ルワンダ共和国(ルワンダきょうわこく)、通称ルワンダは、中部アフリカに位置する共和制国家。内陸国であり、西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと国境を接する。首都はキガリで、イギリス連邦加盟国でもある。アフリカで最も人口密度が高い国である。正式名称はルワンダ語で 、英語で 、フランス語で 。欧米人の到着以前、この地域には牧畜民系のツチの王が農耕民系のフツを支配するルワンダ王国が存在していた。1889年、ドイツの保護領となる。以後ルワンダは第一次世界大戦終結までドイツ領東アフリカの一部とされる。植民地政府は、既存の統治機構を利用する間接統治方式を用いた。1918年以後はルアンダ=ウルンディとしてベルギーの委任統治下に置かれ、少数派のツチが中間支配層に据えられた。1959年、ルワンダ王国のムワミ(国王)であるムタラ・ルダヒグワ(ムタラ3世)の死を契機にツチとベルギー当局の関係が悪化し、を経て多数派のフツの抵抗も激しさを増した。1961年、ベルギー当局はクーデター(軍政)を行い王政に関する国民投票を実施してキゲリ5世を廃し共和制樹立を承認した。ルアンダ=ウルンディ初代大統領にフツのドミニク・ムボニュムトゥワが就任。1962年に独立し、ルアンダ=ウルンディ第2代大統領だったフツのグレゴワール・カイバンダがそのまま共和国の初代大統領に就任する。独立直後のルワンダは最貧国の一つであり、財政は大幅赤字状態、1963年には亡命したツチ系武装勢力が一時首都キガリ14kmまで迫るなど、深刻な状態にあった。しかし、1966年から開始された経済再建計画の成果もあり、以後内戦勃発までの20年にわたり、ルワンダはアフリカの模範生としてほぼ一貫して発展を続けることになる。カイバンダ政権にはツチの閣僚も存在したものの、政治的にはツチを排除する政策が取られた。1973年にが起こり、フツのジュベナール・ハビャリマナが第2代大統領に就任する。ハビャリマナは開発独裁を行う一方、ツチに対しては和解政策を進め、政治分野以外での抑圧は減少した。1980年代末の時点でルワンダは大きな発展を遂げていたものの一方で都市化の進展や環境破壊、さらに1987年のコーヒー価格の暴落もあり貧富の差が拡大。1982年には0.357であったジニ係数が1992年には社会騒乱の危険ラインを超える0.583に悪化するなど、後の紛争の芽が育まれつつあった。1987年、隣国のウガンダに逃れていたツチ系難民が主体となり、ルワンダ愛国戦線 (RPF) が結成された。1990年以降、ルワンダ帰還を目指したRPFとルワンダ政府の間で内戦に陥った(ルワンダ紛争)。タンザニアやザイールは、RPFの攻撃をウガンダによる武力侵攻であるとして、派兵を行っている。経済低迷や政治的混乱の中、さらにRPFの侵攻に晒されたハビャリマナは、これまでの和解政策を改め、反ツチのイデオロギーを掲げるようになる。1993年8月4日、戦況の膠着からルワンダ政府とRPFの間でが調印され、同協定の遵守を支援するため国連平和維持部隊が展開した。急進的なフツ至上主義の台頭による政情悪化が収まらず、1994年4月にジュベナール・ハビャリマナが暗殺された事件(ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件)を発端に、政府と暴徒化したフツによる、ツチと穏健派フツに対するジェノサイドが勃発した(ルワンダ虐殺)。この結果、約100日間のうちに、当時のルワンダの総人口約730万人中、およそ80万人から100万人が殺害されたとみられている。虐殺はこの勃発を受けて侵攻を再開したRPFがルワンダ全土を掌握したことで漸く終息し、フツのを大統領、RPFのポール・カガメを副大統領とする新政権が樹立された。このとき約210万人とも言われる大量の難民が周辺国に流出した。ジャーナリストのによれば、難民の中身はRPFによる報復を恐れたフツの一般人と、旧フツ政権指導層および軍や民兵の組織的な大量疎開だった様に描写している。このうちの後者について、ジェラール・プルニエなどは「難民キャンプをルワンダ奪還に向けた軍事拠点にしようとする旧フツ政権指導部による計画的な疎開であり、その意味では戦争の継続だった」としている。以後、ルワンダ情勢は安定に向かったが難民の本国帰還は進まず、寧ろ周辺諸国の政治・軍事情勢を不安定化させて国際問題となった()。ツチ主導のルワンダ新政府の要請を受けて、1994年に国連安全保障理事会は、ルワンダ領域内及び隣接諸国においてジェノサイドや非人道行為を行った者を訴追・処罰するためのルワンダ国際戦犯法廷を設置、現在も審理が続いている。大湖地域の難民危機は、特に隣国ザイール(現コンゴ民主共和国)でモブツ政権の崩壊へと波及した第一次コンゴ戦争(1996年 - 1997年)のほか、周辺8か国が介入する事態となった第二次コンゴ戦争(1998年 - 2003年)の遠因となった。2000年、ビジムング大統領の辞任に伴い、ツチのポール・カガメが第5代大統領に就任した。内戦によりルワンダの産業・経済は深刻な打撃を受けたが、1999年には内戦前の水準へと回復を果たした。内戦時代に海外へ脱出したツチ族(ディアスポラ)のうちの200万人近くが戦後帰国し、海外で習得した様々なスキルで国の復興に尽力しており、21世紀に入り顕著に近代化が進み、「アフリカの奇跡」と呼ばれている。毎年成長率が7%前後と急成長を遂げ、2000年頃からはICT立国を目指し、ICTの普及・整備に力を注いでいる。一方で、激しい反体制派への弾圧などで自らの権力基盤を強化するその手法は独裁的であるとの批判もある。実際に2015年には憲法172条が改正され、2034年まで大統領職にとどまることが可能となった。2012年11月20日、ウガンダと共にツチ系武装組織3月23日運動 (M23) を支援し、コンゴ民主共和国で紛争()が勃発した。ルワンダは共和制をとる立憲国家であり、現行憲法は2003年5月26日に承認され同年6月4日に施行されたものである。国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は7年。3選禁止。首相は大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは大統領が任命する。現行憲法下の議会は二院制で上院と下院で構成される。上院は定数26議席で、うち12議席は地方議会が選出、8議席は大統領が任命、4議席は政府の諮問機関である政治組織フォーラムが選出、2議席は高等教育機関の代表で構成される。下院は定数80議席で、53議席は国民の直接選挙で選出され、24議席は地方が選任する女性議員枠、3議席は青年組織や障害者組織が選出する。議員の任期は上院が8年、下院が5年となっている。ルワンダ虐殺で男性の数が減り、さらに憲法で女性議員数が全体の30%を超えるように決められているので、女性議員が世界で最も多い。2008年には女性議員が世界ではじめて全体の過半数を占めた。主要政党には現大統領ポール・カガメ率いるルワンダ愛国戦線 (RPF) がある。紛争後、開発独裁で国を成長させている。野党勢力は脆弱だが、比較的有力なものに中道民主党 (PDC)、イスラム民主党 (PDI) がある。最高司法機関は最高裁判所(同上:"Cour suprême")である。フランス政府はハビャリマナ暗殺に関わったとしてカガメ政権関係者を訴追し、カガメ側もフランスが虐殺を支援したと非難して国交断絶していたが、2009年11月29日に3年ぶりに国交回復した。その後ルワンダ政府は英語圏への接触を図り、2009年11月29日に英連邦への加盟が認められ、54番目の加盟国となった。旧イギリス植民地以外で加盟が認められたのは1995年のモザンビーク以来のことである。面積は2万6000平方kmで、この国はアフリカ大陸の中央にあり赤道から緯度で数度だけ南に位置する。西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと接している。首都のキガリ以外は草地で、丘陵に小農場が分布する。北西の火山群から南東へごつごつした山地が連なり、西部にコンゴとナイルの水域を分ける平均海抜2,740mmの分水嶺が南北に走っている。その西斜面をキブ湖とルジジ川渓谷に下るとアフリカ大地溝帯の一部となる。東斜面はなだらかに中央高地から平原、沼沢地、湖へと標高が低下する。このためルワンダは、「千の丘の国」と呼ばれた。2006年にイギリスの探検隊がニュングウェ森林にナイル川の源流を発見したと発表した。2006年1月1日からルワンダの地方行政区分は新しいものになり、5つの州に再編した。2005年以前は11の県と、首都のキガリで構成されていた。主要な都市はキガリ(首都)、ギタラマがある。通貨はルワンダ・フランで、IMFの統計によると2013年のルワンダのGDPは76億ドルである。一人当たりのGDPは704ドルと世界平均の10%を下回るが、タンザニアやウガンダなど周辺国とはほぼ同じ水準にある。 労働人口の約9割が農業に従事しており、小国ながら世界生産シェア10位以内に記録される産物も2つある。また湖での漁業従事者も見られる。国土及び可耕地に対して人口が極めて多く、人口過剰が問題となっている。国土は緩やかな丘陵が中心で、丘陵の最上部まで段々畑が広がっている。そのため、土壌流出が問題となっている。ルワンダの中心的産業は農業であるが、輸出において最も重要な資源は商品作物であるマラバ・コーヒーなどのコーヒーではなく、鉱物資源である。ルワンダはアフリカ大地溝帯に位置するため、海嶺型の鉱物資源を産出する。生産量が最も多いのはスズ(170トン、2002年時点)である。経済的に重要なのはタングステン(150トン)で、世界第8位の産出国でありタングステンだけで同国の輸出額の約3割を担っている。このほか金(10kg)と天然ガス(13兆ジュール)を採掘している。世界中にディアスポラしたルワンダ人が農業、観光産業、不動産に投資し目覚しく成長しており、この現象を指して「アフリカの奇跡」と呼ばれている。国民の84%がフツ、15%がツチ、1%がトゥワである。公用語はルワンダ語、フランス語、英語である。ルワンダ語がほぼ100%の国民に理解されるサブサハラアフリカでは稀有な単一言語的な国である。ルワンダは伝統的にフランス語圏であるが、英語圏であるウガンダに逃れていたカガメ大統領をはじめとする現政権のルワンダ愛国戦線が主に英語話者であり、フランス語が話せなかったことと、現政権と関係の深いアメリカとイギリスの後押しもあり、2008年に公用語にそれまではルワンダと全く関連の無かった英語が追加され、2009年にはイギリス連邦に加盟した。同年、教授言語はベルギーによる植民地支配以来続いていたフランス語から英語へと変わり、政府要人にも英語を学ぶように要求しているなど、実質的にフランス語圏から英語圏への転換を図っている。既に政府等の公的機関のウェブサイトも英語版のみでありフランス語版は存在しないなどフランス語の排除が進む。また、国民の100%が理解するルワンダ語でさえ学校教育ではほとんど使われていない。その他にもスワヒリ語が商業で使用されている。国民の大半はフランス語を話せることはできても英語をほとんど話せない状況であったのにもかかわらず、新政権の判断で短期間でフランス語圏から英語圏へと変わった世界でもまれな国でもある。2001年の統計によれば、ローマ・カトリックが56.5%、プロテスタントが26%、アドベンチスト教会が11.1%、ムスリムが4.6%、土着信仰が0.1%、無宗教が1.7%である。2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は70.4%(男性:76.3%、女性:64.7%)である。2005年にはGDPの3.8%が教育に支出された。主な高等教育機関としてルワンダ国立大学(1963)の名が挙げられる。2007年時点では国際人権A規約の「中・高等教育の無償化」の条項を留保しているのは、ルワンダとマダガスカル、日本の3か国のみであったが、2008年12月にルワンダは留保を撤回した。IT立国を目指す政策により、電気のない地域にもインターネットなどができるバスを導入したり、簡易パソコンを使った初等教育を行っている。またITを教えるトゥンバ高等技術専門学校も日本の援助で設立され、英語によって授業が進められている。ルワンダにおける2007年のHIV感染者は推計で約150,000人であり、感染率は2.8%である。ルワンダ人の平均寿命は56.77歳(男性:55.43歳、女性:58.14歳)である。
出典:wikipedia
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