエジプトからイタリアに伝来していると言う説もある。現在「ピッツァ」と呼ばれる料理が誕生したのはイタリアのナポリである。ナポリ第二大学の栄養学教授カルロ・マルゴーニによれば、初めて薄くのばしたパン生地にトマトソースを載せて焼いたピザが作られたのは1760年頃だという。1803年には初めてピッツェリアが創業した。イタリア系移民がアメリカ合衆国にピザを導入したのは19世紀末である。1905年にはニューヨークのリトル・イタリーに米国初のピッツェリアが創業した。第二次世界大戦後にはイタリア系米国人以外にも普及した。ピザは米国で独自の発展を遂げ、今日ではホットドッグやハンバーガーに並ぶアメリカの国民食的位置づけにもなっている。一般的な作り方は、生地(ピザクラスト)の上にトマトソースを薄く塗り、野菜や肉などの具とチーズを乗せる。窯やオーブンで焼き、生地に火が通ってチーズに軽い焦げ目がつけば出来上がり。ただし、トマトソースを使わないピザや、チーズを使わないピザもある。トマトソースを使わないものをピッツァ・ビアンカ(白いピッツァの意)と言う。大きな窯を用いて焼く場合にはピザピールなどの道具を用いて出し入れを行う。イタリアでは1枚が1人前とされ、ナイフとフォークを使って食べる。ナポリではソースのかかった部分だけを切り取って食べ、「イル・コルニチョーネ」(Il Cornicione、「大きな額」)と呼ばれる縁は残す(日清製粉のナポリピッツァの基礎知識では、残さないとしている)。しかし歩きながらピザを食べるときは、上面を内側にして二つに折って手で食べることもあり、この食べ方を「ア・リブレット」(a libretto、「本のように」)と呼ぶ。アメリカではナイフとフォークを使うよりも、大型のものをピザカッターなどを使って放射状あるいは碁盤目状に等分し、一切れずつ手でつまんで食べる方が一般的である。また薬味として用いられる香辛料は、イタリアでは唐辛子やにんにくを漬け込んだオリーブ油、アメリカでは乾燥した唐辛子を砕いたクラッシュト・ペッパー、日本ではタバスコ・ソースがよく用いられる。アメリカでは粉末のパルメザンチーズや乾燥オレガノをふりかけることもある。※デザートにするピザの場合は、トマトソースを使用せず、具材に果物(オレンジ、キウイフルーツ等)を用い、蜂蜜などをかける。生地にクッキー生地を用いたり、ピザ用のチーズの代わりに甘くしたクリームチーズをのばすこともある。イタリアは地方ごとに異なった食文化を持ち、ピッツァの製法、形状、食事としての位置付けも地方ごとに異なる。イタリアのピザとはどのようなものであるのかを限定して定義することはできないが、リストランテ格の店の料理ではないことはイタリア全土に共通である。ナポリピッツァに代表される最も一般的に見かける円形のもの。イタリアでは、専用の窯(かま)が必要なことから普通の料理店では作られず、ピッツェリアで供される。同様に一般家庭で作られることもほとんど無いため、ナポリ風ピザの謳い文句として「ナポリのマンマの味」というのは成立しえない(カルツォーネは家庭でも作られることは珍しくない)。一品でも様々な食材を載せバリエーションも豊かで、栄養バランスがいいことから軽食として夜食に食べられることが多い。なおイタリアの農業省は2004年5月25日に国内のピッツァ専門店に対して「伝統的なナポリピッツァ」の規定を示し、同国内ではスローフードとしても親しまれているピザの伝統を残す動きも見られる。なお、これとは別にイタリア内でも簡便に本格的なピザを求める向きもあるようで、2009年には盛り付け済みの冷凍ものを電子レンジで温めるのではなく、自動で生地を作るところから入り、これにトマトペーストを塗って具をトッピングした上で内蔵されたオーブンで焼くピザの自動販売機が設置されたが、賛否両論を招いている。ローマ以北に多く見られる切り売り又は計り売りのピザ。長方形の天パンに生地を敷き具材を散りばめてオーブンで焼いたもの。あらかじめ縦横に切り分けてあったり、あるいは注文に応じて希望の大きさに切り取って、一切れ当たり又は目方当たりの価格で売られる。学校前、バス停前、商店街、パン屋の一角など至る場所に見られ、気軽なファストフードとして利用されている。店頭には通常複数種類並んでおり、価格も場所によっては50セントからと安価であるため、2種1枚ずつ(例:キノコと生ハム、サラミと4チーズ等)買って具材が内側になるよう重ねて食べるのが一般的である。天パンごと保温されるショーケースに入っていたり、冷めたものを注文ごとにオーブンで暖め直したり、冷める間もなく次から次へと焼き上がってきたり、提供のされ方は店によって様々である。またカウンターやスツールを用意し飲み物も併売して店内でも食べられる店、持ち帰り用食べ歩き用に売るだけの店と形態も様々である。これら切り売り計り売りの店も、注文してから焼きテーブル席に着いてナイフとフォークで食べる店と同じくピッツェリアと呼ばれる。ピッツァはイタリア各地で味付けや生地に差がある。※店ごとに名前や具材が異なることが多いが、代表的なものは次のとおり。※生地部分は薄い円形が一般的ではあるが、そのほかにも様々な形状のものが存在する。上ではその一部を紹介した。アメリカなど北米地域では、地域ごとに特徴のあるピザが存在する。高さのある深いパンを用いて、チーズや具をたっぷり入れて焼いたものはディープディッシュピザあるいはシカゴ風ピザと呼ばれ、シカゴの名物となっている。また生地が薄いものはニューヨーク周辺に多く、ニューヨーク風ピザあるいはクリスピーピザと呼ばれる。ピザはホットドッグやハンバーガーに並ぶアメリカ料理のひとつとして位置づけられており、カフェテリアなどのメニューには必ず見つけることが出来る。アメリカのピザはイタリアのピザに比べて大きく、地域によっては生地が厚く甘みがあり、トマトソースと具の量が多く、薪で熱した石窯の床に直にピザを置いて焼くよりも丸い専用のパン(pan - 浅い焼き型)に具をのせた生地を入れてオーブンで焼くパンピザが一般的であるが、初期には石炭をくべるパン焼き窯で焼いていた。チーズはピッツァ・チーズと呼ばれる、熱すると融けて糸を引く薄黄色のプロセスチーズが多用される。これは一般にモッツァレッラと呼ばれているが、本物のモッツァレッラよりも水分が少ない。ドミノ・ピザに代表される宅配ピザも非常に普及しており、気軽な会合などではよく供される。またアメリカの家庭は大型のオーブンがよく普及しているため、市販の冷凍ピザを買ったり、市販の生地を買ってきたり、ピザ生地を手作りして自宅で焼くことも多い。アメリカの法律では、大さじ2杯のトマト・ペーストが野菜とされているため、トマト・ペーストを使ったピザは「野菜」に分類される。現在は、従来よりも本格的なピザが冷凍食品として出回るなど、一般食品としても定着している。ピザ協議会の調査によると、2010年(平成22年)度の日本におけるピザ末端売上高は、2,271億円に達している(1980年度は約500億円)。なお、沖縄県では戦後、長期間に亘ってアメリカの統治を受けた影響もあり、本土よりも早くピザが普及し、現在はすっかり県民の食生活に定着しているが、歴史的経緯からアメリカ風ピザがほとんどである。「日本初のピザ」は、第二次世界大戦中に神戸に着いたカリテア号(イタリア海軍の特務艦)の、乗組員2人が関与したとされる。まず、アントニオ・カンチェミ(1916 - 2003)が1944年(昭和19年)に僅か2ヶ月間だけ開いた神戸のレストランにて、初めてピザが焼かれたという説がある。もう一つは、戦後の1946年(昭和21年)9月1日に、兵庫県宝塚市の宝塚温泉街にある寶來橋付近で創業したイタリア料理店“アベーラ”という説である。初代店主となったオラッツィオ・アベーラ(1913 - 1974)はシチリア出身で、昭和21年当時は日本国内にはイタリア料理店などはほぼ存在せずに、一般的ではなかった戦後間もない時に創業した。なお、阪急今津線宝塚南口駅界隈にある洋館建ての店舗は、オラツィオが帰天した後の1971年(昭和46年)に“アモーレ・アベーラ”として元の自宅を改装して移転した店舗で、子息のエルコレ・アベーラがオーナーとなり、父親から伝授したシチリア風テイストを受け継いでいる。「日本初のピザハウス」は、1954年(昭和29年)、進駐軍のGI出身でイタリア系アメリカ人のギャング、ニック・ザペッティが、六本木に開いた“ニコラス”とされる。米陸軍の部隊を対象客層としてオープンしたが、日本人の若者層にも人気を博し、認知された。1964年(昭和39年)には、日本ペプシコーラ創業者でもあった比嘉悦雄がアメリカから冷凍ピザを輸入し、販売を開始。その後は国内製造も行われ、スーパーマーケットなどで入手可能となり、家庭に普及し始める。1973年(昭和48年)、アメリカのチェーン店“シェーキーズ”が日本初進出。1970年代半ば頃に差し掛かると、喫茶店や洋食店、ファミリーレストランなどで、ピザパイとして普及が始まる。前後して、ピザトーストも考案される。1985年(昭和60年)9月30日、日本で初めての宅配ピザ店“ドミノ・ピザ”恵比寿店が誕生。平成に入ると、さらに宅配ピザ店が全国に店舗を広げ(後述)、徐々にピザは一般的になっていく。そのほとんどはアメリカ風ピザであったが、1990年代のイタめしブームによってイタリアンピザも紹介され広まっていった。前述のピザトースト以外にも、パン屋におけるピザパン(惣菜パン)、ピザドッグ(ホットドッグ)、1972年のオープン時に既にあったロッテリアのイタリアンホット(ホットサンド)、1979年に登場したピザまん(中華まん)、コンビニエンスストアにおけるブリトー(トルティーヤ)、スティックピザ、ピザ味の商品(スナック菓子)など、多様である。宅配(出前)ピザのシステムは、1960年にアメリカのドミノ・ピザが始めたもの。アメリカでは、電話で注文すれば自宅までピザを届けてくれるという配送を中心としたピザ販売が大いに普及し、多数の業者が存在する。配達は通常自家用車を持つアルバイトによって行われ、勤務中は車に宣伝を兼ねたロゴを取り付けて業務を行う。レストランで食事をした場合と同じく、配達者には15%くらいのチップを渡すのが習慣である。日本でも、このような業務形態が定着し、宅配ピザと呼ばれるようになった。まず1985年(昭和60年)9月30日に東京都渋谷区恵比寿でドミノ・ピザが日本初の宅配ピザ店としてオープンしたのを皮切りに、チェーン店方式の宅配ピザ店が大量にでき、自宅で気軽にピザを食べられるようになった。かつてドミノ・ピザでは注文後、30分以内に配達先に到着出来なければピザ1枚につき700円を返金するというお届け時間の約束があったが、「30分以内」を厳守しようとする配達員の無理な運転による交通事故の可能性、住宅事情の変化から30分以内に配達できない実例などが増加してきたことなどから、現在は実施されていない。2012年(平成24年)、関東圏すべてのチェーン店で前出の30分以内配達ルール(ドミノ・ピザでは遅配した際は天候や交通事情等に関わらず、無条件で次回以降利用できる500円割引チケットを配布していた=これを目的として土日・荒天日にオーダーする顧客も多かったとのこと)は、主に東京都多摩東部の住宅街を中心に配達員の道路交通法に違反する運転が警察当局・地元自治体・議会などで問題となり、特に周知のないまま8月には完全に消滅した。2000年(平成12年)頃から一部のチェーン店ではインターネットでも、注文を受け付けるようになった。2012年(平成24年)11月現在、各業者とも自社サイトとともに提携総合インターネットサイトにて「ダブルでポイントがたまる」といった電話不要のユーザーにとってありがたい手法で競争している。ただし、宅配業界もピザ以外の分野の業者が配達エリアの拡大、各種キャンペーンの展開、営業日時の柔軟化などで対抗してきており、店舗によっては固定客に対してサイドメニューやドリンクのサービスを行っているようである。ネットからの宅配ピザの注文も可能拡大し、NTTドコモが運営する dデリバリー などスマートフォン等からも簡単に予約が可能に。また配達者に対するチップなどの習慣は、日本国内においては一般的とされていない。2013年以降では無人航空機を使用してピザを配達するサービスが登場、ないし実証実験が行われている。ロシアでは2014年にドローンでピザを宅配するサービスが開始された。主要チェーン日本の凸版印刷が11月20日をピザの日と定め、ピザの普及活動を行ったことから成立したもの。同日は、イタリア王妃マルゲリータの誕生日である。
出典:wikipedia
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